第14話 そして解決へ
アースが剣を振り抜くたびに風が唸る。
以前演習場でアースの模擬戦を見たことがあったが、あれはあくまでも"指導"だったのだ。それをフロラは明確に感じた。
素人のフロラから見ると真っ直ぐで単純にすら感じられる剣筋は、極限まで無駄を省かれ、研ぎ澄まされ、そして重く鋭い。
大男は鞭では戦いにならないと悟ったのか、すぐそばに伸びている痩せぎすの男の手からナイフを抜き取り応戦しているが、明らかに形勢が悪いのが見て取れる。
アースは瞬く間に大男を壁際まで追い詰めると、最後に相手の頭を柄で強打した。
「こんな衆目の中で、血を見せるわけにはいかないだろう?」
展開が早過ぎて呆然とすることしかできないフロラに、アースが話しかける。
「八つ裂きはあとのお楽しみにしておこう。君も鬱憤を晴らしたければ参加するといい」
「け、結構です……」
冗談じみた台詞とは裏腹に、アースは手早くフロラを拘束していた縄を切った。
ボロボロの布を辛うじて身体に引っ掛けているようなフロラの格好を見ると、一瞬痛ましげに眉を寄せて、そっと包み込むように自分の上着を着せ掛けてくれる。
ふわり、とアースの香りに包まれてフロラはものすごく気恥ずかしい気持ちになった。
「……このマント、騎士団長以外は羽織ってはいけないのでは?」
「団長本人の許可があれば構わないだろう」
「そういう問題でしょうか?」
ホッとして気が緩んだせいか、感情がぐちゃぐちゃだ。
助けてくれてありがとうとか、任務をちゃんと遂行できなくてごめんなさいとか、不甲斐ない自分に対する反省とか。
言いたいことは沢山あるのに、どうでもいい言葉ばかりが口から出てくる。
そんな自分に戸惑って、思わずアースの漆黒の瞳を縋るように見つめてしまう。
「あの、私……」
「良くやったよ」
フロラが何か言うよりも早く、真摯な表情で告げるアースに、フロラは言葉を失う。
「フロラ、君は良くやった。実戦経験が一切ない中、目に映った全ての人間を一人も欠かすことなく出口まで連れてきたんだろう? すごいことだ」
「でも、もっと慎重に動くべきでした。先を急ぐあまり敵に察知されて、人質を取られて、自分は拘束されてしまって。アースがあと少し遅かったら全員無事ではいられなかった」
自分の言葉に、身体が震えた。今回はたまたま何とかなったけれど、一歩間違っていたら大変なことになっていたはずだ。
被害者たちにそっと視線を投げる。フロラの結界に逃げ込み、涙が乾き切らない顔でこちらを見ているあの人質の男の子は、もしかしたら殺されていたかもしれない。フロラがここまで連れてきた被害者たちは、組織に連れ戻されて逃げ出した罰を受けさせられていたかもしれない。
「アースだったら。……アースだったらもっと上手くやれてただろうって、私」
「だが今回の役は君にしかできなかった」
そうだろう? と言い聞かせるように髪を撫でてくるアースに、フロラは唇を噛む。
自分は未熟だ。それが改めて分かった。
けれど、そのくらいで諦めるような生半可な気持ちでこの世界に来たわけじゃないから。
フロラは涙がこぼれ落ちないよう目に力を入れて、アースの漆黒の瞳を正面から見返した。真っ直ぐに顔を上げ、決意を込めて。
「助けてくれてありがとうございました、アース。私、これからもっと頑張ります」
「君は、ぶれないな」
アースと共に被害者たちを連れて外に出れば、すでに他の出入り口から騎士団の突入が始まっているようで、建物内部からは武器を打ち鳴らす音と怒号が響き渡っていた。
数人の騎士団員が守るなか、助け出された人々が集められている場所があったので全員でそこへ向かう。
途中、団長の上着を羽織ってアースに手を引かれるフロラを何人もの騎士が二度見していたので、やっぱりこの上着は団長しか使ってはいけないのだと思う。
