第14話 恋と愛

病院の廊下で一人ベンチに座り、うなだれている凛さんを見つけた。


「凛さん、遅くなった。」そう言い、快は頭を下げた。凛さんは目に涙をいっぱい浮かべて、

「萌さん。あなたじゃないとダメなの。瞬を、瞬を助けて。」そう言うと、私の前で泣き崩れてしまった。寄り添ってベンチに腰掛けると、

「瞬が、あなたを呼んでるの。」と静かに言った。


快と2人で、病室に入り、瞬の横に座ると、私は瞬の手を両手で握りしめた。

変わり果てた痛々しい姿に、涙が溢れた。

「瞬。瞬。起きて。私よ。海よ。お願いだから、目を覚まして。もう一度私を見て」

「瞬。このままでいいのか?俺に萌を取られたまま、また黙って身を引くのか?

本当は知ってたんだ。中学の頃には、瞬が萌を好きだって事、お前に萌を取られるのが怖くて、俺が先に萌をモノにしてしまえば、絶対お前は身を引くってわかってて、わかってて俺は…」

と言って快は涙を流した。

「戻ってきて。お願い。瞬。」


「瞬ー。」遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。振り返ると、小学生の快と萌だ。2人ともあどけなくて可愛いなぁ。自分の姿を見てみると、自分まで小学生の時に戻っていた。 

まだその頃は、男も女もなく3人で仲良くて、みんなで手を繋いで登校していた。俺にとって2人は兄弟みたいなもんだった。

快が一番下の弟で、真ん中が萌。そして俺が一番上の兄貴。何でも物分かりのいい兄貴ぶってたけど、本当は2人を一番必要としていたのは、俺だった。学校が終わって家に帰ると、2人には両親がいたけど、俺には父親しかいなかった。

