四章――⑤

「――つまり神楽鈴の下についてる布は五行説に由来してるわけだ」

「へえ、そうなんや」

「なんの話しとんの?」

 壮悟は鉄板の乗った長方形の盆を机の上に置き、榛弥の隣に腰を下ろした。

 ちょうど夕食時とあって、サービスエリアのフードコートはそれなりに賑やかで混雑している。榛弥と美希の前で湯気を上げているのはチャーシューが山盛りにされたラーメンだ。結局、美希は榛弥にそれを奢らせたらしい。

 壮悟が箸を手にしたところで、ようやく榛弥から答えが返ってきた。

「神楽鈴の話だよ。美希が『資料館で見たものと自分が使ったものと、布の色が違うのはどうして』って聞いてきたから」

「あー、そういや気にしとったな」

「神楽鈴の下の布は〝五色鈴緒ごしきすずお〟といってな。名前の通り、五行説の木火土金水もっかどごんすいに由来した五つの色が用いられている。如瑯神社がそれを変えて〝ジョロウさま〟を連想させる色にしたのは、存在の神聖性を高めようとしたのかも知れない」

 ずるずると麵をすする榛弥に「ふうん」と適当な相槌を打って、壮悟は注文したトンテキに箸を伸ばした。

 鉄板は熱々で、油断してうっかり触れれば火傷しそうだ。しかしおかげでトンテキは出来立ての香ばしさを保ち、じゅうじゅう心地いい音を上げている。たっぷりかかったソースは濃厚で、ほどよくとろけた脂は甘い。脇にそえられたキャベツは熱で多少しんなりしているが、咀嚼すればしゃきしゃきと瑞々しさを主張してきた。

「ええなあ、トンテキ。端っこのやつ一個ちょうだい」

「やらへんわ。そんな食べたいんやったら自分も頼んだら良かったやろ」

「だってラーメンの写真が美味しそうやったんやもん」

「あれだよな。人が食べてるのを見ると、自分も食べたくなってくるよな」

「それそれ」

「知らんがな」

 いつ隣と正面からトンテキを奪わんとする箸が伸びてくるか分からない。壮悟は二人からわずかに盆を離し、緊張感にぴりぴりしながらトンテキを食べ進めた。

「那壬恵さんと那壬恵さんのおばあちゃん、大丈夫なんかなあ」

 ちゅる、と麺を吸いこんで、美希が心配そうに天井を仰ぐ。

 那壬恵を〝舞姫〟から解放するために一芝居打ったのは今朝のことだ。

 三人が神社に戻ると、榛弥の読み通り境内には祭りの関係者が数人集まっていた。さすがに〝ジョロウさま〟の扮装をしている美希はそのまま出るわけにはいかず、かといって他に通れそうな道もない。壮悟が上松夫妻の姿を見かけたのはその時だ。

「〝婚姻の儀〟の準備をしていたら、千代壬さんが岩場で急に体調を崩した」と説明すると、二人は他の関係者も連れて例の岩場に向かった。その隙に美希は壮悟たちと合流し、ひとまず放置しっぱなしだったホテルの自転車を回収して山を下りた。

 関係者には那壬恵からうまく説明をしているだろう。〝ジョロウさま〟が現れたなどすぐに信じてもらえるか分からないが、誰よりも信心深い千代壬がかなりショックを受けているとあれば、信じざるを得ないはずだ。

 帰る前に挨拶をするべく再び神社に寄った時には、那壬恵と数名の氏子が残っていた。今年の〝婚姻の儀〟の中止を知らされたのもその時だ。千代壬は立ち上がる気力すらなく、看病をかって出てくれた上松夫妻が例の屋敷に運んだという。

 ご迷惑をおかけしました、お世話になりました、と何度も謝罪と感謝をくり返した那壬恵の顔は、晴れやかではあったけれど、少し寂しそうでもあった。

「なんとなーくやけど、あたしらと一緒に来たそうな雰囲気あったと思うねんけどなあ」

「〝舞姫〟から解放されたからと言って、すぐにあの村を離れるわけにはいかないだろ。千代壬さんのケアとか、今後祭りをどうしていくかとか、事後処理は山ほどある。それを分かっていたから、向こうも口には出さなかったんだと思う」

