あの雲の向こうの景色

藤光

塔からきた男

 あの魔法使い――町の人は彼のことをそう呼んだ。

 男とは町はずれにある崩れかけた家のひとつに住むようになった灰色の髪と青い目をもった老人を指している。


 ――心を読む魔法を使うよ。

 ――うす気味わるい男さ。

 ――《塔》からやってきたんだってね。


 町の人たちは、そうし合っては、遠く南東の方角を見るのだった。大地から星界を目指して空に伸びる《塔》は、地平線の彼方に小さく霞んで見えている。だれも確かめた者はいないが、魔神マシンがこの《塔》を治めていると信じられていた。


 ――死んだ魚のような目を見たかい。

 ――魔の眷属め。


 人びとの心はすさんでいた。ちょうどその頃、都会の大会社が、充分な鉄が採れなくなった町の鉱山を閉鎖したのだ。おおぜいいた鉱夫は町から姿を消し、残された人びとも少なくなった仕事を奪い合いながら暮らしていたからだ。町で採れた鉄は精錬され、《塔》へ運ばれていくというだった。高く、強い《塔》をつくるため、鉄が必要なのだという。だから、なおさら彼は疎まれた。


 ――この町がこうなってしまったのは《塔》のせいだ。

 ――《塔》が鉱山の鉄を掘り尽くした。


 鉱夫たちが去り、顧みられることもなく、朽ち果ててゆくにまかせた住宅のひとつに彼は住みついた。だれも住むあてのない、何百となくある空き家のひとつだ。ひとつくらい彼が使ったところで、なんの問題もないだろう?


 そんな彼の家に、わたしが足を踏み入れることになったのは、突然の夕立にあったからだ。村はずれまで出かける用事を済ませて家に戻る途中、それまで晴れていた天気が一変し、滝のような雨になったのだ。


 息をするのも苦しいくらいの雨と風。雨宿りのため、たまたまそこにあったあばら家に飛び込んだ。ガラスが割れて欠けたままとなっている窓から雨の様子を伺っていると、奥の暗がりから声がした。


「だれだ」


 しわがれた男の声だった。しまったと思った。町はずれに住みついた魔法使いのことは聞いて知っていた。色褪せた金髪と空を映したような青い目、日に焼けて皺だらけの顔。ここが彼の棲家だったのだ。


 魔神の手先だという魔法使いと出会ったわたしは震え上がっだが、うわさほど悪い人間には見えなかった。事情を話すと奥に消え、すぐに現れたかと思うとタオルを投げてくれた。ふんわりと柔らかく、いい香りのするタオルだった。


「体を拭いて服を脱げ。服を乾かして、体は温めないと風邪ひいちまうぞ」


 彼の外見は、物語に登場する魔法使いにそっくりで、ほんとうにそうかもしれない。でも、そうなら彼はよい魔法使いなんだろう。このとき、まだ10歳だったわたしはそう考えた。そして、それはいまも変わっていない。


 服乾かすためストーブに当たりながら、彼の話を聞いた。恐ろしげな外見とは裏腹に、人恋しそうに話す男だった。それに応えてわたしも彼に訊ねた。


「あんたは魔法使いなの?」

「どうしてそう思うんだ」

「だって、みんなそう言ってるもの。魔神のケンゾクなんでしょう」


 さもおかしいといった様子で彼は低く笑った。


「なんだそれは、おれは人間だよ」

「でも、《塔》から来たんでしょう」

「よく知っているな」

「《塔》は魔神が治めているって聞いたよ」

「マシン……ドルアーガのことか? やつなら神でも悪魔でもない。シャフトを管理する統合ソフトウェアに与えられた仮想人格メタフェイスだ。コンピュータ・プログラムだよ」


 彼の話はよく分からなかったし、彼は魔神の眷属ではなかったけれど、《塔》からやってきたといううわさは本当だった。うれしくなったわたしが色々と《塔》について訊ねているうちに、濡れていた服は乾き、山の向こうに日が大きく傾きはじめた。


「おもしろいやつだ。また来いよ」


 わたしはまた来ると約束して家路についた。いつになく楽しい一日。久しぶりに明るい気分で家へ戻った。




 その頃のわたしは、叔母の家族と同じ家に住んでいた。前年に母が死んでしまい、父がいなかったわたしを母の妹が引き取ったからだ。叔母は冷酷な人で、決して親切心からわたしを引き取ったわけではなかった。自分の身内からみなしごが出ると体裁がよくないと考えたからだ。寝室には庭の物置があてがわれ、掃除、買い物、子どもの世話……一日中家事に使われて学校へ通わせてもらえなかった。おまえは親を亡くした子供なんだから三食、食べさせてもらうだけでもありがたいと思いなさいと叔母からは言い含められていた。不満に感じることはなかったけれど、だからといって満足できるものではなく、いつもわたしは心に冷たいものを抱えながら暮らしていた。


