第1話
剣戟の音が響く。
満月の綺麗な夜だった。見慣れた舗装に見慣れた建物が見える。都市部ではないのがすぐにわかる鬱蒼とした植物の茂り。これだけ遅い時間に人の気配がないのはいつものことだ。何の変哲もない、自分がいつも高校に通う道。けれど目の前の光景は、ひどく幻想的で現実味に欠けていた。
ぶつかり合う2人の剣士。両者が構えるのは青く色を放つ光の剣。超高温の青色超巨星、それこそスピカを棒状に切り取ったのかと思わせるほどの強烈な圧力でもってして、姿すらはっきりとは見えない2人は切り結ぶ。あまりに現実離れした青い光芒に気を取られていたが、それを扱う両者の動きも尋常ではない。素人目にも、それが人間離れした動きであるとわかる。踏み込みや腕の振りの速度が常人のそれではないのだ。互いに斬撃を繰り出しては受け、躱し、致命打になるまでそれをひたすらに繰り返すのだと思わせる。
しかし、その均衡が崩れた。鈍い音とともに、片方が豪快に吹き飛ぶ。大の男を横に並べて5人でも足りないほどの距離、宙を舞う。剣ではなく”蹴り”の一撃が入ったのだと遅まきながら気付く。俺から見て右側、静止している方の残心の姿勢でわかった。対して、吹き飛ばされた側もすぐに体勢を立て直す。
お互いに距離を置いて構えたまま、いっときの静寂が訪れた。気付けば両者の剣は消えていた。よく見ると、青くスパークする光の刃だけが消え、柄だけを相手に向けているようだ。それは剣士というよりも、おとぎ話に出てくる魔法使いのようにも見える。2人の動きが止まるのをまるで見計らったかのように、うっすらと月を覆っていた雲が晴れ、両者は月のもとに照らされる。
俺から見て右側、先ほど強烈な蹴りで相手を吹き飛ばした方。あれだけ強烈な戦いをしていたにしては小柄で華奢だ。顔を覗かせたばかりの月に正面から照らされているのは、自分ともそこまで歳が離れていないように見える、麗しの少女だった。狼のような凛々しさと、森緑のような柔らかさが同居した美貌。後ろで結った長い黒髪は、まるで星空を鋳溶かしたような美しさ。身に纏うのは純白の胴着に濃紺の羽織。いまどき和装なんて珍しいと思ったが、脚のシルエットがはっきりとわかる濃紺のスラックスに武骨な靴をはいている。今夜の、あまり暖かみのない青白い月明かりに照らされた和洋折衷の少女剣士。その姿は、眼鏡をかけていても決して良くはない自分の視力を恨みたくなるほど絵になっていた。
対して、彼女に対峙する側はよくわからない。そもそも月明かりが背中側にあって正面が見えにくいというのもあるが、全身が黒ずくめでそれらしい特徴というものが見出せない。頭もフードか頭巾で覆っているようだ。
おそらくこちらに気付いていない2人が何か言葉を交わし始めるが、俺の距離だとなかなか聞き取れない。
好奇心は猫を殺す、という英国の言葉があるだろう。このときの俺は、この言葉を思い出すべきだったのだ。
愚かにも俺はこのとき、本能に従うなら絶対にその場から逃げるべき超常の光景を目の前にして、好奇心を優先する猫だった。
先ほど、この世のものとは思えない武器で以て切り結び、今は魔法使いよろしく、杖らしきものを構えて向かい合っている目の前の2人。あれに近づいてはならないと全身が告げている。まさにファンタジー、あるいはSFの作品のような景色だったが、目の前で起きた一連のやりとりは純粋な殺し合いだった。今目の前で起きていることをほとんど何も理解できていない俺がそう断定するのはおかしいだろうか。しかし少なくとも、あれだけ幻想的な絵であっても決してパフォーマンスの類ではないと言えるだけの恐ろしさが、その2人の動きからは感じられた。
収まる気配のないその震えとは裏腹に、俺の身体は忍び足で少しずつ前に進む。どう考えても正気の沙汰ではない。
自分の中で好奇心と恐怖が未だに天秤にかけられていた、その刹那。静寂に乗じて好奇心のためにもっと近づこうとした俺の思惑を裏切って、眼前の2人が堰を切ったように相手を攻撃し始める。
それも先ほどのような剣術戦ではない。再び目にした青い光芒はいま、剣の刃としてではなく、射撃の弾丸として撃ち出されていた。両者がお互いに武器としている「それ」は、剣の柄から魔法の杖へと役割を変えた。その姿はまさに、幼いころに憧れた西洋の映画に出てくる魔法使いといえた。なにか違うとすれば、呪文を唱えていないことか。
