裁き

こざくら研究会

裁き

 分隊長のビラク軍曹は冷たく言った。殺せ、と。


 エンリコは気弱なヤツだった。のろまでぐずで、どうしようもなくて、その癖気の良いヤツだった。田舎で作ったキャベツは甘くて世界一美味いと。この戦争が終わったらうちに来い。そいつで作ったスープをたらふく飲ませてやると言っていた。アイツは、この仕事には向いてなかったんだと思う。だから敵兵を前にしても、銃の一発も撃てなかった。

 当時、斥候役として、俺の所属する分隊は、小隊に先行して、準備砲撃で瓦礫の山となった町中を行軍中だった。敵の勢力圏であり、そこで敵の分隊と遭遇。先んじて気付いた俺達は、ビラク軍曹とラヴァエロが前面から。ステッチ伍長とエンリコと俺が、背後に回り込んで始末する段取りになった。

 そこで、軍曹が注意を引き付けている間に、回り込んだ俺達が敵の分隊を一網打尽に出来たが、エンリコだけが撃てず、敵の一人が捕虜になった。まだ若い男で、エンリコは可哀相だと言っていた。軍曹は、エンリコに捕虜の手足を縛らせ、猿轡をかませた後、エンリコの顔面を、腹を、何度も何度も殴り、転げたエンリコを、何度も何度も踏みつけた。

「貴様の臆病風で仲間が死ぬ。お前は仲間を守る気合を見せろ」

 そう言って腰から拳銃を抜くと、血だらけになったエンリコに持たせた。そしてあの言葉だ。

 だがエンリコは撃てなかった。手と足をぶるぶる震えさせていた。歯がカチカチとぶつかる音が俺にも聞こえて来る。

「どうした、さぁ、やれ。コイツらは俺達の仲間を殺して来た、クズの共和国野郎だ。ブタだ。仲間を撃つヤツは人間じゃねぇ、やるんだ」

 捕虜が猿轡をかませられている為、出せない命乞いを、叫びを発する。その顔を軍曹は、ブーツのかかとで蹴り付けた。

 正直、俺もラヴァエロも、人を撃つたび吐いたりしていた。人を撃っちまった時、あの大きな体が動かなくなった時を想像して見ろ。芝居なんかじゃ絶対にわからねぇ、あっけなく、そしてあんな綺麗な死に方をするヤツの方がすくねぇ。はじけ飛ぶんだ、色々がな。そして近くに行けばそれを見る事になる。当たりたくねぇ所に当たって、それはまるで冗談みたいな形をしている。豚肉を顔の半分に塗りこめたみたいになってたり、砲撃の後なんてもっとひでぇ。壁に顔半分が張り付いてたり、腹が破れていると、くせぇくせぇ。あの血と糞尿、時間が経てば蛆が湧くは、虫が寄って来るわ。そこかしこでどっかふっとんで転がってる体、資材確保の為、死んだら男も女も、服を剥ぎ取られ、あそこ丸出しでただ積み上げられてる。工場の吊るされた牛肉と一緒だ。痛い、恥ずかしい、苦しい、戦場ではそんな感情は全部、捨てなくてはならない。さもなきゃ、吊るされた牛肉になるのは自分になるんだ。

 頭ではわかっていた事だった。だがそれを実感として知ったのはその時だった。

「どうした、撃てないのか?」

 軍曹がそう言うと、エンリコは涙を流しながら首を振る。

「なら、早く撃て」

 エンリコは首を振りながら、捕虜の男を見る。捕虜の男もエンリコを見ていた。

「撃ちやすくしてやろうか?」

 軍曹はそう言うと、ライフルを構えた。エンリコに。

 エンリコは驚愕していたが、対照的に軍曹は平然としていた。

「大丈夫だ。お前は俺に脅されてする。十数える。十数える内に、お前はそいつを撃て。お前が撃たなかったら、俺がお前と、そいつを撃つ」

 エンリコは先にもまして顔が青ざめていた。

「死体が一つ余計に増える。お前はどっちが得かわかるだろう? 賢くなれ。受け入れるんだ」

 そこまで言うと、軍曹は数を数え始めた。

 そこからは、エンリコも、捕虜も、同じように、んーと唸っていた。それで十が数え終わり、まあ、撃ったよ。エンリコをね。

 そこに居た、俺達は、誰も動けなかった。軍曹は、捕虜をさんざん殴って蹴とばした後、エンリコの手を取って、その指に引き金を引かせたんだ。

 命令不服従、被害を最小にする責任それらがあると軍曹は言った。訴えたいならこの戦争が終わってからにしろとも言った。

 実際エンリコは足手まといだった。あの判断は正しいのか、どうか、俺にはわからない。だが、俺は軍曹を、責める事が出来なかった。

 そしてそれ以来、俺は敵を殺すのも、殺さないのも、怖くなっちまった。


 人としての感情? あの場所に、そんなもんは見当たらなかったぜ。あったら、あんな事は、起こらねぇだろ。出撃前に、一番長く、一緒に過ごしたのがエンリコだったよ。


 村、あぁ、思い出した、あの時かい。ああ、アンタの言う通りさ。俺は笑って撃ったさ。銃口向けられやって来いって言われてね。五人だったか。それが正しい行いだと思うかって?