「けどそんなん、那壬恵さん一人でどうにかなるもんなん? そらまあ、上松さんとかサポートしてくれる人はようけるやろけど……」

「大丈夫だ。言ったろ。『那壬恵さんを待ってる人がいる』って。その人も手伝いに行くはずだから安心していい」

「その『待ってる人』って誰なん」

「那壬恵さんの母親」

 さらりと答えを告げられ、壮悟は危うく噛みかけのキャベツを吹き出しそうになった。美希は麺をすする姿勢のまま固まっている。

「なにをそんなに驚いてるんだ?」

「驚かへんわけあるか。は? なに? ハル兄、那壬恵さんのおかんと知り合いなん?」

「知り合いというか、生徒なんだよ」

「……どういうこと? 那壬恵さんのお母さん、先生やっとんの?」

「違う。逆だ。僕が教える立場」

 混乱が増す一方の兄妹を見かねたのか、榛弥が盛大なため息をついた。

「僕に如瑯神社での一連の祭りを教えてくれたのは誰だって言った?」

「教え子とか言うてへんだ? 大学のゼミの……」

「それが那壬恵さんの母親ってことだ」

「いやいや待て待て」と壮悟は咄嗟に突っこんだ。「え、教え子て俺てっきりもっと若い奴想像しとったんやけど」

「大学は何歳でも入れるからな。教え子の一人や二人、自分より年上でもなんの違和感もない」

「あー、確かにそうかも。あたしの通っとる専門にも、どう見ても十代とか二十代やない人居るもん」

「だろう。だから別にそんなに珍しいことでもない」

 美希はひとまず納得したようだが、大学も専門も通った経験のない壮悟にはいまいちピンとこない。

 それに違和感はまだ残っている。

「『祭りに参加したことない』とか言うとったやんか。けど那壬恵さんの母親なんやったら、それおかしいんと違うの。なにが隠されとるんかも知らへんみたいやったし」

「〝糸探し〟をとして参加したことはない、って意味だ。なにが隠されているかについては、僕が『実際に見るまでの楽しみにしておきたいから言わないでくれ』って頼んだんだよ」

「…………」

「なんだ。まだなにか?」

「……いや……」

 祭りのあれこれを教えたのが那壬恵の母親なら、色々と納得がいく。

 榛弥のことだ。碑文の答えやヒントなどは聞いていないだろうけれど、そのほかのこと、例えば〝花婿〟に決まった者がどういう待遇を受けるのかなどは、あらかじめ聞いてあったに違いない。

「那壬恵さんの母親――壬貴子みきこさんはあそこでの暮らしに辟易していた。義務教育で中学を出るまで平日は山を下りていたんだが、当然、普段の暮らしでは触れられない様々な娯楽を目にする機会があるだろ」

「漫画とかゲームとか?」

「ああ。そういうのを知るにつれて、〝ジョロウさま〟に仕える〝舞姫〟としての生活と、それを強制する母親――千代壬さんだな――に嫌気がさしたらしい。けどあそこでの暮らししか知らないし、逃げることも出来ない。どうしようか悩んでいたときに現れたのが、赤い糸を見つけた〝花婿〟だ」

 二十五年前の〝花婿〟のことだろう。

 彼は大学の友人に誘われて祭りに参加したよそ者だったそうだ。当時は今ほど誤った答えが流布しておらず、また彼自身も榛弥のようにすぐに答えにたどり着けなかったため、何度か仕切り直された末に、正答を導き出して糸を発見し〝花婿〟に選ばれたという。

「壬貴子さんは〝花婿〟から外の世界のあれこれを聞いて、俄然あそこから出て行きたくなった。でもなにも残さずに出て行ったのでは、祖母が追いかけてくるかもしれない」

「……そういや、那壬恵さんが一歳の頃に親は居らんようになったて……」

 まさか、那壬恵を身代わりに置いて出て行ったというのか。

 壮悟が震える声で予想を述べると、榛弥は「罪悪感がなかったわけじゃない」とラーメンをすする。

「出て行く瞬間は解放感で頭がいっぱいだったけど、冷静になってから子どもを置いてきたことを後悔したって聞いた。だけど戻れば千代壬さんがなにをしてくるか分からないし、山の中に閉じ込められるのは恐ろしい。そう考えると、戻るに戻れなかったと」

「……ほんで、ハル兄に『助けてくれ』て言うたん?」

「明確にそう頼まれたわけじゃないけどな。初めは『地元にこういう祭りがあって、一人娘が〝舞姫〟として務めを果たしているんです』ってだけの説明だったんだが、僕が興味を持って詳しく聞いていくうちに、『あの子に私と同じ苦しみを味わい続けてほしくない』と泣かれてしまって」

