親父の背中

綿貫むじな

墓参り、山の頂にて

 全く、こんな所に墓を作るって言った奴をぶっ飛ばしてやりたい。

 残念ながらもうとっくに死んでてぶん殴る事は出来ないんだけどもな。


 今、俺が居る所は絶海の孤島。

 しかも山の頂上だ。

 山を登るには裾野に広がる樹海を踏破し、不安定な岩場を歩き、更に岩が切り立つ崖を登攀とうはんしないと辿り着けない。

 そんな苦労をして登り切った頂上に何があるかというと、親父の墓だ。


 そろそろ夏が顔を覗かせる季節。

 さんさんと輝く太陽の光を浴びた木々が、青々とした葉を次々と伸ばしていく。

 草の匂いが風に乗って運ばれ、いよいよ本格的に暑くなってくる予感を漂わせる。


 今日は親父の命日だった。


 命日には墓参りをするようにしているが、毎回行くたびに辟易とさせられる。

 なんだって絶海の孤島の、一番高い山の頂上に墓なんて作ろうと考えたのか。

 墓参りに行く子孫の事を全く考えていないんじゃないか。

 考えてないんだろうな。

 こんな所、俺以外に誰が来れるというのか。


 山頂の墓は当たり前だが、ほとんど誰も訪れないから、草どころか木までもが伸び放題になっている。

 だから俺は丁寧に草を払って、まだ成長しきっていない木も切って墓の周りを綺麗にする。

 墓の後ろには木を植えてくれ、なんて注文もあったらしく、誰かが適当に木の実を植えたら見事に墓をすっぽりと木陰に隠すようなサイズにまで成長した。

 

 さっきから墓と言っているけども、墓石が立っているわけじゃない。

 墓代わりの頭骨が置いてあるだけだ。

 親父の遺言では、土に埋めずに野ざらしにしてくれとの注文があったらしい。

 だから遺体の肉は、鳥なんかについばまれた。

 だけど頭骨はまだ風化も分解もされずに残っている。

 たぶん、地面を探せばまだ体の骨も結構あるんじゃないか。

 草に隠れているだけで。

 

 俺は残されている頭と、その横に刺さっている大きな剣の前に立って、黙祷する。


 剣は親父の相棒のものだったらしい。


 相棒は親父が死んだとき、遺体を山頂まで大勢の協力者と一緒に運び、自らの片腕とも言うべき大剣を地面に突き刺し、供えた。

 もうこれは、今の世の中には必要はないものだと言って。

 だけど、これがもし必要になる時が来たらここに取りに来るように、とも言っていた。


 大剣は武骨なデザインをしていて、なんの飾り気も無かった。

 武器はまさに実用の為にある、とその風貌で語っている。

 

 大剣は長年の風雨にさらされていても、錆びも朽ちもせずにただそこにあり続けている。

 何か素材が特別なのか、それとも何らかの加護があるのか、どちらなのかわからないけども。


 親父の頭骨を見ながら、何度も聞いた話の事を思い出す。

 

 

 まだ親父とその相棒が生きていた頃。

 突如として、「堕天使」という存在が地上に現れ、全世界に対して侵略を開始した。

 堕天使たちは地上を席巻せっけんし、生きているもの全てを滅ぼして自分たちの住みよい世界に変えようと画策していた。


 堕天使との戦争は混迷を極めていた。

 地上に生きる種族たちは、最初は個々に戦っていたが、圧倒的な堕天使たちの力には太刀打ちできないと思い知らされる。

 地上の種族すべてが協力し、力を合わせて立ち向かわねばならないと誰かが言った。


 元より地上に生きていた種族とて、お互いにいがみ合っていた。

 協力などするものか、という意識が間違いなくあった。

 しかし、もっともいがみ合っていたはずの竜と人間が初めに手を組んだ事により、徐々に地上の生物たちに堕天使に対抗するべく協力する機運が生まれ始める。

 竜と人間は、もっとも種族として相容れぬものと皆が思っていたからだ。

 

