第12話 意外と気が合う

 今日も今日とて、彼女は赤いドレスを着用している。赤が好きなのだろう。

 流石に夜会の時のドレスよりはシンプルだが、相変わらずディティールが凝っていて布をたっぷりと使った美しいドレスだ。


 そんな洒落た格好で隣の檻に収まっている彼女はこちらを見て、驚きのあまり大きく口を開けた。


「ど──」


 と叫びかけてから、ハッと我に帰ったように手のひらで口を覆って声量を下げる。


「……どうしてあなたがここに!?」


 当然の問いかけを受けたフロラは、困って首を傾げる。まさか正直に潜入捜査中ですなどと明かすわけにもいくまい。


「まあ、色々と事情がありまして」


 そんな風に言葉を濁すと、彼女は嫌そうに眉を顰めながらさらに何かを言おうとしたので、フロラは慌てて先に声を上げる。


「あなたこそ何があったんですか? どうして攫われてしまったんです」


 良家の子女である彼女が護衛も付けずに一人で出歩くとは考えにくいから、単純に理由が気になる。

 すると彼女の方も、言葉に詰まったように唇をモゴモゴさせた。


「わたくしは、攫われたというわけではなくて──いいえ、なぜあなたにそこまで言わなければならないのかしらっ? もちろん内緒よ!」


 何かを言いかけたが止めてしまった。彼女はいかにも気位が高そうな感じでツンと顎を上げて顔を逸らす。

 それがなんだか懐かない猫のように可愛らしく見えて、フロラは思わずくすりと笑ってしまった。


「内緒じゃあ、仕方ないですね」


「何なのよあなた。夜会の時といい、今日といい、余裕そうな表情をして。癪に障る方ですわ」


「そう見えますか? ごめんなさい」


「べっ、別に謝らなくたって! 貴族たるもの、そう簡単に他人へ謝罪するものじゃなくてよ!」


「あはは。ところでここには私たち二人しかいないんだし、お互い過去のことは水に流して仲良くできますか?」


「はぁ!? ま、まあ、あなたがどうしてもと言うならば、そうして差し上げても構いませんけれど」


「では、どうしても」


 終わったことは引きずらない主義のフロラである。こんな場所で再開したのも何かの縁。念押しのように微笑みかければ、彼女は少し頬を染めて唇を尖らせた。


「ごほん。……わたくしはロザリアと申しますわ。グリスピーク侯爵家の娘、ロザリア」


「私はフロラです。よろしくお願いします、ロザリア」


 話してみれば、ロザリアは不自然なほどこの場所に詳しかった。

 この施設は、人身売買組織が運営する裏競売に出品される者たちが集められる場所であること。商品の状態をよく保つため、基本的には食事は三食きちんと出ること。しかし泣き叫んで騒いだり抜け出そうとしたりすると、服で隠れる場所に折檻を受けること。裏競売は月に一回開かれるが、今回は予定より前倒しでちょうど今夜開かれる予定であること。裏競売の会場にはここから隠し扉で直接移動できること。


「その隠し扉はどこに?」


「ああ。それなら、来て最初に降ろされる馬車寄せの部屋にありますの。入口は床に。地下通路ですわ。この建物にはそんな通路がたくさんあるのです」


 ロザリアは気にした風もなく、そんな事まで教えてくれる。


 話をし始めてどれくらい経っただろう。

 陽の光の入ってこない牢にいると時間の感覚が希薄になるけれど、少なくとも服の上から体に巻きつけた布がすっかり水に浸食されてしまうくらいの時間は経過したはずだ。


「くしゅん!」


 寒気に小さくくしゃみをする。するとロザリアはあたふたと檻の端まで近寄ってきて膝掛けを手渡してくれた。


「しっかり身体に巻いておく方がよろしくてよ。ここは半地下だから寒いのですわ」


「ありがとうございます、ロザリア」


 身体にしっかりと巻き付ければ、ふわふわで暖かい。これはおそらく檻にあったものではなく、ロザリアの私物だろう。色もやっぱり赤。


「ロザリアは、赤が好きなのですね」


「ええ? ……そうね。母が好きだった色ですの」


「お母様は?」


「わたくしが幼い頃に亡くなってしまいましたわ。──あら、気になさらなくてよくてよ。もうずっと昔の事だもの」


 夜会での攻撃的な態度が嘘のようだ。あの時は何か事情があったのだろうか。そんな疑問がフロラの中に生まれる。


 素直じゃない所はあるけれど、今日の態度が彼女の素ならば、悪い人間のようには思えなくて。

 いっそ本人に聞いてみようとフロラが口を開きかけたとき、コツコツと廊下をこちらに向かって歩いてくる足音が響いてきた。


「シッ! 静かに。あなたは顔を伏せていらして」


 ロザリアはそれだけ言うと素早く姿勢を正し、フロラから目線を離す。まるで誰がどういう目的で来るのか、初めから知っているかのように。


 やがて足音の主が姿を表した。フロラは言われた通りに、囚われて絶望しているようなポーズで膝に顔を埋めながらも、そっと確認する。

 以前貴族名鑑で見たことのある顔だ。恰幅のいい体型に、お世辞にも美形とは言えない容姿。特徴は妙に先が丸まった口髭。手にしているのは貴族男性が嗜みとして持ち歩くステッキ。


