第3話 ヒュドラについては知っています

 アリア様の治療を受けると怖ろしいことに傷はあっという間に治った。

「これですぐ修業が再開できますね」

 もうちょっとケガ人でいたかったなー!

 そう強く思ったがケガは完治しているのでサボるわけにもいかない。

 前世で遊んだRPGのゲームで生き返らせた仲間を平然と次のダンジョンに突っ込ませたていた己の罪の深さを感じながら、私のケガ人生活は終了した。


 また岩を斬る修行に戻って3日ほど経った頃、私はアリア様に呼び出された。

 一体なんの用事なのだろう。疑問に思いながらも彼女の部屋へ向かう。そして扉の前に立つと、ノックをした。

「リシェル・ローデンヴァルトです」

「入ってください」

 中から返事があったのを確認してからドアを開ける。そこには椅子に座っているアリア様の姿があった。

「お呼びでしょうか?」

 私が尋ねると、彼女は真剣な表情になる。

「リシェルさん、あなたに伝えなければならないことがあります」

「伝えなければ……ならないこと?」

 何やらただならぬ雰囲気を感じ取り、緊張してくる。

「実は――」

 アリア様が何かを言いかけた時、部屋の外から足音が近づいてくるのがわかった。

 コン、コココッ! どんどん近付いてくる。そして次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。

「アリア! 久しぶり!」

 入ってきたのは綺麗な女性。年は20代前半くらいだろうか。長い髪に整った顔立ちをしている。彼女はアリア様に近づくと、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「エレノア、元気にしてた?」

「はい、おかげさまで」

「もう、敬語は使わなくていいって言ってるのに」

「すみませーん」

 二人の会話を聞いて察する。どうやら二人は親しい間柄のようだ。

「あの、もしかしてそちらの方は……?」

 恐る恐る訊いてみる。すると女性はハッとした様子を見せた後、慌てて頭を下げてきた。

「ごめんなさい、自己紹介がまだだったね」

 そして彼女は微笑むと、優しい声で告げてくる。

「初めまして、私はエレノア。よろしくね」

「あ、はい」

 戸惑いつつも挨拶を返す。すると今度は彼女が尋ねてきた。

「それで、あなたは?」

「私はリシェル・ブランシェットと言います」

「リシェルちゃんか。可愛い名前だね」

「ありがとうございます……」

 私は困惑しながら礼を言う。どうしてこんなことになっているのだろう。

 状況が全く理解できずにいると、アリア様が説明してくれた。

「エレノアは私の同僚なんです。今日は二人で飲む約束をしていたんですよ。さっき言いかけたのはエレノアが来るということだったんです」

「そうだったんですね」

「じゃあさっそく飲もう!」

「はい」

 楽しげに話す二人を見て、なんだかいいなと思う。こういう関係はとても素敵だと思うのだ。

 しかし、同僚とはどういうことだろうか。アリア様は神様なのに同僚……?

 少し気になったが、深く考える前にアリア様が口を開いた。

「せっかくですし、三人で飲みましょう」

「え、でも……」

「遠慮しないで。私が誘ったんだから」

「そうですか……」

 二人がそう言うなら断るわけにもいかない。という訳で私達は三人とも席に着いた。

「かんぱーい!」

 一口飲んで私は驚愕した。

 (喉が!喉が焼ける!!)

