第4話 無事にご生還にて(笑)





 沈痛な表情の青川先生が臨終の時分をカクニンするため腕時計を見た、のを見た。

 はっと息を呑んだのは、患者との永訣に慣れているはずのベテラン看護師だった。


 それはそうだろう、もはやデスマスクになっていた患者の目がカッと開いたのだ。

 そのうえ、あろうことか、しきりに手足を動かして、掛け布団を波打たせている。


 

 ――ヒェエ~!!(*´Д`)



 病室に居合わせた全員が固まったとき、当の患者は屈託のない笑顔を広げていた。

 「ご臨終です」の言葉を用意していた医師は、ようやくの思いで擦れ声を発する。



 ――ご、ご生還です。(*ノωノ)



「まさかや~」とはだれも口にしなかったものの、内心では全員がそう叫んでいた。

ひとり意気軒高なのは、あちこちのモニターを忙しく再稼働させた患者本人ばかり。




      🥼




 ところで、ここで問題になるのは、遺族になるつもり満々だった家族一同である。

 いろいろ予定を考えておいたのが総崩れというか、ひとまず棚上げというか……。

 

 進行中の大河ドラマがいい例で、御殿医師も匙を投げ、病床の頭を剃って出家までさせていた二代鎌倉殿・源頼家のまさかの生還で、思惑絡みの周囲は大混乱に陥る。


 その後の酷い仕打ち(祖父・義朝と同様に風呂場で誅殺)は、いまなお聞く者の耳を慄かさせずにおかないのだが、現代の名もなき民であってみれば、その辺は……。


 


      🎭




 にわかには信じがたい? いえいえ、世界各地ではけっこう耳にする話である。

 生への念の強さを見極めるための、異世界のバベルの塔の隠し処といえようか。


 少し視座は異なるが、生還譚の文献として日本民俗学の祖・柳田國男やなぎたくにおさんの『遠野物語』から臨死・神隠し体験を引用してみる(適宜現代仮名に改め句読点を追補)。



 ――飯豊いいでの菊池松之丞という人、傷寒しょうかんを病み、たびたび、息を引きつめしとき、自分は田んぼに出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めの如し。


 何とは言はれず快し。寺の門に近づくに、人群集せり。何故ならんと訝りつつ門を入れば、紅の芥子の花満ち、見渡す限りも知らず。いよいよ心持ちよし。


 この花の間に、亡くなりし父立てり。お前も来たのかと言う。これになにか返事をしながらなお行くに、以前、失いたる男の子おりて、トッチャお前も来たかと言う。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、いま来てはいけないと言う。


 このとき門の辺にて騒がしく我が名をぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重く、いやいやながら引き返したりと思えば正気付きたり。親族の者、寄り集い、水など打ちそそぎて喚び生かしたるなり。




 ――黄昏たそがれに女や子どもの家の外に出ている者はよく神隠しにあうことはよその国々と同じ。


 松崎村の寒戸さむとというところの民家にて、若き娘、梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり。


 三十年あまり過ぎたりしに、或る日、親類、知音ちいんの人びと、その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいて、その女、帰り来たれり。


 いかにして帰って来たかと問えば、人びとに逢いたかりしゆえ帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失うせたり。


 その日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、いまでも風の騒がしき日には、きょうはサムトのばばが帰って来そうな日なりという。

 



     🏡


 


 ちなみに、これをして奇縁といえるかどうか……仕事時代、東京・世田谷の柳田邸を訪問して跡目の為正先生からお話をうかがい、貴重な資料を拝見した記憶がある。


 

 

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