 だから実際に祭りと那壬恵の様子を自分の目で確認して、彼女がどう感じているか次第で行動を起こそうと思った、と榛弥は言う。

 那壬恵がなんの疑問もなく受け入れ暮らしているのなら、取材だけして、壬貴子の存在も伝えない。反対に那壬恵が苦しみ、抜け出したいと思っているのならきっかけを与える。壬貴子との間で、そう約束を交わしていたそうだ。

「え、じゃあ待って」と美希が控えめに手を挙げる。「榛弥兄ちゃんさ、逃亡対策や言うて藁人形持っとったやんか。逃げた時はあれに釘打ちこむんやろ? じゃあ那壬恵さんのお母さんとお父さんもそれされたってこと?」

「されたと思うぞ」

 榛弥はあっさりうなずいたが、特に心配している様子はない。

「壬貴子さん本人はぴんぴんしていたし、旦那も体に悪いところはないって聞いてる。単純に効果が無かったのか、それともこれから出るのかは定かじゃないが」

「効果が無かったに一票」

「あたしも」

 ひとまず榛弥は帰宅後、壬貴子に連絡を取るそうだ。那壬恵との再会だとか、その後についても色々と問題が出てくるのかもしれないが、そこに関しては壮悟たちに出来ることはなにもない。

 ただなにごともなく、那壬恵や壬貴子の望む〝普通の生活〟が送れるようにと願うばかりだ。

「でもさ、逃げられへんようにされたんは予想してへんだって言うとったやんか。ほんならなんで〝糸探し〟のルートに糸引いたん。俺とか美希が捜しに来るん分かっとったみたいやんか。茉莉ちゃんに『待ってるから』て伝言させたんも謎やし」

「〝舞姫〟が代々暮らしてきた屋敷に行くんだぞ? そんなの興味深い資料がかなりの量あるに決まってるだろ。僕のことだし、時間を忘れて読みふける可能性があったからな。それでもしお前たちが捜しに来た時に分かるように、と思って念のため残してきた」

「それやったらもうちょい分かりやすい伝言せえっちゅうの! なんやねん『待ってるから』て! どこで待っとるていう大事なとこが丸っと抜けとるやないか! アホなんか! ハル兄て准教授なんとちゃうんか!」

