挿話: 翼の事情

「きゃああああぁぁぁ!!!!」


 フロラは、尾を引く悲鳴を上げながら暗闇に包まれた街道を疾走していた。

 正確に言えば疾走しているのは"アースに抱えられたフロラを乗せた馬"なのだが。


「はは、乗馬の練習をすっかり忘れていたな」


「いや、笑い事じゃ、ありませんけど!?」


「馬と呼吸を合わせるんだ」


「意味が、分かりません! 速い怖い! 目が、回ります!」


 アースの愛馬がその逞しい脚で地を蹴るたび、凄まじい振動が全身を襲う。もはや抗議の台詞すら途切れ途切れになるフロラである。

 幸いアースがしっかりと腰を支えて衝撃をいなしてくれているので振動のたびにお尻を強打するのは回避できているが、それでも揺さぶられる視界まではどうにもならない。


「もうちょっと、ゆっくり、走って!」


「もうちょっと頑張れ」


 ……泣きそうだ。


 関所で見つけた奴隷売買の組織の馬車。そこにフロラが偶然を装って接触し"商品"として乗せられる。これが今夜のミッション。

 それには後ろから追いかけて追い付くよりも、こちらが前にいて追い付かれたという状況の方が警戒されにくい。

 だから二人は、敵の馬車が進んだのとは別の少し遠回りになる道を選んで馬車を追い越すことにした。二つの道の合流地点の前でアースと別れる。そしてフロラだけが馬車のルート上で待ち伏せして敵に接触するのだ。


 だから、急がなければならない。

 王都を出る前に平民の旅人を装う服に着替えたり団員に伝令を飛ばしたりしたせいで少し時間を食った。その分を巻き返さなければ。分かっているのだ。分かっている。だけど。


「やっぱり、無理、ですうぅう!! いやあ、あぁあ、ああ!!」


 アースの腹に必死でしがみついて上下に揺さぶられ目を回しながら、フロラは少し幻を見たのかもしれない。

 軽い走馬灯のようなものだろうか。なんなら一瞬気絶して夢を見たのかも。

 フロラはその時、唐突に天上界にいた頃の自分を思い出し、そしてハッと気付いた。とても良案があることを。


「アース! 飛ばせて、ください!」


「は?」


 アースが呆気に取られたせいか、馬のスピードが少し緩んだ。今の隙にとフロラは急いで喋る。


「だから私が飛べば良いんですよ! 幸い今は人がいないので飛んでもバレません。目的地まで一直線です。馬よりも早いし」


「降ろして、ではなく飛ばせてとは斬新だな」


 言いつつもアースが止まってくれたので、フロラは喜び勇んで馬から降りた。ああ、地面。揺れない地面! とフロラは心の中で叫ぶ。


「では行きますね」


 ふう、と息を吐く。翼を出すのは本当に久しぶりだ。天上界にいた頃は歩くよりも飛んで移動する方が多かったのに、今となってはその存在を忘れかけていた。


(私もすっかり人間らしくなったのね。でも翼が残っていて本当によかったわ……!)


 背中に意識を集中させ、翼にかけていたリミッターを外す。


 途端、ぶわりと空気を震わせながら一組の荘厳な翼が姿を現した。聖なる光の粒子が、羽根の一枚一枚から立ち昇っては虹色の雫となって弾ける光景を、アースは懐かしむように眺めながらも冷静に突っ込んだ。


「凄く派手に光り輝いているな。自分で確認してくれ、これは結構離れた場所からでも視認できると思うが」


「…………。…じゃあ、馬を持ち上げて飛ぶのはどうですか。下から見れば、アースの書斎にあった絵本に登場するケンタウロスという動物っぽく見え」


「ケンタウロスは想像上の生き物だな。それ以前に苦し紛れで雑な共演をしようとするのはやめてくれ」


「じ、じゃあ、下から視認されないくらい高く飛びますから!!」


「あ、おい!」


 これ以上乗馬したくないフロラは、アースを無視して大きく羽ばたく。神力が含まれた清浄な風が、ごうと渦巻いた。大地を軽く蹴って、そして──ピョンと飛んでそのまま着地した。


「…………」


「?」


 フロラは黙り込んだ。アースが大きな疑問符を浮かべてこちらを凝視している。──見ないでほしい。


「どうした」


「あの、神の身体って翼も含めて全部が神力の塊なんです……。だからこそ人間の身体に当たる部分は受肉して体の中に神力が収まることになっても、翼だけは神力として形が残ったんだと思うんですけど……」


「ああ」


「神力の塊って、重さがないんですよ」


「ああ。つまり?」


 要領を得ない説明を続けていると、アースが結論を促してきた。そうだ、今は急いでいるのだった。フロラは恥を忍んで口を開いた。


「つまり、人間の身体って結構……いやすごく、重いんですね!」


「…………」


 全てを察した表情でアースがこちらを見た。──見ないでほしい。切実に。


「あの、あはは、あは。飛べないみたいです…。だけど馬はちょっ、とおぉお!?」


 直後、街道に再びフロラの悲鳴が響き渡った。時間をロスした分さらにスピードを出さなければならず、フロラは気を失うようにしてアースにしがみつく羽目になった。


 この事件が片付いたら絶対に乗馬の訓練をしよう…! 

 などと決意するフロラは、どこまで行っても勤勉で仕事中毒なのだった。

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