B面「それでもいいよ。」
仕事の帰り道、藍色に染まる街を見下ろしながら、あの日の事を思い出していた。きっと飲み物に睡眠薬か何かを混ぜられたのか、それとも彼女のあまりの美しさに気を失うというファンタジー要素のある展開だったのか。真相は確かめようも無く、それ以前に何か分かったところで彼女とはもう会う事はないという現状に変わりはないと思うと、確かめる気にもなれなかった。口紅の光沢で魅せられた唇が開く度にときめく心も、言葉が出来る瞬間、僕の心臓の音が少しだけ大きくなる感覚も、実際に目の前に存在していた瞬間よりも鮮明に覚えていて、それを俯瞰できている現状を少しだけ寂しくも感じている。巷で流行りのラブソングが言っていた「君の仕草が目に焼き付いて離れない」なんて言葉は大袈裟だと思っていたけれど、実際は焼き付くなんてもんじゃなかった。焼き付くどころか一生消えないキスマークを付けられた気分だ。本当に厄介な感情を知ってしまったものだと、1週間経った今でも思う。
彼女と歩いていない道を通るたびに、「次はここに連れてこれたら」とか「ここもきっと気にいるだろう」とか。そんなありもしない未来予想を並べては、打ち拉がれる日々がいつまで続くのだろうか。この痛みすら愛しく思えている僕は、ある意味では幸せなのかもしれない。
「程度のいい恋心でも探すか」
僕は卸したての靴紐を結びながら呟いた。
2日前、彼女の公式ブログに更新された内容にこの前の事が書かれていた。書かれていたと言っても、文脈の背景に僕の姿は無く、1人旅でもしていたかの様に特定事象を避けながら描かれていた。それでも僕はブログの最後にあった「その日は本当に楽しくて、ベッドに入ってからもいっとき余韻に浸ってました」という言葉を見て、素直に喜んでしまえるほど心は単純だった。もう逃れる事の出来ない罠ならいっその事、楽しんで仕舞えばとさえ思う始末だ。
家に着いてテレビを点けた。今度公開される映画の番宣で数名の俳優、女優がバラエティ番組に名を連ねる。その中に一際輝きを放つ彼女が居た。彼女は映画についてのコメントを求められ、真剣な面持ちでこう答えた。
「私が今回演じさせて頂いた役自体は、脇役に位置する者なんですけれど、様々な観点から主役を食べてしまう様な、そのくらいの心持ちで演じたので、是非ご覧頂けたらと思います」
彼女はあの日見せた表情とはまた違った顔で語ってみせた。
「君が脇役なら、僕は一体何だったって言うんだよ」
僕は一人、君の言葉を肴に微笑み、呟いた。
メインアクターシンドローム 高嶺 理想 @takane_risou
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