「うるさいな。耳元で騒ぐな。結果的に糸が助けになったんだからいいだろ」

「あ、それあれやんね。終わりよければすべてよしってやつ」

「全然うないわ……」

 振り回されるこちらの身にもなってほしい。がっくり項垂れて、壮悟はトンテキの最後の一切れを口に運んだ。

「そうだ。美希。ちょっと手を出せ」

「?」

 榛弥はリュックをあさると、取り出したなにかを美希の手に乗せた。

 ついこの間まで榛弥の髪をまとめていたゴムだ。小さな赤い玉がついたそれを、美希はきょとんと見つめている。

「なに?」

「お前にやる」

「えっ。いきなり?」

 なんの脈絡もなしに渡され、本当に受け取っていいものか悩んでいるのだろう。美希はゴムを持つ手を握ったり開いたりをくり返している。

「これ茉莉ちゃんから誕生日プレゼントにもろたやつなんと違うの? お守りやて言うとったやんか」

「いい。僕がしばらく使う予定はないし、茉莉本人にも許可を取った。『美希ちゃんに使ってもらえるならありがたいな』って言ってたから大丈夫だ」

「ふうん。ほんならええけど。ありがと」

 嬉しそうに笑うと、美希はさっそく髪を結ぶ。天井からの光を受け、ゴムについている赤い玉がきらきらと輝いた。

「でもそれただのゴムやろ? どこがどうお守りなん」

「パワーストーンがついてるんだよ。カーネリアンだったかな。目標達成とか、成功を導くとか言われてるらしい」

「へえー、そうなんや。なんかなんでも上手いこといきそうな気ぃしてきたわ」

「しばらくゴム使わへんてことは、もう髪伸ばさへんの? 茉莉ちゃんが気に入っとるでーとか言うて、十年くらいずっと長いまんまやったのに」

「どのみち子どもが生まれる前に切るつもりだったからな。美容院に行く手間が省けたと思っておく」

「……子ども?」

 ごちそうさまでした、と手を合わせて、榛弥はラーメンの器を乗せた盆を持って立ち上がる。そのまま食器を返却しに行こうとするのを、壮悟と美希はとっさに引き止めた。

「子ども? さっき子どもて言うた?」

「言ったな。抱き上げた時とかに髪を掴まれたら痛いだろ? だからもともと切ろうと、」

「いやそういうこととちゃうねんて」

「子どもて、え、誰の? お姉ちゃんたちのどっちか産むん?」

 榛弥には姉が二人いるが、どちらもすでに結婚している。

 どちらかが懐妊したのだろうか。美希がどこかうきうきした様子で訊ねたが、榛弥は「いや」と首を横に振り、予想外の答えを告げてきた。

「茉莉と僕の子ども」

「……は?」

「? 言ってなかったか?」

「聞いてへんけど!」と壮悟と美希の声が重なった。あまりの声量に、周囲の客の視線がこちらに向けられる。はっと二人そろって目を合わせ、「どういうこと?」とおずおず問いかける。

「え、ちょい待って。ハル兄って結婚しとったっけ?」

「入籍は来月の予定だな。茉莉の希望で、付き合い始めた記念日に届けを出すことになったから」

「……えーっと、出来ちゃった結婚?」

「ネガティブなイメージがあるのは否定しない」

 話が長くなりそうだと感じたのか、榛弥は盆を再び机に戻して椅子に座り直す。

「付き合って十一、二年くらい経つし、同棲も長いのは二人とも知ってるだろ。けどお互いに明確なタイミングがつかめなくて、妊娠を一つのきっかけにしようって話になったんだよ」

「はあ、なるほど……」

 だから今回、旅行の運転手に壮悟を指名したのか。身重の体になにかあってはいけないという配慮だったのだろう。

「けどおかしいな」と榛弥は不思議そうに首を傾げている。「一応、妊娠のことも結婚のことも、叔母さんには伝えたはずだが」

「嘘やろ。聞いてへんぞ。美希は?」

「全然知らん……。お母さん、多分言うたつもりで忘れとるんやろな……」

「……帰ったら問い詰めたろ……」

 恐らく母は悪びれもせずに謝ってくることだろう。そこから言い合いに発展するかも知れないことを考えると、余計に頭と胃が痛くなった気がした。

「ねえねえ、じゃあ結婚式は? いつすんの?」

「子どもが生まれてから、タイミングを見計らって、だな」

「そん時はおかんやなくて、俺らに言うてくれ。その方が確実や」

「ああ。そうするよ」

 ふ、と淡くほほ笑んで榛弥が肩をすくめる。

 そろそろ行くか、と今度こそ食器を返却しに行った榛弥に続いて、壮悟と美希も立ち上がる。外に出て車の鍵を開けると、榛弥は後部座席、美希は助手席の扉を開けてさっさと乗りこんだ。

「おい待て美希、飯食ったらお前が運転せえて俺言うたやろ」

「おなかいっぱいで眠いんやもん。居眠り運転して事故ったら危ないと思わん? お兄ちゃんの大事な車ボッコボコになるで」

「居眠り前提で話すなや」

 満腹でまぶたが重いのはこちらも同じなのだが。しかしこれ以上文句を言っても、美希は助手席から動かないだろう。時間ももったいないし、眠気覚ましがわりのコーヒーを買ってから、壮悟は運転席に腰を下ろした。

 ――来年とか、ハル兄、機会あったら祭りがどうなったか観に行ったりするんやろか。

 ――そん時は俺も一緒に行かせてもらおかな。

 彼女の近況については、壬貴子から榛弥を通して伝わってくることだろう。それをひそかな楽しみにしながら、壮悟はアクセルを踏んだ。


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主要参考文献

 ・吉野裕子著『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』講談社、2016年

 ・波平恵美子著『ケガレ』講談社、2009年

 ・秋山眞人著『しきたりに込められた日本人の呪力』河出書房新社、2020年

 ・高平鳴海編『図解 陰陽師』新紀元社、2007年

 ・瓜生中著『よくわかる山岳信仰』KADOKAWA、2021年

その他多数の書籍、ウェブサイト等を参考にしました。


※現在シリーズ三作目準備中

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壮悟と榛弥~暁のキセキと蜘蛛の花婿~ 小野寺かける @kake_hika

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