浦島がやったから

吉水ガリ

浦島がやったから

 とある海辺の村に、浦島太郎という若い男がいた。

 浦島はまだ独り身で、村の他の男連中のように皆で船を出して漁に出るようなことはせず、日がな一日のんびりと魚を釣って生きているような男だった。


 その日、浦島は釣りの道具を引っ提げて浜にやって来た。男たちはとっくに船を出していて、辺りに人気はない。

 そう思っていた浦島だが、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。


 見れば、子供がふたりいた。手には棒切れや石を握っているようだ。こりゃあ喧嘩か? だが、子供たちは顔と顔を向かい合わせることはせず、ふたり揃って別の方向を向いていた。

 近づいてみれば、子供たちのすぐ傍には大きな大きな亀がいた。子供たちはわいわい騒ぎながら石を投げたり棒でつついてみたり、亀をいじめていたのだ。当の亀の方はただただじっとして、この厄介なワルガキどもがいなくなってくれるのを耐えていた。

 浦島は一直線に亀の元へと駆け寄った。


「おい、やめないか」


 浦島は子供たちの肩をぐいっと引っ張った。振り返った子供の顔は、わっと驚いていた。


「亀なんて叩くんもんじゃない。棒や石を振り回したいならお互いを相手にすればいい」


 浦島が叱りつけると、子供たちは唇を突き出し不服そうにしていた。楽しい遊びの邪魔をされて腹を立てている。


「そんなに血の気が多いのなら、おれが相手になってやろうか?」


 そう言って、浦島は釣竿を握っていた右手に力を込めた。それを見て、子供たちはぶんぶんと首を横に振った。

 そして、棒切れを砂浜に放り投げて村の方向へと一目散に駆けていった。


「助けていただいてありがとうございます」


 じっとして黙っていた亀が口を開いた。ぐいっと頭を伸ばして浦島を見上げる。


「いやいや、うちの村のやつがすまないな。子供でも、海の生き物をいじめるのが悪いってことぐらいは教えられてるはずなんだが」

「あなたは分別があって心優しい人のようだ。どうでしょう、ひとつお礼をしたいのですが」

「礼だって? いや、いらないよ。おれはいまの生活で満足してるし、欲しいものも特にない」

「ぜひ、竜宮城に招待させてください。そこはこの世のものとは思えぬ楽園。本来なら人間が足を踏み入れることのできない、乙姫の住まう居城であり桃源郷です」


 浦島は亀の言うことに興味を持った。確かにいま欲しいものはないが、素晴らしいなにかを体験させてくれる、見たこともないものを見させてくれるとなれば話は別だ。村から離れたことのない浦島にとって、ここではないどこかへ行くというのは魅力的に思えた。


「そんなに勧めてくれるなら、お言葉に甘えようか」

「それでは、わたしの背中にお乗りください。竜宮城は海の底。わたしが泳いでお連れします」


 浦島は亀の礼を受け入れることにした。硬く大きな甲羅を跨いで、そのまま波打ち際までのっそりのっそり。

 そうして、浦島は亀に連れられ竜宮城へと旅立った。



――――――――  ――――――――



「いまの聞いたか?」


 岩陰に隠れていた子供のひとりが言った。亀をいじめていたのを浦島に叱られたふたりの子供は、村には戻らず近くの岩陰に身を隠して事の成り行きをずっと見ていたのだ。


「リュウグウジョウとか言ってたぞ」

「楽園だってな」

「浦島太郎のやつ、漁にも出ないでだらだら暮らしてるくせに、ずるい」

「みんな言ってるよな。村のはずれで好き勝手に暮らしてるって。ずるいやつだ」

「ずるい」

「おれだってそのリュウグウジョウ行きたいぞ。楽園って遊んで暮らせるところだろ?」

「姫がいるって言ってた。おれも姫様に会ってみたい」


 そんな風に、竜宮城に向かった浦島を羨んでいた。浦島同様に村の中だけで生きてきた子供たちの目にも、竜宮城という異界の存在は魅力的に映っていた。


「よし、同じことをしてやろう」

「同じって?」

「おまえ、亀をいじめるんだ。そんで、おれがそれを止める。そしたら亀がおれをリュウグウジョウに連れて行ってくれるはずだ」

「なるほど。でも、それだとおれは置いてかれるぞ」

「おれがリュウグウジョウに行けたら、おまえも同じようにすればいいんだよ。村に戻って別の誰かに声をかければいいんだ」


 子供たちは行動力があり、そして悪知恵が働いた。浦島がやったことをそっくりそのまま真似すれば自分たちも竜宮城に行けると考えたのだ。

 思いついたが吉日。子供たちは浜辺で亀を探し始めた。


 しばらくして、ひとりの子供がのそのそと動くものを見つけた。亀だ。気づかれないように子供はその場から離れた。

 亀を見つけてしまえばあとは簡単だ。ふたりの子供は打ち合わせた通りに動いた。


 ひとりの子供が、まだ海水で濡れている亀の甲羅に石を投げつけた。驚く亀に向かって駆け寄り、今度は棒で甲羅を叩く。ぴしっ。ぱしっ。小気味良い音が響いた。ついでに頭もつつく。

