第11話 ご縁があるらしい

 男は暗闇の中、王都からの"商品"たちが乗っている馬車をひたすらに走らせていた。


 金欲しさにこのアングラな商売に手を出したのは二年ほど前だっただろうか。

 人の不幸を食い物にして稼ぐなんて、と初めは罪悪感のようなものを感じることもあったが、慣れれば気にならなくなった。こうでもしなければ俺みたいなスラム出身者は今日の食い扶持にすら困る。

 生きるために犯罪に手を出しているような奴らは周りにごまんといて、そんな中で俺はマシな方だ。直接盗むわけでも危害を加えるわけでもない。ただ全てに目を瞑って、言われた通りに荷物を運ぶだけ。


 そんなわけで効率よく稼げるこの仕事は有難い限りだが、毎回夜を徹さなければならないのだけはいただけない。

 眠気と戦いながらいつも通り無心で馬車を走らせていた時のことだった。月明かりに照らされて燦然と輝く黄金色が視界に飛び込んできたのは。


 まるで暗闇に金粉が舞っているような、夢のような光景だった。自分が馬車を走らせているのを忘れるほどに意識を奪われ、ほんの数秒かそれとも数十秒か──とにかくしばらく経ってから、それが金粉ではなく女の長い髪であることに気が付いた。

 同時に相手もこちらに気付いたのか、美しい黄金色を靡かせて振り返る。その容姿を視界に収めて、今度こそ男は完全に思考を停止させた。


 あまりにも完成された美。夜闇の中でもうっすらと光って見えるほどの、エメラルド色の瞳。すっと通った鼻筋。抜けるような白い肌。

 神聖で高貴な空気を纏う女に、男はとうとうあの世から迎えが来たかと血迷った。目の前の存在は、死ぬ直前に天上の国から舞い降りる神の遣いかと。


 一瞬ののち、男は首を振ってそれを打ち消す。自分が死ぬとしたら行き先は天国ではなく地獄のはずだ。だから目の前の女は神の遣いなどではなく、圧倒的な美貌に恵まれただけの人間の女なのだろう。よく見れば服装も平民が着る一般的な旅装だった。


「すみません」


 見惚れていた女の唇が澄んだ音を発したことに、男は驚く。

 普段なら絶対に走り去るだろうにそうはせず、無意識のうちに馬の手綱を引いていた。ザリザリと音を立てて馬車が止まる。


「な、なにか……?」


 自分の声が不自然に上ずっているのを感じるが、女は構わずこちらへ歩み寄ってくる。


「馬を逃してしまって困っているのです。どうか一緒に乗せていってくださいませんか?」


 その一言で、思考が動き始める。臨時収入、と。その単語が頭をよぎった。


 近くで見れば、女はますます美しい容姿をしていた。神がたいそう丹精を込めて作ったのであろう完璧な美貌だ。

 少し顔色が青ざめているのは、夜道で馬を失い歩き続けていたからだろうか。しかしそれでもなお美しい。


 これほどの女を、自分が捕まえてきたと言って差し出したら──組織はいくら出すだろうか。金貨三百枚…いやもしかすると、五百枚? 

 一生遊んで暮らせる金額に、男は生唾を飲み込んだ。


「……荷台に乗るといい」


 口が勝手に動いた。この馬車に意識のある部外者を乗せるのは危険だ。そう思考の冷静な部分が警鐘を鳴らすが、まるで操られるようにして女の手を取り荷台に引き上げてしまった。

 その刹那、女の眼が獲物を捕らえた猛禽のように鋭く光ったが、残念ながら男は気付かなかった。


 追加の女を一人乗せて、再び馬車を走らせる。

 こっそりと睡眠薬を混ぜておいた水を親切そうな顔で手渡せば、女は不自然なほどにあっさりとそれを嚥下した。白い喉が微かに動いたあと、ゆっくりと荷台に倒れ込む。


 男は歓喜した。女を眺め、いくらになるか計算しながら夜道を行く。風が気持ち良いな、なんてご満悦で鼻歌まで歌いながら。







 ***




(──上手くいったわ)


 首尾通りに馬車に乗り込めたことに、フロラはそっと拳を握った。思うに、ここに辿り着くまでに上下に散々振り回されたおかげで良い感じに顔色が悪く、発言にリアリティがあったのではなかろうか。

 怪しい水を飲むふりをして襟元に流し込んだことで服が濡れてしまったのは少し不快だが、放っておいてもそのうち乾くだろう。


(それにしてもこの馬車は一体どこまで走るのかしら? 本拠地まで辿り着くことが目的だから眠って待っていてもいいけど……)


