【ショート】胸チラチラ見ちゃう問題【むねチラ】

玄納守

胸チラチラ見ちゃう問題

 人間には何故、黒目と白目があるのか。


 多くの動物は、白目を持っていない。霊長類においては、人間だけが持つ特徴だ。


 これには、コミュニケーションという、人類が重視するものが関わっている。

 例えば、狩りに出かけた時、人類だけは相手の視線、アイコンタクトだけで、無言のコミュニケーションを取れるようになった。

 つまり、進化の過程で、視線のコミュニケーションが取れる者だけが、生き残ったと言える。


「で、それ、玄野が、さっきから私の胸をチラチラみているのと、何の関係が?」


 ふくれっ面で、綾乃さんは、俺を呼び捨てにして抗議した。

 かなり、お酒が入っていらっしゃる。


 気を付けていたにも関わらず、飲み屋で話している最中に、視線が綾乃さんの胸を行ったり来たりしたのだ。

 それを咎められていたので、視線に関する蘊蓄うんちくを話し始めたところだった。


 何故、胸を見てしまったのか。

 それは、居酒屋で酒が進んだせいで、つい、気が緩んだのだ。

 自分は、普段、社内では、全くそんなことはしない紳士だという自負がある。全ては酒の席での油断と言えるだろう。痛恨のミスだ。


「今日も、会議中、チラチラ見てたでしょ? ホント、よくないからね?」


 社内でも、たまに、あるらしい。

 酒の席だけじゃなくても油断していたということか。


「いや、多分、視線が動くから、綾乃さんにはそう見えるだけで、別に、そんなよこしまな思いで見ている訳では、決してないんだよ」


 思わず脇の下が汗で滲むのがわかる。

 世の男性諸君なら、分かってもらえるだろう。エッチな気持ちが、微塵もないままに、視線だけがそこを漂うのだ。


「同期と後輩だから、セクハラとは言わないけどさ。あんたたち、見過ぎなんだよ。胸ばっかり」


 返す言葉もない。

 一緒に飲んでいた、部下の安藤も河野も、黙ってそれを聞いている。

 彼らも男だ。

 先輩としての立場がないが、男ならわかってもらえるのではないか?


「なんで、見ちゃうんだろうね?」


 半笑いで、二人に話を振った。


「ホント、これ、不思議ですよね」


 安藤が賛同してくれた。

 しかし、安藤は首を傾げるばかりで、不思議だ不思議だと、頼りにならない。


「いやさ。安藤も『不思議だ不思議だ』言いながら、今、三回、あたしの胸、見てたよね? ねぇ?」


 綾乃の指摘に安藤はうつむいた。


「見ちゃいましたね……」


 見ちゃったか……。


「あのさ。つまり、人間には白目があるから、黒目が何を追っているのか、すぐにわかるということかもな」


 さっきから力説している、何のフォローにもならないフォローを入れた。


「でも、先輩。こういっちゃなんですけど、僕は微乳が好きなんです」


 安藤の妙なカミングアウトが始まった。


「綾乃先輩みたいに、立派なのには、正直、興味が」


 やめろ。


「立派って言うな。いいか。女性は生まれつきの大きさをどうこうできないんだよ? それなのに、男どもは、巨乳だ微乳だ好き勝手言いやがって」


 グビリとビールをあおって、綾乃さんはまくしたてた。


「人を外見で判断するなとか、学校で習っただろ? 小学生からやり直せ?」


 俺と安藤は、しょんぼりと話を聞いた。


 綾乃さんの胸は、大きすぎず、小さすぎず、特徴としては、形が美しいという部類に入るものだ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」を教える為にあるのではないかというくらいに、絶妙の大きさだった。俺にとっては。


 普段は男っぽい言動で知られる綾乃さんだが、外見だけは、どうやっても女性であることを隠せないほど、女性らしさが溢れていた。


 もちろん、大きい方が好きだと言う人もいれば、小さい方が好きな人もいる。

 それは好みの問題であり、一つの方向性しかない競争ではないのだ。


 みんな違って、みんないい。


 価値観の違いを認め合うべき多様性のテーマでもあるが、それは別の機会に考えよう。今は、おっぱいをチラチラみてしまう事だけに集中だ。


 安藤が、何かを思いついたように口を開いた。


「あ! あれですかね? コミュニケーションを取りながら、女性であることを確認しているとか? 相手の確認みたいな。そんな進化論の蘊蓄、いつもみたいに、あるんでしょ?」


