4

 考えていた以上の人混みに嫌気が差し、何もない静かな境内の中へ逃げ込んだ。

 一獲千金の夢どころか、有頂天にもなれない。達成できたのは足の痛みだけで、気分が落ち込む。


 ここに来るべきではなかった。祭りの甲高い篠笛の音は俺の心をざわつかせる。子供の泣き声が癪に障る。屋台の匂いが入り混じって俺の居場所を奪っていく。逃げ込むように立ち入った神社は薄暗いが放置されているわけではない。単純に距離が遠いので、屋台の客足がここまで流れつかないのだろう。

 今日ばかりは、この時間だけは誰にも必要とされていないこの何とかという神様のことを考えると、やはり人間は薄情だと嘲笑する。


「何を待ってるの、おじさん」

 

 天使がまた俺を嘲笑いにやって来た。


 恐々とした様子で顔を上げると、そこには人間の男、小さな少年がいた。小学生だろうか。子供用の浴衣に着せられ、身に着けているものから祭りを満喫していることが分かる。

 大金に身を包まれていると思った自分を恥じた。

 

「待ってるって、どうして分かった?」

「だって、きょろきょろしてるから……」


  僕と同じ。僕は迷子。ママを待ってる。子供はそう続け、庄吉の隣に腰かけた。手のひらに張りついた小石を適当に払い、足を手持無沙汰にふらふらさせている。


「おじさん、なんか買った?」

「いや、何も」 

「ええっ。勿体ないな。おじさん、シュセンドなの? あ、この使い方あってる?」


 覚えたての言葉を使う少年に胸をちくりと刺されるが、不思議とそれ以上傷を負う感覚は無かった。

 

「守銭奴っていうのは、過剰な倹約家のことを言うんだ。おじさんはただの素寒貧」

 

 ケンヤクカ、スカンピン。何度も繰り返す青葉はごく普通の子供のように見える。天使の翼を持たない純粋な子供から庄吉は目を逸らした。


「おじさんは何を待ってるの?」

「……上向きの将来。ただ、……ああ、最悪な奴に居場所を取られて、両親には見限られ、路頭に迷っている。」


 ちょっとの間の後、するりと口から出た弱音が心臓を締め付ける。

 天使というヴェールで包まれた俺が、何度も俺に問うた。何を待っているのかと。問われてから考えると、俺は本当に長い年月、あらゆることを待っていた。星霜ここに幾数十年、望んだことはいつも許されたい思いからくるものだった。許された先の未来。誰にでも与えられているはずの、当たり前の未来が欲しくてたまらない。

 

 小さな子供に話すことでは無かった。現実とは非情で、夢を奪っていく。そんなことを言うつもりは無かった。”そんなつもりではなかった”という言葉が乾いた傷口に塩を塗る。


 何を考えても自分を傷つけてしまう。返答に困った少年が閉口するのも無理はない。

 弱音を他人に背負わせるのは禁止されていて、邪悪で、弱くて、卑劣で、詐欺で……。


 きっと困っているだろう。少年の顔を見ると、思わず息を吞んだ。

 じっとこちらを見つめる瞳は、見つめ返されるのを待っていたようだった。瞳の奥の小さな意思がもの言いたげなことに気づくのに時間はかからなかった。


「僕、生まれてくるときに、死んじゃったんだって。でも、お医者さんが生き返らせてくれて、それで、僕は生きてる」


 たどたどしく紡がれる少年の言葉に嘘偽りはなく、一生懸命知っている言葉を組み合わせて庄吉に伝えようとしていた。

 

「やっと退院できて、初めての夏祭り。ねっ、おじさん。夏祭りのポスター見たことある? あれ、僕が描いたんだよ。人生の復帰? って病院の人が言ってたよ。やり直してからの、はじめのいっぽだって」 

「やり直す、か」


 真偽はどうでもよかった。他人から熱意を注がれるのは久しぶりで、なんだか嬉しかったから。

 

「そう! ねえ、おじさんもやり直せるよ。特別にママの口癖、教えてあげる。ごほん。『……待ってたってねえ、何も変わらないんだわ。無駄に生きるだけ。無意味ね、これ。青葉、あおちゃん、自分の道は自分で作るんだよ』ってね、へへへ」

「そうかもなあ……」


 恥ずかしそうに笑っているが、なるほど確かにその通りだと思う。ただの一般論にすぎないが、きっと少年にとっては素晴らしい宝物のようなおまじないであり、もしかすると呪いだろう。

 この青葉という少年がどれほど周囲の人間たちから寵愛を受けているのか透けて見える。

 

「覚悟は、あるんですね?」


 青葉が改まって庄吉に問いかけた。その様子はあの世間が持ち上げる名君様そっくりで、とてもおかしかった。先ほどのニュースで名君様が同じセリフを言うシーンを思い出して、笑いを堪えることができない。


「なんで笑うのさ」


 こっちは真剣だっていうのに。おもしろくない顔をして庄吉を見つめる青葉の瞳は、どこまでも澄んでいた。思わず目を背けて「すまん」と喉を震わせる。


「ぼくが、あまりにもかっこよくて」


 まんざらでもないような青葉を見て気分が浮き立つが、脳はいたって冷静で、俺が楽しいのがつまらないというように何度も覚悟があるか問うてくる。

 そのうちに青葉はいなくなった。母親の声がすると言って、天真爛漫な表情を掻き消して、焦ったようにこの場を後にした。

 お喋りな虫けらが静寂を強調する。ますます責めたてる自分の声が我慢できない。

 

「覚悟、か。……覚悟なら、ないこともない」

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