第2話
直前に見たのがどれだけ強烈な悪夢だとしても、高校生の目覚めとしてはありえないほど生々しい感覚が残っていた。
太陽に直接触れたのかと思うほどの熱量でもってして、自分の右腕が瞬く間に融かされていく痛み。それが強引に引き抜かれた衝撃で、自分の胴体にまで穴が開き。ぼとり、と、腕があっけなく落ちた感触。
悪夢から目覚めても未だ、冷や汗の止まらない自分の身体を両腕で抱く。
どちらが本当なのかがわからない。
ただ悪夢から覚めて一日が始まろうとしている高校生なのか。
それとも、数刻前に半身を灼かれ、命の終わりに向かってゆっくりと視界をぼやけさせていった、夜の秘密の目撃者なのか。
どちらが本当の自分なのだろう。
今自分がいる場所と、なにより五体満足の身体が示している。自分が、なにごともなく目覚めたばかりの、現実的でありふれた人間であることを。
けれど、それを覆して余りあるほどに、五感が鮮明に告げていた。
冷え冷えと光る満月の夜のにおい。
切り結び、撃ち合った、青い光芒のこえ。
腕が融け、肩が落とされるここち。
沸騰する血潮のあじ。
麗しの少女のかたち。
全身が記憶している。すべて本当にあったことだと。
今しがた見たばかりの一幕は。夢にしては現実感がありすぎた。
けれどどちらかが夢なのだ。
少しずつ冷静になってきた頭で考える。
確かに失ったと思った右腕と、そんなことなく動いている右腕。
この矛盾に気付いて、右腕に手がかりがないかを調べるということにようやく思い至る。
一瞬、ゼリーのように簡単に貫通された痛みを思い出して躊躇ったが、右の掌を眼前に持ち上げて注視する。
当然だが、ほとんどの人間には手足にそれぞれ4本しか指がない。
親指から数えて、人差し指、中指、小指。それで終わり。そのはずだ。けれど俺の右手には、生まれてから一度も目にしたことのない、5本目の指が生えていた。
「なんだこれ」
左手で目を擦り、両目を瞬き、右手の裏表を目の前でひっくり返す。それを何度繰り返しただろうか。いつまで経っても右手の指は5本のままだ。
自分の右手。小指の隣から生えている、今まで見たことのない「5本目の指」。しかもそれは自分の意志でしっかりと動く。しかし強烈な違和感を感じる。まるで無理矢理移植されたものであるかのような。脳の、その指の動作に当たる部分が、もとはなかったような。確かに自分の意志で動く。動くのだが、本来は存在しているのが不自然なものなのだと、なぜだか直感で感じる。
長さは小指と同じか、わずかに短い。関節の数も人差し指や中指、小指と変わらない。
けれど他の指と全く違うところがあった。"指の先端に肉がない"。付け根から数えて、第三関節から第一関節まで。そこまでは同じだ。しかし、爪が始まるくらいの場所で肉はなくなり、まるで象牙のような、とても密度の高いなにかが、動物の角のように顔を出している。爪のように表面だけに生えているのではなく、言うなれば指の骨が途中から肉に覆われていないという様子だ。しかしそれは異常ではなく、もとからそういうものなのではないかという感じだった。その、骨とはまた違う、例えるなら先ほど言ったようにまるで象牙のような白さと密度をもつ先端は、楕円のボールを半分に切ったような美しさで丸まっている。
妙に冷静さを保ったまま新しい指をさすっていたが、朝起きた自分の右手に、見たこともない形の指が増えているのだからどうすればいいのかわかったものではない。
パニック寄りの思考に踏み込みそうになる。どうすれば。
「直希! いい加減に起きなさい!」
階下のリビングから母さんの声がする。
「起きてる! 起きてるよ!」
俺は、特に悪いことをしていたわけでもないが、普段では考えられないほど慌ててベッドから立ち上がり、できるだけ指が見えないように右手をぎゅっと握りこむ。それでは不自然なことに気付き、両手とも不自然ではない程度にしっかりと握りこぶしをつくって部屋を出る。
いつもは掌を使う階段の手すりだが、握りこぶしのままでそれをなぞる。そうして階段を、とたたた、と下りてリビングへ。ここまで、ドアを開けるのもすべて握りこぶしだ。
母さんもなにやら驚いている。もう異変に気付かれたかと焦ったが、単にこの時間にすっと起きれたこと、おはようの一言もやけにはっきりしていたことに驚いただけらしい。俺としてはなんだか業腹だが不平は口から出なかった。
指についてどうするかを何も決めていない。
家族に相談するのか。
病院に行くのか。
あるいはそれ以外のなにかか。
他人にどう言えばいいかわからないことについて考えていた最中に、急に呼ばれて、真っ白になった頭で呼び出しに応じてしまって何も決めていない。
だが俺は、ひとまず放置して誰にも言わないことにした。
龍と鳳凰 満﨑敢太 @Mitsuzaki_Kanta
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