第15話 本物になるようです
「ううん……」
フロラが目を開けると、すっかり見慣れたゼルラント公爵邸の天井が目に入った。
(ベッドに入った記憶がないのだけど、寝る前は何をしていたんだったかしら? )
眉間に皺を寄せて考える。
そして思い出した。人身売買組織への潜入捜査。脱出劇。そして火事。
(そうだわ、神力を使い過ぎてしまって、私──)
認識すると同時に、身体が燃えるように熱くなっているのに気付く。それに沼の底にいるかのように全身が重くて、喉がカラカラに乾いている。堪らずケホッと咳き込むと、すぐ隣で気配が動いた。
「フロラ!」
「アース……、子どもたちは? グリスピーク侯爵はどうなりました?」
「子どもは無事だ。侯爵と組織の人間たちは牢屋にぶち込んだ。ついでにロザリア嬢から聞いて、競売場に奴隷を仕入れに来ていた輩も全員捕らえてすでに尋問中だ」
「よ、かった」
安心した瞬間、ぐらぐらと視界が揺れてきた。
「うわぁ、アースが三人に見えます……けほっ」
「それが熱というものだ。とにかく目を覚ましてくれて良かったよ。ほら水だ、飲めるか?」
身体を起こそうとしてみるが、体重を委ねた腕がプルプルと震える。
「す、みません。ダメみたいです」
ちなみに神力では怪我や病気は治せても、気力の弱りから来る風邪は治せない。そもそも神力自体も今は枯渇してしまっているし。完全にお手上げだ。
「今回は、自然治癒を待つしかないみたいです…」
「ああ。無理しなくていい」
諦めてパタリとベッドに逆戻りすると、アースが身体の下に腕を差し入れて抱き起こし、水の入ったコップを唇に当ててそっと傾けてくれた。
コクリと嚥下すると、よく冷えた水が喉を通り抜けていって、体内に溜まった熱を癒していくようだ。
身体が内側から冷やされ、心なしか背筋も涼しく──…。
「……。すみません、アース」
「どうした? 何でも言ってくれ」
「水を飲んだら、寒気が。お手数なんですけど毛布」
ドサ、と。フロラが台詞を言い終わる前にアースが隣に寝転がってきた。
「は? ……ええ!?」
「なんだ」
なんだも何もこれはおかしいのではないだろうか。アースの怜悧な顔立ちが視界に大写しになっている。
人間界のマナーでは、妙齢の男女が同じベッドに横になっても問題ないのだっただろうか。たしかダメと書いてあったような。婚約者ならいいのかしら。でも私たちは本当の婚約者じゃないし。
(ああ、だけど……)
とても温かい。そう思ったのを最後に、フロラは再び夢の世界に旅立っていた。
***
全快するまでに一週間もかかった。
寝て、起きて、食べて、苦い薬を飲んで、また寝る。毎日がその繰り返しだった。
ただ、いつ起きてもアースかエバのどちらかが部屋に居てくれたのは、申し訳ない気持ちとともに嬉しくもあったフロラである。
風邪をひくのも誰かから看病してもらうのも、初めての経験だったから。
周囲の過保護なくらいに手厚い看病の末、無事回復したフロラは、今うららかな日差しの溢れるなか、珍しく部屋を訪ねてきたジュドに連れられて公爵邸内の薔薇園に向かっている。
「ジュド、急にどうしたの? アースから何か言われた?」
「へっ!? いやいや、そういうわけでは!」
「でもアースは薔薇園にいるのよね?」
「ええ、まあ」
「それにエバも見当たらないし。どこに行ったか知っている?」
「エバは……アース様と一緒にいますね」
「ええ? アースとエバが一緒に、薔薇園に? ……組み合わせも場所もすごい違和感だわ!」
「フロラ様っ! 疑問はごもっともですが、どうかこれ以上何も訊かないでください! 僕は長生きしたいんです!」
命懸けで薔薇園に行く状況の想像が付かなさすぎる。
本当に意味が分からないけれどジュドが半泣きなので、これ以上質問するわけにもいかなさそうだ。
フロラは大量のハテナマークを頭上に浮かべながらも仕方なく口を噤んだ。
そのまま五分ほど歩くと、道の両脇にちらほらと薔薇が見え始める。そろそろ着く頃かと考えていると、ジュドが真剣な眼差しで立ち止まった。
「フロラ様、最後に一つだけお願いがございます。どうか、目を閉じていただけませんか」
「流石に目を閉じて歩くのは難しいわよ?」
「僭越ながら僕がエスコート致します! この腕にお捕まりください!」
「はあ」
