天翔ける天使

よぎぼお

天翔ける天使

 天使病。


 突然、羽が現れるようになる奇病である。

 世界でも発症例はほとんどなく、その患者は累計13名。

 その13人目がぼくのクラスメイト――如月奏音きさらぎかのんであった。




 ♢




 あの日、今思えばどこか学校中がさわがしかったように思う。

 急に全校集会がはじまって。彼女が天使病になったことが告げられた。


 学校では個人情報がどうたらこうたらでくわしいことは教えてくれなかったけれど、家に帰ってみるとテレビのニュースはそれ一色いっしょくで。やれ"我が国初の患者遂に現る"などやれ"高校二年の少女が天使に"などお祭り騒ぎであった。


 あれはまだ四月下旬のことで同じクラスといっても彼女とはほとんど喋ったことがなかったから、彼女が政府の研究機関に連れていかれたというニュースを耳にしたときも「へえ」という感じで聞き流していたが。


 八月になって彼女と道のど真ん中で会ったときには流石さすがに驚いた。


「お願い、助けて」


 それが彼女の第一声で。

 雪のような白い羽をばっさんばっさん動かしているのは衝撃だった。それでもなんとか平静へいせいを保って「あれ、政府に連れていかれたんじゃないか」と尋ねると「逃げてきた」というのだからそれはもう心臓が飛び出るほどびっくりした。


 どうするか迷ったけれど、流石にこんなところに放っておくわけにもいかないので、あの日はたまたま母さんも父さんも出張でいなかったこともあり、ぼくは彼女を家に上げてやることにした。


 家に帰ってテレビをつけてみると、速報の赤い文字がテレビの上部を流れていて。やがてすぐにそれだけで特番が組まれはじめ、彼女の逃げた先はこっちだの、いやあっちだの、専門家たちが難しい顔で討論とうろんしだした。


 それを見て、もしかして相当ヤバい事に足を突っ込んでしまったんじゃないかという不安がぼくの脳裏のうりをよぎったけれど今はそれよりも彼女を助けたいという思いの方が強かった。


 彼女は何も言わなかったけれど、きっと政府が連れていった研究所とやらで何かあったのだろうとぼくはにらんでいた。真面目まじめそうな彼女のことだ。相当なことがあったに違いない。


 すると彼女は突然「お願いがあるの」と言った。聞いてみれば学校に行きたいということだった。最近、通えていなかったから気になっていると。


 流石に学校は警察やマスコミもマークしているだろうし、危ないんじゃないかと伝えたが、彼女はかたくなに考えを改めなかった。

 ぼくは仕方がないので彼女の言う通り、学校へ向かうことにした。


 深夜の路上を二人乗りの自転車で駆け抜ける。

 彼女は「なんかこういうのわくわくするね」と言った。


 ぼくたちはフェンスを乗り越え、トイレの窓から校内へと入った。そして音楽室や図書室を周って、教室へと向かう。教室に入ると、彼女は「懐かしいな」と言いながら教室の中をぐるぐると回った。それでも自分の席がなくなっていたのは随分ずいぶんとこたえたようで彼女の肩が小さく震えていたのをぼくは見逃さなかった。

 最後にぼくたちは屋上に出た。

 そこは夏だというのにやけにすずしかった。


「綺麗」


 彼女は空を見上げた。空には黄金色こがねいろに輝く大きな月があって。月明かりに照らされた彼女の横顔はまるで本物の天使のように美しかった。

 だがそこで、ぼくはあることに気付いた。

 彼女は数センチほど浮いていたのだ。

 そのことを指摘すると、「ばれちゃったか」と彼女は頭をいた。


「何が起こっているの?」

「うーんとね」


 彼女は照れ臭そうに言った。


「実は、わたし今日死ぬんだよ」


 それは死ぬという言葉に似つかわしくない軽い口ぶりで。

 ぼくは身体が固まった。


「……どういうこと?」

「天使病の患者はね羽が現れてから100日後に死んでいくんだよ。で、今日が100日目。だから研究所の人はみんなとか言って笑っているよ」


 それからも彼女の話はつづいた。

 天使病の患者は天使病にかかってから100日後に不可抗力ふかこうりょく的な力によって空へ飛んでいって死んでしまうこと。その様子を観測かんそくをするために政府が彼女にカメラをつけて死んでもらおうとしていたこと。また研究所内で行われた非人道的ひじんどうてきな実験。羽の切断。除去。そういった行為の情報統制じょうほうとうせい

 彼女は全てをき出すように打ち明けた。


「これが天使病の現実だよ。こんなのが認められているんだ。おかしいでしょう? だから逃げてきちゃった。死ぬときくらい勝手にさせてくれーって感じ」


 彼女はおどけたように言った。

 その一方で、ぼくの中で何かが沸々ふつふつと湧き出てくるのを感じていた。それはまぎれもない怒り。こんなことが、この現代社会においてあってはならないと思ったのだ。だけど、その怒りの矛先ほこさきはどこにも向けることができず、ぼくはただ唇をみ締めることしかできなかった。


