陽炎
ハヤシダノリカズ
陽炎
昼間の熱を蓄えている石畳、その上に鎮座しているむわりとした空気の中をオレは歩いていた。夕暮れの薄闇の中、気まぐれに立ち寄った神社は木々に囲まれ
鳥居をいくつかくぐり、本殿に参詣する。手を合わせ「こう暑いと神さんも大変かもな。何がどう大変とかは分からないけど」と頭によぎった事をそのまま口にしていた。思った事をそのまま口にしてしまった事にハッとして、辺りを見回して誰もいない事にホッとして、願い事でも決意表明でも感謝でもない事を神に呟いた事を思い返して『オレ、ちょっと疲れてるな』とため息をつく。
誰もいない薄闇の境内をぐるりと見渡すと、本殿の脇にはどこかの末社であろういくつかの小さな
チリーンとどこか遠くで鈴が鳴っている。いや、遠くのようであり、すぐそばのようでもある。揺れる布、鈴の音、これらはオレのいつかの記憶を掘り起こさせる。そうだ、ただ一つのナニカだけを揺らし続けるこれは、あの時と同じ風だ。
「やぁ、久しぶりだね」突然声をかけられて、オレはビクリと身体を跳ねさせる。そして、その声の主に向き直り「あぁ、久しぶりだな」と答えた。声をかけて来たソイツの事を何一つ思い出せないのに、まるで自然な振る舞いで、オレはソイツと話を続ける。
「今年の夏も暑いねぇ」
「そうだな」
「でも、これほど暑くなってきたのは最近のことだよねぇ」
「そうか?」
頭にモヤがかかっているようだ。気の利いた事がまるで言えない。これじゃ新入社員の話術を笑えない。
「そうだよ、キミのお父さんが小さかった頃は、もっともーっと過ごしやすい夏だったさ」
「そうなのか」
「まぁ、山や森の中は昔とそれほど変わらないんだけどね。町の中ってのはどんどん暑くなってるねー」
「オレが小さかった時もこんな感じだったように思うが」
「そうだね。キミと初めて会った時も夏だったよね。自分の背丈の倍以上もある捕虫網を汗をかきながら振り回してた。確かにあの時も今と同じくらい暑かったね」
「よく覚えているな。オレはよく覚えてない」
「まぁ、記憶力はいい方だよ、僕は」
「うらやましいよ。オレの記憶力はポンコツだ」そう言いながら目の前のコイツを一所懸命に思い出そうとする。オレはコイツを知っている。そうだ、何度か会っている。その度に話をしていた。しかし、コイツは誰だ。誰なんだ。
「僕は忘れないんだけどさ、僕は忘れ去られやすいんだよね」目を落とし、寂し気にそう言う姿に『そんな事はない』と言おうとして、オレはその言葉を飲み込んだ。今も思い出せないコイツとオレの関係性。いつ会った?何を話した?果たして名乗りあったのか? オレはコイツの事を忘れ去ってはいない。でも、すぐに探し出せる記憶フォルダの中にコイツの詳細はない。オレはコイツを知っていて、でも、何も知らない。ただ、久しぶりに会えたという懐かしさだけがある。
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ」
「なんだよ、気持ちの悪い。オレは何も言っていない」
「あぁ、そうだね。そうだったね。ゴメンゴメン。僕の悪い癖が出ちゃった」
「そういえば、オレ達は名乗りあった事があったか?」
「ふふっ、何度目だろうね、そのセリフ。キミの名は鈴木達也、良く知ってるよ」
「スマン、何故か忘れてしまったんだ。名前を教えてくれよ」オレの名をしっかりと覚えてくれているのに、こちらはまるで忘れているという申し訳なさで、おれは身体を小さくしながらそう言った。
「僕の名は――だよ。ごめんね、人間にはこの――が聞き取れないみたいで、いつもこうなっちゃうんだ」その美しい音の響きがコイツの名のようだが、オレにはどうしてもそれが聞き取れない。
「たっちゃん、キミは昔僕の事を『みこっちゃん』って呼んでくれていたよ。僕らは人間に忘れ去られちゃうと消滅してしまう存在なんだよ。だから、『みこっちゃん』でもなんでもいいから覚えてくれると嬉しいな」
「『みこっちゃん』……? あ、神様?」幼い頃の記憶がブワッと蘇る。
「ふふっ、普通に話かけてくれて嬉しかったよ。それじゃあ、またね」
チリーンとどこかで鈴が鳴っている。揺れる布、鈴の音、いつだったかこんな事があった。そうだ、ただ一つのナニカだけを揺らし続けるこれは、あの時と同じ風だ。みこっちゃんだ。
……、ん?あの時っていつだ?
……、みこっちゃんって誰だ?
無風の蒸し暑さの中、オレは空を見上げた。
陽炎 ハヤシダノリカズ @norikyo
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