第5話 愛を知る乙女の一つの結末

「お姉様大丈夫かなぁ…。」

「あの反応を見るに手も繋げないと見た。」

「そもそも気持ちに気付くかなぁ…?」

ヴァルキリー三人娘は宮殿にある自室で寛いでいた。

精鋭たる神兵に似合わぬ三人部屋だが、互いに離れると調子を崩すので同じ部屋を希望していた。

そこへ「ダダダダダッ…」と駆けてくる音がある。

「貴女達!」

バーンと大きくドアを開け放ったのは話題に登っていたシルヴァリアだった。

「「「お姉様っ!?」」」

さっき外の世界へ出掛けたばかりの人物が、もう帰ってきた。

三人娘はこの宮殿の外、人間の住む下界を指して「外の世界」と言っていたが、シルヴァリアが本当に別の次元へと出かけていたとは知る由もない。

そのため、時間軸に大きな差がある。

(いきなり当たって砕けちゃったとか…!?)

(バカ言わないでよ! お姉様に見初められて断る男なんている筈無いでしょ!)

「お姉様、その…随分と早いお帰りですが…。」

「え? ええ。そうかもしれませんね。この気持ちの正体がわかったために一度帰還したのです。」

「……!」

妹たちは驚き顔を見合わせる。

「お聞きしても良いでしょうか?」

「ええ。まさしくこの気持ちは“愛”でした。」

静かに微笑み、胸に手をあてるシルヴァリア。

その気持ちを代弁するように温かな空気が彼女から溢れる。

(きゃ〜! お姉様がマブしい!)

(これが恋する乙女の破壊力ッ!)

(よかった〜。一歩前進ね…でも何で帰ってきたんだろ?)

「お姉様、どうして帰還されたのですか? ご自分のお気持ちに気づかれたのでしたら、後はそれを伝えるだけだったのでは?」

その言葉に頭を振る。

「いいえ! そんな急な事は出来ません! もっとちゃんと準備をして、お互いをしっかり理解した後に初めて一緒にお出かけなどを…。」

みるみる内に顔が赤くなっていく。

(あ〜、気持ちに気づいただけに、近くにいるのも耐えられなくて帰ってきたのね。)

「…それで、貴女達に質問なのですが…。この後はどうしたら良いのでしょう?」

赤い顔を白い髪に隠しながら尋ねる姉。

いちいちの反応がもどかしく、妹達は暴れ回りたい気持ちになった。

「なるほど、なるほど。」

「まずは、親密な関係になるための一歩を進めたいと言うことですね?」

“親密な関係”にビクッとするが、シルヴァリアは首肯する。

その様子を見届けてから一人が提案する。

「でしたら、贈り物はどうでしょうか? お姉様から物を貰って嬉しくない男などおりませんし、仮に間違った物を渡してしまっても、改めて相手の好みを聞き出せるチャンスになりますよ!」

