第33話

「もう、先輩来ないのかな……」美穂子がため息まじりに言った。処置室には誰も居なかった為に、独り言だった。そこへ、良枝が入ってきた。

「あら、引っ叩かれた時は、“二度と顔なんか見たくない、パパに言いつけてやる。この世界から追い出してやる”なんて大騒ぎしたくせに。」と、美穂子のつぶやきに対して反論した。美穂子は、まさか聞いていたのかと驚いた様子だったが、すぐさま良枝に反論し返した。

「その時はその時だったんです。でもその後に、あ、良枝さん、私父のことパパって呼んでいませんから。最後にパパって呼んだのは中学生の時です。」と抗弁し、「お父様に言いましたら、逆に怒られちゃって。」

「怒られた。」

「はい。自分勝手な気持ちを他人に押し付けるなって。みんなそれぞれ事情を抱えている。好きなことや出来ることだけをやって生きているわけじゃない。人の気持ちを忖度できるようになれって。」美穂子は肩を落とし、

「親というのはどうしても甘い。誰かが引っ叩きでもしないといけない。ですって。」最後の言葉には不満があったようだ。

「忖度ね……それで、あなたは理解したの?」と良枝は質問した。

「はい、最初はわからなかったんですが、先輩だってずっとやるせなくて辛い思いをしたんだろうし、私は勝手に理解したものだと思っていて、だからつい、先輩は何言っても許してくれるって甘えというか、馴れ合いみたいのがあったんじゃなかったかなって、反省しました。私、先輩のこと解った気でいたんです。」

それを聞いた良枝が、

「よろしい。親しき仲にも礼儀ありだわ。少し大人になれたわね。ね、二人共。」と言い、

「ねぇ、聞いた?今の話。」と、続けてから良枝は後ろを振り返った。美穂子は驚いて、良枝の背後を見ると、そこには、美羽が立っていた。

「せ、せ ん ぱ い……。」

美穂子は声を振り絞った。すぐにも泣き出しそうな声になりながら、美羽は美穂子の前に立つと、

「ごめんね、本当のごめんね。」と頭を下げて美穂子に謝った。美穂子は、それを打ち消すように、

「良いんです。痛いのは、傷は手当すれば治るので。私こそ失礼なこと言ってしまって。」と美穂子は頭を下げ美羽に抱きついた。美羽は美穂子を強く抱きしめ返すと、とても愛おしく初めて出会った時に可愛い妹ができたような気持ちを思い出させた。

「私、今度、マラソン大会にエントリーしようと思うの。」と美羽は、美穂子の耳元で言った。美穂子は、顔を上げ、瞳をまんまるにして美羽の顔を見た。その顔に美羽は頷き、

「うん。でもまだ先のことよ。美穂子ちゃん、そのときは応援に来てくれるよね。」と美穂子に聞いた。美穂子は、

「当たり前です。絶対、絶対、応援行きます。あと、必要なものがあったらなんでも言って下さい。パパに用意してもらいます。」と言って、美羽の胸に母親に甘える子供のように顔を埋めた。

二人はしばらくそのまま抱き合っていた。

「お二人さん、ちょっと良いですか。」と、良枝が水を指した。美羽はもう少しこのままで居たいと思った。

「そのマラソン大会の前に、お二人には、これよ。」と厚手の洋便箋を差し出した。それは、良枝の結婚披露宴の招待状だった。

「良枝さん、式は挙げないって……」と言う美羽に、

「そうね、そのはずだったんだけど、彼のおばあちゃんがね、ケジメだから式は挙げろって。」と言い訳した。続けて、

「あなた達は、有無を言わせず強制参加よ。それと、美穂子ちゃんはご祝儀期待しいてるからね。」と、良枝は冗談とも取れないようなことを言って大きく笑った。美穂子はそれに呆れた顔で良枝を見上げた。

「そうそう、あと、美羽ちゃんにこれ。貴女が休んでる間にポストに投函してあったの。ついでみたいに松葉杖も置いてあったわ。」と言って、見覚えある洋便箋を美羽に渡した。美羽は、すぐに松葉杖と聞いて受け取る前に差出人が誰なのか、すぐに見当がついた。そして、この付近を再び走っていてくれていると考えるとに嬉しく思った。(実際、ランニングをしているかどうかはわからないが……)

しかし、昨日会ったときにそのことを何も言わなかったことが少しいじらしく感じた。せめて会ったときに話してほしかったと思った。

美穂子は丸い目をくりくりさせながら洋便箋をみつめていた。

「また、取材依頼ですか?」と以前と違う様子で恐る恐る聞いた。美羽は「ちょっとまっててね。」と言って便箋を開け手紙を一読すると、うっすら笑みをこぼして美穂子を見て、言った。

「いいえ、デートのお誘いよ。」


                             彼女の再考 終わり

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