姉貴の凛が、中学生になった時に才能を見出されて、バレエ留学することになった。

すると、まだ若い凛を心配して、母親まで一緒にフランスへ行ってしまった。だから、俺は父親と2人っきりの日々だった。

だけど、父親も仕事が忙しくて、ほとんど家にいることはなかった。毎日毎日暗く冷たい部屋で1人でいるのは耐えられなかった。俺だってまだ母親を必要とする年齢だった。

そんな時いつも、

「瞬。ご飯食べよう。」と言って萌や快が呼びに来てくれた。

いつも1人の俺が寂しさに押し潰されないように、萌や快が側にいてくれた。

2人が側に居てくれたから、俺は少年時代、一人孤独になることはなかったんだ。

だから、高校に上がって、2人が付き合うことになった時は、そんな2人のために身を引くことにしたんだ。

そうだ。俺にとっても快の存在は大きなものだったんだよ。

弟から彼女を奪うわけにはいかないからな。


だから、海と出会って、海と幸せな日々を過ごせたことは、俺にとって夢のような日々だったよ。海は、俺だけの海だった。海。キミにもう一度会いたい。


でも、もう今日はキミの結婚式なんだね。

俺は海沿いの道をバイクで飛ばした。


本当は諦めたくなんかなかったんだ。いつまでも物分かりの良い兄貴ではいられなかった。俺だって、快のように萌に思いっきり気持ちをぶつけたかった。


やりきれない思いで、ブゥンブゥンと、エンジンを蒸して、一層スピードを上げた。

ポツポツと雨が降り出した。数分もしないうちに、大雨へと変わり、路面はあっという間に色を変えた。


みっともなくてもいい。なぜカッコつけずに引き止めなかったのか…冷静な兄貴を装って気持ちを隠したのは自分なのに…色んな思いが交錯した。

とその時、反対車線を走行する車がカーブを曲がりきれず、中央分離帯を乗り越えて飛び込んできた。

海ーーーーー。

すごい衝撃と共に、バイクは転倒し、俺は道端に転がった。

海。


「……」

「え?何か言わなかった?」

私は瞬のかすかな声に反応した。

「う…み…」

聞こえた。私を呼ぶ声が、

「瞬。私よ。海よ。ここにいるわ。あなたのそばにいるわ。」

そう言って握りしめた手を一層強く握った。

「瞬…起きろよ。瞬。」

快が大きな声で叫んだ。


すると、瞬はゆっくりと目を開けた。

「おい、瞬、わかるか?俺たちがわかるか?」

しばらくくうを見つめていた瞬が、私達の顔を見ると、ゆっくりとうなづいた。 


「凛さん!」廊下にいた凛さんを呼ぶと、ちょうどそこへ瞬の両親も駆けつけてきた。

瞬が目覚めたことを喜んで、かわるがわる瞬に声をかけた。

「私、お医者様を呼んでくる。」凛さんがナースステーションへ走っていった。


快と私はホッとして、一旦病室を出た。

「快、凛さんのこと知ってたんだ。」

「当たり前だろ?凛さんは小さい頃は俺の憧れだったんだから!」

「小さい頃?」驚いて聞き返すと、

「え?瞬の姉ちゃんだろ?中学でバレエ留学するって有名だったじゃないか。」と言われて、

「え?え?え?凛さんって、瞬のお姉さんだったの?いつも姉ちゃん姉ちゃんって言うから、凛って言う名前だったの知らなかったーーー。えー?」と私があんまり驚くので、

「しっかりしてるようで、意外なところが抜けてるんだよな。萌は!それで?瞬の彼女かなんかと間違えた?」と茶化すように言われ、

「うん。てっきり一緒に暮らしてるみたいだったから、結婚してるのかと。」

「だから、諦めが良かったのか。」と言って快はくしゃっと笑った。

「じゃあ、快の初恋の人って、私じゃないの?」と言うと、あっさりと

「そう。初恋は凛さん。」と言って舌をペロッと出した。

「なんだ。私じゃなかったのね。」

なんだか気が抜けて、笑えた。


「快。ごめん。私、快の事、好きだった。快の真っ直ぐにサッカーに打ち込む姿に恋してた。…でも、瞬は違うの。瞬の事、愛してるの。」

「うん。本当はわかってたんだ。俺は萌にふさわしい男になろうとするあまりに、どんどん本来の自分じゃなくなった。正直、キツかったよ。もうこれ以上、物分かりの良いふりはできない。背伸びしてたんだ俺。ごめん。」

私は大きく首を振った。

「ううん。私の方が快をずっと苦しめてたわ。ごめんなさい。そして、ありがとう。快。」と言って、お互い握りしめた手をゆっくりと解くと、私は快から離れ、病室に戻って行った。


「あーあー、やっぱり兄貴には敵わないなぁー。」天井を見上げた目から一筋涙がこぼれた。快はそう言うと、病院を後にした。


******


それから数日後、瞬は集中治療室から一般病棟に移った。 

面会時間が終わった夜遅くに、部屋のドアがノックされた。

「はい?」

ドアが開くと快が立っていた。

「快…」

気まずい雰囲気が流れる中、快は黙ったまま病室の中に入ってきた。

「悪かったな。快。お前の一世一代の結婚式を台無しにして…」

「あの時の仕返しだろ?」

瞬が何のことかわからずにいると、

「俺も瞬の結婚式で花嫁を略奪したからな。」

そう言われて、2人で顔を見合わせて吹き出して笑った。

「でも俺は、瞬とは違って、式もパーティーも滞りなく済ませたぜ。」

「ああ、快はいつも要領はいいからな。」

「瞬は、いつも俺に遠慮して譲ってばっかりだな…」

「そう言うつもりはなかったんだ。萌の気持ち…わかってたから。混乱させたくなかったんだ。」

「昔っから、俺は萌にいつも心配かけるばっかりで…いつも頼りにされるのは瞬でさ…。愛されていたのも瞬だけだったよ。」

瞬が何も言えず黙っていると、

「もう、誰にも萌の事、譲ったりするなよ。」 

「ああ、身にしみてつらいってわかったから。」

「そっか、そうだよな。じゃ、俺もう行くわ。早く身体治せよ。」

「ああ。」

そう言って、快は部屋を出て行った。

快、ありがとう。


******


瞬のリハビリが始まった。私はリハビリ室の窓越しから、私を見てる瞬に向かって、が、ん、ば、れと口を動かして、手を振った。照れ臭そうに苦笑いをする瞬を愛おしいと思った。こんな状況なのに、私の気持ちは穏やかだった。久しぶりだ。この感覚。

 

リハビリが終わって、2人で病院の庭に散歩に出た。

車椅子に乗る瞬を押しながら、

「リハビリお疲れ様。頑張ってたね。」

「萌にいつまでもカッコ悪いところ、見せたくないからな。」

それを聞いた私は瞬の前に周りこんで、瞬と同じ目線に屈み、

「カッコ悪くたってなんだって良い。

どんな瞬も見ていたいし、どんな瞬も愛してるわ。これからは兄として萌の私を見守るんじゃなくて、海の時のように、萌の私を…どんな私も愛して。これまでも、これからも。ずっとね。」

「ああ、どんな萌も愛してるよ。」

私たちは見つめ合って、キスをした。何度も何度もキスをして、抱きしめあって笑った。


サアーーッと強い風が吹き抜けて、どこからともなく海の匂いがした。

もうすぐ、夏がくる。


完結

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふたりのわたしー恋と愛の波間にー カナエ @isuz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