 安藤は、俺に同意を求めたが、ないわ。そんなの。しかも俺を、蘊蓄ボックスみたいな扱いしてやがるな。


「それって、一回、確認したら、分かるでしょ? なんで何回も見るのよ?」


 そうなるわな。

 安藤は再びうなだれた。


「先輩たちは、理論の応用が出来ていないということです」


 河野が口を開いた。

 旧帝大の数学科出身の新卒という鳴り物入りで入社した新人社員だが、理屈っぽさが玉にきずで、コミュニケーションがうまくない。口の利き方も横柄だ。

 それでも、こうして、たまに飲みに連れて行くのは、チームに慣れさせる為だった。


 その河野が口を開いたのだ。奇跡だ。


 そして黙った。いや、続きを聞かせろ。


「どういうこと?」


「え。どういうことも、こういうこともなく、理論としては、先輩の進化論が正しいです。要するに、人類は視線でコミュニケーションを取るのです」


 要領を得ない。

 いきすぎた理系にたまに見られるが、河野は全く視線を合わせない。

 挙動不審な視線をゆっくり追うと、さっきから同じ場所を行ったり来たりしている。


 ひとつは、テーブルの上のお通しの小鉢だ。

 もう一つは……綾乃さんの胸の先端だった。


「おい。河野よ。目を合わせないのなら、あたしの胸を見ていいと思ったか?」


 綾乃さんも気付いたらしい。

 河野は、「え?」と驚いたまま、自分の何がいけなかったのかが分からないという顔をしている。そしてなお、視線を合わせない。


「視線でコミュニケーションを取らなければ、バレないとおもったのですが……」


 挙動不審な河野が言い訳をした。


「だからさ。なんで、男は、そんなに胸をチラチラ見るんだよ? え?」


 こればかりは、男にとっても説明がつかない不思議なのだ。

 世の女性の皆さんに、明確に告げておきたい。

 おっぱいに興味があるわけではなく、普通に視線がそこへたどり着くのだ。

 水が低きに流れるのが自然なように、視線は自然とおっぱいに行く。

 問題は、じゃあ、おっぱいに全然興味がないかと言えば、それは断じて嘘なのだ。だが、本当に、全くそういう気持ちがない相手でも、胸に目が行ってしまう。

 最早、怪奇現象としか、言いようがない。


 だが、そんなことを言ったところで、状況は変わらない。むしろ悪化するだろう。

 さっきから、俺を見つめていた安藤が、再び思いついたように口を開いた。


「分かりましたよ! 僕、さっきから玄野先輩を見ていても、玄野先輩の胸は、全く見ないんです。けど、綾乃先輩の胸だけはチラチラ見ちゃいます」

「ああ。今もな。で?」

「要するに、これは、相手が異性の時にしか現れない行動だと思います」

 

 当たり前のことを発見のように言う安藤に、河野が続いた。


「なるほど。観察と比較からのアプローチ。科学ですね」


 河野も興味を持ち始めたようだ。

 安藤が続けた。


「そして、玄野先輩がどう思っているかは知りませんが、綾乃先輩のことを、僕はおっぱいとは少しも思っていません。綾乃先輩のおっぱいに全く興味がなくても、視線が動きました。それは事実です」


 安藤よ。まるで、俺だけは、綾乃さんのおっぱいに興味があるみたいに言うのはやめてくれ。


「つまり、自分にはないものだから、珍しいものだからではないでしょうか? 僕たちも、この世界にある、少し変わった情報を、二度見したりしますよね!」

「確かに、僕にもその経験があります」


 河野はその経験の具体例を挟んでくれないが、深く同意した。


「ああっと? すると、君たちは、男にはないものだから、珍しいから、視線がそこに行ってしまうと言いたいのか?」


 綾乃さんは確認した。

 安藤は頷き、河野は激しく頷いた。


「安藤先輩の仮説は興味深いですね。あとはその仮説を立証するだけかと思います」


 今日の河野はよく喋る。


「どうやるんだ」

「綾乃先輩、ご協力いただけますか?」


 綾乃さんは、怪訝な顔をしながら、同意した。


「要するに、我々は、『見慣れていないものに対して、確認をするために、何度も見てしまうという、行動に走るのではないか?』というのが、安藤先輩の仮説です。これを立証するには、一度、見飽きるまで眺めるというのを実験をしてみてはいかがでしょう?」


 さすが旧帝大の数学科。

 理路整然としているが、その能力をもっと別の方向に使うべきだ。


「いいですか? 綾乃先輩?」

「試させてください。綾乃先輩」


 二人の後輩が頭を下げた。

 綾乃さんは、俺に助けを求めようとしたが、その綾乃さんの胸をチラと俺がみてしまった為に、決意したようだ。


「いいけど、一分間だけだぞ?」

「お前ら、一分あれば十分か?」

 

「「はいっ!」」


 初めてチームが一つになったような気がした。

 ドラッカー先生も、著書の中で、こんなようなことを言っていた気がする。具体的になんと言ったかは、マネジメントの本を読み返さないと思い出せ


「はじめっ!」


 いきなり綾乃さんが、スマホのストップウォッチを起動させた。


 一分間といえば、15秒CMが4本も流れるほどの長尺だ。


 同期の胸を一分間も眺めることに、多少、罪悪感もあったが、実験に付き合うことにした。致し方ない。


 しかし、綾乃さんの胸は、なんというか形の綺麗さで言えば、そのふわっとした感じがたまらない。造形美としての美しさがあるのだ。


 美術品を鑑賞するような、純粋な気持ちで、綾乃さんの胸を眺めた。

 ちなみに、胸をブラジャーのカップで、大きさ判断をするのは間違っているらしい。あれはアンダーとトップの差を


「やめいっ!」


 アラームが鳴るのと、同時に綾乃さんが声をかけた。


 一分はあっという間だ。


 しかし、見慣れるには十分すぎるほどだ。

 綾乃さんは、胸を手で隠している。顔が赤くなっていた。


「あー、めちゃくちゃ緊張したわ。で、どう? 見飽きた感あるの?」


 綾乃さんの質問にそれぞれが答えた。


「俺は、もう、大丈夫かな。多分だけど」

「僕も、十分見ました。もう珍しいものではないと思います」

「実験としては、なかなか興味深いものではないでしょうか?」


 世の男性諸君。

 もしも、女性の胸をチラチラと見てしまうことを指摘されるのが恥ずかしいのであれば、この方法をお試しあれ。

 少なくとも、一分は、チラチラと見ずに凝視することが出来る。


「って、言ってるそばから、いまチラチラ見てただろ」


「「「見ました!」」」


【実験結果】 一分では足りない。




















★★★作者あとがき★★★


 ご覧いただきありがとうございます!

 くだらないテーマを真面目に書かせたら、得意です!

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(旧作ですが、再掲載しました)


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