 夕立にあった日も、近くへのお使いなのにどうしてこんなに遅くなったのか、叔母から問い詰められたので、町はずれの魔法使いの家で雨宿りさせてもらったことを話すと――。


「とんでもないことをする子どもだ。魔法使いに息を吹きかけられた者は悪魔になるんだよ」

「わが家に悪魔の息をまき散らすつもりか。この家の敷居は跨がないでおくれ」

「決して魔法使いの家で雨宿りしたなんて町の人に話してはいけない。この家によくないうわさが立つからね」


といって、それ以来叔母の家に上げてもらうことはなくなった。風呂に入ることもできなくなり、食事は物置の地面に置かれたトレーから手でつかんで取らなければならなくなった。夜。薄くてかび臭い布団にくるまりながら、わたしはますます自分の心が冷えていくのを感じていた。


 ――あの魔法使いは、いまごろどうしているだろう。


 柔らかいくていい香りのするタオルを投げてくれた彼のことを考えながら、眠るのがわたしの日課になった。




「目的があってやってきたわけじゃないぞ」


 叔母から強く言われていたにも関わらず、わたしは家事の隙間を縫うようにして魔法使いの家へ通っていた。なぜって思う人がいたら、叔母の家と彼の家、どちらが10歳の子どもにとって居心地がよかったか考えてみるといい。子どもは自分の欲望に正直だ。


「まだなにも聞いてないよ」

「でも、どうしてこの町へやってきたのか聞きたかったんだろう?」


 テーブルに肘をついて考えいるわたしを見ながら、おまえはいつもおれからなにかを聞き出そうとしているからなと言って彼は空色の目を細めた。わたしは魔法使いも笑えるんだと妙なことに感心した。


「心を読んだの? やっぱり魔法使いなんだね」


 じっさいわたしはそう考えていた。なぜ彼はこの町へやってきて、ここに住み着いたのか。わたしをこの町から助け出すために、《塔》に住む魔神がここへ遣わした使徒なのではないか。


「残念だが、おれは悪魔でもなければ天使でもない。背中に翼はないだろう」

「また! どうしてわたしの考えたことがわかるの。やっぱり魔法?」

「そんなわけがないだろう。のおかげだ」


 そういって彼は胸元のペンダントを示した。革紐の先にぶら下がったそれは、親指の爪ほどの大きさの透き通った石で水の雫のような形をしていた。


「『ドルアーガの涙』だ」

「ドルアーガ……の涙?」


 持ってみろと言われて、ペンダントを受け取ると、その石のように見えたペンダントは温かく、柔らかかった。そして、それを手にした途端、わたしの耳に取り留めのない音の洪水が押し寄せてきた! わたしはペンダントを放り出し、思わず耳を塞いでうずくまった。


「驚いたかい」


 彼はにやりと笑いながら、床からペンダントを拾い上げた。


「ペンダントの形をしているこれは、シャフトを管理するコンピュータ「ドルアーガ」と住人を接続する触媒デバイスなんだ。『ドルアーガの涙』は人の感覚を拡張して、コンピュータドルアーガと接続する。異常に聴覚が鋭くなったり、いままで見えなかったものが見えたりるのは、その副作用だ」

「村の人たちが、あんたは人の心を読むって……」

「本当に心が読めるわけじゃない。視線の移動や鼓動の数、声の波長、言葉に現れない人の変化を捉えて推測するんだ。慣れればだれだって自然にできるようになる。塔じゃ、みんなあたりまえにやっていることさ」


 そうだったんだ。彼は悪魔でも魔法使いでもなかった。

 でも、もしそうなら、わたしだってそのペンダントを身につけて、人の心を読めるようになるのかもしれない。頼んでもう一度、てのひらの上に乗せてもらった。途端に音の洪水が耳に押し寄せる。目の前が真っ白になる。強い刺激に鼻も利かなくなって、肌がヒリヒリと痛んでくる。


「すべての感覚が拡張されて混乱するが惑わされるな。目を閉じろ、さいしょは耳に神経を集中するんだ。そう。息を浅く吸って、音と声とを聴き分けろ」


 しばらく目を閉じて身体を固くしていると、耳の奥で渦を巻いていた雑音の中から意味のある音や人の声が聞こえてくるような感じがした。馬のいななく声、道を行き交う車の音、人のつぶやき? 砂浜の砂粒をより分けていくような感覚に身体が沈んていくと、どんどん聞き分けられるようになっていく。風の音、雲の流れる音。


「星の声まで聞こえてきそう」

「はは、それはさすがに錯覚だ。人の感覚は星の世界まで届かない」


 わたしがいうと、彼は優しく笑った。

 なんだ、ほんとうの星の声だったらよかった。その声に導かれて《塔》を登りたかったのに。

 



 従妹が流行病はやりやまいに罹って死んだ。都からやってきた行商人が運んできたのだ。おおぜいの町の人がこの悪い病気に罹り、体力のない老人や幼い子どもたちの何人かが亡くなった。まだ、5歳だった従妹が死んだのは、仕方のないことだった。かわいい娘だったけれど、運が悪かった。


