橋の日


 ~ 八月四日(木) 橋の日 ~

 ※頓首再拝とんしゅさいはい

  敬意として用いる、手紙の締め言葉。




 田んぼの真ん中、小川にかかった扇型は。

 木工ハンマーひとつで簡単に壊れそうにも。

 巨大な鉄球が落ちてもケロッとしているようにも見える。


 そんな、そこにあるのが当たり前と言った風情の、時代がかった小さな橋も。


 今日が最後に、その日記帳を閉じることになる。


「よくもってたな、これ」

「でも、まだ何百年もこのまま平気そうにも見える……」


 古い橋を地面から抜いて。

 代わりの橋を準備するまでの一週間。

 すぐ隣に仮の橋を架ける。


 そんな工事に、ご近所からそこそこの人数と。

 小型ながら、本格的な重機が集まって来ていた。


「この橋はの。特別でね?」

「石が違うのか?」

「笠編みのおじちゃんが言うには、遠くまでお手紙を届けてくれるんじゃ」


 みんなが使う橋ではあるが。

 ここは田んぼのど真ん中。


 所有者は田んぼの主で。

 今はこのお婆ちゃんの物ということになる。


 そして、笠編みのおじちゃんというのは。

 おばあちゃんが聞かせてくれる昔話によく登場する。


 おばあちゃんにとってのお父様。


 変な呼び方だけど。

 昔はそんなものだったのかもしれない。


「手紙を届ける?」

「そう。笠編みのおじちゃん、お嫁さんを貰うことになってな? でも、お隣の家のお姉さんを好いとうたのよ」


 お婆ちゃんのお父さん。

 そんな時代の婚姻だ。


 世間体やらなんやらで。

 顔も見たことが無いお相手との結婚を家が進める、なんてことが当たり前だったことだろう。


 でも、この感じだと。

 それが覆ることになったに違いない。


「けど、思いを込めてこの橋から笹船を流したら、神様に願いが届いたって。急に破談になったんじゃ」

「おお」

「じゃが、祝言まで間近なもんだから慌てて別の嫁を探さにゃとなって、笠編みのおじちゃん、お隣りの姉さんを口説いたそうなんじゃよ」


 それがお母様だというのにお隣りの姉さんか。

 お婆ちゃんの話はメインストーリーもさることながら、三人称が実に面白い。


「神様に手紙が届くのか。じゃあ、俺も手紙を流そうかな?」

「ほほほ。あたしは信じちゃいないけどな?」

「おい」


 こんな話しといてなんたる現実主義。

 笠編みのおじちゃんも浮かばれねえぞ。


「けんど、こんだけ丈夫な橋だ。案外ホントに神様が宿っているかもの」


 そう言いながら、おばあさんが見つめる先で。

 橋が地面から掘り起こされていく。


 それと同時にワイヤーが巻かれ。

 重機のアームに連結された。


「そしたら、パン屋のお向かいさんよ」

「へいへい」

「お隣りに橋を渡すのを、手伝ってくれるかい?」

「……それは花屋のお隣りのお隣りさんがやってくれるらしい」

「お、お任せください……!」


 火曜日と木曜日。

 ジョギング中、十分間のお楽しみ。


 橋のたもとの大黒様に。

 お米を供えるお婆ちゃん。


 その昔話をこよなく愛するこいつ。

 舞浜まいはま秋乃あきのが。


 我こそはとばかりに手をあげる。


「おや、お嬢ちゃんが手伝ってくれるのかい?」

「いつものお礼に、なんでもやります!」

「じゃあ、向こうにいるおはぎやさんのとこまでロープを投げたって」

「ひい」


 思わず吹き出しかけちまった。

 走る持ち上げるとかの単純作業はお手の物なのに。


 ちょっと複雑な運動がまるでトンチキな秋乃さんに。

 投げる、なんてテクニカルなことできるはず無い。


「お前、ハンドボール投げの結果、たしか……」

「マ、マイナス15センチ……」


 しょげる秋乃が一瞬の間をおいて。

 言い訳フェイズを開始する。


「上には随分飛んだの」

「知ってるよ。お前は宇宙から見たら、時速1374キロもの速度で1144メートルもボールを飛ばしたんだ」

「なんてへたぴなフォロー」


 しまった、からかってることがバレちまったか。


 秋乃はムッとしながらロープに石をくくり始めて。

 俺の介入を手の甲ぺしんで追い払う。


「こら、俺がやった方が早いだろうに」

「こ、こっちはあたしがやるから、意地悪な立哉君はそっちやってて」

「そっちって言われてもな」


 もう、スコップ班はお役御免。

 小さいとはいえクレーン車なんか動かせるわけないし。


 できることなんて。


「掘り起こした橋を洗うことぐらいなんだけど……」

「だめだよおにい! 洗うのは凜々花の仕事なんだから!」

「ほほほ。ありがとうね、凜々花ちゃん」


 こいつも秋乃に誘われて。

 こうして出張って来たんだが。


 ただ誘われたから来たわけじゃなく。

 前金たんまり貰ってるから当然の事。


「柿の木の婆ちゃんには、秋になるとすげえ世話になるからな!」

「柿崎さんとなぜ呼べんのだいやしんぼ。すいません、こいつには渋柿だけ選って食わせてください」


 一度、好きなだけ食っていいよと言われたが最後。

 秋が来るたび、こいつのバイキング会場になってる柿の木が遠目に見える。


 お礼のお菓子代を工面する俺の身にもなれよ、カニさん。

 しまいにゃ臼に頼んでぺしゃんこにしてもらうからな?


