第2話
「どうぞ、粗茶ですが」
粗茶も何も、湊が俺の前に置いたのは普通に氷の入った麦茶だった。湊のおもてなし欲はその言葉を言ってみただけで満たされたらしく、ボスンと音を立てて俺の隣に腰を下ろした。ソファが揺れる。
「普通、その台詞を言ったら座るのは対面だと思うんだが」
「いいじゃん。ケン兄、お客様って感じじゃないし」
じゃあ何で粗茶とか言ったんだ。湊の行動はたまに謎だ。
「それで、何が聞きたいんだっけ」
何がっていうか、冷静に考えたら俺に聞く権利があるのかどうかも分からんのだけども。
「岬、今日デート行ったのか……?」
「ねー。びっくり。お姉ちゃん、ケン兄と付き合ってるんだと思ってたのに」
そんな事実はない。一切ない。ダメージが深すぎる。
「なんか朝からお洒落してたから、どっか行くのって聞いたのね。そしたらデートだよーって」
湊が追い打ちをかけてくる。いや本人には追い打ちだなんて意識はないのだろうけれど。だからこそ容赦が無い。
「あ、写真も撮ったよ。見る?」
スマホをすいすいと操作する湊。
家族の写真なんて撮ったことがない俺には謎の行動だ。姉妹だとそういうものなのだろうか。
「お姉ちゃんはかわいいのお手本だからね。日々これ研究、だよ。ほら!」
言いながら、湊は体を寄せて画面を見せてきた。
無地のシャツは薄緑。そこに黒のロングスカートを合わせていた。そういうデザインなのだろうが、腰の位置が高いから引き締まって見える。腕を組んでポーズを取っているあたり、湊の言うとおり撮られ慣れている感じだ。
「くそ……かわいい……」
デートの準備と言われれば完全に納得してしまう。俺が絞り出すように言葉にすると、湊がパッとスマホの画面を消し、テーブルに伏せた。視線を上げれば、眉を下げて笑う湊の顔。
「ごめん、ケン兄。いじわるだった」
さすがに、俺が岬へ向けている感情がバレたらしい。いや、というか、もしかしてもっと前からバレバレだったのだろうか。俺と岬が付き合っていると、思っていたくらいなのだし。
テーブルからコップをとって、麦茶に口をつける。冷たさの勢いに任せて半分ほどをひといきで飲んだ。カラリと氷の音がして、少し頭も冷えたように思う。
「いや……いや、なんつーか、ショックを受ける権利もない気がする」
むしろ岬に恋人がいるというのなら、今の俺の行動こそ気持ち悪いというべきだ。
「ただの幼馴染みが、根掘り葉掘り聞いていい話でもないよな」
残りの麦茶を飲み干して、コップを置く。
「もっとちゃんと、直接言っておけば良かった」
そうすれば、例えフラれたとしても、こんな不意打ちを食らうみたいにして情けない気持ちになることはなかっただろう。
「ごめんな、湊。なんか変な話に付き合わせて」
きっと俺の眉も下がっている。ちゃんと笑えているのか、自分でも分からない。
「…………ねえ、ケン兄」
湊が上ずった声で俺を呼んだ。麦茶は俺の分しか用意されていない。口が乾いていたのだろう。唇を湿らせるように舌を滑らせ、湊は言葉を乗せた。
「あたしに、しない?」
するりと耳に差し込まれた声が俺に浸透するのを待たずに、湊は早口で続ける。
「あたしにしとこうよ。身長はまだ伸びてる途中だし、髪も伸ばすよ。服だってお姉ちゃんの趣味を研究してるしさ。ケン兄が思わずかわいいって言っちゃうくらい、これからどんどん似ていくから。だから……その……」
湊は、頭ひとつ半も低い位置から俺の目をじっと見上げて。
「あたしは、ケン兄が好きだよ」
まっすぐに言葉をぶつけてきた。
「は……いや……え……?」
突然のことに、思考と言葉がうまく結びつかない。しどろもどろになる俺の前で、湊の目が揺れる。
「待って、いや、待ってちょっと待って」
口だけでなく手でも待ったのポーズを取って、俺はソファから立ち上がる。テーブルをぐるりと回り込んで反対側のソファに腰を下ろした。
「なんでそっち行くの」
「お前、湊、お前、男子舐めんな。あほ、男子は、お前、ちょろいぞ。湊が思ってるより」
目を大きく開いた湊の頬が、ゆっくり、にまーっと猫のようにつりあがる。
「もっと、妹だから対象外、かと思ってた」
「いやそうだよ? 湊は岬の妹だし俺の妹じゃん? ねえ?」
湊が立ち上がる。テーブルを回り込んできて、俺の隣に座る。
「お姉ちゃんの妹だけど、ケン兄の妹じゃ、ないよ」
「やめろばか」
俺はすぐさま立ち上がって素早く距離を取る。湊も立ち上がった。テーブルを挟んで、重心を落とし、互いの動きに注意を払ってにらみ合う。
「いいか、あの、ちゃんと言葉にして言うけど」
「……」
湊が視線だけで俺に続きを促してくる。
「俺は、岬が、好きです」
初めて口にした。思ってはずっといた、だけど、それを言葉にするのは、怖い。
湊がうなずく。知ってる、とでも言いたげな表情だった。
「だから岬に、恋人がいたからって、すぐ湊ととか、そういう、そういうのは、なんか、俺が駄目。駄目だ」
「そういうとこも好き」
「やめてやめて今かなり俺がんばってるから」
「そんなの、あたしもだよ」
ヴヴヴヴヴ! と、テーブルに置かれた湊のスマホが震えた。その音は突然だっただけに大きく響き、俺と湊の視線を引きつけた。
次いで、ポケットに入れていた俺のスマホも通知を示すように震える。
そろりと、湊の手が卓上のスマホに伸びる。俺もポケットからスマホを取り出す。予感があった。きっと湊も同じものを感じていたのだろう。
「……お姉ちゃん」
岬と湊と俺の三人で使っているグループメッセージ。そこに二枚の写真と、短い言葉が添えられていた。
『浴衣、どっちがいいかな。友ちゃんは一枚目、佳奈ちゃんは二枚目がいいって言うんだけど』
紺に近い青地に金魚柄の一枚目、緑地に桃と黒で矢柄のパターンが入る二枚目。それはどう読んでも、票が割れたから意見が欲しい、という感じの文面だった。
「三人じゃねえか……!」
「デートって言ってたのに……!」
画面から視線を上げれば、眉を寄せた湊と目があった。数秒をアイコンタクトに費やし、どちらからともなくスマホに視線を戻す。
俺が「金魚の方」と打ち込んだのと、「緑の方」という湊のメッセージが届いたのはほぼ同時。すぐに既読がついて、岬から「また割れたじゃん!」と返ってきた。
「ふふ……」
「へへ……」
全然いつも通りの岬に、思わず笑いが漏れる。
「湊、俺は」
「お姉ちゃんが好き。分かってる」
言葉の続きを奪われる。
湊は、だから、と言って唇に舌を滑らせた。
「ケン兄の理性に勝てばいいんだよね?」
好きな人の妹が、見たことのない表情で微笑んだ。
〈夏。冷房の効いた部屋の真ん中で。 了〉
夏。冷房の効いた部屋の真ん中で。 佐藤ぶそあ @busoa
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