第13話 いつだって、あなたは
「ええっ! ……わ、私!?」
ロザリアにキッパリと毒殺対象だと言い渡され、フロラはひっくり返りそうになった。
「私を殺しても特にお得なことは起こらないと思いますけど!?」
「いいえ、もちろん父にとって得はありますわ。父のこの人身売買事業、一番の敵になるとしたらそれは王都を守護する騎士団の団長。ゼルラント公爵──あなたの婚約者なのです。
だから父は当初、私をゼルラント公爵と結婚させる計画を立てていました。私を通して上手く操ることで公爵の目を逸らす目的です。もしくは悪行を気付かれたとしても、身内にさえなっておけば犯罪に目を瞑ってもらえるとの思惑もあったかもしれませんわね」
「アースはそういうのしないと思いますけど」
「ゼルラント公爵の高潔さは、自分の繁栄のために犯罪も厭わない父のような人には理解できないのですわ。
…話が逸れましたわね。とにかく父のその計画は、あなたが存在する限り成立しません。だからまず初めに、前回の王城の夜会でわたくしを使ってあなたの評判を落とし、婚約を破談にしようとしました。そしてそれが失敗したので、今度はあなたを殺そうと画策したのですわ」
フロラがなるほど、と至極あっさり頷くと、ロザリアは頼りなげな声を出す。
「本当に分かっているのですか? ……フロラは、父の──わたくしの、暗殺対象にされていたのですよ。わたくしのこと、嫌にならないのですか?
──いいえ。そもそも先ほどの父とのやり取りを聞いた時点で、わたくしと親しくしようなどとは思わないはずですわ。幼い頃から父に言われるがまま、周囲の人達を貶めてきました。しかも父は、国の禁忌である人身売買にまで手を染めている。そんな家門の娘と関わったところで」
「家は関係ありません」
フロラはきっぱりと告げた。
「親も関係ありません。少なくとも今のあなたは、こんな檻に閉じ込められてまでも犯罪を厭い、父親の呪縛から逃れようと必死にもがいているように見えます」
「でもそんなことができるのか……。わたくしにも分かりませんの。今さら悔い改めたところで、という気持ちもありますわ」
力なく膝に落ちているロザリアの手を、鉄格子の隙間からぎゅっと握る。
「あなたが今からでもその呪縛から逃れ、正しい生き方をしたいと願っているなら。……私はその手伝いをしたいんです。だって私たち、もうお友達じゃないですか。
──少なくとも私はお友達だと思っています。ロザリアは違いますか?」
「わたくし、は……」
自分自身に問いかけるように黙り込んだロザリアの瞳がじわりと滲んだ。フロラの見る前で、堪えきれなくなったように顔をくしゃくしゃにする。
その瞳からポツリと一粒、透明な涙が零れ落ちるのをフロラは目で追った。
「ええ。……ええ、わたくしも、お友達だと思っています。わたくし、ずっと父から逃げたかった。母が若くして亡くなって、それからずっと父の言いなりになってきたけれど。
──わたくしだって。普通の少女のように、自分の意思で気の合う人とお友達になってみたかった。他愛もないお喋りを楽しんでみたかったわ」
「ここから出たら、いくらでもしましょう」
「……出られるのかしら?」
「そのために私はここへ来たんです」
牢の外がにわかに騒がしくなった。
援軍だろうか? 少しの情報も逃さないようにと聞き耳を立てていると、すぐにバタバタと走ってくる音とともに小柄な女が通路の向こうから姿を表した。
「はっ! エバ!?」
こんな状況でも安定感のある無表情。紺色の瞳がこちらを捉えたと同時に、シュッと一枚の紙が投げ渡される。
「おい、逃げるんじゃない!」
「捕まえたぞ! こっちに来やがれ」
「くそ、この女どこから表れやがったんだ!? うちの扉を正面からノックするなんざ──」
エバは追いかけてきた男たちに引っ立てられ退場していく。その手元がこちらに向かって親指を立てているのをフロラは二度見した。一瞬の出来事だった。
「フロラ? ええと、今のは何でしたの?」
「侍女の、……ええ? 私の侍女なのは確かなんだけど、何だったのかと聞かれると。私にも分かりませんね……」
困惑しながら、エバが置いていった紙を広げてみる。
《間もなく突入を開始する。被害者を解放し、敵を倒しつつ合流せよ。結界を忘れずに》
文末にはアースのサインが添えられている。作戦決行の合図だ。
「ロザリア、私は行かなければいけません」
「行くってどうやって……」