「で、できた」

「そしてこっちはこっちで……」


 まずは一本成功させろよ。

 なんだその数打ちゃ当たる方式。


「投網か」

「ど、どれかはたどり着くはず……」


 五本ものロープの先に結んだ品々。

 石とペットボトルとミニダンベルと片方の靴とダイコン。


「一本ずつ投げろ。お前の腕力じゃそれでも荷が重かろう」

「そ、そこで脚力に頼ってみる事にしてみた……」

「はあ? 脚力?」

「そーい!」

「うはははははははははははは!!! 大回転!」


 五本のロープが遠心力で宙を舞う。

 そんなコマが、回転数をさらに上げ。


「そりゃ!」


 気迫のこもった声と共に対岸に。

 結果、向こう岸にたどり着いたのは。


 石とペットボトルとミニダンベルと片方の靴とダイコン。



 と。



 舞浜秋乃。



「うはははははははははははは!!! は、はらいてえ!」


 なんでお前まで跳んだの!?

 ロープごと全部そっち行ってどうする気だ!


 皆さんも爆笑して、恥ずかしそうに俯いちまってるけどこればっかりはフォローしようもねえ。


「ああもう、俺がやるからそっちで待ってろ」


 そう思ってジャンプしたら。

 天才・秋乃は、おもりを置いて本体だけ跳んでくるという至極当然のことに気付いたようで。


 よりにもよって、X軸とZ軸が重なって。

 小川の上でドッキング。


「いたっ! つめたっ!」

「い、以下同分……」


 もちろん二人揃って小川に落下。

 ひざ下までとはいえびっしゃびしゃ。


「おにい! 大変! おにい!」

「ああもう、あっちゃこっちゃ召喚するな!」


 全部ひとりでやった方が楽だったかも。

 そんなことを思いながら、秋乃からロープを奪って小川の土手を蹴上がって。


 秋乃を引っ張り上げてタオルを渡して。

 ようやっと凜々花のところに戻ってみたら。


「…………これは」


 抜かれて横たわる橋。

 凜々花が指差す、その裏側に。


 川を泳ぐ小魚やタニシだけが知っていた。

 小さな秘密が眠っていたのだ。


「読めそう……、だな」


 ほとんど均されて読み辛くはあるけれど。

 平仮名だけで彫られた手紙。


 その文言は。

 戦争を知らない俺の胸を。


 ぎゅっと締め付けたのだった。



 せんちのおとう

 とおくにいらっしゃるときいてます

 とおくというならさつまでしょう

 さつまのおいもはこうぶつだから

 てにかかえてもってきておくれ

 おばあのはたけのおいもはしろい

 いつまでまってもあかくうれん

 おかあもうれたおいもがこうぶつで

 くえんしまいにちないとります

 だからはようかえっておくれ



「…………まさか」


 俺は、恐らくこれを書いたであろう人へと振り返ると。


 しわくちゃな顔が、遠くの山を見つめながら。


 ぽつりと呟いたのだった。




「だからあたしは、この橋が手紙を届けてくれるなんて信じちゃいないんだ。……だって、お芋、戻って来んかった」




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 凜々花ですら。

 何かを思い、口をつぐんで歩く帰り道。


 秋乃が小声で。

 俺にささやく。


「……立哉君は、手紙を書けるとしたらどうしたい?」


 不意の質問に、色気のある返事を置ける俺じゃない。


 だから口をついたのは。

 最近で一番の関心ごと。


「……昔、誰かが女の子に八の字の物を渡したらしくてな?」

「へ?」

「そのせいで、橋を洗わなくちゃならなくなったらしい」

「…………それが何の話か知りたいの?」

「ああ。そんな荒唐無稽も、神様だったら叶えてくれそうだからな」


 言っておいて、思わず苦笑い。

 きっとこいつも呆れる事だろう。



 そう思っていた俺は。

 まだまだ、舞浜秋乃というやつのことを。


 まるで理解していないのであった。



「じゃあ……。神様の代わりに、それ、あたしが探す……、ね?」



 そんな秋乃は。

 口を開きっぱなしにした俺に微笑むと。


 凜々花のもとへと走っていった。




 ……よし。


 俺のお願いは決まった。


 早速手紙を買ってきて。

 そこに、秋乃大百科が欲しいと書いて橋から流そう。

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