 あまりのお酒の強さに驚いていると、隣にいたエレノアさんが話しかけてきた。

「リシェルちゃんはお酒を初めて飲むのかな?」

 私は水を飲みつつ、必死で頷く。

 いや、お酒を飲むのは初めてではないのだけど、もうそんなことを言っていられる状態ではなかった。

「そっか。最初はみんな驚くよね」

 彼女は苦笑いしつつ、自分のグラスを差し出してきた。

「こっちもおいしいよ。ちょっと舐めてみて」

 言われた通り舌先でちょこんと触れる。途端に全身が痺れるような感覚に襲われた。

「!?」

 あまりの衝撃に目を見開く。

「おああぁっ!」

 私が叫ぶ中、エレノアさんはクイクイ飲んでる。その様子を見て私は思った。

 もしかしたらこの人は人間ではないのかもしれない。

 その後、私はしばらく悶絶していたのだが、やがてなんとか喋れるくらい回復した。

「ずっごぐ強いでずね……」

「ふふ、そうでしょ」

 エレノアさんは得意げな顔をする。

 隣で同じくらいの速さで杯をあけていたアリア様が口を開く。

「そういえば言ってなかったよね。エレノアも神様で司っている分野は『死』だよ」

「なにぃ!!」

 私は思わず叫んでしまう。まさかこの人も神様だったなんて……。

 しかも『死』を司ってるなんて。もしこの人に殺されたら私も死んでしまうのだろうか

 あまりの衝撃とお酒の度数のせいで私の頭はもう完全に回っていなかった。

 そりゃアリア様も真面目な顔して私のこと呼び出すよな、だって死の神様が来るんだもの……

 うっかり地雷発言とかしなくてよかった……

 

 その後も色々話してみたけど、途中から記憶がない。

 翌朝、目を覚ますとそこはアリア様の部屋だった。

「あれ、なんでここに……?」

 昨日の記憶を思い出す。確か昨日はアリア様と一緒に酒を飲んでいたはずだ。

「そうだ、アリア様は……」

 辺りを見回すが姿はない。一体どこに行ったのだろうと思っていると、部屋の外から足音が聞こえた。

 コン、ココッ! ノック音と共にアリア様の声が聞こえる。

「起きましたか、リシェルさん」

「あ、はい」

「入ってもいいですか?」

「どうぞ」

 扉が開かれると、そこにはいつも通りのアリア様の姿があった。

 あのお酒をずいぶんと飲んでいたようだったんだけど。

「おはようございます」

「お、おはようございます」

 とりあえず挨拶を交わす。すると彼女は少し心配そうな顔になった。

「大丈夫?顔色が良くないですよ」

「だ、だいじょうぶです!」

「そう……?」

 首を傾げる彼女に対し、私は笑顔を作る。

「全然平気です!元気いっぱいです!」

「よかった。じゃあ、今日は怪物討伐に行けますね」

 またか!心の中でツッコミを入れる。

 正直、巨人とはもう戦いたくない。

 前回のあれは絶望的なイベントだった。

 しかし、忘れてはならない。目の前にいるアリア様は巨人より遥かに強いのだ。

 答えはイエスか合点承知のどちらかしかない。

 私は覚悟を決めて令嬢らしく優雅にお答えした。

「もちろん行かせていただきますわ!」

 こうして私はまた巨人の元へと向かうことになった。

 エレノアさんは飲みすぎたんでお留守番だそうだ。

「頑張ってね」

「はい」

 挨拶を済ませると、早速出発する。

 今回の目的地は以前と同じ森だ。ただ、今回は前回よりも奥地に行くらしい。

 アリア様は歩きながら説明を始めた。

「リシェルさんは巨人以外に今までに戦ったことのある魔物はいますか?」

「はい、スライムとかゴブリンとかなら倒したことがあります」

 これも悪役令嬢の嗜みだ。普通の令嬢はそんなことはしないだろう。

「そうですか。じゃあ、ヒュドラは知っていますね」

「ええ、まあ……」

 私は言葉を濁す。

 知ってはいるが、それは前世の世界の総理大臣の苗字を知っているぐらいの意味での「知っている」だ。

 とにかく強いらしい。

 蛇っぽい怪物らしい。

 スライムやゴブリンの次に名前を挙げる怪物では断じてない。

 ヒュドラに関する私の知識はそんなものだ。

 しかし、そんな私の様子など気にせずアリア様は言葉を続ける。

「では、今日はヒュドラを倒しに行きましょう」

「えっ!」

 私は驚いて立ち止まる。

「ど、どうしてですか……?」

「どうしてって、もう倒しちゃったからですよ、巨人」

「倒したんですか!?」

「はい」

 私は絶句する。

「い、いつの間に……」

「昨日の夜ですね。飲んだあと楽しくなっちゃって。エレノアと一緒に」

「そ、そうですか」

 私が寝ている間に倒してしまったのか。

 飲んだ後楽しくなっちゃってやることなのか、巨人退治?

 飲んだ後にやる運動と言ったらバッティングセンターくらいだぞ?

 ドラマとかでよくやってるけど、準備運動なしでやったら身体ひねって筋肉痛になるやつだぞ?