「なるほど! それはとても良い案ですね!」

多少ズレているが、彼女達は戦士なので、最後には力づくという結論がある。

「ふむ、何を贈れば…。貴女達なら何を送ったら良いと思いますか?」

「えっ! うーん…。」

「わたくしは花を貰ったら嬉しいです!」

「あー、わたしも花ー。」

「もー! 自分が貰うんじゃなくてお姉様の意中の男性の話でしょ!」

三人娘が朗らかに言い合う様子に、姉は笑みを浮かべる。

ここで一つの食い違いが起こる。

「ふむ…“鼻”ですか? 贈り物としては不思議ですが、男性であれば好む場合もあるのでしょうか?」

「どんな花であれ、お姉様から貰ったら嬉しいに決まってますよ!」

「そうです! 敢えて女性から花を贈るなんてロマンチックだなぁ。」

三人娘はきっと間違いないと太鼓判を押す。

「そうですか! そういえば先日、翡翠の塊を頂きましたし、あれを彫って鼻を作ってみましょうか。」

「わぁー素敵。宝石の花だって!」

「きっと形として残る物だし、お姉様を意識せずにはいられないね。」

互いに頷き合う様子に、シルヴァリアは贈り物のチョイスが間違ってない事を確信し、自室へと向かうのだった。


しばらく後。

「ふー。こんなところでしょうか?」

シルヴァリアの机の上には翡翠で創られた鼻が置かれている。

元々の宝石が大きかったため握り拳程度の大きさだが、鼻詰まりとは無縁そうな良い鼻だった。

「なかなか満足する出来です!」

うむうむと眺めるシルヴァリア。

そこへ、ドアをノックする者があった。

「はーい? どうぞ?」

その返事を受けてドアが開く。

「お邪魔しまー。」

黒髪の男性が顔を見せる。

針のように尖った髪に装飾を巻いた頭。

気品ある装束を着崩した格好の人物だった。

シルヴァリアはその人物を認めると、相手にわかるように眉をひそめる。

「ロキ……! 何用ですか? 貴方を呼んだ覚えはありませんよ。」

「そう邪険にすんなよ? 父上から顔を出すようにって伝言を預かったんだぜ?」

「そうですか。直ぐ向かいますから貴方は失せなさい。」

「へいへい、俺も顔を見なくてよくなるからありがてぇよな。」

「…? どう言う意味です?」

「すぐに分かるさ。じゃなー。」

ロキの気配を見失ってから、シルヴァリアは制作した鼻を布に包むと服の内に仕舞う。

装備を整えて自室を出た。



玉座のある広間。

シルヴァリアは巨大な玉座にすわる王であり父の前に進み出る。

『大神オーディン』。

この地アルスガルドの主、軍神と称される。

死者の魂を集める者、エインヘリヤルの軍団長であり、その後に始まる大戦に備えるという。

「お父様、御前に馳せ参じましたわ。」

シルヴァリアが進み出て片膝をつく。

彼女の部下である三人娘も少し離れた場所で平伏している。

玉座にかけた大男が口を開く。

「我が娘よ。息災であったか?」

「はい。お父様もお変わりないようで何よりでございます。」

そう会話するも、オーディンの顔や声はまるで機械のように平坦であり、娘の無事を思っていたとは到底思えない態度だった。

ほんのごく薄く、黒い煙が背後を舞っている。

「少し顔色が良いようだ。何か良い事があったのだろう。」

「はい! 実は気になる殿方が出来まして、それで───。」


「そうかそれは良かった。喜ぶがよい娘よ。

迎えが来ている。妻として嫁ぐがいい。」


「ぇ……。」

まるで何もかもが抜け落ちた声。

こうして、乙女の恋は終わる──。



玉座の間から出たシルヴァリアを迎えたのは、先に出ていた3人の妹だった。

「お姉様…。」

そう声をかけられて、シルヴァリアは力無く微笑む。

全てはもう、終わった事なのだと。

その姿があまりに切なく、妹達は涙を見せる。

「お姉様ぁ!」

抱きつく妹達を優しく受け止める。

「このような事が…あるのですね。なぜ今なのでしょうか。この気持ちを知る前なら…。いいえ。」

誰に向かうでもなくそう呟いた。

しばらく泣きじゃくる妹達を宥め、それぞれの顔を見る。

そして真ん中の妹と目を合わせる。

「トゥーラ。今後は貴女がヴァルキュリアとして立ち、皆をまとめなさい。」

「そんな…! わたくしにお姉様の代わりなんて…!」

