弐周目続――契り

「今年の夏は、胡瓜がたくさん作れました。幾つかは塩漬けにするとして……お裾分けでもしましょうか」


 農作業を終えて、縁側へやってきたタキは籠の中にたくさん詰まった胡瓜を見せてきた。

 艶やかな曼珠沙華が描かれた着物では無く、柿色の着物を身に纏い、両袖が落ちてこないようにたすきで括っている。彼女が妖怪あやかしとして生まれたばかりの姿も、もちろん好きだが、彼女のこういう普段の姿も好きだなと改めて思う。


「……そろそろ麻多智またちも来る頃だし、あいつにでも持たせてやるのか??」


「ちがいます! 逢火おうび様に差し上げようかと」


 意地悪く言ってやると、頬を膨らませてそういうものだから思わず笑ってしまう。

 俺とタキが結ばれたきっかけの夜になったあの日から三年は過ぎたが、タキはまだ麻多智またちのことが好きでは無いらしい。

 あれから数日後、逢火おうびに留守を任せた俺たちは目覚めた麻多智またちを背に乗せ、都へと赴いた。

 タキは「お人好しすぎます」と小言をぼやいていたが、頼りにしていると伝えると「仕方が無いですね」と言いながら都まで共に行くことになったのだ。

 彼女は、俺が力を取り戻せば、人間程度の力しか出せないと言っていたから多少心配はあったのだが……彼女の「人間程度の力」というのは、どうやら自分基準だったらしい。

 俺と麻多智またちが旅準備をしている間に、二十日かかる道のりを二晩で駆け抜け、本来の姿に戻らないまま都にはびこっていた鬼達を一晩で全員ぶちのめし、どこかへ追いやってしまったのだ。

 帰ってきて全てを済ませましたと言ってのける彼女の言葉に対して、俺は慌てて麻多智またちを背に乗せて都まで送り届けると、平穏を取り戻した都がそこにはあった。

 麻多智またちがうまく帝たちを言いくるめたお陰で、姿を現さない恐ろしい戦女神いくさがみがいると都では彼女の噂が持ちきりになったらしい。

 そのことでタキの神としての格が高くなったことは予想外だったが、タキは「人であれば化け物ですが妖怪あやかしであれば神と称えられるのはおもしろいですね」と一言だけ呟いて不快そうに唇を歪めて眉を顰めた。

 普段はにこやかな彼女がああして人を蔑むような態度を取ったのはあの時だけだったように思う。

 俺たちが山へ帰ってからも、麻多智またちは都でうまくやったらしい。煩わしい使者や陰陽師の類いが俺たちの山へ来ることは、この三年間で一度も無い。

 ……あいつが訪ねてくること以外は、だが。


夜刀やと神、タキ神、今年も都からの供物を捧げに来たぞ」


 山へあいつが入っているのはわかっている。そろそろ屋敷に到着するころだろうと門の方を見れば、藍色の狩衣が目に入る。

 すっかり背の伸びた麻多智またちが背中に大荷物を背負ってこちらへ歩いてくるところだった。


「噂をすればなんとやら、だ。まあ、茶でも飲んでいけ」


「旦那様は本当に人間に対して優しすぎます。わたくしたちの屋敷と御山をめちゃくちゃにした男ですよ?」


 あいつに声をかけると、タキは俺の袖を掴み少し強めに引っ張る。思わずよろけそうになる俺に、あいつは麻多智またちに聞こえるようにそういってのけるのだった。


「あの時、あんただってボクの瘟鬼と同じ位好き放題暴れてただろ! 人のことをどうこう言えるのか?」


 負けじと麻多智またちが言い返すと、タキは身体を前のめりにしてから「べー」と舌を出して子供のようにあいつを挑発する。


「わたくしは初めて力を使ったので加減がわからなかっただけです」


 ぷいっと顔を背けたタキに溜め息を吐いた麻多智またちは、背負っている袋を下ろし、跪いた。


「白鱗山に御座す神々よ。今年も我らに豊穣の実りと武神の加護を与え賜え」


 跪いたまま頭を更に深く下げ、手に持っていた袋を両手で高く掲げる。こういった儀式めいたことも、どうやら神への畏怖の感情が込められているらしい。

 麻多智またちが毎年この屋敷へ訪れるのは、都からタキへの供物を運ぶためなのだという。供物を捧げることを条件に、帝はこちらへの過度な干渉をしないと決めたらしい。

 わざわざ直筆の誓約書までこいつに持たせて来たのだ。それだけ鬼を一晩で一掃したタキがヤツらにとっては恐ろしいということなのだろう。


麻多智またちが来ると、いつも大人びているお前が十代の娘年相応に見えて愉快で仕方ない」


「むぅ。そういうことなら、まあ、いいのですけれど」


 そう言って彼女の髪を撫でてやると、少しだけ表情を和らげたタキはいそいそと屋敷へ戻っていく。籠一杯の胡瓜を抱えて運んでいく彼女が帝も恐れる戦女神だなんて、何も知らぬ者が見れば驚くだろう。