そんな最中、落ち着いた足取りでこちらに歩み寄ってくる人物がいた。紺色の髪を一つに纏め、姿勢良く歩いてくる姿。いつものメイド服でなくても、彼女のことをフロラが見間違えるはずはない。
「エバ! 無事だったのね」
「すべて計画通りです」
淡々と告げるエバに、流石だわと惜しみない拍手を送った。その拍子にふわりと上着がはだける。一瞬だけ、フロラの白い肌が顕になった。
アースは周囲の騎士を鬼の形相で威嚇したし、何となしにこちらを見ていた騎士たちは動揺で真っ青になったし、エバは物凄い勢いで隣のアースを睨んだ。
「エバ、少し破れてしまっただけよ。アースがすぐに助けてくれたから無事だったわ」
フロラが説明すると、エバは納得したようにこくりと頷いて、アースを睨むのを中止した。
「お召し替えを」
エバは淡々と告げると、どこからかフロラの団服を取り出し神業のような技術で着せてくれた。
その一連の作業はその場で、上着を一切捲ることなく行われ、しかもシャツを脱がすところから団服を着せ終わるところまでほんの数秒だった。
「エバは魔法使いなの……?」
「しがない侍女でございます」
フロラはパチクリと目を瞬きながらも、これ以上騎士たちをギョッとさせるのは本意ではないので、役割を終えた上着をアースに返しておく。
そんなことをしているうちに、辺りに少し風が出てきた。胸騒ぎをさせるような、少し生暖かく湿った風。
その風に何だか慣れない匂いが混じっている気がして、フロラは顔を上げた。
「変な匂いがするような……」
「まずいな、どこかで火が出たようだ」
アースの言葉に慌てて周囲を見回すと、建物の反対側の方から煙が上がっているのが見える。
「初めに馬車が着いた部屋の方かしら」
騎士団員たちがにわかに騒ついて、被害者たちに万が一のことがないよう建物から遠ざからせようと動き始める。
「こら、ボウヤ!」
「お姉ちゃん!!」
騎士の静止を振り払って駆け寄ってくるのは、先程人質に取られていた男の子だ。
「どうしたの?」
「友達がいないんだ、一緒に閉じ込められていた女の子が二人! きっとまだ中にいるんだよ! 助けて、お姉ちゃん!」
「──大変! アース、私たちで行きましょう。私が火を抑えますから」
「君、まだ魔力は残ってるのか?」
「大丈夫です」
フロラは迷いなく答えた。駆け出そうとすると後ろからパッと手を取られる。
「ロザリア」
「フロラ、あなた──」
フロラの魔力が尽きかけていることを知っているロザリアが、物言いたげに口を開く。
その瞳をしっかりと見つめて、フロラは首を横に振った。
「行ってきます。事件が解決したら、お茶会をしましょうね」
***
アースと共に火の出ている方の入口を入ると、すでに内部は火の海だった。
「酷いな」
「水で抑え込みますから、後ろに付いてきてください」
フロラは手をかざし、火元と思われる所にしらみ潰しに水をかけて消火していく。
ジュウと音を立てて火が消えていくが、発された熱気や蒸気が消えてなくなるわけではない。凄まじい暑さに流れる汗を拭いながら、一歩一歩先を進む。
「檻に閉じ込められている時、グリスピーク侯爵に会いました。恐らく今回の黒幕です。隣の檻には侯爵の娘のロザリアが閉じ込められていて」
神力が枯渇してきて手が震えるのを紛らわせるように、アースに話しかける。
「ロザリアは建物内部のことにとても詳しかったので、色々と教えてもらいました。この建物には、競売場に繋がる隠し通路がいくつかあるとか。
…ねえ、アース。私、ロザリアとお友達になったんですよ。ロザリアは悪行を繰り返す父親から必死に逃れようとしていました。ロザリアの父親は悪人ですが、彼女まで重い罪に問うたりしませんよね?」
「彼女と組織の関わり方にもよるが、善処しよう」
「ありがとうございます」
「なぁ。何故、君はそんなにも人を救おうとするんだ? どうしてそんなにも献身的になれる?」
「どうしたんですか? 急に」
「急なんかじゃないさ。何となく君は話したくないんじゃないかと思って、これまで聞かなかっただけだ」
