山の日
~ 八月十一日(木祝) 山の日 ~
※
旧制高校の生徒がこぞって身につけていた
という、くたびれ破れた服や帽子。
そこから、身なりに気を使わないことを指す。
雄大、という程の物でもない。
我が家から見える山と森と田んぼと畑。
緑と茶とで作られた景色。
それと、なんら変らないはずなのに。
どうしてだろう。
この場所から見るのが本当の山。
この場所で吸い込むのが本物の空気。
俺にはどうにも。
そう感じてしまうんだ。
婆ちゃんの家の縁側に座り。
小川で冷やしたスイカを齧る。
情けは人の為ならず。
そう教わった十数年前となんら変わらない。
昼は蝉がうるさくて。
夜はカエルが大合唱。
今時、当たり前のようにギンヤンマが飛び交うここは。
時の流れとは切り離された。
人があるべき姿に戻る本当の世界。
「それが証拠にさ。時間の流れがまるで違うと思うんだよ」
「た、確かに。まだ十時なんて信じられない……」
里帰りとひとの言う。
そんな景色に間違い探し。
こいつは、この地となんら結びつきの無い。
……さらに。
間違いは二カ所あります。
「……通常、脳をフル回転させるほど体感時間が短くなるのだ。何も考えず、目と心を休ませるこの環境において時がゆっくり流れるのは当然だろう」
秋乃と凜々花のあいだっこ。
そこだけフランスの田園風景に描き換えてしまっている春姫ちゃん。
今日は、凜々花に借りたショートパンツにタンクトップといういで立ちだから。
念願のスイカかぶりつきに心おきなく挑んでるんだが。
お隣りさんと比べると。
豪快さに欠けて小さくまとまりすぎていると評価せざるを得んな。
「ハルキー! スイカの種は、ごと口ん中にぶっ込んどいてぷぷぷってすんよ!」
「……やってみたい好奇心より、しばらく口の中に種が滞在する抵抗感の方が上回る」
「あ、あたしも苦手……。なんだか悪いことしてるみたいで……」
「ほほ。遠慮せんで、お嫁さんも何でも出すがよかろ」
「た、タネ以外に何を?」
「タネでも愚痴でもへでも、好きなだけ出すがいいん」
スイカのお代わりをよっこら運びながら。
相変わらず秋乃のことをお嫁さんと呼ぶ婆ちゃんが縁側にやってくるなり。
秋乃をわたわた踊らせる。
「婆ちゃん、そりゃ失礼だ。女子は、高校卒業するまではへが出ないんだぞ?」
「あんれそうじゃったんか。そいで謎が一つ解けた」
「謎?」
「うん。ばあは中学校までしかいっちょらんから、へなんかついぞ出たこと無い」
「ワオ、おとめ」
俺と婆ちゃんとの会話は。
親戚一同の間じゃちょっと有名で。
一日中ボケ倒す婆ちゃんのリズムがちょうど合うのか、俺もうまいこと突っ込めるから。
こうしてみんなが大笑いしてくれるんだ。
「婆ちゃんも座ってスイカ食えば?」
「縁側に一旦座ると立つのが難儀じゃ」
「そうなんだ。じゃ、立ったまま食えば?」
「おとめにそんなことできるかの」
なるほど仰る通り。
でも、こういう時はホスト側より食べるの抵抗あるんだぜ?
……まあ。
四切れ食った人間のセリフじゃねえと思うけど。
「ばあちゃん! 凜々花、もう二個食いてえ!」
「どうぞ召し上がれ。ほれ、外人さんもお嫁さんも、どうぞ」
「え、でも……。お婆様の分が……」
そうだよな。
じじばばは、無限に孫に優しいから。
ついついわがままが当たり前になりがちなんだけど。
ごく当たり前の感情を抱いた秋乃のおかげで思い知らされる。
そうだよ、婆ちゃんも食べな。
俺も同意したんだが。
婆ちゃんは皺を目尻にたっぷり寄せながら。
変なことを言い出した。
「遠慮せんで。善人は、よそじゃええことじゃがの? 家ん中だとようないのん」
「え……? ど、どういうことです……、か?」
「悪人になりなされ言うたんよ、お嫁さん」
「だ、だめですよね、悪人になったら」
……俺の人生の指針や拠り所。
いわゆる『いいはなし』をいくつもくれてきた婆ちゃんが。
悪い事しろと言い出すなんて。
「どういうことだ?」
「立哉ちゃん、善人でいるかの?」
「そうでもねえけど……、そうしたいとは思ってる」
「わるさを懲らしめて歩くんが善人じゃろ」
「そうな」
「それが家にけえってきてみ。お嫁さん、魚焦がしとったら叱らにゃいけん」
おお。
確かに、そんな言い方するもんじゃない。
勧善懲悪を。
善人を家に持ち込まないってのはそういうことか。
「魚焦げとるん、おつむがサボっちょるとなるんじゃが、それをサボれサボれ言う悪人が家ん中じゃ良いのん」
「なるほど。そしたら焦がした方も……」
「そうじゃの、サボれなんちゅう相手は悪人じゃ。それを叱るなんて善人は家ん中じゃいらん」
いやはや。
婆ちゃんの引き出しに際限なし。
一体、これから何日話しを聞けば。
人生訓を学びつくすことができるのだろう。
秋乃も春姫ちゃんも。
目からうろこを落としたよう。
表情を無くして瞬きもせず。
この生き字引を呆然と眺めるばかり。
やれやれ。
これじゃほんとにスイカがあったまっちまう。
「おい、一つしか食ってねえんだから。お前が食えよ」
そうしなさいと婆ちゃんに勧められるがまま。
秋乃はスイカに手を伸ばす。
そして。
さっそく婆ちゃんの教えを実践し始めた。
「じゃ、じゃあ……。悪人になってみる……」
「スイカごときで悪を語られても」
「だいじょぶ。これ、最強にワル……」
そう言いながら、秋乃は種ごとスイカにかぶりつき。
「お? 確かにワルだな」
口をモゴモゴさせて。
種飛ばしにチャレンジしようとしたんだが。
こいつ、吹き出すのに失敗して。
口からスイカの汁を少しこぼした後。
もごもごむぐむぐ、ずっと口を動かし続け。
「不器用か」
そして何度か気合を入れて唇を尖らせては。
上手くできずに首をひねり。
そしてとうとう。
全神経を研ぎ澄まして腰を浮かせて身を乗り出すと。
「うはははははははははははは!!!
……その時なにがあったか。
説明することはできない。
なぜなら。
俺は既に記憶から消したから。
それが彼氏の嗜み。
男子として当然の義務。
だから婆ちゃん。
言ってやりなさんな。
「あんれお嫁さん。高校卒業おめでとさん」
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