 フロラは少し考えてから、服の下に隠し持っていた双子魔石を引き出し、そっと魔力を注ぎ込んでみる。

 ふわりと魔石が宙に浮いた。馬車が分かれ道を曲がることでしばらくは左右に振れても、数分後には再び真っ直ぐ後ろを向く。アースが確実にこちらを追尾してきている証拠だ。フロラは満足して魔力を解いた。

 ついでに着いた後のことを考えて、念のため神力で双子魔石に目くらましを掛けておく。これならば持ち物を調べられても魔石を取られることはないだろう。


 しばらく行くと馬車が止まり、商品を傷つけないようにとの配慮か、意外なほど丁寧に担ぎ上げられて頑丈な檻付きの馬車に移された。

 これも予想の範囲内だ。犯罪組織からすれば、関所さえ抜けてしまえば不要なカモフラージュ用の商品を運ぶ必要も、目を覚まして逃げられる可能性のある二重底に人々を入れておく必要もないのだから。


 共に檻へと入れられた人間は自分を除いて六人。素早く目を走らせれば、全員深く眠っているようで、外傷などは見当たらないことに一先ずほっとする。

 やがて重い音を立てて檻が閉ざされ、上からすっぽりと覆いがかけられれば、内からも外からも、一切が見えなくなった。


 馬車はそこからさらに走り続け、朝日が稜線に滲み始めた頃になってようやく、ガタンと音を立てて停車した。


(……とうとう着いたのかしら?)


 フロラは身構える。しばらくの静寂。その後覆いが取り払われると、そこはすでに室内だった。冷たい石造りの部屋。大きな扉が付いており、そこから馬車ごと出入りできるようになっているらしい。

 馬車寄せが建物の内部にあるなど通常有り得ない。違法行為がバレないよう、そして万が一にも商品を逃がさないよう、徹底しているのだろう。


 薄目でそこまで確認したフロラがひとまず寝たふりで無難にやり過ごそうとしていると、やがて檻の扉が開き、重い足音とともに誰かが入ってきた気配がした。


 ──バシャ! 


 と。信じられないことに、大量の冷水を掛けられた。


「起きろ。立て」


 冷徹な響きを隠さぬ声に、フロラは最大まで警戒を引き上げながら慎重に目を開く。体を起こせば、頭から被った冷水が顔を伝い落ちる。

 相手はいかにも犯罪者といった大男だった。濁ったようなグレーの眼は、確かにこちらを見ているはずなのに一切の感情を宿さない。本能的な気持ち悪さすら覚えるほどの無感情と、腰に下げられた棘付きの鞭。こちらが従わなければ躊躇なく、冷水を浴びせる以上の暴挙に出るだろうことを想像させる。


 一緒に連れてこられた被害者たちも水の冷たさで次々に目を覚ましたが、男の威圧感と武器に気付くと怯え切って、声を出すことすらできず震えている。


「立って、歩け」


 淡々と命じられた被害者たちは、震える足で立ち上がり、次々と檻の外へ出た。そして示された部屋に黙って進んでいく。

 早く助けたいが、建物の構造もあと何人囚われているかも分からない今、下手に目立つわけにはいかない。

 フロラも被害者の列に混じり、黙って別室に移動することに決めた。


「待て」


 そう男が発したのに、全員がびくりと足を止めた。重い足音がこちらに近付いてくる。

 フロラは心臓がドクドクと脈打つのを感じる。自分ではないはず。何も不審な行動はしていないから──


「お前だ」


 痛いほどの力で肩を掴まれ、フロラは顔を歪める。


「……私が、何かいけないことを?」


 なるべく目を合わせないように。感情を露わにしないように、怯えて見えるように。自分に言い聞かせながら慎重に応じれば、男は鋭く目を眇めた。


「何故お前だけ上着を着ている」


 問われて気付いた。持ち物を持たせないためか、周りの被害者は最低限の服しか纏っていないのに、自分だけは旅装を着込んだままであることに。それは、途中から紛れ込んだからだ。


