禁じられた遊び

香久山 ゆみ

禁じられた遊び

「子どもだけで花火をしたらいけないよ」

 そう言われていたのに。私たちは、言いつけを破りました。

 小学六年生の夏。来年の春には中学生になる、私たちはもう十分に大きくなったつもりでした。だから、仲のいい友だち四人で集まり、子どもだけで花火をしようとなりました。近所の商店へ皆で花火を買いに行く時にはすでにずいぶんわくわくと興奮していました。ヨシコちゃんの家の前に、小さくて人気のない公園があるということで、そこですることにしました。バケツもヨシコちゃんが用意してくれました。誰もマッチもライターも使えなかったので、チャッカマンも用意した。準備万端で、私たちは早くも有頂天でした。

 その夜はお天気もよく、漆黒の空には、夏の星座がいくつも瞬いていました。けれど、私たちは星には見向きもしません。だって、これからもっと美しいものが私たちの手から生まれるのですから。

 チャッカマンを手に持ったのはミッちゃんでした。公園の真ん中に置いた、噴出花火に火を点けます。今思えば小さな花火ですが、当時の私たちは、それがいっとう危険なものなのだときゃあきゃあ騒いでいました。ミッちゃんは、噴出花火の導火線に、ずいぶん離れたところから精一杯腕を伸ばして着火しました。火が点くや、転ばんばかりに駆け戻ってきました。私はチャッカマンを投げ出してしまわないかはらはらしたものです。(チャッカマンを投げ捨てたら爆発すると思っていたのです。)導火線が焼け尽きた時、無事に円筒からは火柱が上がり始めました。炎に赤く照らされたミッちゃんの横顔は満足気な笑みを浮かべていました。ずいぶんへっぴり腰でしたが、あの時ミッちゃんは私たちの英雄、勇敢なる特攻隊長でした。

 噴出花火を終えると、あとは手持ち花火ばかりです。私たちは安心して手持ち花火に切替えました。ミッちゃんは自分の仕事だとばかりに、皆の花火に火を点けて回りました。四人の手から美しい夏の夜の夢が噴き出します。燃え尽きたら、水を張ったバケツに放り込みます。その時の「ジュッ」という火の消える音さえ楽しい。私たちは次々に手持ち花火に火を点けました。左手で持った花火の火を、右手の花火に移して、両手から火を出したりして。大変満喫して遊んでいましたし、安心して、油断もしていたのでしょう。

 おそらくは一番油断していたのが私だったのか、それともただ運が悪かったのか。持っていた花火の火が消えたので、バケツに漬けようとしたところ、また火が出始めたのです。まだ火薬が残っていたのですね。軽い気持ちで驚きわあわあ騒いだのも一瞬のこと、その火はそのままバケツに燃え移ってしまいました。バケツの中は燃え尽きた花火滓でいっぱいでしたから、火はバケツの水で消えるどころか、どんどん大きくなっていきました。プラスチックのバケツがとろとろと溶けていく様を、私は呆然と眺めていました。この火がバケツの中の花火に燃え移ったらバクハツしてしまうのだろうか、そんなことを考えるも、一歩も動けず、また、声を発することもできませんでした。ただぼんやりと大きくなる赤い炎を、大きく見開いた目に映していました。他の子も、なんの手立てもなく、ただきゃあきゃあ周囲で騒ぐだけです。

 そこに、バケツいっぱいの水を汲んだ大人が駆けてきて、炎めがけてざばあっと水を掛けました。それだけで、たったいっぱいの水で、炎はみごとに鎮火しました。もしかしたら、当時の私が感じていたほど炎は大きくなかったのかもしれない。そして、永遠のように長い時間炎を見つめているような気がしたけれど、それもほんのわずかな時間だったのかもしれません。バケツに水を汲んできたのは、ヨシコちゃんのお父さんでした。騒ぎに気づいて出てきてくれたようです。それで、火の始末が終わった後、私たちはヨシコちゃんのお父さんにお説教をされたはずですが、まるで何も頭に入ってきませんでした。それとも、寡黙なお父さんだったから、あまり私たちのことを叱らなかったのかもしれません。火が消えた後、考えていたことは、どうしよう、やってしまった、お母さんに怒られるかしら、学校に通報されたらどうしよう、そんなことばかりでした。だから、フタバちゃんがいないことに気づいたのは、ヨシコちゃんのお父さんが先に家に戻った後、私たちももう解散して家に帰ろうとした時でした。

 フタバちゃんがいない。私たちは慌てました。公園の薄暗がりに目を凝らしても、外の道路に出てみても、どこにもいません。いつの間に。私たちは慌てましたが、もうそれ以上探そうとはしませんでした。彼女の家へ帰宅の確認をしに行くことすらしませんでした。もうへとへとだったのです。

 翌朝、登校すると教室にはフタバちゃんがいつものように座っていました。

「よかった。急にいなくなるから心配したんだよ。大丈夫だった?」

「うん……」

 彼女は私たちと目を合わそうともせず、おどおどした様子で答えました。あ、もしかしたら、あの夜彼女に何かあったのかもしれない、そう思ったけれど、それ以上何も言いませんでした。「なら、よかった」そう言って、私たちはあの夜に蓋をしました。先生から呼び出されることもなかったし、お母さんに叱られることもありませんでした。

 その夏、私たちは誰ももう、花火をしようとは言いませんでした。

 そうして、大人になった今。

「子どもだけで花火をしたらいけないよ」

 我が子にそう言った時に、あの夏の夜の出来事が思い出されました。紅い炎が、鮮明に。

 子どもだけで花火をしてはいけない、その言葉は、ただ花火の危険を示唆したものではなかったのだと思います。あの夏の夜の花火によって、私たちは純真無垢な子どもという領域から、するりと抜け出てしまいました。

 途中でいなくなったフタバちゃん。彼女は誰かに連れ去られたりしたわけではなく、ただ怖くなってその場から逃げ出したのでしょう。そうしてひとり裏切った彼女は、翌日皆におどおどした態度を取るよりなかった。他の子も。ヨシコちゃんは、子どもだけで花火をすると言ったのに、自宅の近所をしきりに勧めました。不安だったのでしょう。内緒だと言っておいたのに、お父さんにも子どもだけで花火をすることを言っていたに違いない。だからバケツやチャッカマンなどそつなく準備できたのでしょう。ミッちゃんは、あの夜虚栄心に燃えていました。なのにその後のトラブルに何もできなかったことで、もしかしたら無力感をも抱いたかもしれない。そして私も、あの夜の失敗を親にも報告せず胸にしまいこんだ。

 裏切り、嘘、狡猾、虚栄、無力感、過ち、後悔、秘密……。

 あの花火の夜に私たちが手にしたものは、みんな大人が持つものばかりです。

「子どもだけで花火をしたらいけないよ」

 禁じられた遊びによって、子どもは大人になってしまう。

 けれど、自分が子を持った今、その言葉の本当の意味を知っています。

 私を見上げるこの子。いつかこの子も大人になってこの手から離れていってしまうでしょう。さみしい。けれど、それは致し方ないことです。

 あの夏、母から叱られることはありませんでした。だけど、知らないはずがないのです、あんなに燃え上がった炎のことを。学校も、先生も、母も知らないなんてことが。今なら分かります。私たち自身が反省し、先に進むこと。それを信じて、見守っていたのではないでしょうか。危なくなったらそっと手を差し伸べられる距離で。ヨシコちゃんのお父さんのように。

 そうして、私は我が子に囁きます。紅い誘惑の炎を宿した言葉を。

「子どもだけで花火をしたらいけないよ」

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