第11話 西条太一郎2
太一郎はすでに、一体どれほど遠い場所からやってきたのかと言わんばかりにハァハァと息をあげ、顔の表面にはじっとりとした汗が浮かび上がっている。
一歩進む毎に弛む腹肉もさながら、顎にある肉も相当であり、あれはきっといびきが酷いことだろうと悠子はコクリと頷いた。
「なるほど、なかなかに凄いな。しかしこれで納得がいく。趣味の悪い曲をかけ、せっかくの古城に車寄せを建てるわけだ。趣味の悪さが体から滲み出てる。だらしのない体つきだけでなく下品な笑い、西条の名が泣くな。オーダーメイドのタキシードも同様に涙を流していることだろう」
悠子の言葉を後頭に受けながら、ほほえみを絶やさぬまま京子も小さくつぶやく。
「ブランドも泣いているわよ、着こなしって言葉はあそこには皆無ね」
太一郎が近寄ってくると、京子はゆっくり息を鼻から吸い込み、口元に満面の上品な笑みを浮かべた。
「西条様、このたびはお招きいただきありがとうございます。すっかり遅くなってしまって、申し訳ございませんでした」
大きな猫に包まれた京子をにやりと口元を上げて見つめる悠子。
(いつもながら見事な被りっぷりだな。満面の笑みに周りに花が飛んでいるようだ。立派な『お嬢様』じゃないか)
太一郎は、京子の挨拶に頷いて応え、じっとりと舐めるような視線を京子の体に走らせたのち、周りをきょろきょろと見まわした。
「京子ちゃんだったね。可愛らしいのでよく覚えている。しかし、高見沢の、ご両親の姿が見えないが?」
(可愛らしい、ね。この男、そうとうだな。確かに京子は体つきがエロいが、それを臆面もなく視線に出すとは。浅はかな)
太一郎のいやらしい視線を受けながらも、京子は笑顔を崩さず、少し申し訳なさそうな表情を作り上げる。
「それが、急な仕事が入りまして、出席ができなくなってしまったのです。申し訳ございません。両親の名代として、若輩ながら私が代わりに出席させていただきます」
「あ、あぁ。いやぁ、そうですか。それは残念だ。ではご両親にはくれぐれも、次回是非にとお伝えください」
「えぇ、勿論」
「まぁ、娘であろうと高見沢にはちがいありませんしな。何より可愛らしいかたがお泊りいただけるのですから」
落胆しながらも、その視線は京子の体を上から下に眺め、最後に胸元を凝視して、いやらしく太一郎は微笑んだ。
「まぁ、お上手ですわね。西条様は」
口元を隠しながらたおやかに微笑む京子。堂に入った演技に悠子はひたすら感心していた。
(いやしかし、すごいな。オレだったら間違いなく殴っている。それに引き換えこのオークもどきはあからさまだな。高見沢として娘では呼んだ意味が無いが、エロボディの若い娘は歓迎するときた。ただ、まぁ、本来の目的は達することができずとも、『高見沢』がいればパーティの出席者に高見沢グループとつながりがあると、暗に見せることにはなるから利用してやるというところか)
今にも京子の体に触れようとする太一郎の目の前に、鷲征が割って入り手を差し伸べ握手を求める。
「西条様、ご無沙汰しております。佐藤鷲征です。本日は父が至急仕上げなければならない仕事がありまして、私が代理で参りました」
京子に触れようとしていた手は仕方なくと言わんばかりに鷲征の手を握り、悔しそうな表情をにじませながら太一郎が鷲征を見た。
「あぁ、佐藤建設か。いや、来て頂いて礼を言うよ」
あまりにもそっけない態度に悠子はその場で失笑しそうなのを何とかこらえる。
(なんとも分かりやすい。鷲征は居ても居なくてもっていう態度だな。会う前からわかってはいたが、こいつは小者だ。せっかくこんな島まで来たというのに楽しみが半減だな)
大馬鹿ならさぞかし楽しめるだろうと思っていた楽しい旅行が、それなりに知恵を有しているただの小者とわかり、心の中でため息をついた悠子。
「おや? こちらは?」
ただ落胆していただけなのだが、悠子の存在に気付いた太一郎は、京子以外にも若い娘がいると思い、口元に少し笑みを戻して聞いてきた。
「あぁ、私の連れで日下…」
京子が笑顔で紹介しようと名前を言う寸前、悠子は深々と頭を下げて、京子の言葉を遮る。
「草下悠子です。高見沢さんのクラスメートで今回とても立派なパーティがあると聞いて無理を言って連れて来て頂いたんです」
(はぁ?! 何言ってるのよ、悠子! しかも、何そのおしとやか令嬢風!)
(え?! 偽名って、何を始めようっていうんだ悠子ちゃん)
突然のカットインと偽名に、笑顔を崩さず顔色は変えなかった京子と、一瞬固まった鷲征。
だが、悠子はそんな二人のことは放っておくように、まるで深窓の令嬢のようなおしとやかさと、嫋やかな笑顔を浮かべ、口からは上品な物言いでありながらもツラツラと、平然と嘘を並べたてた。
日下部悠子の厄介で邪悪な日。(……じゃない日はあるのか? いや、無い) 御手洗孝 @kohmitarashi
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