「いいえ。弱音は許しません。」

そう言って自分の槍を渡す。

「これを持ちなさい。ヴァルキュリアの証です。

この槍があれば、貴女達の知らない“本当の“外の世界に行くことができます。」

トゥーラは悲しみを呑み込んでその槍を受け取る。

その瞬間、シルヴァリアの額にあった青金の飾りが消失し、トゥーラに移る。

「シリル。貴女にはこの腕輪を。嵐の中であっても翼が風を従えます。」

「ユーク。貴女にはこの耳飾りを…。」

最強の神兵だった戦乙女は、そうして一つづつ渡すたびに普通の女性へと変わっていく。

彼女の輝かしい武功は徐々に光を失っていく。

「最後に…。」

布に包んだ何かを持つ。

「これは私の心残りです…。

貴女達がこれから先の旅路において、もし外の世界で”クチウラ“という男性に会う事があったなら、渡してください。

そして、シルヴァリアが愛していたと…。いいえ、これは言わないでおきます。」

もはや翼も、輝きもない女性は最後にもう一度だけ妹達を抱きしめる。

そして、スルトの国フレムヘイムから来た馬車へと乗り込んだのだった。

それを、ぶつける宛てのない怒りと悲しみを持って妹達は見送った。

そんな時、三人の背後から声が響く。

「あーぁ、お別れ言いそびれちまったぜ。でも、これでもう顔を見なくて済むと思うとせいせいするナァ。」

「ロキ?」

「いやぁ、最近上の妹が色づき始めたから、妹も結婚を考えるようになったなぁって、父上とスルトに縁談を持ちかけて正解だったぜ。

父上もムスペルの鍵をスルトから貰ったらしいし? 丸く収まったなぁ。」

「あなた…!」

「全部アンタがっ!」

ロキに殴りかかろうとする二人をトゥーラが抑える。

「ここで仕掛けては相手の思う壺よ。」

「チッ! せっかくお祝いの首を三つほど添えて妹に送ろうと思ったのに残念だナァ。」

そう言って姿が薄れて消えていく。

ロキの姿と共に床が消え、そこには本来あった崖が姿を見せた。

「トゥーラ、行かせて良かったの!?」

「それはロキの話? それともお姉様?」

「……。」

そんな時、布に包まれた贈り物を持っていたシリルが呟く。

「これ、お姉様の思いがまるでどこかを指してるみたい…?」

「えっ? …本当だわ!」

トゥーラは二人を見る。

「行こう! もうどうしようもないかもだけど、お姉様の思いを届けなきゃ!」

三姉妹は決意を持って頷き合った。




バッドエンド粉砕職人の朝は早い。

…が寝坊する日もある。


「ウソッ! 俺のMP、低すぎ…!? ハッ、夢か。」


布団の中でカッと目を覚ます。

「ム!?」

太陽の位置から時間を感知する。

まずは──。

【ごめんクチウラ、遅れ気味だからすぐ来てくれる?】

という声が響くなり小屋の中で竜巻が起こる。

風で布団が舞い上がるとキッチリと畳まれた形で落下する。

お米と水を巻き上げた水竜巻がお釜の中で暴れた後、屋根が形を保ったまま舞い上がり、空に晒された屋内に雷が落ちる。

雷は奇跡的に一瞬でお米をご飯へと炊き上げる。

風に弄ばれながらクチウラはご飯を食べた後、水竜巻に巻き込まれて顔を洗い、風に乗って流れてきた装束に着替えた。

最後に屋根が元通りに着地した。

「ありがとうございます! ただいま向かいます!」

クチウラはそう叫ぶと山へと駆け出した。



天界に至る。

「ただいま参りました!」

【急がせちゃって悪いね。】

「いえいえ、それで…ム?」

クチウラが見ると、見覚えのない女性が三人いる。

だが、誰の関係者であるかはすぐに分かる。

「もしや貴方がクチウラ殿ですか?」

「ウム。そう言うお前達は神兵だな?」

「はい。私達はエインヘリ…。いえ、元ヴァルキュリア筆頭シルヴァリアの妹です。

貴方にお渡しするものがあって参りました。」

そう言って何かを包んだ布を渡す。

そのまま事情を話す。

「お姉様は、今、望まぬ結婚を強要されているのです。

どうかお姉様を助けていただけませんか?」

クチウラは首を傾げた。

「ム? 話が見えんな。どうして俺にそれを頼む?」

「それは…。」

言い淀む三人だったが、意を決して中央の娘が告げる。

「お姉様は貴方をお慕い申しておられました!