 えい、やあ。ほら、痛いか。適当に声を上げながら棒を振るって、足の裏で蹴ってやった。


「おい、やめないか」


 もうひとりの子供が姿を現した。


「亀なんか叩くな。棒とか石を振り回したいなら自分を相手にすればいい」


 発言まで浦島の真似をしたらなんだかおかしな内容になったが、細かいことはどうだってよかった。どうせなにを言っても展開は変わらない。


「血が見たいならおれが相手をするぞ」


 子供がそう言うと、いじめ役の子供はあっさりと逃げだした。


「助けていただいてありがとうございます」


 いままで黙っていた亀が口を開く。ぐいっと頭を伸ばして子供を見上げる。


「村のやつがすまない。悪いことは全部知ってるはずなんだが」


 まだ浦島の見様見真似は続いていた。


「あなたはお優しい人だ。お礼として竜宮城に招待したいのですが」


 やった。子供は心の中で叫んだ。予定通りだ。

 亀は騙されているとも知らず、竜宮城への案内を買って出た。子供たちを疑うようなそぶりはまったくなかった。

 子供は思案する間もなく亀の申し出を快諾した。

 そうして、浦島太郎に続く形でこの子供も竜宮城へと連れられた。


 事の顛末をまた岩陰から見届けていたいじめ役の子供は、村へと戻った。

 今度は自分の番だ。仲の良い別の子供に声をかけて、浜辺で起きたことを説明する。亀をいじめて、浦島太郎が邪魔をして、亀が礼をしたいと言って、浦島太郎は竜宮城へ行った。同じことをやれば自分たちも竜宮城に行ける、と。


 いじめ役の子供は新たないじめ役の子供をひとり連れて浜辺に再びやって来た。

 そこからは同じだった。亀を見つけて、いじめて、助けて、そうやって竜宮城へ。元のいじめ役の子供も竜宮城へと向かった。

 そこからもまた同じだ。新たないじめ役の子供は村に戻って、仲の良い子供に声をかける。

 実はこんなことがあって……。

 そこからもまたまた同じ。

 そんな風に子供たちはひとり、またひとりと浦島太郎の話を聞き、亀をいじめ、今度は亀を助け、そうやって竜宮城へと連れられて行った。


 数日が過ぎれば、その海辺の村からは元気盛りの子供たちの姿が見えなくなっていた。いつも騒いで走り回っているワルガキたちの姿がすっかりなくなっている。

 大人たちはさすがに不思議に思い、近くの森の奥深くや近隣の海岸の岩礁の隙間を探してみた。なにか事故に遭ったのか。しかし、子供たちの姿は探す場所にはどこにもなかった。いったいどこに行ったんだ?


 そんな大人たちを尻目に、ひとりの子供がまた竜宮城を目指そうとしていた。

 最後に亀をいじめた今現在のいじめ役、亀の甲羅に乗って竜宮城へと向かっていった友達を見送ったその子供は、自分の後釜になるいじめ役を探していた。

 声をかけられるような子供はもうあらかた竜宮城へと旅立った。自分よりもうんと年下のあまり幼い子供だと亀をいじめることがまずできない。相手は頑丈な甲羅を持った亀だ。あまりに非力じゃあ、なにをされようが気にも留めない。助けたことにならないと礼は貰えないのだ。


 どうしたもんかと考えた子供は、まるっきり逆に大人に頼んでしまうことを思いついた。もちろんまともな大人じゃダメだ。子供が消えたと騒いで不安になっている大人たちに下手なことを言えるわけがない。

 まともでない大人。それがひとりいた。皆と一緒に漁には出るが、浦島太郎と同じように独り身で妻も子供もなく、自慢の腕っぷしだけを頼りに生きている男がいた。

 あの男なら他の大人に告げ口をしたりしないだろう。もしかしたら竜宮城にも興味を持つかもしれない。

 そんなことを思って、子供は男に浦島太郎から始まった竜宮城の件を話した。


「そいつが本当ならおもしろい話だ。いっぺんやってみるか」


 男は子供の期待通りに話に乗った。上手くいくなら自分も同じように竜宮城へ。そんな風に思っている様子だった。


 子供は男に段取りを教える。


「棒で叩いたり石を投げたり、足で蹴ったり踏みつけたりしてもいい。そうやって亀をいじめるんだ」

「わかったわかった。任せとけ」


 腕っぷし自慢の男は喧嘩なんて慣れっこ。子供の頃から殴る蹴るは日常茶飯事。大人になっても負け知らず。亀を相手にするのなんて朝飯前。

 首尾よく浜辺でことさら巨大な亀を見つけたふたりは、これまでこの浜辺で何度と行われてきたやり取りを再び開始した。


「なんだこの亀は。でかい体で、我が物顔でのそのそ歩いてやがる。生意気だな」


 適当な難癖をつけて、男は亀の甲羅を軽く蹴った。

 だが、亀はピクリとも動かない。男の方にゆっくりゆっくりと顔を向けようとしているところだった。

 体の大きな亀にはこれぐらいじゃあ効果がないのか。そう思った男は、甲羅を横から蹴って亀を転がし、裏返ったところで石や貝殻を投げつける。そして踏みつけた。何度も何度も。体重を乗せて、自分自身が亀の上に乗っかるように両足で踏んだ。

