5

 やいのやいのと馬鹿騒ぎする群衆と、へべれけの腐った臭いがやけに体に付きまとい、ここに居たくない。さっきまでの静寂を探しに、ひょっとすると頭の片隅ではあの青葉を探しに、足早に人混みをするりと通り抜けていく。


 辿り着いた小さな丘。点々と設置されていた提灯の形を模した光源が道を示している。それを追うように、さながら誘蛾灯に吸い寄せられる蛾のようにとぼとぼとした足取りでほのかに光るそれを追い求めていた。


 草木の匂いが鼻腔を刺激する。昔を思い出すと、この匂いをよく捕まえていた。あの頃は楽しかった。俺が中心にいて何も考えずに走り回っていた。ちょっとした犠牲はあったが、思い出は美化されている。

 勝ち目のない勝負は避け、勝てる勝負だけを選んで王様みたいな気分だった。この感覚が長く続かないことは薄々気づいてはいたが、それでも目の前のことが楽しくて、楽しかったから気づかないふりをした。

 

 草まみれの石造りの橋にちょうどさしかかった時、周囲の提灯は光を失った。視覚が役に立たなくなり、川の音がいつにも増して鼓膜を刺激する。

 遠くから聞こえる篠笛の甲高い音が庄吉の癪に障った。不気味に衝動を増幅させる。


 ああ、いけない。


 ずるり、ずるりと嫌な音を立ててもう一人が形を成す。


 抑制されていたはずのそれが、狙っていたかのように俺に飛びつく。

 

 川の谷底から、無数にいる無貌の天使たちが、俺を迎えに来た。

 泣き叫びたかった俺が、偽りの喜びに憑りつかれた俺が、怒りを燃料にもがく俺が、無数の俺がそこに映っている。


 このまま深い慈しみの天使たちの抱擁を受け入れたら、俺はやり直せるのか。


 形を変え、渦を巻き、天使たちが微笑む。


 さあ、おいでなさい庄吉さん。ここには、あなたを見下し嘲笑する小森はいません。あなたを全く理解しない恵まれた青葉もいません。

 わたくしは、あなたの全てを知っています。ご両親のあなたへの厳しい視線は、ここにまで届きません。あなたへの嘲笑や身勝手な声援、下らない値踏みを全て殺します。あなたが汚した手に自業自得のように怯えて寂しい時はいつでもあなたを抱きしめて差し上げます。あなたが愛した人間を、永遠にそのまま保存します。


 何でも差し上げます。手を伸ばす天使が流動的に形を変え、庄吉を甘やかす。


 彼らを見下ろしながら、しかしどうしても動けずにいた。覚悟なら、ないこともない。覚悟なら、ないこともない。覚悟なら、ないこともない。カクゴナラ、ナイコトモナイ――


 そう時間を浪費していると、庄吉の背後でどん、という音が鳴った。

 振り返ると、眼前に花火が打ち上げられていた。安っぽくて、自己主張が強い。そんな生き様はなんと無様だろうか。


 覚悟なら?

 

 

 明るくなった夜空が澄んだ川に映り込み、そこには憔悴した男の顔があった。

 

 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使が連れ去る前に【完結済】 山吹 @Ivy_yamabuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