OVERDRIVE(後)

 たえが学校に姿を見せなくなった。知らぬ間に本部所属に戻されたらしい。怪我か単なる人事異動か、本部に理由を尋ねる気にもならなかった。

 寂しさと同時に、苛立ちも感じた。

 一言の挨拶もなしに居なくなった彼女にというよりは、心を通わせられたと勘違いしていた自分に対する苛立ち。

 ペアを失うのはこれで2度目だった。ここに来る前にペアを組んでた子はジュネーブ郊外で発生した不協和音オブジェクトの対応中、私を庇ってワームホールに落ちてしまったのだ。

「まいったなァ」

 音楽準備室で左手を蛍光灯にかざすと向こうが透けて見えた。この手だけが彼女を忘れない。存在確率の半分は沼地スワンプランドにあって、まだ確定していないのだ。この左手を見るたびに、もう2度とペアなんて組むものかって思っていた――はずなのに。

 練習していた曲の音合わせも、行きつけの楽器屋に一緒に行く約束も、全部なしになってしまった。ペアなんて不要だと思っていたのに、ペアはいらないという私の望みは叶ったことになるのに。

 なのに、どうして涙があふれるんだろう。


 項垂れていたところへ不協和音オブジェクト発生の連絡が入った。この前仕留め損なったクジラだ。管理官の勧めを無視し、私は強がりもあって一人で現場に急行した。

 場所は体育館地下の温水プール。

 夜のプールサイドには歩く私の足音だけが不気味に響いた。水銀燈が反射する水面は波一つ立たず、底は見えなかった。

「これは……?」

 私は思わず立ち止まった。水面に何かが浮いている。近づいてみるとそれは――。たえのピックだ。なんでこんな所に? 水を必死でかいて拾い上げる。

 次の瞬間、水面がぶくぶくと泡立ったかと思うと、ぶわぁああああっと大音量を響かせて不協和音オブジェクトが姿を表した。前回と同じ、暗黒クジラ。ぬめぬめと表面を光らせながら巨躯をひねり、螺旋を描いて天井付近まで舞い上がった。

「出たな!」

 私はギターを構え、攻撃準備体制に入る。クジラはすぐに大量の虹色クラゲをぶふぁっと放出。あっという間にクラゲに囲まれてしまう。

 まずはハードロックなリフでテンポよくクラゲを潰していく。体当たりしようとするクジラをチキン・ピッキングで牽制しつつ、共鳴ハウリングが怖いから高音は避けたい。そのせいで最後まで攻めきれない。

 一進一退、というよりは押され気味。クラゲの発生ペースが上がり、こっちも速弾きせざるをえなくなった。

「まだまだぁっ」

 威勢を張るも、やっぱり低音が欲しい。控えめに言って、苦戦。クラゲも減らないどころか倍々ゲームで増えていってる。

 厳しい。

 このまま続けてもジリ貧だ。

 次の攻め手を考えていたとき、ほんの一瞬クラゲの群れに穴が開いた。

「チャーンスっ!」

 と思ったら、なんとそこから暗黒クジラが突進してきた。得意の高速オルタネイトピッキングも間に合わない。万事休すだ。

 振動がプールの水面を泡立たせる。見えない波が瞬時に私を襲う。重心を落とし、必死でその場に留まった。

「ああっ!」

 後ろはクラゲの海。前は巨鯨。

「くっ」

 逃げ道を塞いで押しつぶすつもりか。

 視界いっぱいに広がるクジラの黒い体。やっぱダメ。

 気持ちわるぃ。

「あああっ……」

 もうだめかもしんない。悔しいなぁ。必死にギターを掻き鳴らす。

 迫る黒鯨。爆ぜる光子フォトン

 無念。

 ドスッドスッドスッ――!!

 次の瞬間、紫の火の玉が見る間にクジラの体を貫いた。ポッカリ開いた穴から向こう側が見えた。

「ゴメン。おまたせ」

 たえ!

 響く低音。16ビートの高速ナンバー。次々に発生する紫の粒子でクジラの体はあっという間に蜂の巣にされた。ぶりゅりゅりゅとクジラは悲痛な音を立てながら、穴を移動させ体外に出した。思っていたよりもだいぶ厄介なタイプだ。