話したくなかった──そうかもしれない。正確には、思い出したくなかった。
それをアースは敏感に感じ取って、そっとしておいてくれたのだ。彼はそういう人だと、フロラは知っている。
「今だって、こんな火の中に飛び込んで。今の君は人間だから命の危険だってあるのに、君は全くそれを顧みない。理由が、ずっと気になっていた」
アースになら話してもいいかもしれない。素直にそう思えた。
「それは──」
いくつ目かの扉を開けると、膨れ上がるように扉から火が溢れ出してきた。
「きゃっ」
「フロラ!」
ここはひときわ火事が酷い。書斎だったのだろうか。倒れた本棚、そこから落ちた本や書類の山が燃え盛っている。恐らくここが火元だろう。
「何者かが現場を混乱させるために、ここに火を付けたようだな。かなり火の勢いが強いが…フロラ?」
フロラの目線はその部屋の中央に吸い寄せられていた。地下へ繋がる隠し通路がぽっかりと口を開けているのが目に飛び込んできたからだ。
フロラは、檻に閉じ込められていた時にロザリアが語っていたある情報を思い出していた。
「あれを見てください。隠し通路のうちの一つじゃないですか?」
良く耳をすませば、その奥から微かに子どもの泣く声が聞こえる。子どもたちが自分で隠し扉を見つけられるとは思えない。恐らく組織の手の者が手近にいる子どもを連れて逃げていこうとしているのだ。
「火を鎮めて、子どもを助けます」
フロラは宣言すると、全身の神力を掻き集めて手のひらに集中させる。神力と一緒に血の気までも引いていくのを感じるが、止めるつもりはない。
「これは矜持なんです。生まれてから今まで数えきれないほどの命をただ指を咥えて見送った、無力でちっぽけな女神の矜持」
何故、こんなにも人を救おうとするのか。先ほどのアースの問いに対する答えだ。
「私は耐えられなかったんです。人の命がまるで無意味な砂粒のように次々と散っていくことに。恐ろしくて、虚しくて、悲しかった。だから」
絶対に諦めない。
「──私はもう二度と、目の前で人を不幸にさせたりなんかしない。そう誓いました」
頭上高くに手を翳す。
「水よ」
手のひらから溢れるようにして大きな水の塊が幾つも宙に現れた。
まだだ。もっとたくさん。もっと大きく。この火は、中途半端な水では抑え込めない。
こんなにも暑い場所に居るのに、全身が冷え切っていく心地がする。
それでも力を振り絞って、幾つもの水の塊を生み出しては一つに集めて大きく大きく育てていく。
「もっと、もっと……!」
うわ言のように呟くフロラの背中を、アースがしっかりと支えてくれる。
温かい体温を背中に感じる。フロラは触れたところから気力が流れ込んでくるような気がした。いつだってフロラの力になってくれるアースだからこそ。彼がそばにいるという実感がフロラを奮い立たせてくれる。
「あと、少し……っ」
ついに部屋を覆い尽くせるほどの水塊が、フロラの頭上に完成した。
「鎮まれ──!」
怪物のような炎を反射してオレンジ色に輝くそれを、ドウッと音を立てて放つ。
息ができないほどの蒸気が視界を真っ白に埋め尽くした後、残ったのは焼け焦げた部屋だけだ。無事に鎮火したのだ。
はぁはぁと、フロラは息を荒げながらも薄く笑った。
「……さあ、行きましょう」
隠し通路の内部に潜り込めば、対象に追いつくのは一瞬だった。相手は泣き叫ぶ子どもを二人も連れているのだから当然だ。
「グリスピーク侯爵。人身売買組織運営の容疑で逮捕する」
騎士団長に抵抗できるとは、流石の侯爵も思わないのだろう。
項垂れる侯爵の腕にアースが縄をかけた。それを確認すると同時に、ぐらりと世界が揺れる。
自分の名を呼びながら駆け寄ってくるアースを薄らと視界に収めたところで、フロラの意識は暗転した。
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