ものすごく不審だ。
(だけど相手はアースが特別に信頼を置いているジュドだし……)
フロラは黙って差し出された腕を取り、視界を閉ざしたまま薔薇園に続く道を歩くことにした。
「周りの風景が見えなくなると、他の感覚が鋭くなるって本当なのね。これはこれで良い気分だわ。そよ風が気持ちいいし、風に乗って薔薇の良い香りがしてくるもの」
「それなら良かったです」
ジュドが少し微笑んだ気配がしたあと、ぴたりと歩みが止まる。
「着きました、フロラ様。ゆっくり目を開けていただけますか?」
目を開けると、溢れる光に一瞬目が眩んだ。
その瞬間、パパパン! と何かが弾ける音がしてフロラは軽く飛び跳ねた。
「「「ようこそ、フロラ様!」」」
弾けたのは、薔薇の花弁を閉じ込めて宙に舞わせる道具だったようだ。
目の前には舞い散る花弁とたくさんの人びとと、そばで微笑むアース、エバ、ジュドの姿。
薔薇園全体が色とりどりの布で飾り付けられ、ガーデンテーブルが設置されて、卓の上には紅茶やお菓子が所狭しと並べられている。ガーデンパーティのようだ。
アースがフロラの手を取って中央に導く。
「彼らに見覚えは?」
聞かれて周囲を見回すと、たしかに見覚えがあった。
「もしかして、あの時囚われていた人たちですか!?」
みな一様に元気を取り戻し健康的な姿をしていたので、一目では気付けなかった。
「その通りだ。みな、君にどうしても感謝を伝えたいと熱心に訴えてきたから場を設けたんだ」
「でも私あの時、失敗を……」
フロラが言葉を失うと、被害者の中の一人が声を上げた。
「そんなことはありません! フロラ様は私たちのために最善を尽くしてくださいました!」
「フロラ様がいらっしゃらなければ、騎士団の突入まで一ヶ月はかかっていただろうと聞きました! そしたら私たちはとっくに売られていたはずです!」
「危険に陥った時、ご自分の結界は解いたのに、私たちの結界だけは維持して守ってくださった! 本当に感謝しています……っ」
「そうですわ」
歩み寄ってくるのはロザリアだ。
フロラは目を瞬く。ロザリアはあの日牢に閉じ込められてはいたが、同時に事件の首謀者の娘でもある。この場には居づらいのではないかと思ったからだ。
心配になって見つめると、ロザリアは肯定するように頷く。
「このような場にわたくしが姿を見せるのは心苦しいと思ったのですが……。みなさまが受け入れてくださいましたし、今日を逃すとなかなか会えなくなってしまいそうだったものですから」
「え? 会えないって」
驚いて繰り返すと、ロザリアはなにもかも吹っ切れたように明るく笑って見せた。
「わたくし、自由に生きてみたくなりましたの。父が捕まった関係で家門は無くなり平民となりますから、これを機会に外の世界を見てみたくて。アース様が仕事を世話してくださったのでそちらへ行くのです。王都からは少し距離がありますわ」
「そうですか……。せっかくお友達になれたのに残念です。でも、遠くからでもロザリアの幸せを祈っていますね。必ず会いに行きますから」
「ありがとう。向こうに着いたらお手紙を書きますわ」
固く握手を交わしてロザリアと離れる。
その影から、今度は手を繋いだ子どもたちが三人モジモジと進み出てきた。薔薇の花束を持っている。
「あなた、あの時人質になっていた──」
「フロラさま。あのとき怖かったけど、フロラさまが大丈夫って笑ってくれて、すごくほっとしたんだ」
「わたしたちは、悪者のおじさんに連れていかれそうなところを、フロラさまに助けてもらいました! フロラさま、あのときすぐたおれちゃったけど、ぶじで良かったです」
「「「ありがとう、フロラさま」」」
三人の子どもたちが差し出してくれた花束を、おずおずと受け取る。
「私、失敗してしまったとばかり思っていましたけど。少しは、皆さんの役に立てていたんでしょうか…」
あの日守ろうとした人たちから、こんなにも温かな言葉をもらえるなんて夢か何かのように思えて、フロラは呟くように疑問を口にした。それにアースがしっかりと頷いてくれる。
「もちろんだ。勇敢に戦い、たくさんの民たちを救い出した君を、俺は誇りに思うよ。
──さて、子どもたちの可愛らしいプレゼントの後だと見劣りしてしまうかもしれないが」