「ほらこれ」

 彼女から手渡されたのはオーバードライブエフェクター。あーこれほしかったやつ。これは初期ロッドで内蔵のトポロジカル絶縁体の質がいい。「どこで?」

「話はあと。繋いでみ、飛ぶよ〜」

 彼女がウインクする。こんな顔、初めて見た。

「で、作戦はあるの?」

「あるある」

 たえは不敵な笑みを浮かべプールサイドの反対側を指さした。

「やっほー」

 ショルダーキーボードを片手に、駆け寄ってきたのはユカだ。助かる。クラゲを蹴散らしながら走ってきて合流する。3人いればなんとかなりそうな気がしてきた。

「さあ」

 たえがいつになく大きな声をあげ、私にギターを持てと迫った。彼女もベースを構え、弦を力強く指で弾いた。

「おっ?」

 次の瞬間、景色が加速し始める。

 4つ打ちのリズム。シンプルなベースライン。コードは――

「あーやっぱいいねこの進行」

 2人で作っていたあの曲だ。

 たえはすでに一人の世界に入ってノリノリで頭を縦にふっていた。生成された重力子がマシンガンのように虹色クラゲを貫いていった。

 私はブリッジミュートを効かせたハードロック系のリフから入る。それを聞いて、たえはうんうんと頷き目を輝かせた。3人でほんの一瞬だけアイコンタクト。

「ていっ」

 それまで8分でのオクターブで打ち込み風のラインを弾いていたたえが徐々にテンポを上げていく。

「いっくよー」

 ユカのバッキングが加わると、たえはルート音を彼女に預け、スラップを交えたファンキーなフレーズを弾き始めた。手癖のゴーストノートがかっこいい。

「ちょ、ちょっと走ってない?」

 私が言っても彼女は涼しい顔。

「エルマ。遅すぎ。そんなんじゃクラゲも捕まえらんないですよ」

 むかっ。

 でも確かに、私の奏でた光子フォトンは一直線にクラゲに向かって、全てかわされてしまっていた。ぐやじい。

「もうっ!」

 あっという間に大量のクラゲにとり囲まれていた。3人で背中合わせになり演奏を続ける。ぐんぐん距離をつめる虹色クラゲ。

 もう不思議と負ける気はしなかった。たえもユカも演奏の手を休める気配はない。背中からビンビン伝わってくる彼女たちの熱量。

 っていうかむしろ、テンポが上がってきてるし。

「やったろうじゃん」

 大きく息を吸い、呼吸を止める。

 そして、一気に弾き鳴らした。

「――ッ!!」

 鋭いストロークと少し肩の力を抜いたブラッシング。切れ味鋭いカッティングも入れてグルーブ感を出していく。ここから先、楽譜はない。

「どうだっ」

 開放弦のアルペジオも織り交ぜて曲に奥行きをプラス。

 ユカの音色に助けられ、ついに私の光子フォトンがクラゲをとらえ始める。ばちばちと音を立ててクラゲは霧消した。向こうの宇宙へ押し戻したときに出る光がきれいだ。

「まだまだっ」

 金属音とともに心地よく響くたえのスラップ奏法と、私のカッティングのタイミングが合うようになった。ユカのコード弾きも加わって、リズムと旋律、すべてが調和していく。ユカのやつ、いつの間にこの曲を練習してたんだ?

 3人の音がピタリ揃ったときは、めちゃくちゃ気持ちいい。

「かかった!」

 攻撃が功を奏し、クジラのトポロジカル数の固定に成功した。これでもうクジラはたえの重力子が開けた穴を体外に排出できなくなった。ぐぐぐんと苦悶の音を響かせる巨鯨。後悔してももう遅いっ。

 穴のせいで共鳴周波数が変わり、私の高音チョーキングが共鳴ハウリングを起こすこともない。満身創痍のクジラに、私は容赦なく光子フォトンを浴びせ続けた。

 私たちがいっそう激しく演奏を続けると、やがて黒い体は赤熱し、蝋のように溶けてぼたぼたプールに落ちた。

 暗黒クジラは見る間に崩壊し、あたりには静寂が訪れた。

「……」

 たえが頬を紅潮させ、こちらをぽかんと見た。

「すごい……」

「やった」

 額の汗を拭い、3人でハイタッチした。ついに不協和音オブジェクトを倒したのだ。


 その興奮も冷めやらぬうちに、私はたえに詰め寄った。

「なんで何も言わずいなくなっちゃったの??」

「ご、ごめんなさい」

 彼女は申し訳無さそうに頭を下げた。

「エルマに嫌われたかと思って」

「そんなわけないでしょ」

「――話、聞きました。ペア、組みたくない理由」

 彼女は私の左手を見つめた。

「ああ」

 私は手を握ったり開いたりしてみせた。

「別に嫌ってわけじゃないよ。ただ……もう失いたくないから。失うことになるなら、始めからペアはいらないやって。臆病なだけだね、きっと」

 たえは私の半透明な左手をとり、そっと胸に当てた。

「もう大丈夫」

「え?」

「私はここにいます。だから安心してください」

「あはは」

 たえはちょっとムキになって言った。

「本当ですよ。ずっとそばにいるから、怖がらなくていいんです」

 うまく言えない。たえの言葉に思わず胸の奥がきゅんとした。

「あ、ありがと。えへへへ。なんだか、恥ずかしい」

 私たちは微笑みあった。

「ところで、このプールの底に何があると思います?」

 たえの言葉に私が首を傾げると、ユカが八重歯を見せて笑った。

「にししっ。やっぱエルマは聞かされてなかったか」

「第3世代アインシュタイン−ローゼンブリッジ。この水もただの水じゃない。重水なの」

 ワームホールの遺構がプールの底に固定され今も24時間監視が続けられているという。たえはこの確認のために本部に戻ったのだという。

「一体、どういうこと?」

「レイラを再構成できるかもしれない。まだ少し量子データが足りないけど……」

 ユカが真面目な顔で呟く。私は彼女の両肩をつかんだ。

「ほんと!?」

 たえも嬉しそうな顔で私を見た。

「ああ。でもそのためには世界中の遺構に行って漏れ出ているホーキング放射を集めないといけない」

「いいじゃん、世界ツアーだねっ」

 私は即答した。

「もちろん、ユカも一緒に行くよね??」

「そうだねぇ」

「行きましょう、ユカさん」

「まあいっか。エルマがうるさいし」

「じゃあきまりっ」

 私はたえとユカの手を取った。

「もうペアはやめようって言ってたのに?」

 たえが何度も確認した。

「バンドだから、いいの!」

 私が言うと、たえが力強く握り返した。ユカもニヤリと笑った。

 2人の笑顔を見たら、ほっとした。

 この3人なら、どこへだって行ける気がする。

 私たちの音楽は始まったばかりだ。

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OVERDRIVE 嶌田あき @haru-natsu-aki-fuyu

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