 人間は竜の事を災厄の如く恐れ、かつ竜も人間の事を疎ましく思っていた。

 人間は一人では竜になど及ぶべくもない、か弱い存在だ。

 そのくせ、人間は脅威に対し団結して向かってくるという、恐るべき特性があった。

 一人では弱くとも、集団で襲い掛かれば勝算があると踏んだ時ほど、人間は勇猛果敢に戦う。

 そして、知能も高い。

 敵の弱点を見定め、罠に嵌めたりもする。

 故に竜は、時に人間に狩られてしまう事もあった。


 だからこそ、竜は人間とはじめに協力しようと考えたのだ。

 竜は人間を背に乗せ、堕天使に立ち向かった。

 人間は竜には思いもつかぬ思考をもって堕天使の癖を見抜き、弱点を突いて徐々に劣勢を覆していく。

 二つの種族の戦いぶりを見た他の種族もまた、彼らに協力するようになり、いつしか地上の全種族が手を取り合って堕天使たちに立ち向かうようになる。

 いつしか、少しずつ堕天使たちを駆逐しはじめていた。

 

 そして審判の日が訪れる。

 審判の日とは、地上における勢力の巻き返しを図るべく、一挙に堕天使たちが全世界に現れ、総攻撃を仕掛けた日の事だ。

 地上の全生物の半数が死んだとも言われる、凄絶な攻撃だったとか。

 それでも、審判の日を境に堕天使たちは地上に姿を現す事は無くなった。


 親父と相棒が、堕天使の長を討伐したのだ。


 堕天使たちは地上へ次々と無数の隕石を落として来た。

 それに対抗するのは竜と人間、それに数多くの空を飛べる種族たちだった。

 堕天使のおさが何処に現れるかを推測し、数多くの護衛の間をすり抜けて強行突破したのだ。

 もちろん、長を守る周囲の堕天使たちからの猛烈な雷撃によって、次々と親父と相棒の仲間たちは地上へ落とされていく。

 それでもなお、針の先のような隙間を縫い、ついには堕天使の長の所へ辿り着く。


 堕天使の長は、奇しくも人間と竜を合わせたかのような形をしていた。

 背中に竜の羽を持ち、鱗で体の表面を覆い、かつ鋭い牙や爪、角を生やしている。

 堕天使と呼ぶにはふさわしくないほどの、目に眩しい汚れひとつない白一色の体。

 あまりにも神々しく、何よりその赤い瞳が禍々しかった。


 ああ、これは誰もが恐れをなし、こうべを垂れてひれ伏すべき存在だ。

 地上を生きるものであれば、誰もが直感するはずだった。

 

 だが親父と相棒は違った。


 本能に抗い、確固たる意志によって初めて上位存在に歯向かった。

 

 何の為に?

 自分の生存の為に。

 家族を守る為に。

 共に地上に生きる皆を守る為に。

 ひいては、この地上を守る為に。

 自分たちの命を天秤に掛けてでも、この世界の全てを守るために牙を剥いた。


 苛烈を極めた堕天使の長の攻撃は、残っていた親父と相棒の周囲を守っていた者すべてを地上へ叩き落とした。

 親父と相棒も満身創痍になっていたが、それでも抵抗の意志は失われなかった。

 肉薄し、堕天使の長の胸を相棒の大剣が深々と貫いた。

 次いで、堕天使の長の首を親父が刎ねた。

 

 堕天使と言えども、頭と胸は急所であった。

 この世界に伝わる神話では、かつて竜と人は一つであったとされている。

 しかし、禁忌とされる場所へ足を踏み入れた結果、神の雷を体に受けて二つの存在、竜と人間に分かたれたのだ。

 堕天使がもし、その神話通りの存在であるとするなら、急所も自分たちとそれほど変わりないはずだと堕天使を捕らえて分析した人間たちは語っていた。

 実際、その通りだった。 


 堕天使の長が死ぬと、その配下たちは途端に動揺し、それぞれがばらばらに散って何処かへ消えてしまったという。


 その時、ようやく地上に平穏が訪れた……。


 