そう言いおいて、アースがフロラの目の前に跪く。彼がこうするのは初めて会った夜、形式上の婚約を提案されたとき以来だ。
展開に付いていけずにアースのつむじ辺りを見下ろすフロラに差し出されたのは、手のひらに収まってしまうくらいのサイズの小箱。それをアースがゆっくりと開けて見せる。
「俺と、婚約してくれないか」
まるで空の星が墜落してきたような、大粒のダイヤモンドがそこに光っていた。
「えっ。……あ、そういえば私たち婚約指輪はまだでしたね?」
「そうではなくて」
アースが左右に首を振り、真摯な眼差しでこちらを見つめる。
「俺はもう、君のすべてが愛おしく感じるんだ。慈愛深く全てを懐に入れようするところも、夢中になると前が見えなくなるところも。真面目なところも、かと思えば無鉄砲で、喧嘩っ早いところも。君の強さも、弱さも。
君を形作るすべてが特別で、大切に思える。いつの間にかそうなっていた。俺の命がある限りそばで支えたい。強大な力を持つ君だが、それでも俺が守りたい。君を一番に守るのは俺でありたい。……君を、愛している」
なぜか彼と初めて出会った夜のことを思い出す。
あの時も真っ直ぐにお互いを見つめたけれど、あの夜とは比べ物にならないほどに、熱を帯びた漆黒の瞳。
「──俺を君の、本当の婚約者にしてくれないだろうか」
出会いは別に、良いものではなかった。暗闇で剣を突きつけられたのだから。絡みあった視線の意味は警戒だった。
それなのにひょんな利害の一致からなぜか婚約者になって、一つ屋根の下で暮らすことになった。毎日共に食事をして、どうでもいいような会話を楽しく交わすような関係になった。
アースはいつでもフロラを気遣って、心配してくれた。大切にしてくれた。普段の怜悧な顔付きを優しく綻ばせて微笑みかけてくれた。慈しむように手を取って、髪を撫でてくれた。
(本当の婚約者。形式上ではなくて、本物の家族になる……アースと)
いつしかフロラも、アースのことを特別な存在だと感じるようになっていた。その指先に、滑らかな黒髪に、触れたいと思うようになっていた。
「好きです……」
ぽろりと。唇から言葉が転がり出た。
「私も、好きです。……愛しています。アース、あなたを」
これが恋かどうかなんて頭の中で考えてぐるぐると悩んでいた時もあった。他にしなければならない仕事がたくさんあって、恋どころじゃないと考えていた時もあった。種族の違い。寿命の違い。考えなえればならないことも山積みだけれど。
それでも、アースへの気持ちが堰を切ったように溢れ出して止められない。
「こんなつもりじゃなかったんです。仕事しにきたくせにって思われるかもしれないけど。でもいつの間にか……本当に自分でも気付かないうちに──ひゃっ」
次の瞬間、フロラはアースの腕の中に収まっていた。
「ありがとう、フロラ」
いつも静かに話すアースの声が弾んでいるように聞こえて思わず顔を上げると、至近距離で目が合う。
あ。そう思った時にはもう、唇が重なっていた。前に書庫の片隅で見つけて読んだ恋愛小説にはこう書いてあった。口付けの感触は薔薇の花びらに唇をつけるようだと。
けれどフロラはそれが間違いであると知った。実際の口付けはもっと温かくて柔らかくて、胸がジンと痺れるくらいに幸せなものなのだと。数秒ののち、触れた唇は静かに離れていく。
「一生大切にすると誓うよ」
「……何にですか?」
照れ隠しに聞き返すと、アースは蕩けるように微笑んだ。
「もちろん──我が愛する女神、フロラレーテ様に」
途端、拍手が巻き起こった。
驚いて周囲を見回せば、エバが真剣な表情で手を叩いている。ジュドは涙ぐんでハンカチを目に当てている。この庭に集まってくれたたくさんの人々が、晴れやかな笑顔で祝福の言葉を口にしている。
フロラはそこでようやく、この場がどういう場所だったのかに思い至った。顔を耳まで真っ赤に染め上げる。公衆の面前でなんということをしてしまったのか。
羞恥のあまり両手で顔を覆う。その左手の薬指には、あるべき居場所に落ち着いた星が満足げに煌めいていた。
働き者の女神は人間界に舞い降りる 〜甘やかし癖のある公爵の婚約者になりましたが、初心を忘れず仕事します〜 京花 @KyokaXXX
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