 そのあいだにも、彼女はどんどん空へと近づいていった。

 それは確実に近づいている彼女の死へのカウントダウンで。

 ぼくは怖くなって「死ぬなよ」と彼女の腕を掴んだ。

 だけど彼女は「ごめんね。ごめんね」と謝りだして。

「違う。君は悪くない」とぼくは言うけれどもその間にもどんどん彼女は軽くなっていって気づけばまるで風船ふうせんのようになってしまった。


 彼女はぼくと両手で繋がっていて。

 でも、もう彼女の両足は地上からはとっくに離れていて。


「行くな!」と叫ぶと彼女は「放してよ。君も連れていっちゃうぞ」という。


 ぼくは精一杯せいいっぱい彼女を地上に引っ張ったけれどもう限界だった。

 ぼくの両手だけが彼女の最後の地上との繋がりだった。


「さようなら。最後に会ったのが貴方で良かった」

「どうしてそんなに君は大丈夫そうなんだ」


 ぼくがそういうと、彼女は涙をこぼした。


「……大丈夫じゃない。

 怖い。怖いに決まっているじゃん。

 でも、もう駄目なんだよ。

 どんなに足掻あがいたって駄目。

 私はこの運命を受け入れなきゃいけないの!」


(……くそッツ)


 やはり彼女は怖かったのだ。さっきまでへらへらと笑っていたのはただの演技で。だってこの子も元々は普通の少女なのだ。友達と馬鹿みたいなことで笑って。喧嘩して泣いて。なのに、いまこの子はこんな重い十字架じゅうじかをしょわされて。こんな不条理、この世の中にあってよいのだろうか。


「……勝負だ」

「……え?」

「ぼくは屋上ここから飛び降りる。もしぼくの重力のほうが君が空に引っ張られる力より強かったら君は戻れるかもしれない」


 自分でも訳の分からないことを言っているのは分かっていた。

 でも、もうだめだった。

 ぼくの頭はぐちゃぐちゃになっていた。


「だめだよ」


 だけれど、そんな中でも彼女はいたって落ち着いていて。


「貴方は生きなくちゃだめだよ」


 彼女はそう強く言った。


「私、今日貴方に本当に救われたんだよ。研究所でね羽、色々されたんだ。切られたり変な薬かけられたり。それで必死に走って逃げて。ようやく家の前に着いたらそこには警察がいっぱいいて。絶望した。どこに行ってもダメなんだって。ああ、神様はなんでこんなに私に意地悪いじわるなんだろうって。でもね、そんなとき貴方に出会った。私には神様にみえたよ。暖かいご飯をくれたよね。私の我儘わがままにも付き合ってくれたよね。本当に感謝しているんだ。だから私みたいな子がいたらまた助けてあげてほしいんだよ。君しかいないんだって。君だけなんだって。だから――生きて。貴方は私の分もいっぱい生きて。絶対生きて。一生懸命生きて」


 その瞬間、下で「いたぞー」という声があがった。

 マスコミに見つかったのだ。

 彼女は「残念。タイムリミットだ」と呟いた。


「ねえ、最後に私のお願い、聞いてくれる?」

「……なに?」

「本当はぎゅーってして欲しかったんだけれどこの体勢じゃキツイかな」


 彼女はなさけないね、と言って苦笑いを浮かべた。

 だけど身体は届かなくてもぼくの目の前には彼女のくちびるがあった。

 ぼくは迷わず彼女にキスをした。

 時間にすれば数秒だったかもしれない。

 でも彼女は満足した様子で、


「ありがとう。君のことがやっぱり大好きだ」


 と言って空へ飛んでいった。


 結局、ぼくは彼女を助けることができなかった。

 飛び降りることもできなかった。

 それはもちろん、彼女に言われたからっていう理由もあったけれど、

 なによりも足りなかったのはその覚悟だ。

 一方で、彼女はもう覚悟が決まっていた。

 彼女は凄かった。

 彼女はとてつもない強い人だったのだ。


 やがてマスコミがばたばたと屋上に入ってきた。彼らが彼女に向かってフラッシュを叩いたのでぼくはやけくそになったように、彼らに向かって「やめろ!!」と言いながら突進した。ぼくはすぐに取り押さえられてなにをやっているんだと顔をなぐられた。顔は真っ赤にれ上がったけれど後悔はなかった。彼女は遥か彼方かなた先の空を舞っていた。ぼくは「さよなら」と呟いて意識を失った。







 目が覚めるとそこは病院だった。

 ぼくは泣いた。

 ひとしきり泣いたところで空をみた。


 雲一つない青空だった。


 すると一羽のはとがやってきて。

 ふわりと病室の中を舞った。

 

 一枚の羽が落ちた。

 それは雪のように白かった。



 ぼくの目からまた涙がこぼれた。







〔完〕

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天翔ける天使 よぎぼお @yogiboo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