まだ、そのときじゃない

たちばな

まだ、そのときじゃない

 ――キーンコーンカーンコーン――……


 チャイムが鳴ると同時に、城里は教室を出た。次の時間は体育だが、着替えも持たずに廊下を進む。男子更衣室にも行かない。

 もちろん……というとおかしいが、サボるつもりだ。

(今日は、いるかなぁ)

 早足で廊下を行き、外の通路を通って、校舎裏へ。普段は誰も来ない場所だ。

 校舎裏、室外機の横に、男子生徒が座っていた。膝を抱え、そこに顔を埋めている。風で男子生徒の黒い髪がさらさらと揺れた。

「倉野」

 城里が呼びかけると、男子生徒――倉野はゆるりと顔を上げた。目が涙で濡れている。

「……先輩」

「お前、また泣いてんの。泣き虫だねえー」

「……っ、うるさいです」

 城里はくしゃくしゃと倉野の頭を撫でた。その手は倉野に弾かれる。いつものことだ。

「先輩は何で来たんですか……」

「え、俺? そりゃ、サボりだよ」

 あっさりと言う城里。倉野にじとりとした目で睨まれるが、構わずけらけらと笑う。

「え、だって体育って面倒だろ!? 疲れるし、面倒だし、疲れるし」

「そんなんで、単位大丈夫なんですか」

「大丈夫だよ。俺、その辺は計算してっから」

 堂々と言い、城里は倉野の隣に座った。また、頭を撫でる。

「止めてください」

「嫌だね。倉野がその顔してる限り、俺は倉野の頭ずっと撫でるよ」

 倉野は言葉に詰まった。

「嫌なことあったからここにいるんでしょ。俺に話してみなさいよ」

「……」

 ぎゅうと唇を噛む倉野。視線がどんどん城里から離れていく。言われたことが図星の時の、倉野の癖だ。

 ほんの少し倉野に体を寄せて、城里は聞いた。

「……今日は何があったの」

 その瞬間、倉野の目に溜まっていた涙が頬に落ちた。あとからあとから、溢れて止まりそうにない。

「っ、教室に来いって、先生に言われて」

 ぼたぼたと、大粒の涙が制服に落ちる。大きな染みを作って、吸い込まれていく。

「俺だって……俺だって、行けるもんなら行きたいですよ」

「うんうん」

「それなのに、全然事情も知らない奴にそんなこと、言われて……腹が立って仕方なくて」

 うん、うん、と。城里は特別言葉をかけたりはしない。黙って聴くだけだ。

 倉野の言葉は、泣き声に変わった。

 細かい事情は城里も知らないが、倉野は教室に行けないらしい。今は特別教室を転々としている。それを、『』ではなく『』と捉えた教師が注意をすることはしょっちゅうだった。

「そっか。しんどいな、倉野」

「……っ、う……」

 ぐずぐず子供のように鼻を鳴らす倉野。城里は頭を撫でるのを止めない。

 しばらく経って、泣き終えたらしい倉野が顔を上げた。城里はハンカチを差し出す。

「ほら、こすると目赤くなるから」

「いらないです」

「使えって。お前色白だから、赤くなると目立つんだよ」

 倉野が折れる。とんとんと目元にハンカチを当てながら、ぽつりと言った。

「……先輩は」

「ん?」

「先輩は、どうして俺のこんな話を聞いてくれるんですか」

「え? うーん……」

 城里は空を仰いだ。名も知らない鳥が頭上を飛んでいく。

「……秘密、かな」

「は?」

 倉野の真似をして膝を抱え、城里はため息を溢す。今、理由を言う気にはなれなかった。


(倉野といる時間が好きだから――なんて、言えないよなあ)

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まだ、そのときじゃない たちばな @tachibana-rituka

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