 なあ、アンタ、戦場で、まともな拘束具もない所で、捕虜と一緒にいる所を想像して見ろよ。檻があって、そこに入れてる訳じゃねぇんだぜ。機会があったらこっちを殺そうとしているヤツ等がいる。そんな所でアンタは心が休まるか? ゆっくり眠れるか? 一番安心な捕虜の扱い方は、殺す事だ。まして小部隊で周りの援護がすぐに受けられる状態じゃない時は、そうするしかねぇじゃねえか。

 アンタは敵の為に命を捧げられるか? そうする価値があるなら? 綺麗事言ってんじゃねぇよ。いや、そう考えられるヤツはいるかも知れねぇ。だが、そう考え、実行できるヤツはどれ程いる? 俺以外の全員が出来るってか? どいつもこいつも、俺と同じ環境を味合わせてやりてぇ。それで一体、どれだけ俺と違う事するヤツがいるか、見てやりてぇよ。あの泥沼の戦いで、素人の俺らが放り込まれたあの場所をよ、全員味わってみりゃいいんだよ。

 小さな村を占拠した。村人だっていつ襲って来るか安心出来ねぇ。占拠する前に何人かやったさ。兵士じゃねぇヤツもいた。みんなパルチザンって言って、一般人のふりしていきなり撃って来るんだ。国際法? 自分が殺されるかわかんねぇ所で、順番に撃ち合いましょうとか、正々堂々と戦いましょうとか、相手がやって来ねぇし、こっちだって出来ねぇよ。言葉で言うのは簡単だがな、ホントにその場でいたら、それ出来ると思うのかよ!

 ステッチ伍長はつまんねぇヤツだったが、腕は確かで、冷たいようでいて、何度も助けて貰った。あの人の冷静さにはどれだけ助けられたかわからねぇ。その人がよ、村の小さい娘にやられたんだよ。ヤツら、ガキにまで銃を持たせてやがる。

 命がかかれば、男も女も子供もねぇさ。生きる為の本能だ。男どもはみんな殺したさ。捕まえたのは、女、子供、老人だけだった。元々欠員が出ているのに、ステッチ伍長までやられたんだから、俺と軍曹とラヴァエロの三人しかいねぇ。ヤツ等に協力されたら俺達は何時だって簡単に殺されちまう。だから軍曹にやれって言われた。命令だ。やらなければ俺がお前らと家畜共を殺す。そう言われた。

 笑ってやったさ。生き残りが他にも居て、見られてるなんて知らなかったがな。人間性を疑う? 人間性があるから笑ったのさ。笑ってりゃあ、どす黒く、ひでぇ重さのもんもよ、それなりにかわせるんだよ。人は悲しい時、苦しい時、悲しすぎちまったり、苦しすぎちまった時、どうするか知ってるか? 笑うんだよ。これを俺は自己防衛の本能だと思っているよ。そうでもしなきゃ、壊れちまうからな。

 そんな環境で、後ろに銃がある状況で、どれだけのヤツが抵抗出来る。俺は、生きたかった。生きるか死ぬか、選ばされる。二つだ、二つの選択肢しか与えられていないヤツはどうすればいい? 逃げる? 上官を殺す? その後、俺はどうなる? 俺は国に帰りたいんだ。戦争が起こる前の何時もの国によ。そんで、家族と何時ものヤツ等と、しかめっつらして、時に笑って、つまんねぇ毎日を過ごすんだ。それをするには仲間を撃つなんて出来ねぇんだよ。

 もし、もしだよ、俺が逃げ出したら、俺が上官殺したら、アンタ等は確実に助けてくれると約束出来たか? 戻るのか? 元に? 家族や、友に、バカにされ、蔑まれ、リンチに遭わないように面倒最後まで見てくれるのかよ!? 俺は聞いたぜ、そうしたヤツは、卑怯者と罵られ、ここでは殺されはしなかったが、無理に故国に戻され、リンチにあって死んだってな。

 今ここにいるヤツ等で、俺達と同じ境遇にあったら、俺と同じ事をしないと言えるヤツがどれくらいいるんだ? 戦場には、善も、悪も、罪もねぇ。戦場にあるのは、ただ戦場だよ。無力が罪と言うなら、大半のヤツは縛り首だ。たまたま自分じゃなかっただけで、偉そうにふんぞり返ってるんじゃねぇ! 戦勝国だか何かしらねぇが、俺は見たぞ! お前達の軍隊が、俺らと同じ事をしている所をよ。どうしてそいつらを、俺と一緒に裁かねぇ? 指揮した将軍の監督責任は? お前達が、あの場の善悪を裁ける訳ねぇだろ? 絞首刑? 俺が? 脅されて、やんなきゃ殺されたんだぞ。じゃあ、俺に死ねって言うのか。どっちにしたって助かんねぇじゃねぇか! ふざけるな! ふざけるな! 俺は、俺は!

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