見ているだけで身を焦がされそうな圧力を放つ光弾を、互いに最小限の体運びで躱しながらひたすらに撃ち合う。息もつかせぬ攻防。
右の少女は強烈な射撃、というより魔法を、相手が対処するタイミングで再び放つ。左の黒ずくめは、一発は相手ほど強烈ではないものの、手数が多い。銃で例えるなら、ボルトアクションくらいの間隔で爆発じみた威力の少女に対して、ある程度反動があるセミオート拳銃の黒ずくめ、といったところか。時間あたりの弾数は黒ずくめの方が優勢なはずなのに、少女の方が圧しているように見える。
爆裂する少女の攻撃に痺れを切らした黒ずくめが動く。正面からの撃ち合いは上手くないと見たらしい。俺から見て手前、黒ずくめ本人から見て右側に走り出す。側面の取り合いを仕掛けるのだろうか。
少女もただその場に立ち留まるわけではない。
しかし相手に合わせて右に動き、互いに円を描く方向には向かわなかった。
和洋折衷の少女剣士改め、現代に現れた日の本の魔女は、相手と同じ位置関係を維持する方向へ。並行で直線的に黒ずくめを追い、魔法での攻撃の手を緩めずに疾駆する。それは彼女にとって左側であり、つまり俺に迫る方向だった。
こちらに向かって疾駆する超常の2人。
寸前まで話す内容が聞こえずもどかしいと思っていたその距離が、今は信じられないほど短く感じる。
今もまだ青い光弾の撃ち合いを続けながらこちらに迫ってくる。あれは俺のような、俗世に生きるものが見てはいけないものだ。おばけとかの類だ。もし気付かれたら「見たな」のひと言で首を刎ねられるに違いない。混乱でほとんど回らなくなっている頭の中で、ひどく冷静、というか呑気にそんなことを考えている自分がいる。
実際そう思うなら、惚けて立ち尽くしている場合ではない。けれど俺の足は動かない。
とてつもない恐怖と焦り。けれどそれだけではないことに気付いてしまう。
この期に及んで、俺はまだ目を奪われていたのだ。月に照らされ、月を見据えて、厳しさを崩さない凛とした美しさを湛えた、あおい少女の姿に。
俺は何も知らない。けれど俺には、目の前の少女がまるで幸運の青い鳥、いやそれ以上、人生に一度だけの出会いのようにさえ感じていた。
彼女はもう目の前。
もはや思考とすら呼べない、頭のぐるぐる。
ああ、あとみっつもかぞえたら。おれとすれちがってしまう。
さん。
にい。
時が止まったのかと思った。
嘘のように時間が引き延ばされる。目に映る全てが、へたなパラパラ漫画のように遅く感じる。自分の脳みそが、かつてないほど速く動いているのだろう。
まず全力疾走1カウントぶん俺との距離を残して、目の前の2人が俺に気付く。
俺にとって魔法使いとしか言いようのない2人は、突然の闖入者である俺に、瞬間、虚を突かれたように見えた。はじめて目にした人間らしい素振りに、呑気にも安心してしまう。
道路の右側にいた俺は、黒ずくめではなく少女の進路上。
しかし俺に対する行動が早かったのは黒ずくめの方だった。先ほどの生存本能の警告通り、容赦なく俺に攻撃を仕掛けてくる。やはり彼らは、一般人に見られてはいけない類の存在だったらしい。
左前から俺に撃ち出される4発の光弾。青い光を放つ炎、どころか、青い光を発する「エネルギーそのもの」とでも言うべき凄まじさ。俺は腰を抜かしてその場に尻もちをついてしまう。しかしそれらはすべて、肩幅1人分ほどの距離をあけて、左右に外れていった。走りながらで狙いが逸れたのだろうか。外れたというのに、骨まで焦がされたのかと思うほど熱い。
黒ずくめの弾丸がまだ飛んでくる。
そして、より緊迫感を増して少女も動く。彼女も俺を排除しにかかるのかと思った。それでもいいと思った。俺の言葉ぐらいでは表せないほど美しい彼女に、触れられるほど近く、青い輝きを放つ光の刃で俺を貫いてくれるなら。それを最後までみていられるなら。冥途の土産に持っていける景色として悪くない。非現実的で幻想的な夜を前にして、このときの俺は本気でそう思っていた。
けれど俺の考えが、今度は外れた。
少女は俺に向けて杖を振る。
情けなく地面に腰を下ろす俺の目の前に、青い傘が開いた。
いや、傘ではない。これは盾だ。これが少女の剣や魔法の弾丸と同じものであることに、そして少女が俺を守ろうとしていることに、まだ景色が超スローで見えている頭で気付く。
続けて撃たれていた黒ずくめの弾丸は、儚くも少女の護りによって阻まれる。
その時はじめて、杖を俺に向けてくれているままの少女と目が合った。
