八丁味噌の日
~ 八月三日(水) 八丁味噌の日 ~
※
宝の持ち腐れ。
「八」
「はい」
「橋」
「はい」
八にまつわる何かを小さな女の子に渡したら。
橋を掃除しなければならなくなった。
他人の記憶を探す旅。
俺が体験した二度の冒険は、それぞれ自分も関係者だったわけだけど。
「その場にいなかったんだろ? あんた」
「その通りなのです」
これを頼んだ、花屋のにいさんの知り合いさん。
なにをどう思ってこいつに頼んだのだろうか。
そしてこいつは。
なにをどう思って引き受けちまったんだろうか。
……さらに。
どうして俺は、そんな無理難題を手助けしようと思うに至ったのやら。
自分自身。
理解不能。
ワンコバーガーの休憩室。
カンナさんの配慮で、本日二度目の休憩を取っている花屋のにいさんの前に。
こんなことが手助けになるかまるで分らんが。
ずらりと並べた、『八』にまつわるエトセトラ。
はちみつ、米、タコ、八つ橋。
そして。
八丁味噌。
「このおでん、美味しいのです。八丁味噌が実によいお味」
「そりゃよかった」
「保坂君のお宅、こちらのお味噌を使うのですか?」
「信じがたい話だろうから信じる必要はないが、八丁味噌見つめてたら、つい買っちまった」
「普通のことだと思いますけど」
「普通?」
昨日から、ずっと感じるシンパシー。
この人、俺の非日常的な境遇や感性を。
どうしてここまで汲み取ってくれるんだ?
「普通ですよ」
「あんたも料理作るのか?」
「いえまったく。でも、見つめてたら料理を作りたくなって、買ってきちゃったのですよね?」
「そう。普通じゃねえだろ?」
「いえ普通です。先日同じ理屈で、我が家の前に牛が一頭繋がれていまして」
「普通じゃねえっ!!!」
牛!?
うし!?
「うしって、あの牛?」
「はい。焼肉の、タレじゃない方です」
頭いてえ!
八丁味噌をたっぷりつけて。
こんにゃくを頬張る花屋の兄ちゃん。
美味しくいただいてるとこ悪いが
そいつはいただけねえ。
やっぱりシンパシーとやらは錯覚だったのか
思わず突っ込もうと席を立った丁度その時。
おそらくキッチンから。
休憩室にいても耳をふさぎたくなるほどのがなり声があがる。
「おい秋山! 休憩終わってるぞ!」
「はいはい、もうそんな時間ですか。よっこらしょ」
花屋のにいさんは、どうやらここで仕事をしていた経験者だそうで。
カンナさんの罵声に驚きもせずキッチンへ。
そして夏らしい縄のれんを潜った先で。
どうしてちょっぴり休憩時間をオーバーしたくらいであんな怒鳴り声をあげたのか、想像に難くない状況が目に飛び込んで来た。
「ありゃりゃ。舞浜さんを𠮟りつけていた勢いが俺に向いたのですね?」
「ああん!? 妙なこと言ってねえでレジに立て!」
「いえ、そういう訳にはいきませんよ」
「なんで!」
「だってカンナさん、その手にした包丁で舞浜さんを生け作りにしてしまいそうなのです」
「こいつが出しっぱなしにしやがったんだ!」
高校生バイトが多いせいで。
この店にはいくつものルールが存在する。
仕事を上がる時刻。
バイト開始時には親に電話。
そして。
刃物は、使いっ放しで離れない。
そんなルールをちょいちょい忘れるこいつは。
いつまで経っても、こんな簡単なルールを覚える事が出来ないのは。
滅多に包丁なんか握らないせい。
さては凜々花にいいとこ見せようと。
調子に乗ってキッチンに入ったな?
