弐周目参――初夜

「そうだ。勝てない相手にゃ素直になるのが一番だ」


 それでも、こいつの瞳には諦めの色は滲んでいなかった。

 大したものだと笑って麻多智またちへ目を向けると、緊張の糸が切れたのかふっと眠るようにあいつが目を閉じで脱力をした。

 このまま置いておけば、動けるようになった獣や妖怪あやかしに喰われてしまうだろう。せっかく救ってやった命だ。ここで死ぬのも勿体ない。麻多智またちとタキを背に乗せて屋敷の入口へ向かった。


「……まずは屋敷を直すか」


 この屋敷は、普通の建物とは違う。

 元は妖怪あやかしとはいえ、一応神として敬われている俺の家は信仰の力が薄れれば廃れ、そうではなければ霊力さえ注げばある程度自由に出来る。

 ここまで大規模に破壊をされたことはないが……今の俺ならば容易に直せるだろう……と念じてみると、地面から立ち上ってきた青い光が瓦礫の山を覆いつくす。

 周りの木々や畑はどうもならなかったが、とりあえず屋敷だけは元へ戻っていく。


「……どうにかなったな」


 独り言を漏らしながら、人間の姿に変化し、二人を両肩に担ぎながら屋敷の中へ運び込む。

 居間に麻多智またちを転がしておいてから、先にタキを自室へ運んだ。


「無茶しやがって」


 ぐちゃぐちゃに乱れた髪を撫でつけて、簪をとってやってから彼女をそっと布団へ寝かせる。

 着物の帯と胸元を少し緩めてから布団を掛けてやった。

 煤けた頬や、血が付いた腕などを濡れた手ぬぐいで拭いてやってから、タキの傷がすっかりと癒えていることに気が付く。

 元から身体が丈夫だったからかアレだけぼろぼろになるまで戦っていたというのに……。

 身体が治る速度に関しては俺なんかよりもずっと速いな……。疲れて寝ているだけだろうと胸をなで下ろしながら、彼女の部屋を後にした。


「あっちは、手当が必要だろうなぁ」


 人間の脆さを、俺は知らない。人間だった時のタキを基準に考えてはいけないことだけはわかるが……。

 居間で転がっていた麻多智またちは、意識は戻らないものの、真っ青な顔をして震えていた。


「……人間は酷い怪我を負うと熱を出すというが」


 麻多智またちの服を剥ぎ取ると、細身の身体が露わになる。

 まだ少年の面影が残るやわらかな身体には、無数の古傷が刻まれていた。こいつなりに過酷な人生を送ってきたらしい。

 それで山をめちゃくちゃにしたことを許すわけでは無いのだが……。


「都のやつらがまた来ても困る。あんたには元気になって鬼を倒して貰わねえとな」


 タキのために買ったはいいが、一度も使うことがなかった薬があったはずだ……と棚を探すと幾つかの軟膏と、熱に効くという煎じた薬草がまとめて置いてあった。

 青い鬼火で作りだした眷属たちに頼み、桶と手ぬぐいを追加で持ってこさせる。自分で呼び出した水で桶を満たし、手ぬぐいを浸す。

 濡らした手ぬぐいで煤や血を拭うと、小さな呻き声が聞こえる。しかし、意識は失ったままらしい。

 身体は熱いというのに、寒そうに震えているのが奇妙だが、死ぬかも知れないほど弱っているということだけはなんとなくわかる。

 いくつもある火傷や傷には軟膏を塗ってやり、水差しで煎じた薬草を口に流し込んでやるが、薬は咽せてしまってなかなか飲めないらしい。


「ゲホッ……ゴホッ……」


 水を吐き、咳をしながら呻く麻多智またちにどうすれば水と薬を飲ませられるかを腕組みをして思案していると、足音がこちらへ近付いて来る。


夜刀やと様? なにを……」


「こいつに薬を飲ませたくてな」


 タキは麻多智またちを見て、一瞬だけ険しい表情を浮かべたが、俺の言葉を聞いて目を丸くして少し動きを止める。

 それから、もう一度、震えて水で濡れている麻多智またちへ目を向けた。


「……わたくしも詳しく知ってるわけではないですが」


 髪を束ね、手早く簪でまとめたタキは諦めたように笑うと麻多智またちの傍らに座っている俺の隣に腰を下ろした。

 そして寝ている麻多智またちの背を手で支えながら、上体を起こす。


「熱があるようですね。濡れたままでは恐らく体力を奪われます。温かい布団をもう一組用意してくださりますか?」


 上体を起こした麻多智またちの顎に手を添えて軽く上を向かせると、乾いた唇にそっと水差しの注ぎ口を当てた。

 タキが、手に持っている水差しを徐々に傾けると、麻多智またちの細い喉がゆっくりと上下するのがわかる。どうやら無事に薬は飲めたようだ。


夜刀やと様は、わたくしが思っているよりもお人好しすぎます。こんな人、外へ放っておけば良いのに」


 おそらく、タキは俺がこいつを助けたことが不満らしい。麻多智またちが薬を飲んだのを確認すると、頬を軽く膨らませてプイと顔を逸らして立ち上がる。

 眷属たちは持ってきた布団に、麻多智またちを移動させ、濡れた布団をどこかへ運んでいった。

 それを横目で見ながら、俺は部屋を出て行ったタキを追いかける。


「タキ、待てって」


 彼女が自室に入る手前で追いつき、華奢な手首をそっと掴むと、タキは眉間に皺を寄せたままこちらを振り返った。

 小さくて桜色をした唇の先端を尖らせて拗ねた表情を浮かべている彼女の腕をそのまま引いて胸に抱きすくめる。


「こいつに鬼を倒してもらわねえと、また都からめんどうなやつが来るかもしれねえだろ?」


「……もう! そういうことにしておきます」


 額に口付けを落としながらそういうと、彼女は唇を尖らせてそういったあとにクスリと笑った。

 空がもう白んできている。タキの左のこめかみから生えている黒い角を撫でながら、改めて彼女を見つめると、彼女もそっと腕を伸ばして俺の欠けている方の右角を撫でた。

 くすぐったいような、じれったいようなもぞもぞとした妙な感覚が腹の下から湧き上がってきて、思わず彼女を抱きしめている腕に力を込めた。


「一緒に、寝ましょうか」


 角から頬にかけてゆるりと撫でられて、彼女の肩に埋めていた顔を離すと頬を上気させてにっこりと微笑んでいる彼女が耳元でそう囁く。

 頷いた俺を見て「うれしい」と小声で呟いて、彼女が俺から身体を離したことが何故かとても寂しく思えて俺は思わず手を伸ばした。


「このお姿の夜刀やと様と一緒に寝るのは、初めてですね」


 両手で腕を掴まれ、俺はもつれるようにして彼女の自室へ足を踏み入れる。

 老いた彼女を喰った時よりも更に甘く、濃厚な匂いが漂ってきて、頭の奥が熱を持ったように痺れてくる。


「タキ、愛しているよ」


 そういって、俺は彼女を強く抱きしめたまま、彼女の甘い匂いが満ちている布団に倒れ込むようにして寝転がった。

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