それは言葉を交わせるほどの時間ではない。けれど彼女の瞳は確かにこう言っていた。「もう大丈夫」と。
彼女はもう、狩人の目をしていなかった。得物を追い立てるものとしてではなく、他者を守るために、正面から剣を構えるものとして。それは言うなれば、侍の目だ。
先ほどまでの俺の内心での賛辞が嘘になるくらい、今の彼女の方がよほど綺麗だった。
ただ俺と彼女の出会いはそれだけだ。それだけで終わった。それ以上はできなかった。
俺のもとまで駆け寄ってくれる少女。彼女の右後ろ側。死角となる背後から、黒ずくめが迫っていた。俺の目の前に青い盾が開かれてすぐに狙いを変えたのだろうか。黒い影は再び青い光を凝集させ、超常の剣を形成する。
なぜそんなことを。
俺を守っている間は、彼女は無防備なのではないか。
最悪の予感が俺に降りた。
その瞬間に、景色が時間を取り戻した。非現実的なスローモーションは消え、俺は身体の動かし方を忘れたかのように不格好に、けれど全力で少女の元へ足を運ぶ。
俺が血相を変えて動き出したのを見て、少女はまず困惑し、そして、一瞬忘れていた黒ずくめの存在と、彼が取りうる次の行動に思い至ったのだろう。
しかし遅すぎた。
俺に駆け寄っていた少女。彼女へと走り出した俺。そして彼女の背後から光の剣を突き出す黒ずくめ。少女が振りむこうとしたとき、三者はほぼ同時に接触した。
まにあえ。
黒ずくめは斬撃ではなく、少女の胸を串刺しにするように、全力で踏み込み、槍のような刺突を繰り出した。
同時に、俺も少女の横へ。より黒ずくめに近い、少女にとってのすぐ右側から、右腕を突き出して飛び込んだ。
振り向きざまの少女の胸の中心に、間近で見ても現実感のない光の剣が突き刺さる。
その拳一個ぶん手前で、俺の掌がそれを受け止める。
一瞬で青い光は俺の掌を融かした。皮膚も肉も骨も関係ない。
熱い痛いダメだこわいダメだあついいたいいやだいやだいたい
あたまのなかがまっしろになる。
しんじられないくらいになきさけんでいるはずなのに。どうしてだろう。なにもきこえない。
けれど、そのまま青い輝きが俺のてのひらごと、少女の胸へ届きそうになるのを見た。
それはだめだ。
俺は、穴が開いたまま光の剣に貫かれている腕を、歯を食いしばって前へ。
剣の軌道を逸らせればなんでもいい。
俺は剣によって縫い留められた腕を前に出す。黒ずくめはなおも少女に剣を届かせようと、横に剣を押しやろうとする俺に抵抗して、剣を前へ。俺の掌に開いた穴は、そのまま肘の方へ広がる。骨に沿わせろ。途中で抜けたら簡単にやられる。けれど信じられない大きさの熱でもって、血液が蒸発し、肉と骨と神経があっというまに融かされていくのがわかる。
いたすぎる
でもこのままだとまだ少女に届いてしまう。腕の一本くれてやる。もっと前へ。それだけの時間があれば少女は最善の行動を取れるはず。
肘まで開いていた穴が。いやもうそれは、掌を始点にして、腕を縦に裂かれた線と呼ぶべきものだったが。それが肩まで開く。
ああああああああああああ
まだ続く。一直線に突き出した腕一本で足りない。なら、このまま体ごと前へ。
ああああああああああああ
それは、青い光剣に触れた、永遠にも思われた約1秒。
その瞬間、黒ずくめが消えた。
いや、吹き飛んだ。
俺の右腕が落ちた。
それだけがわかる。
涙を湛えた少女の顔が目の前にあった。
よくわからないおんなのこ。けんもできる。まほうもつかえる。まもってくれる。
かみさまみたいにきれいで。おおかみみたいにかっこよくて。なつのみどりみたいにやさしくて。
このこははじめてなのに、こんなにむねがあつい。
もう、あんまりかんがえられない。
なにもみえなくなってきた。
きれいななみだのかおがさいごまでみえる。
すごいきれいだな。
視界はそこで途絶えた。
「はあ、はあ、はあ、はあ。」
音が戻っていた。俺はベッドの上にいた。跳ねるように上体を起こして目を覚ました俺は、悪夢だとしても考えられない量の冷や汗をかいていた。
視界には、シンプルなクローゼット、レースカーテンだけが閉められて朝日を取り込んでいる窓、高校の制服を掛けている扉。それらは、俺が今いる場所が自分の部屋であり、この時間が何の異常もない日常の始まりだと示していた。
「夢か……。」
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