第15話




 フーゴ・パントロンのことは知っていた。


 宰相の嫡男、フォール第二王子の取り巻きの一人、筆記試験は、二位の秀才、黒髪黒瞳銀縁眼鏡。筆記試験三位のノーマン・ネイルは親近感を覚えていたことも確かだった。


 しかし、最もノーマンの記憶に鮮烈に残ったのは。


 フーゴが調子を崩し、一度だけ、自分が筆記試験で二位を取った時のことだった。


 順位が張り出される掲示板の前で、武に疎いノーマンでさえもわかるほどの殺気を感じた。振り向くと、自分と同じ武に疎いフーゴが見ていた。


 その表情を、なんと表現したらいいだろう。絶対に許さないと決めていながら、怒りを撒き散らすほど直情的にもなれず、握り締めようとする拳にも握力が無い無力な子どもが、殺意だけを決めているような。


 興味を持った。


 ノーマンは、学園の生徒を全員知っているが、とりわけ面白いと感じた者についてはさらに知ろうとする。副会長ヴェリート・ヴェロ・クオーレがそうだし、その執事のディアーヴォ・ル・ヴォトムがそうだ。


 第二王子を含め、他の取り巻き達には興味は湧かなかったが、己と似て非なるフーゴには興味を持った。


 ――君のことは、知っていた。


 ノーマン・ネイルは正常な者を装う変態だ。彼から見れば、フーゴ・パントロンは智者を目指す小賢しい子どもだ。


 ノーマン・ネイルは図書の知識にも興味を持つが、それ以上に人に興味を持つ。


 フーゴはフォール王子の役に立つため、学園の有力な生徒の情報、実家の力の程度を頭に詰め込んでいる。


 しかし、ノーマンが生徒の一人について問われたならば、実家と筆記武術魔法の成績、希望進路まで教えてくれるだろう。


 それが彼の『ある程度』だ。


 そんな彼が『知っている』というならば、女性ならば身長体重スリーサイズはもちろん、思い人も、初体験の存否も相手も、信条もトラウマも知られていると思うべきだ。ヴェリート嬢に関しては、ディアーヴォから全力で隠されてはいたが。


 男性ならば、物理的な事実よりも内面に興味を持つ。ノーマンが女性の数値や過去の情報を知ろうとするのは、内面に隔たりがあり過ぎるからだ。違う生物であると、正しく理解している。


 ――君が、その戦術にたどり着くだろうということは知っていたよ?




 激しくナイフを前後させ、腹を滅多刺しにするつもりのフーゴ。


 動きを決めている、とは、その動きしか出来ないということだ。ノーマンがわからなかったのは、右から来るか左から来るかだけだった。


 左から来るのを見てとって、両手をフーゴへとかざす。


 フーゴは、ノーマンの腹しか見ていない。




 ノーマンはフーゴを、臆病で自尊心が高く、知恵も回るが知恵者を気取ることに酔ってしまいがちで、自分以外も思考するのだということを見落としかねない、未熟な才子――字のままに才のある子どもと結論付けた。


 性格で言えば卑屈。彼が尊敬しつつ恐怖していた父の宰相が原因だろう。父に見捨てられることが何よりも怖く、見捨てられない自分であることが何よりのモチベーションだった。傲慢に見える面もあるが、それは卑屈な己を他人にも自分にも見せないようにする虚飾だ。


 モチベーションの性格ゆえに仕方ないのだが、落ちることに異常な恐怖を示す。


 成績が下がること、順位が落ちること、殿下をはじめ他人からの評価を損なうこと。


 進路希望は学園を卒業して科挙を受け、文官として評価されることを何よりも望んでいるが、科挙を受けることを何よりも恐れている。


 不合格だったら? その翌年も不合格だったら? 翌々年も不合格だったら? 秀才として学園で評価していた他の生徒達からどう思われる?


 不合格が続き父に見捨てられたら? 自分よりも下の順位だった生徒が合格したら? 殿下にどう思われる?


 もしかしたら、宰相の父のコネで合格に出来るかもしれない。殿下の役に立っていたことで、それを評価されて合格出来るかもしれない。


 そんな卑怯な真似はしたくないと思いつつ、不合格が続き後ろ指を刺されるぐらいならとも考えてしまう。そしてその続きを、もしコネでも評価でも合格出来なかったとしたら――を考えてしまう。


 ――虎にでもなるんじゃないだろうか。


 ノーマンは、フーゴを知ってからちょっとだけ本気で心配になった。


 フーゴの結論付けた通り、実戦で相手を倒そうと、傷つけようと、殺そうとすることに『向いていない』者はいる。そういう人間に至近距離で殺意を持って攻撃したなら、大抵の者は怯む。今までのフーゴの戦績通り、大抵の者には勝てただろう。


 しかし、そう考えているとバレているなら。


 ノーマンが『知っている』なら。


 相手がその戦術をわきまえた上で行動するなら。取れる手はいくらでもある。




 ノーマンは、フーゴに両手をかざしたのではなかった。予定通りに、頭を下げてノーマンの腹に突撃してナイフを刺そうとするフーゴのその頭を両手で掴み、自身の右膝を跳ねさせた。


「ファイア」


 フーゴは、己の『向いていなさ』から、ノーマンの表情から目を逸らすために下を向いて突撃していた。跳ね上げられた膝は、燃えていた。ノーマンはフーゴの頭を掴んだ両手から火の初級魔法『ファイア』を放った上で、下を向いたフーゴの鼻と前歯を膝で砕いた。


「あが! が!」


 フーゴが呻く。


 頭の魔装を両手のファイアで削り、膝で物理的なダメージを与える。人体最硬の部位で、人体最弱の部位を砕く。


 ナイフの連続突きは二回ほど刺さったが、体重も乗らない腕だけの前後運動では、ノーマンの魔装は削り切られない確信があった。


「君は、未熟だったよ?」


 才子、才に溺れる。まだフーゴは、相手が己の戦術を把握している想定が出来るようにはなっていなかった。それを知ってこそ、戦になる。


 今まで勝てたのは『向いていない』人間が『向いていない』ゆえに、フーゴほど真剣に取り組んでいなかった結果だ。


「でも、向いていないと理解しながら、それでも本気で取り組む姿勢は評価に値するよ?」


 ノーマンも、この一週間を本気で取り組んだ。アラン・キーファカに自ら殴られ、殴られる中で怯まないように慣れ、接近して来るであろうフーゴに対し、五パターンのカウンターの取り方を実践レベルで身体に染みこませていた。


 ノーマンは勝利を確信しながら、残心を行うようにステップバックして距離を離し、前のめりに倒れるフーゴを眺めていた。


 ノーマン・ネイルはフーゴ・パントロンを『知っている』のではなく『知っていた』。


 一度興味を持って、呼んで興味を失った本を本棚にしまうように、すでに数か月前に興味を失っていた。



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忠義の執事が背く時――忠誠を誓ったのは、子どもの頃の話ですよお嬢様? 松明ノ音 @taimatsu1

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