貴方への贈り物であるその包みが何よりの証拠です!」

トゥーラに手に持った包みを示される。

そこでクチウラが包みを解くと、鼻が出てきた。

「……鼻…だな?」

「…鼻ですわね。」

「鼻だね。」

「「「「………。」」」」

沈黙が支配する。

【ブッフォ! …いや失礼。】

過去と未来を眺めた神が噴き出す。

「…と、ともかく! お姉様が男性に贈り物を送るだなんて、貴方を想っていたという証拠に他ならないのです!」

「で、具体的に俺に何をしろと?」

「お姉様は今婚姻を結ばされそうになっていますが、もし既に夫のいる身であれば、それは無効となるでしょう。」

快活そうな娘が横から口を出す。

「あなたは既に姉様と結婚していた、夫だったって事にして貰えませんか!?」

三人娘が期待に満ちた目をするが、クチウラは頭を横に振る。

「それは出来ない。偽りの契約を結ぶのは主義に反する。」

「そんな…。」

「姉様…。」

妹達の目に涙が滲む。

「どうか…! 私達にできる事でしたら何でも致します!」

「ただ婚姻の証にサインしていただくだけでいいのです!」

それでもクチウラは頷かない。

なぜならそれは彼の隣にいる神に対する裏切りとなってしまうからだ。

「ううう…。」

ついに彼女達には打つ手がない事を悟る。

【うーむ、クチウラ、この顛末なんだけど、我々に責任の一端があるかも…?】

「ム? それは一体どういう事でしょうか?」

三人娘はクチウラがあらぬ方向を向いて話をしていることに気づく。

外の世界を知ったばかりの彼女達は、神の姿はおろか、声すらも聞こえていない。

しかし、クチウラが『何者か』と話しをしていることだけは察した。

【ホラ、あのシルヴァリアというお嬢さん、こないだここで私に挨拶しただろう? あの事で私を知ったわけじゃん?】

「あー、アナタ様を知る者は敵が増えるという設定ですか。」

【設定言うな。これは私じゃなくて、裏で暗躍してるヤツのせいだ。】

「そう仰るならそうでしょうか。」

何者かと話すクチウラを三人娘がじっと見つめる。

その視線を無視しつつ返答をする。

「フム。であれば、いつも通り俺はそこに乱入して全部ぶち壊したらいいんですか? 結婚式を破壊するのは気乗りしませんが。」

その答えにトゥーラが慌てて答える。

「ぶ、ぶち壊すだなんて不可能です。

お姉様と婚姻相手は“炎の神”スルトなのです!