「答えろ」


「……それは、」


 違和感を与えてしまった。ここで殺されそうになったらどうしよう。まだ何も情報を集められていないし援軍だってもう暫くかかるのに、すぐに戦闘を始めるのはまずい。


 緊張に全身を固くするフロラの背後から、一人の男が進み出た。馬車を動かしていた男だ。


「それは、その女だけ道中で俺が捕えたからです!」


 機会を見計らっていたのだろう。嬉々として馬車の男が話し出す。


「何でも、旅の途中で馬に逃げられたそうで。たまたまこの女が一人で夜道を歩いている所を通りかかったので、俺が! 言いくるめて攫ってきやした」


 本来であればフロラが自分を乗せるよう打診したのだ。それを言われればまずい事になると思ったが、どうやら自分の手柄を強調したいらしい男は、その部分を割愛して話した。


「よく見てください、上物でしょう? …へへ。いくらくらいで売れそうですかね? つまり、俺の取り分はいくらになるかってぇ事なんですが」


 どうにか切り抜けられそうだ。フロラは息をつき、男は媚を売るようにヘラヘラと大男に近寄った。


 その瞬間の出来事だった。無表情に話を聞いていた大男が何の前触れもなく鞭を振るった。不意打ちで肌を裂かれ、馬車の男は血飛沫を上げながら壁まで吹き飛ぶ。

 ひぃ、と被害者たちが悲鳴を上げ、列が乱れる。あまりの惨劇に何人かは腰を抜かした。


「列を乱すな。奥へ歩け。──お前は残れ」


(なんてことを! 犯罪者同士だからと言って、許されることではないわ)


 呆気に取られている間にフロラだけが部屋に残され、強引に上着を脱がされる。何かまずいものを持っていないかチェックしているのだろうが、見知らぬ男の分厚い手が、薄手のシャツやズボンの上から胸や腰、尻のポケットを無遠慮に弄るのは酷く不快だ。

 しばらく確認を続け、相手が何も持っていない事に納得したらしい大男は、フロラの手足を固く縄で縛り、重い檻に繋ぐと部屋から出ていった。


 一人になったフロラは、部屋の隅で今にも息絶えようとしている男をしばし眺める。あのままでは本当に死んでしまいそうだ。

 フロラで楽しそうに収入の計算をしていた男の下衆な表情を思い返せば全く気は進まないが、仕方ない。

 しぶしぶ神力を飛ばして致命傷の傷だけを治してやった。


「……罪は生きて償ってもらわないと」


 溜め息を吐いたところで、大男が神経質そうな痩せぎすの男を伴って戻ってきた。


「ほぉう。信じられません。これは上玉ですねぇ」


 痩せぎすの男は、無遠慮にフロラの頬を鷲掴むと、前から横から舐めるように品定めし始める。


(こいつら顔は覚えたわよ。絶対逮捕してやるから!)


 フロラは内心で悪態をつく。


「素晴らしい。裏競売に掛ければ金貨5000は下らないはずですよ。これは今夜の目玉にしましょう。しばらくはこの仕事も休まなければならないのだから、最後にたくさん稼いでおかないと」


「おい。喋りすぎるな」


「もう逃げられるはずはないのです。お堅いことを言うのはやめてくださいよ。融通の効かない男だ。まあ、そういうことなので、この女は丁重に特別室へ。くれぐれも厳重に保管してくださいね」


 了承した男が、フロラの綱を引いて扉の奥に進む。先程、他の被害者たちが進んだのと同じ扉だ。

 進んだ先は、左右にいくつもの檻が連なる廊下だった。お世辞にも衛生的とは言えない環境だし、何より寒い。

 抵抗する気力も失った被害者たちが、ただただ凍えて小さくなって座り込んでいる。


 怒りに暴走しそうになる神力を宥めて、フロラは冷静に数える。一、ニ、三。


 不幸中の幸いか、目玉商品とやらが入れられる厳重な檻は、建物の一番奥にあるらしい。

 おかげで檻の位置と被害者の人数をたくさん確認できる。十六、十七、十八。


 そこまで数えたところで、最奥の檻にたどり着いた。左右に二つの檻。右には先客がいるようで、ドレス姿の女が膝に顔を埋めるようにして座っている。フロラは左に入れられた。

 これまでの檻とは異なり、簡素だが椅子と寝具、膝掛けが備えられている。恐らく目玉商品をなるべくいい状態で競売にかけるためだろうから、全く嬉しくはないが。

 そんな事を考えながら、あとはアースを待つのみ、とフロラは椅子に腰掛けた。


 ……それにしても寒い。さっき冷水を掛けられたせいだ。勝手に身体が震えてくるので、フロラは苦し紛れに膝掛けで全身を覆った。

 本当は神力で水を飛ばしてしまいたいが、力は隠しておけば切り札になるかもしれない。なるべく使わずにおくべきだ。


「あなた、濡れているの? ……こちらの膝掛けも使いなさい」


 気付けば、右の檻の女がいつの間にか顔を上げている。その声にふと既視感を感じたフロラは、がばっと振り向いた。


「あなたは!」


「なっ!? あの時の!」


 隣の檻で目を剥いているのは、王城の夜会でフロラにお灸を据えられアースに追い出された赤いドレスの女だった。

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