 これなら少しは効いたか。

 さらに近くに落ちていた大きな流木を軽々と持ち上げ、思い切り叩きつける。

 おら、おら。

 ついでにまた蹴りを入れる。湿った砂粒が飛んだ。流木の破片も舞っている。

 ばぎぃ。音が響いて、流木が砕けた。

 おら、おら。

 それでも男は手足を動かし続けた。割れて細くなった流木の破片を両手に持って亀に叩きつけ、足は何度も蹴って踏んで。怒声を上げ続けた。


「おい、やめないか」


 そうこうしている内にやっと子供が止めに来た。

 男はすっかり汗をかいていた。流木を放り捨てて、上げていた足をようやく砂浜に着けた。巨大な亀の反応のなさに少しムキになってしまっていた。しかしそれは大事なことだ。いじめているところを止めないと礼は発生しない。


「あれ、ちょっとこれ…………」


 子供が戸惑った声を出した。その視線は男ではなく亀の方に向けられている。

 おかしなことだ。男は不思議に思って、いまのいままでいじめていた亀を見た。

 ひっくり返ったままの亀の頭はぐったりと垂れ下がっていた。

 そして、ピクリとも動かない。


「これ、死んでる?」

「嘘だろ」


 男は慌てて亀を元の体勢にひっくり返した。だら、と頭はやはり垂れる。いまにも甲羅の中からずるりと流れ出てきそうだった。

 死んでいるようにしか見えなかった。目を近づければ、頭や首の辺りに生々しい傷ができているのもわかった。流木や男の足が当たっていた証拠だ。


「殺したの?」

「そんなつもりはない。あれぐらいで死ぬなんて」


 死ぬかどうかなんて知らない。

 正直なところはそうだった。男は亀と喧嘩をしたことなんてない。どれぐらいで死ぬかなんて知るわけがなかった。


「でも、いままでこんなこと」


 実際には当たり前のことだった。なんの不思議もない。

 子供と大人の力が違うなんて、当然のことだった。子供たちがやっていた調子で大人、それも腕っぷし自慢の男が亀をいじめれば結果が違ってくるのはなにもおかしくない。

 男も、今更ながらそれに気づき始めた。


「とりあえず、捨てちまおう。このまま置いていてもしょうがないぞ」


 男は言った。死んだ亀が竜宮城に連れて行ってくれるわけもない。これはなかったことにしてしまおう。それが賢い選択だった。


 男はぐったりとした亀の体を両腕で抱えた。せい、の。腕っぷしが役に立った。並の男ならこの巨大な亀をひとりで持ち上げるのは無理だろう。

 男は海の中へと歩いて行った。そして、亀の死骸を波に乗せて手放した。

 そのままどこか遠くへ運ばれて行ってくれればいい。それか海の生き物たちの餌になってくれればいい。とにかく、目の前から消えてなくなってくれ。


「今日はいったんやめにしよう」


 男は提案した。いまからもう一度、という気分ではなかった。


「じゃあ、また明日だね。今度はちゃんとやってね」


 子供もすんなり受け入れて、次の日の約束を取り付けた。またこの浜辺で亀を探す。そこからだ。

 男と子供は村に戻った。

 そうして日が落ち、夜が明けた。



――――――――  ――――――――



 その日は雨が降っていた。時化で船が出せない。

 男にとっては丁度良かった。漁に出なくていいのなら亀をいじめる暇もある。


 男と子供は約束通りまた浜辺にやって来た。

 すると、波打ち際にいくつも影が見えた。薄暗がりに雨のせいでぼんやりとしかわからないが、あのまん丸の山形は亀の甲羅じゃないか。


 これなら選び放題と、ふたりは喜び勇んで駆け出した。

 だが、それは亀なんかではなかった。



 波打ち際には、ぽっこりと腹を膨らませた人間の死体がいくつも転がっていた。



 ふたりは大きな叫び声を上げていた。

 

 死体はそのほとんどが子供で、ひとつだけ大人のものがあった。

 釣りの道具が体に絡みついているそれは、おそらく浦島太郎だ。他の子供たちは亀をいじめた、そして亀を助けた子供たち。

 竜宮城に行った、皆。

 溺死した皆の体がそこには転々と落ちていた。

 死体は腹だけでなくその肉体全部が膨れ上がっていて、まるでご馳走をたらふく食べてぶくぶくと太ってしまった姿のようにも見えた。


 彼らが竜宮城で歓待を受けていたのか、そもそも歓待すら受けられていなかったのか。

 それは男たちにはわからなかった。

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