答えは明白。
秋乃の犯行に間違いなし。
……でも。
ポイント稼ぎ中の身としては。
こうするより他に術はなし。
「あー、カンナさん」
「お前もサボってねえでレジに出ろ!」
「いや、一つ考えてみてくれ。キッチン仕事を言いつけられる度にフロアに逃げて紙ナフキンを一枚一枚ケースに詰め直し始めるこいつが包丁なんか使うと思うか?」
「じゃあ誰の犯行なんだよ! 貴様かバカ兄貴!」
「いやちげえけど」
ここは犯人不明で誤魔化すのが良策。
俺は最善の一手を打ったつもりだったんだけど。
横から飛んで来たトンビに。
油揚げをさらわれた。
「ああ、それは俺がやりっぱなしにしたのですよ。カンナさん、舞浜さんを叱っちゃかわいそうなのです」
そんな花屋のにいちゃんに。
だれもが、おおと目を見開く。
でもさ。
そいつは失策だぜおにいさん。
これが秋乃を救うウソの供述だということは火を見るより明らか。
だから、カンナさんは一層怒り出す。
「お前が包丁出した!? そんな見え透いたウソが通用すると思ってんのか!」
「ほんとなのですよ。それより、お客さんがカンナさんの声にドン引きなのです」
「うぐ」
「お客様も待たせてますし。ここは社訓をも一度言ってお開きにするのです。はい、包丁は出しっぱなしにしちゃいけないの。小太郎君が鼻の上に中二っぽい傷作っちまったからなの。ちっとかっこいいの」
「そんな社訓はねえ! あいつが勝手に作った面白格言集引っ張り出すな!」
「その格言で叱っていたのはカンナさんなのです」
「うぐぐぐぐ」
なんと、このトンビ。
とうとうカンナさんを黙らせちまった。
悔しいがこれは認めざるを得ん。
「すげえや」
「別に凄くはないのです」
「ああもういつまで駄弁ってんだ! お開きにするからとっととレジに出ろ!」
「はい」
「うい」
未だ怒りんぼモードのカンナさんにお尻を蹴られながら。
それでも清々しい気分で外に出る。
日本人ならではの感性というか。
勧善懲悪ってやつは実にいい。
とは言えカンナさんも可愛そうではある。
お詫びがてら、張り切って行列をさばきますか。
そう思いながらレジに立つと。
「なんだ? もう終わりか?」
「これから面白いことになると思ったのに……」
「最近めっきり減ったからな、このドタバタ喜劇」
「つまらんな、帰るか」
……席の皆さんがお帰りになるのはともかく。
並んでた客までUターン。
「おいこらお前ら。これはどういう了見だ」
「それを俺に聞かれても」
「困ってしまうのです」
変な店員しかいないから。
こんな客ばっかり集まるんだ。
絶対俺のせいじゃない。
俺以外のみんなのせい。
「こうなったら……、保坂じゃダメだな。おい秋山」
「久しぶりなのでどうなるか分かりませんけど」
そして客が一気にいなくなったお店から。
びっこを引いて外へと出ていく花屋のにいさん。
一体何を命じたのかとカンナさんに問いただそうとしたんだが。
そんな暇もないほどに。
あっという間に出来上がる長蛇の列。
「どどど、どうなってんだ!?」
「細けえこと気にしてねえでとっととさばけ! こら、バカ浜もレジに入るんだよ!」
「は……、はい!」
一体どんな魔法だこの騒ぎ。
でも、カンナさんの言う通り気にしてる場合じゃない。
俺は秋乃と二人で、一時間くらいだろうか。
必死にレジを打って、なんとか行列をさばき切る。
そしてようやく一呼吸つけるとばかりに。
同時に深く嘆息すると。
「あ、秋山さんが外に立つと、あっという間にお客様が寄ってくる……」
「いや、にいさんのせいじゃねえだろ。ただの偶然に決まってる」
「そ、そうかも……。だって、本業の方はお客さんが全然来ないって……」
「だからバイトしてるんだもんな。……でも、もしあいつの手際だとしたら」
「絶対に、進路間違ってる……」
なんという宝の持ち腐れ。
そんなことを考える俺たちの前に戻って来た花屋のにいちゃん。
疲れ切ったその顔に。
秋乃は深々とお辞儀する。
「さ、先ほどはかばってくれてありがとうございました……」
「なんでしたっけ? それよりちょっと足が辛いのでもう一度休憩取らせてください」
「はい、カンナさんに言ってきます」
そうだった。
この人、秋乃のこと庇ってくれたんだよな。
すっかり秋乃の中で株をあげたにいさんだが。
でも、そんな親切がきっかけで。
その後偶然が重なって外に立たされるとか。
可愛そうなことこの上ない。
俺は、にいさんに肩を貸しながら。
ふと気になったことを聞いてみた。
「……なあ」
「はい、なんでしょう」
「今日のそれは?」
「ニチニチソウと言いまして、キョウチクトウ科の……」
「いや、そうじゃなくて。……花言葉」
「揺るぎない献身」
「うはははははははははははは!!!」
しょうがねえから。
俺は、全力でこいつの探し物を手伝ってやることに決めた。
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