その強さたるや、お父様ですら戦いを避けておられるほどのもので、最強の古の神なのです。」

「ム…。」

【へー…。】

「ひっ。」

クチウラから漏れる怒りのオーラ、そして天界の空気が変わったことに三人娘が怯える。

【なあクチウラ。私が嫌悪しているものってわかるかい?】

「もちろんです。これまでも、これからもぶっ潰すべきものですね?」

【やってくれるかい我が僕よ。】

「存分に、やりたい放題、してきます。」

「えっ! あっ! ちょっと!」

「キミらはそこから見ていろ。」

そう言って世界縮図に飛び込む。

三人娘の静止はもちろん無視したのだった。



フレムヘイム。溶岩の流れる広い洞窟。

シルヴァリアは鋼鉄の檻の中にいた。

これが花嫁への扱いだと言うのであれば、結婚以後もどのように扱うかは目に見えている。

「シルヴァリア! ああ、シルヴァリア。遠目から見てお前を得たいと思っていたんだ。ロキは本当に良い話を持ってきてくれたものだ。」

炎を帯びた2m強の大男が檻の周りを歩く。

身体には様々な生き物の骨が飾られており、首から上は頭そのものが燃える髑髏ドクロだった。

炎の神スルト。

彼は檻を撫でるように掴む。

「かわいそうになぁ。こんな檻に入れられちまって。まぁ入れたのはオレだがよう。」

「あづっ! うぅ…。」

熱を帯びた檻によって、檻に触れた部分が火傷する。

「あー、ゴメンなぁ、バーベキューグリルになっちまうなぁ。お前なら丸焼きにしてもいい匂いしそうだがよう…。」

「……。」

「ここに来てからオレとは口を利いてくれないなぁ。時々ちょっと焦がしちまうとお前の良い声が聞けてうれしいがよう。

でもそんなんで熱がってちゃ、お前の胎を焦がす時は死んじまうかもなぁ。今日の夜はたいへんだなあ。」

「……っ!」

「かわいそうになぁ泣いちまってなぁ。」

ガイコツの顔に表情は無いが、それでもスルトが心底この状況を楽しんでいるのがわかった。

シルヴァリアには最早この献身がアルスガルドの礎となる事だけがせめてもの慰め。

それなのに逃げることすら叶わない今でも、目を閉じれば彼の顔が浮かんでしまう。

閉じた目が涙を零す。

一目でいいから会いたかった。

目を開けた今でもクチウラがその辺をウロチョロしているのが見えた。

「え……どうして?」

ここに来てから初めて言葉を漏らした。

その声にスルトが反応する。

「何だお前は? お呼びじゃ無いぞ。」

シルヴァリアに対して使っていた猫撫で声ではない、敵意を持った声に変わる。

そんなスルトを無視し、クチウラは檻に近寄ると訊ねる。

「結婚式をぶち壊しに来たんだが、もう終わっちまった?」

「えっ? あっ。うう…。」

涙が後から後から止まらなくなる。

その言葉が彼女にとってどれほどの救いだっただろう。

「まだ…です。あんなヤツと結婚なんてしたくないです…。」

「だろうな。お前の妹達もそう言ってたよ。」

そんな二人の様子を見て、スルトは理解した。

「アッハッハッハ! そうかいシルヴァリア! コイツはお前の男かい! じゃあそこから見てなぁ、コイツがステーキになるところをよお。」

そう言うなりクチウラの首を掴む。

「ム…?」

肉が燃える様子を幻視するが、何も起こらない。

ただ首を掴んだだけ。

「何故燃えない! 火傷すらしないではないか!」

「……お前、何度だ?」

「は?」

「俺は2万度辺りまで適温だからな。

俺を火傷させたかったら宇宙に居る恐竜を連れてこい。」

そう言って、スルトの手を払い除ける。

今度はクチウラがスルトの首を左手で掴む。

右手に剣を持つと地面に突き刺す。

その場所から地面に亀裂が入り、クチウラの目の前に大きな裂け目が出来る。

そこから白い炎が湧き上がる。

「熱いってのは、あーゆーヤツの事を言うんだぜ?」

ズルズルと白い炎のそばにスルトを引きずる。

「ああ熱いっ! ヤメロォ!」

「そりゃ熱いさ。今回特別に貸してもらった創世の炎だ。」

スルトがジタバタと暴れるが、クチウラを振り解けない。

「何故こんな事をする! オレが何をしたと言うのだ!」

そんなスルトを見下ろしながらも引きずるのをやめず、クチウラは吐き捨てる。

「俺の、いや俺と神様の嫌いなヤツランキング1位はな“神を自称するヤツ”なんだ。それだけは、徹底的にぶっ潰すように神様に言われてるんだわ。」

「ああ熱い! お前ぇ、そんな事をしてもシルヴァリアはお前の物にはならんぞ!

見ろ! オーディンの署名がここにある!」

スルトが宙空に契約書を映し出す。

“ここに炎の神スルトと我が娘シルヴァリアの婚姻を認め、二名を夫婦とする。”

「これがある限り、シルヴァリアは永遠にこのオレ、炎の神スルトの物だ! 例え創世の炎で焼かれ死のうとも、炎の中からまた生まれてやる! オレは炎の神なんだからな!」

「俺の前で何度も神、神とうるせぇやつだな。」

【完膚なきまでにやっちゃって。あとね、彼女に鼻こと教えといたほうがいいよ。】

「かしこまりました。」

クチウラは剣を背中の鞘に収めると、懐から翡翠の鼻を取り出す。

「シルヴァリア!」

「えっ、私の名前…。」

自分ために戦う男が、自分の贈った物を取り出した。

そしてそんな時に初めて名前で呼ばれ、トキメキゲージが頂点を迎え───。

「贈り物の鼻ってのはな、“花束”の花であって、この鼻のことじゃねぇ! 間違えてるぞ!」

トキメキゲージが急降下した。

「えっえええええぇっ! 私はなんて…。あああっ!」

今生の別れとして、訳の分からないプレゼントを渡し託した自分を思い返して身悶えする。

そんな彼女を見て笑う。

そしてクチウラは翡翠の鼻を高く掲げる。

「これは今使わせて貰うぜ!」

「何をする貴様!」

そう言ってスルトの顔に押し付けた。




──その時、新たな理が生まれ、

バットエンドがどうでもいい感じになった。




「鼻が付いたな! ざまぁみろ!