 私は混乱しつつも、なんとか声を振り絞る。

「その、どうやって倒したのでしょうか」

「んー、特に特別なことはしてませんよ。普通に殴ったり蹴ったりしてたら勝手に倒れました」

「な、なるほど」

 私は思わず納得してしまう。剣すら使ってないのか。しかし、この方たちならそれくらい簡単だろう。

 でも待ってほしい。

 アリア様やエレノア様は確かに強いが、私はあくまで人間だ。

「あの、一つ質問をしていいですか?」

「はい」

「もしかして、この先もずっとこうなんですか?」

「そうですよ」

 アリア様は即答した。

「この世界に来た時から決めていました。この世界に生きる人達の力になろうと」

 彼女は真っ直ぐな瞳で前を見つめる。

「だから私はこれからも皆を守り続けます」

「……」

 彼女の決意は固いようだ。

 そしてそれは私が聞きたい答えでは全くなかった。

 私が絶望のあまり死んだ目をして歩いていると水の音が聞こえてきた。

 目的地の沼地が近いようだ。

「これからどうするんでしょうか」

「まずはヒュドラを見つけないといけませんね」

「見つかるといいのですが……」

 見つからないといいのですが……と言いたいところだったが上品に我慢した。

 偉いぞ、私。

「大丈夫、見つけます」

 残念ながらアリア様の答えは自信満々だった。

 それからしばらく森の中を歩いた。

 すると、前方から何かの気配を感じる。

「なにかいますね」

「魔物ですか?」

「恐らく」

 私は剣を抜く。

 やる気があるからではない。正直ビビっているからだ。

 やがて茂みの中からそれは現れた。

「これはまた……」

 それは巨大な蛇を何匹も束ねたような怪物であった。

 全長は10m近くあるだろうか。

 首を数えてみるとなんと12本もあった。

 それが這いずってこちらにやってくる。

「ヒュドラですね」

「ひぇ……」

 私は驚いてしまってちょっと声が出ない。

「大丈夫ですか?リシェルさん」

「はい……なんとか」

 アリア様に声を掛けられなんとか我に返る。

「あれがヒュドラなんですね……初めて見ました」

「初めてですか。じゃあ、ちょっと戦いやすいようにしてきます」

 アリア様はヒュドラに向かって歩いていく。

「ちょ、ちょっと!危ないですよ」

「平気ですよ。見ててください」

 ヒュドラの前に立つと、アリア様は剣を抜き放った。

「さて、始めましょうか」

 アリア様はそう呟くと、勢いよく斬りかかった。

「はあっ!」

 掛け声と共に、斬撃が飛ぶ。

 一瞬のうちにヒュドラの首が3本落ちた。

「へっ?」

 私は間の抜けた声を出す。

 しかし、驚く暇もなくヒュドラの反撃が始まる。

 アリア様は次々と襲い掛かってくる複数の首の攻撃を軽やかにかわす。

「凄い……」

 私は感嘆の声を漏らす。

 まるで舞っているかのように美しい動きだ。

 ヒュドラの攻撃を全て避けると、今度はヒュドラの方へ向かって走り出す。

 そしてすれ違いざまに首を1本ずつ落としていく。

 ヒュドラはどんどん首を失っていき、残りが3本になったところでアリア様はこちらに戻ってきた。

「お見事ですね」

 私は拍手を送る。

「いえ、それほどでもありません」

 謙遜するアリア様であったが、ヒュドラ相手にこれほど圧倒できるのは彼女ぐらいだろう。

「じゃあ、残りの首をお願いしますね、リシェルさん」

「えっ?」

 いや、わかっていた。

 この後、私が戦うんだろうなーというのはわかっていた。

 わかっていたけど、でも希望というのは人間にとって、とてもとても大事なものだ。

 だから、つい聞き返してしまったのだ。

「3本では不満ですか、リシェルさん?すみません、ちょっと楽しくなってしまって切りすぎましたね……」

 アリア様は申し訳なさそうにしている。

「い、いや、そんなことは決して……」

「ヒュドラの首は再生しますから、もうちょっと待ってもいいですよ」

「いえ、今すぐ行きます」

 私は渋々と残ったヒュドラの頭へと向かう。

 しかし再生されるのはもっと嫌だ。

「うぅ……」

 怖い。

 正直言って超怖い。

 だって、蛇だよ蛇。

 しかもデカいし、顔キモいし、噛まれたら絶対死ぬじゃん。

 私は恐る恐る近づく。

「グルルルル」

 ヒュドラは威嚇するように喉を鳴らす。

 そして、私の方を向いた。

「ひぃ!」

 私は情けない声を出して後ずさりする。

「アリア様!アリア様!」

 私はアリア様を呼ぶ。

 アリア様は笑顔で手を振ってくれていた。

「アリア様ー!」

 ダメだ、助けてくれそうにない。

 アリア様は微笑んだまま何もしてくれそうになかった。

 ヒュドラはじりじりと私との距離を詰めてくる。

「こっち来ないでくださいよー!」

 私は叫びながら剣を振り回した。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 しかしヒュドラは器用にそれを避けてしまう。

