第15話

 加地菜々子の子供は男の子でも女の子でもなく、野生の壺だったのである。


 実は日本においてこういった事例は意外に多いのだが一般的にはまったく知られていない。


『生まれてみたら野生の壺だった』となると、ほとんどの日本人はその事実をなかったことにする。つまり、隠しているわけではないのだが、その事実は記憶にも記録にも残らないため、自然となにもなかったことになる。逆説的に、野生の壺など生まれていない、ということが真実になる。


 なぜこのような認識の歪みが発生してしまうのか。その理由としては、人類の生きる三次元世界においては時間軸上で過去に位置づけられる事象は認識することができない、ということが挙げられよう。

 すべての事象は人の記憶か、もしくは文章や映像の記録のみによってその存在の有無が決定され、それが真実になる。その結果、事実と真実はときに別の顔を持つ。



 話を三次元空間の現場――津野田医院に戻す。


 野生の壺を身ごもっている、という事実を一番受け入れられないのは、加地菜々子本人である。いったいなにがどうなっているのか、と津野田院長を問い詰めるが、だからそれは野生の壺なんですの一点張りでそれ以外の回答は得られずその場に崩れ落ちる。


 そんな加地菜々子にまっさきに駆け寄ったのが円谷義実である。


「なにをするんだ、僕の菜々子に」と声を荒立てて津野田院長ににじりより


「そんなことより、僕の子供なんですか?」


「だから、だれの子供とかそういった問題ではなく、彼女の子供は野生の壺なんです。それは間違いありません」


「野生の壺であったとしても、この際それはいいでしょう。そんなことはささいな問題だ。大事なのは僕の子供なのかどうか、ということだ! どうなんだ!?」


「いやだから野生の壺なんだ。だれの子供とかそういったことではない!」


 その後も問答を続けるふたりを、惚けたようにただ見ている加地菜々子。


 一方、三又浩二である。


 この日、自分が狩ったのが超野生の壺のなかでも一級品である、との話を〈N〉の少女から聞いて天にも昇る心地を味わっているところである。そして、この喜びを誰かに伝えたくて仕方がない。その視線の先に、ちょうど座り込んでいる加地菜々子がいた。


「菜々子、さっきの超野生の壺、一級品なんだって!」


「ああ、そう……」


「あれ? ……いったいなにが……」とあたりの様子を伺う三又浩二に、〈N〉の少女が「おめでとう」と耳打ちする。


「おめでとう……ってなにが?」


「あなたのお子さん、野生の壺なんだって」


「えっ、本当かい!? 菜々子?」と自らもしゃがんで加地菜々子と同じ目線まで下がる三又浩二。


「そう言ってるわね……もう、なにがなんだか」


「でかした、菜々子!」


「はあ?」


 今いったいなにが起こっているのか、三又浩二になにを言われているのか、もはや加地菜々子にはわからない。


「これで俺も一流なんだね。そう思うと感慨深いものがあるな……一生、大事にするよ、菜々子。そして俺たちの野生の壺を」


 背後から〈N〉の少女が差しだした右手を力強く握り返して立ち上がり、


「さあこれで俺たちは次の世界へ行けるんだ。くだらない常識なんかにはとらわれない、まったく新しい世界へ! 生まれてくる子――野生の壺が必ずそこに連れて行ってくれる。今なら、そう信じられるんだ」


 宣言する三又浩二の足元には、座り込んだままの加地菜々子がいる。


 そして右斜め前には、押し問答を続ける津野田院長と円谷義実。さらに、左隣に腕を組む〈N〉の少女が立っている。



 このまま順調に進めば、野生の壺が誕生するのであるが、一方で『野生の壺は人のため息から生まれる』とする説がある。これも事実だ。ただ誤解の無いように補足すると、この両者は原理的には同じ事象に属するものである。


 妊娠は体内で、ため息は基本的には体外に放出するので、まったく違う現象なのではないか、と疑問を持つのはあまりにも狭量な思考だ。

 ここで『同じもの』と述べているのは、あくまでももっと高次の世界におけるメカニズムを念頭に置いている。ただ、そのメカニズムを説明することは、今この世界で使用されている言語体系では困難を極める。

 分かりやすく言うと、点と線で構成される二元世界の存在に対して空間の概念を説明しても理解されないのと同じである。

 つまりここでは『胎内で発生するのもため息から生まれるのも原理的には同じである』を、ひとつの定義であると捉えてもらうしかない。

 いずれにしても、この日本において野生の壺が生まれてくることそれ自体は、しごく日常的な現象なのである。


 ただ今回、それが正しい認識のもとで実行されようとしていることこそが、こうして特殊事例として取り上げられるべき根本的な事由なのである。

 つまり、事実をそのまま真実として受け入れようとしている、ということが賞賛すべき態度に値すると考えられるのではあるが、いかがだろうか――。


 ――と、ここまで話を聞いてくるなかで、きっと思ったに違いない。そもそも、そうやって斜に構えて上から目線で喋っているお前こそはいったい何者なんだ、と。


 勘のいいご方々はお気づきかと推察されるが、念のためにここに宣言しておく。


 そう。わたしこそが、この物語の主人公であり、今まさに加地菜々子の胎内で順調に生を育みつつある野生の壺そのものである。


 必然的に、人間たちが闊歩するこの世界のことはすべてが見えている。過去も未来も、わたしにとっては同じ事象に属しているのだから。


 ただわたしは、わたしが何者なのか、ということだけはまだわからない。


 名前もまだ、ない。

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野生の壺を狩る 高丘真介 @s_takaoka

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