 それから何十年経っただろうか。

 今も地上は襲来の傷跡から完全に立ち直れているわけじゃない。

 堕天使の襲来のせいで、地上の生物の中には絶滅の危機に瀕しているものも居る。

 そして結局、手を取り合ったはずの種族たちは共通の敵が居なくなった途端に、お互いに争いを始めてしまった。

 

 やっぱり俺たちは、そう簡単に利口にはなれないみたいだぜ、親父。

 親父はいずれ、地上の皆は仲良くやっていけるようになるって信じてたみたいだけどさ。

 

 親父は偉大な存在だった。

 俺にとっても、この世界の誰にとっても。

 ホント、英雄と呼ぶにふさわしい存在だよ。

 だからこそ、その息子の俺は時々、親父の存在が重石のようになっていると感じる時もある。

 それでも俺は、親父のような英雄になりたい。

 

 親父は笑うだろうか。

 それとも、お前なら出来ると言ってくれるだろうか。

 今はもう、返事を聞く事は出来ない。

 それだけが心残りでならない。


 風が吹いている。

 夏には珍しい、蒸し暑く湿気を含んだ風ではなく、爽やかな風だ。

 親父の背に乗った時も、こんな風が吹いていた。


 子どもの頃に乗った親父の背中はとても広く、大きく、ごつごつとしていたけど暖かかった。

 親父の背におぶさりながら、流れていく風景を見るのは幼心にとても楽しかったのを覚えている。

 でもそのうち、結局心地よさから寝てしまうんだけどな。

 いつかは俺も親父のように自分の子を背中に乗せるんだろうかね。


 ……感傷に耽ってしまったな。


 なあ親父。

 良くない報告があるんだ。

 最近、また堕天使らしき連中が姿を現し始めたっていう話を聞いたんだ。

 はじめは、かつての堕天使の長に従っていた連中の残党だと思っていた。

 だがどうにも、規模が違う。

 また街を、森を、山を、海を蹂躙しはじめている。

 もしかしたら、新しい長が生まれたのかもしれない。

 だから、今度は俺たちが戦う。

 俺たちが地上の平和を守る。

 俺は親父の息子だ。偉大なる英雄の息子だからな。

 俺なら出来る。そうだろう?

 もちろん聞いた所で、親父の頭骨は何も応えない。


 ただ、ふと、その顔がにやりと笑った気がするのだ。

 

 お前ならできるよ。

 そんな声すら聞こえた気がした。

 

 そうさ、俺ならやれる。

 俺の相棒と共に、やってやる。


 

 風に乗って、声が聞こえた。

 まだ俺が帰ってこない事に苛立っている、俺の相棒の声が。

 こんな絶海の孤島に誰が住んでいるのかと思うだろうが、どんな所でも住んで居る奴は居るものだ。

 人間とて例外じゃない。

 ふもとの人間の集落に、相棒を留め置いて俺だけがここにやってきている。

 これ以上待たせると、あいつがここまで登ってくるかもしれない。

 人間には非常に困難な道のりとなる。

 自らの足で森を抜け、山を越え、険しい岩場を登らなければならない。

 山歩きの達人でもなければ途中で遭難しかねない。

 

 待ちくたびれた相棒の為に、そろそろ戻ってやるとしよう。

 ひと声、孤島の全てに響くような大きな咆哮を上げる。

 木に留まっていた鳥たちは一斉に飛び立ち、森に棲む動物たちの鳴き声が方々ほうぼうから響き渡っている。

 恐らく麓の人間の集落でも、何事かとざわめいている事だろう。

 これだけ騒がしてやれば、相棒とてすぐに戻って来ると思えるはずだ。

 

 飛び立つために、俺は羽を開こうとする。

 っと、その前にだ。

 忘れちゃいけない事があった。

 俺は親父の頭骨の横に刺さっている大剣を咥えて地面から抜いた。

 

 親父の相棒よ。

 あんたの望みに反してまた必要になっちまったようだ。

 持ち出し、俺の相棒の得物とする事を許してくれ。


 背中の羽を開き、ひとつ羽ばたいて後脚をぐっと踏み込み、勢いよく飛び立った。


 空の上から俺たちの事を見守っていてくれよな、親父。

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