戸惑うロザリアに微笑んで、牢の鍵を壊して見せる。風を使って切断すれば瞬きよりも早く済む。
「一緒に行きましょう?」
差し出した手をロザリアが真っ直ぐに見つめる。息を飲んで、しかし覚悟を決めたように頷く。
「行くわ」
ロザリアはフロラの手をしっかりと掴んだ。
「とにかく、牢を開けて被害者を解放しながら出口に向かって進みます。道を阻む敵は倒しますが、脱出優先で。ロザリア、案内してくれますか?」
「あまりにも危険ではないかしら」
「全員に結界を張ります」
「先ほどから気になっていたのだけれど、あなた何者──…と、そんな事を話している場合ではありませんわね。分かりましたわ。まずはそちらを左に」
「了解です!」
ロザリアの案内に従って、なるべく敵と鉢合わせないルートを辿りながら見つけた檻を手当たり次第開けていく。
「騎士団の者です! 助けに来ました、付いてきてください」
一つ目の檻、解放。二つ目。三つ目。
着実に囚われた人々を助け出しながら、フロラは出口に向かって進み始めた。
***
「エバが行ってから四半刻だ。俺はもう出る」
「アース様、まだ駄目ですってば! もう少し援軍が必要です! 敵のこの広い敷地を見てください。こんな建物に人員不足で突っ込んだら、制圧する前に人質を取って立て篭もられますよ! それだけならまだしも、隠し通路か何かから逃げられたらどうするんです!?」
「…………ジュド」
「顔が怖い!! でも絶対に駄目です!!」
毎回必ずと言って良いほど無茶をするフロラが心配でならない。アースは苛々とジュドを睨みつけた。
フロラは、まだ人間として生きることにそこまで慣れていない。
本質が女神なのに、身体だけが人間なのだ。そのアンバランスに当の本人が無自覚なせいで、彼女自身も気付かぬうちに許容範囲の限界を超えてしまうことが少なくないのを、アースは知っていた。
「ジュド。おまえはフロラの正体を知っているから、彼女を何事でも簡単にこなせる存在とでも思っているのかもしれないが、それは大きな間違いだ」
関所で犯罪組織の馬車を探していた時、能力を使い過ぎて突然倒れ込んできたフロラの、血の気の引いた顔を思い出す。彼女は決して万能などではない。
今回救わなければならない相手が何人囚われているのか不明だが、たとえ何百人いたとしても、彼女は目に映る全員を誰ひとり取り零すことなく助けようとするだろう。
しかし敵地にたった一人、数々の制約がある人間の身で、果たしてそんなことが可能なのだろうか。アースには、とてもそうは思えなかった。
「彼女は潜入捜査も敵地への奇襲も、すべて初めてなんだ。現場経験が何ひとつないまま、生まれ持った能力だけを頼りに敵地へ身を投じている。それがどれほど危険なことか、分からないわけではないだろう?」
「それは……」
「もちろん、この役目は彼女にしかできないものだった。だから任せた。だが彼女が今も無事でいるという保証はどこにもない。一刻も早く、行かなければ!」
固く握った拳で横にある木を殴れば、幹にヒビが入り残骸がパラパラと地に落ちた。
その時、背後から地響きを感じてアースは顔を上げる。腹に直接響くようなこの振動は、大人数が騎乗で近付いてきている証拠。援軍の足音だ。待ち侘びた感覚に唇の端を引き上げる。
「さあ──もう文句はないな、ジュド? おまえは後から追って来い」
アースは双子魔石が導く方へと走り出した。ただ婚約者の無事を祈りながら。
***
「そちらを右に……あっ」
敵が剣を片手に立ち塞がった。ロザリアが怯むが、フロラはそれを瞬時に電撃で一掃する。
「問題ありません。皆さんも、落ち着いて行動してください。結界を張ってありますので」
そろそろ、解放した檻も十を超えた。
ちょっとした団体になった被害者たちは皆不安そうにこちらを見ている。それを振り返り、フロラは念のため結界を張り直した。
力を使い過ぎているせいでカタリと震えた指先に、手を繋いでいるロザリアだけが気付いた。
ロザリアの手が、ぎゅうとフロラの手を握りしめる。
「フロラ、そろそろ出口が見えるはずですわ」
「ありがとう、ロザリア」
話している間に、正面の扉の隙間から、うっすらと外の光が差して見える。あれが出口に違いない。あと少し──
「止まりなさい! さもなくば子どもを殺します」
横の通路から、敵が立ちはだかった。すでに一度見た顔だ。
ここに来た時に顔を合わせた、冷徹な大男と痩せぎすの男。