お前は今から“”だ!」


「ズズ…何を言っでいるギザマ! ズズ…。」

鼻を啜りながらスルトが反論する。

「ごんなごどをじで、だだでずむど思うなよ! ごのオレ炎のガミズルドを…。」

「炎の神スルト? どこに居るんだそんなヤツ。シルヴァリアの結婚相手出てこいよ!」

その言葉を契機に宙空の契約書が効力を失って腐り始める。

「あ"あ"っ!」

呆然とするスルトを容赦なく創世の炎が満ちる亀裂へと蹴り落とす。

「グワァ! がああっ!」

「じゃあな、鼻炎の神とやら。お前が炎の王を名乗っていればここまでしなかったがよ、我が神を置いて他に神はいないんだ。

創世の炎なんぞで死ぬヤツは神でもねぇがな。」

再度剣を刺して亀裂を閉じる。

その剣で檻を切り刻むと、シルヴァリアを連れ出す。

「帰るぞ。」

「…はいっ!」



──天界にて。

「「「お姉様!」」」

三人の妹に抱きしめられ、四人で大泣きする。

戦乙女では無い彼女が無事戻ったことは奇跡だった。

所々焦げていたが。

痛みもあるが傷も残る事を妹達が心配した。

また、身の振り方も。

「お姉様はこれからどうされるのでしょうか?」

本人の手の届かないところで解決したとはいえ、オーディンの契約書を破っている。

「きっと、問題ありません。」

シルヴァリアはそう言って向きを変える。

「この度はありがとうございました。

貴方様の深い憐れみに感謝致しますわ。」

そう言って光の塊にお辞儀した。

【……!! ねぇ、クチウラ見た!? この子今私を見えてるよ!】

神が興奮しながらクチウラの背をバンバン叩く。

「ぐへっ! 今回のことで魂が鍛えられたんでしょう。それときっとアナタ様を信じたんじゃ…げほっ!」

スルトの攻撃にびくともしなかったクチウラが咳き込む。

「はい。クチウラ様を遣わした方は偉大なのだなと。身をもって知りました。」

【あーもー! よかったねぇ、沢山祝福しちゃおう〜!】

どこからともなく取り出したジョウロでシルヴァリアに水をかける。

みるみるうちに傷が癒え、古傷も綺麗さっぱり消えて無くなる。

「神様、私、クチウラ様のところでお世話になりたいと思っておりますわ。」

【もちろんオッケー!】

「えっ! ちょ!」

「「「お姉様をよろしくお願いします、お義兄様!」」」

「くっ!」

味方のいないクチウラにシルヴァリアが向き直る。

「よろしくお願いいたしますわ。旦那様。」



とある山小屋。

「旦那様、ご飯ができましたよ。」

「信じられん…本当についてきやがった…。」

「私はクチウラ様の妻なのですから、共にいるのは当然ですわ。」

「勝手に俺の妻を名乗るな。第一、俺の妻ならお前もクチウラになるのだぞ?」

「えっ!?」

「俺は家族名こそクチウラだが、フルネームはクチウラ───。」

その瞬間、勢いよく山小屋のドアが開かれ、リボンを巻いたツノを持つ少女が姿を見せる。

「クチウラ、妾が来たぞ! さあもてなせ……って何じゃその娘はーー!!!」

「それはこっちのセリフですわ! 見るからに“魔”の気配を漂わせた者が“私達の”家に何の用かしら!」

バッドエンド粉砕職人の住む山小屋は、煩わしいことこの上なく、バッドエンドとは微塵も関わらない雰囲気で夜を過ごすのだった。

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バッドエンド粉砕職人の朝は早い 小野塚 歩 @nozouzgry

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