「ロザリア、お父様だぞ。どうだい? 反省はできたかな?」


 グリスピーク侯爵──ロザリアの父親だ。


 どういうことだろうか。フロラはそう思いかけて、しかしすぐにその疑問を打ち消した。もうほとんど答えは出ているから。

 だって彼は、檻の外で自由に歩き回っているのだ。それに加えて、発言から考えれば必死の思いで娘を助けにきた素晴らしい父親、というわけでもない。


 侯爵は隣に囚われている女のことなど気にも留めず、娘の牢へと歩み寄る。


「本当はお父様だってこんな事はしたくなかったんだ。けれど、おまえが父親の言う事を聞けないから。…おまえのためを思って仕方なくこうしているんだ。分かってくれるね?」


「はい。お父様」


 ロザリアが従順に頷くのに、侯爵は満足気に微笑んだ。


「それなら今度こそお父様の言う通りに動いてくれるかい?」


「──それは」


「それは、何だね?」


 ロザリアが怯んだように黙り込むと、侯爵は彼女に笑顔を向けた。

 フロラにはそれを笑顔、と形容してしまっていいものかが分からなかった。確かに弧を描いているはずの目が、少しも笑っていないように見える。いびつに歪んだ嗤い。


 侯爵は手にしているステッキで床をコツコツと叩いた。そのささやかな音に、ロザリアが大げさなほど震え上がる。


「──まだお父様に反抗するのかい?」


 侯爵の声色が変わったのが、フロラにもはっきりと分かった。とても実の娘にかけるような性質のものとは思えない、冷たく凍り付いた声。


「父親に従うのは貴族の娘の義務だと、何度言ったら分かってくれるのだ……」


 侯爵はポケットから鍵を取り出すと、ロザリアの檻に手を掛け、ゆっくりと解錠し始める。ロザリアが首を振って後退るが、狭い檻の中では、奥の壁に身を寄せることしかできない。


「申し訳ありません、お父様……。ごめんなさい」


「簡単な事だ。次の夜会でお父様の邪魔になる者のグラスに毒を入れる。たったそれだけ」


「ですが……っ」


「なぜ出来ない? これは君のためでもあるのだよ。君がお父様に協力して、お父様の地位が高くなれば、その分だけ君ももっと良い暮らしができるのだから」


「お父様……」


「これまでもたくさん、悪いことをしてきただろう。お友達を虐めたり、怪我をさせたり」


「それ、は……お父様が」


「君がやった事だ! お友達の不幸を踏み台にして、自分だけ幸せになろうとした! そうだろう!?」


「……っ」


「何を今さら善人ぶる必要があるのだね!?」


 激昂した侯爵がとうとう鍵をはずし、檻の中に足を踏み入れた。嗜虐的な表情を浮かべ、実の娘を追い詰める。


「悪い子だな、ロザリア! たくさんの人から恨まれている我が娘よ。お父様が守ってあげなければ生きることすらできない、無力な娘」


「お父様、許して…‥、お許しください。どうか」


「これは全部、君のためなのだよ」


 呪詛のように呟き、侯爵がロザリアに向かって勢いよくステッキを振り下ろす。ロザリアが痛みに構えてぎゅうっと目を閉じた。


 ──プチン、と盛大に何かが切れた音がした。多分自分の血管だ、とフロラは冷静に考える。


 バチバチッ!! 


 侯爵が雷に打たれたように白目を剥き、煙を上げながら床に倒れ込んだ。

 正確には雷ではなく、フロラがかなり怒りを込めて指先から放った電撃だが。


「ふんっ、そこで永遠にビリビリしていることね」


 反動で軽く痺れた指先を振りながら仁王立ちする。

 許すまじき悪党に鉄槌を下したことで、実に爽快な笑顔を浮かべるフロラを、ロザリアがぽかんと見つめた。


「はっ!? あ、あなた、何を──」


 バタバタと外から足音が聞こえたことに再び緊張が走る。牢で異変が起きたことに、組織の人間が気付いてしまったに違いない。

 どう誤魔化せば? フロラが思考するなか、先に動いたのはロザリアだった。


 彼女は覚悟を決めたように先程まで座っていた椅子に駆け寄った。と思ったら、重みにふらつきつつも振り上げ、侯爵の頭に振り下ろした。

 ガツッと鈍い音がして、侯爵に見事なたんこぶができる。


「きゃあっ! お父様が転んで頭を打ってしまいましたわ」


 駆け込んできた男たちはロザリアの言葉を信じ、あたふたと侯爵を運び出すと再びロザリアの檻に鍵をかけて去っていった。








「……行きましたね」


「……行きましたわ」


 しばし二人で顔を見合わせる。

 フロラが込み上げる感情を我慢しきれなくなるのはすぐだった。


「ロザリア、すごい! 素晴らしい判断力でした!」


「今までお父様に逆らえた事なんて一度もありませんでしたわ。でもフロラが、急にビリビリと。お父様は無防備に倒れていて。だから……」


 ふっ、とロザリアが吹き出す。


「わたくしお父様を思い切り殴ってしまいましたわ。しかも椅子で!」


「最高に格好良かったです、ロザリア!」


 涙ぐみがら笑うロザリアとふたり、自然と檻越しに手を取り合っていた。

 難を逃れた幸運への喜びを分かち、魔法がすごかった、椅子を持ち上げる姿が凛々しかったと互いを褒め合う。


 そうして興奮が収まってくると、ロザリアはふと真剣な表情になった。


「わたくし、あなたに言わなければならないことがありますの」


 鉄格子の右と左。身を寄せ合って座る。ロザリアは意を決したように告げた。


「父が毒殺しようとしているのは──フロラ、あなたなのですわ」

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