 そしてとうとう私は追い詰められてしまった。

「うぅ……」

 私は涙目になる。

 ヒュドラは鋭い牙を見せつけるように口を開いた。

「あ、死んだ」

 私は恐怖のあまり気を失ってしまった。


「さん……シェ……シェル……リシェルさん」

「んん……」

 誰かに呼ばれている気がする。

 私はゆっくりと目を開けた。

「大丈夫ですか?」

 目の前には心配そうな顔をしたアリア様がいた。

「ここは?」

「森の中です」

「そうですか」

 どうやら私は気絶していたようだ。

「ごめんなさい」

 アリア様は謝った。

「私のせいで服を汚してしまいましたね」

「服?」

 私は自分の体を見る。

 そこには血まみれの自分がいた。

「ぎょぇぇぇぇ!」

 私は悲鳴を上げる。

「落ち着いてください!」

「落ち着けませんよ!なんですこれ!?」

「ヒュドラの血です」

「ヒュドラ!?」

 私は思い出す。

 そうだ、私はヒュドラと戦って……飲み込まれて……「死にましたか?」

「何を言っているんですか、リシェルさんはヒュドラの胃袋を斬って見事脱出したじゃないですか」

「……斬っちゃいましたか」

「はい、斬っちゃいました」

「斬れるもんなんですね……」

「はい、凄かったですよ」

 アリア様に褒められて嬉しかったが、それはともかくとしてこの格好はまずいな。

「アリア様、着替えたいのですが……」

「まずは血を水で落とすところからですね。その血、温まると猛毒になるので」

「えっ!そうなんですか?」

 知らなかった。

 私は慌てて川へと走る。

「じゃぶじゃぶっと」

 川の水は冷たかったが、我慢して体を洗う。

 その後、アリア様の魔法によって綺麗になった。

「ありがとうございます」

「いいんですよ。魔法で浄化しないと川下の村が毒で全滅しちゃいますからね」

「なるほど」

 いや、なるほどではないな。

 いろいろありすぎて考える力が完全にマヒしているらしい。

「それで、これからどうするんですか?まだヒュドラと戦うつもりなら、頑張って私が探してきますが」

「いえ、もう戦う気はないです」

「そうですか……」

 アリア様は残念そうだ。

「まあでも、また機会があったら戦いましょう」

「本当ですか!」

 アリア様の顔はパッと明るくなった。

 絶対余計なことを言っているなという自覚はあったが、アリア様が喜んでくれるのは嬉しかった。

「ええ、今度はもっと上手くやりますよ」

「楽しみにしておきますね」

 アリア様が空間収納から出してくれた替えのドレスを着て、私たちは森を出ることにした。

 空間収納というのは、えーと、つまり空間収納だ。ごめん、説明できるかと思ったけど無理だった。

 とにかく空間に収納できるのだ。

 文句がある人には電子レンジの原理を説明できるのかと問いかけたい。

「それにしてもアリア様は、見事にヒュドラの首をお斬りになりますね」

 私はその剣技を冴えを思い出しながら言う。

 アリア様はヒュドラの首をすべて一撃で切り落としたのだ。

 9本も切り落としていたが、ただの一度も仕損じることはなかった。

「それほど大したことではありませんよ。リシェルさんもなかなかの腕前だと思います」

「いえいえ、そんなことは……」

「謙遜しなくていいですよ」

「いやいや、本当に……」

「そんなことありません」

「いやいやいや」

「いえいえいえ」

 私たちはお互いに譲り合った。

 こういうのはヒュドラ退治とかじゃなくて、ティーパーティでやりたいんだよなぁ。

 ダンスパーティでもいいな。

 そんなことを思いつつ、森の中を歩いて城まで帰った。

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