 彼女が少し離れたのを見届けてから、俺は黙ったまま姿勢を保っていた麻多智またちから袋を受け取り、中身をあらためた。

 金色に光る絹で織られた衣や珊瑚を磨いて作った櫛、そして刀や槍、弓などの武器が詰まっているのを確かめてから、こちらへ歩いてくる黒い鬼火で作られた眷属たちにそれを手渡す。

 装飾品は豊穣の神である俺と女神としてのタキへの捧げ物。そして、武器は武神としてのタキへ捧げられたものなのだろう。


「確かに受け取った。儀式は仕舞いだ。茶でも飲もう」


 黒い鬼火で出来た眷属達がそれを蔵へ運び入れるのを見ながら、俺は麻多智またちと共に縁側へおもむき、並んで腰を下ろした。

 かつてはあどけなさの残っていた青年だったが、背もあれから伸び、体つきもがっしりしたせいか陰陽師と言うには少々精悍すぎるようにも思えるほどだ。

 都の様子や、人里の様子について話などについて情報を交わしてから、屋敷を去る麻多智またちを門まで送り届ける。


 あの日、めちゃくちゃになった名残がまだ在る山道を進んでいく麻多智またちを見送ったあと振り返ると、タキがちょうど屋敷から出てこちらへ向かってくるところだった。


「そういやあ……今更なんだが」


 目が合った彼女に、ふと思い出したことを聞いてみる。


「いつ、俺が老いたお前を喰ったことを知ったんだ」


「本当に今更ですねぇ。あれから三年も経ったというのに」


 くすくすと笑いながら、彼女は甘えるように俺に腕を絡めてくると屋敷へ向かって歩き出した。


「あの日、貴方様から角をいただいたときに、記憶が流れ込んできたのです」


 縁側への道程で、彼女は足下を見つめながらぽつりぽつりと言葉を漏らす。。


「わたくしのかつての名に怒ってくれたこと、わたくしに関心を持たなかったことに後悔したこと、それに……わたくしの血肉が甘くて罪悪感を覚えたことも、わたくしと再び出会ってから……どんなに想っていただいたのかも」


 老いたタキが最期を過ごした縁側に、二人並んで腰を下ろす。

 柔らかな笑顔を浮かべた彼女の頬は、涙の筋で濡れていた。


「わたくしがこのような……恐ろしくて醜い妖怪あやかしになったのは……過去のわたくしと今のわたくし二人分の、人間への恨みがあったからだと思います。憎しみや怒りで全てを燃やしてしまう力なんて……本当は夜刀やと様の伴侶にふわさしくないかもしれないと思っていましたが」


「そんなことねえよ。言っただろう? どんなお前も美しい。これからも、何度だって言ってやる」


「はい。何度も、何度もおっしゃってくれました。だから、わたくしは……こうして今、生きています」


 俺にしがみつき、幼子のようにしゃくりをあげながら話しているタキの髪を撫でてやりながら、服の袖で彼女の目元を優しく拭ってやる。


夜刀やと様、貴方様はいつだってわたくしを救って下さるのですね」


「俺だって、お前に救われているからな。お互い様だ」


 彼女を慰めたいだけの言葉では無く、本音だった。

 水蓮への懺悔の気持ちだけで生きるつもりだった。あいつを辱めた人間達への憎しみすら擦り切れて、ただただ後悔を引き摺りながら日々を過ごしていた俺に、生きる意味を、楽しさを、愛しさを教えてくれた。

 共に歩むと、言ってくれた。


「棄てられた子供だったわたくしが、もう一度人生を廻って神になれるなんて思っていませんでした……。これが、死ぬ前の夢で無ければと今でも時々思うのです」


「俺は人間を喰わねえが……これが夢だってんなら、また婆になったお前を喰ってやる。そして……今みたいに時を遡って、必ずお前を伴侶にしてやるから、安心しろ」


「ええ、ええ。これが夢現の類いで、貴方様の記憶が消えてしまったとしても、わたくしはその約束を忘れはしません。必ず、貴方様にこう言って見せます」


 震えるタキの手を握り返してやりながら、額をくっ付ける。それから肩に手を回して彼女を抱きしめた。

 しばらく俺の胸に顔を埋めていた彼女は、俺の言葉を聞くとようやく顔を離して、こういった。


「蛇神様、わたくし、貴方様に食べて頂くためにここへ参りました……と」


「ああ、そうだな」


「ふふ……離れたりなんてきっとしないと、頭ではわかっているのですけれど」


 指同士を搦めて、俺たちは寄り添い合う。

 かつて彼女が口にした、はた迷惑な言葉を、今では愛おしい願いだと噛みしめながら。


 現世うつしよは廻れば棄児も神なれど、夢泡沫の世に怯え

 契りを結び繰り返す 此度の逢瀬を重ねて願う



――完――

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廻れば棄児も神なれど 小紫-こむらさきー @violetsnake206

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