痩せぎすの方が幼い男の子を拘束し、その柔らかな首にナイフを突きつけているのを目にしてフロラは動きを止めた。
「騒々しいと思って来てみれば。あなたさては、騎士団の犬ですね? さて、危険を顧みずに潜入し、ここまでやってくれたことは褒めて差し上げますが……"正義のミカタ"ならば、当然子どもを見殺しにはできないはずだ。そうでしょう?」
両手を上げろ、と大男が無感情に告げる。
「フロラ……」
不安げな声を出すロザリアにそっと頷いて、後ろに下がるよう促す。
自分を守る結界を解き、被害者とロザリアの結界だけは保ったまま、フロラは言われた通りに両手を上げた。その両手は、大股で距離を詰めてきた大男にきつく縛り上げられ、近くの鉄格子にくくりつけられてしまった。
これで攻撃ができなくなった。狙いがつけられないからだ。
「さてと。間諜には拷問──いや、また暴れられては面倒ですね。まずは服を全て脱がせてしまいましょう。女を動けなくするには、それが一番効果的だ」
痩せぎすの男が好色そうな嗤いを浮かべて大男に指示を出した。
(どうにかして反撃できないかしら)
フロラは苦し紛れに手を動かしてみるが、結び目は固く、外れそうにない。
縄を風で切ることはできるけれど、そうすると自分の手までズタズタに傷つけてしまう。再び神力を使うためには手を治癒する必要があるけれど、それよりも人質が傷つけられる方が速いだろう。
いっそのこと、広範囲に強風を吹かせてみる? いや、誰がどう吹き飛ぶかは運だ。危険すぎる。
ナイフはなおもしっかりと男の子の首筋に当てられている。ここまで連れてきた被害者たちは、フロラの結界の中で怯えて身を寄せ合っている。
完全に自分のミスだ、とフロラは悟った。もっと慎重に、静かに動くべきだったのだ。
大男がフロラのシャツの胸元を掴み上げ、何の躊躇いもなく左右に引く。ブチブチと音を立ててボタンが弾け飛び、白い肌と下着が露わになった。
唇を噛みながら大男を睨み上げれば、自らの優勢を確信した痩せぎすの男が高笑いする。
「何ですか、その反抗的な目は!? この子どもがどうなっても良いのですか? ──ああ、それも面白いかもしれませんねぇ。どうせ競売は中止だ。売れもしない商品が一つ壊れるくらい」
「やめて!」
「嫌ならば、私に媚びてみたらどうだ!? 上手にできたら、この無価値な商品も多少は丁重に扱って差し上げますよ!」
悔しくて、掌を握りしめる。
裸を見られる羞恥? 屈辱? ──そんなもの、どうってことはない。
けれど自分がいながら、みすみす幼い子どもを人質に取られ、怖い思いをさせてしまっていること。そのことが何よりも悔しくて、つらかった。
自分の手でたくさんの人を救うのだと。そう息巻いて天上界から降りてきた。なのに結局大失敗だ。これでは天上界にいても人間界にいても、同じことではないか。
人間になって、この世界に干渉する権利を得て、何でもできるという気持ちになっていたけれど、そんなのはただのまやかしだった。
本当の自分は、どこに有っても変わらず無力なままで。神などとは名ばかりで、ちっぽけな自分。そんな自分に失望することしかできない。
(──ごめんね)
突きつけられたナイフに震えてボロボロと涙を零す男の子に心の中で謝りながら、少しでも安心させてあげたくて無理やりに笑みを作る。
「大丈夫よ」
せめてあなたに怪我だけはさせないようにするから。
そして深く息を吸って、吐いて。
「……おねがいします。……私は、………………から」
「はァ!? 声が小さくて聞こえませんね!」
振り絞るように声を張り上げる。
「お願いします! どうかその子に手を出さないでください。私は、どうなっても構いませんから!」
「それは聞き捨てならないな」
聞き慣れた声と共に、痩せぎすの男が吹き飛んだ。鉄格子に頭を打ち付けて、伸びる。
「無茶はするなと言ったはずだ。フロラ」
「──アース」
敵の背後の扉から表れたのは、フロラの目には特別頼もしく映る漆黒。いつだってフロラを助けてくれる、唯一無二の存在。
まだ敵はもう一人残っている。凶悪な棘付きの鞭を構え、アースとの間に立ちはだかる大男。この犯罪組織の用心棒を担う、恐らく相当な手練れ。
それでもフロラは安心してしまった。その声を聞いただけで、もう大丈夫だと思えてしまった。
「すぐに片付ける。待っていろ」
全身から怒りをたぎらせ、アースが剣を構えた。
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