 しかし、叔母はそのことに納得いかないようだった。何日も何日も泣き暮らした挙句、わたしに当たるようになった。


「悪魔の子。おまえが魔法使いのところから町へ病を運んできたんだろう」

「おまえさえいなければ、あの子はまだ元気でいられたはずなのに」

「おまえが死ねばよかった。死んで町の人にお詫びするんだよ」


 そうして物置に閉じ込められ、何日も食事を与えられずに放っておかれた。何日も飲まず食わすで倒れたわたしを助けたのは、血の繋がっていない叔父だった。物置の鍵を開け、食事を与えてくれた。しかし、栄養不足はわたしの身体を蝕んでいて、体力が戻っても弱った視力はほとんど戻らなかった。わたしは目の自由を失った。




「目の具合はどうだ」


 ほとんど見えないと答えると、彼は首から下げた『ドルアーガの涙』に触れさせてくれる。『涙』は人の感覚を拡張させるので、白い霧に閉ざされたようなわたしの視界が晴れ渡って、彼の顔がはっきりと見える。


「これはおまえにやろう」

「でも、これは」

「塔へ戻れないおれにはもう用のないものだ。そうだ、以前どうしてこの町へきたのか訊ねていたな。答えてやろう、いいか」


 彼は『涙』をわたしに握らせると話しはじめた。



 おれはシャフトで生まれた。へんな顔をするな。塔はただの建造物じゃない。それ自体がひとつの町、いや、ひとつの世界だ。あそこには人の住む町があり、田畑があり、商店や工場がある。大地から星の世界まで貫いている塔の周囲を、町が取り巻き、これを螺旋状の通路が上へ下へと繋いでいる――それがここからはよく見えない雲の上、塔中層の姿だ。おれはそこで生まれた。


 変わった子どもでな。物心がついた頃からずっと空ばかり見ていた。塔の中層は雲の上にある。だから、いつでも晴れている。目の下には雲の海が広がっていて、刻一刻とさまざまに姿を変える。世界でもっとも早く朝が訪れ、いつまでも夕日は雲の向こうに沈まない。美しい光景だよ、いまでもこの目に焼き付いていて忘れられない。


 わたしはおまえと違って両親がそろっていたけれど、二人は仲が悪くてね。家族は幸せじゃなかった。いつもここではないどこかへ行きたいと思っていた。そこはおまえと似ていたかもしれないな。


 あるとき、眼下の雲が晴れたことがあった。一年に数度あるかないかの珍しいことだ。そのときに見たのさ。大地を。


 空を映したような海、青々と広がる田畑や森の緑、夜になるときらめく町の明かり。美しかった。雲と同じように、しかし、雲の向こうにはずっと大きな大地が広がっていると、そのときはじめて知った。


 円筒形をしたシャフトの幅は、差し渡し50メートル。塔を取り巻く通路や通路から張り出した田畑のコンテナを含めても80メートルほどしかない。小さく狭い世界だ。わたしは大地にあこがれた。あそこへ行ってみたいと。この小さく狭い世界から抜け出して、あの広い大地をこの足で歩く。そして、いまとはちがう生き方を探すんだ――とね。


 でもな。それは子どもの夢だ。夢は大切かもしれんが、金に変わるわけではないし、食うこともできない。わたしは夢を忘れて塔で働いたよ。大人になって、家族を持った。このままここで死んでいくのだろうと思っていた。


 しかし、死んでいったのは家族の方だった。この町を襲ったものと同じかどうか――流行病はやりやまいでな。狭い塔のなかでは感染症を食い止める術はない、妻も子どもも病気に罹って死んでしまった。


 なにもかもなくしたおれに残っていたのは、だけだった。だから、大地へ下りたのさ。この町へきたのはたまたまだ。おれの家から見えた大地がこの向こうの都市だったから。でも、山道を歩いていて足を滑らせたんだ。長い距離を歩いたことがないおれの足が根を上げたんだろう。骨が折れてた。旅を続けられなくなったおれは、ここに住みついた――ってわけだ。



「それで、どうだった?」

「うん、なにが」

「その目で大地を見て、歩いてみて――どう思った?」


 そうだなとつぶやいて彼は目を閉じた。塔から見た景色や死んだ家族のこと、これまで歩いてきた道のりのことを思い出しているのだろうか。


「一緒だな」

「一緒? それってどういう……」

「塔の世界も、塔から見える景色も、大地の世界も、大地から見上げる塔の姿も。一緒だ。くだらないと思えばくだらなく見えるし、素晴らしいと思えば素晴らしいと感じられる。要は自分次第ということさ」


 さあわかっただろう、だからこれはおまえが持っていろと彼はわたしに『涙』を押し付けた。なにがわかったのか、なにがだからなのか分からないまま、わたしは『ドルアーガの涙』を彼から受け取った。彼が心のなかで涙を流している様子が、その涙の形をした石を通してわたしの心に流れ込んできた。その夜、わたしは彼のために少し泣いた。





 それからのことについて、特に書くべきことはない。

 ただ、間もなく彼が死に、従妹が死んで以来、なにかとわたしをかばってくれていた叔父も死んだ。叔父が亡くなると、叔母はそれを待っていたかのように、わたしを人買いに売り払う算段をはじめた。


 ある日、叔母の家に目つきの悪い男数人がやってきて、わたしの品定めがはじまった。


「小汚いガキだが、顔だちはいい」

「目が青いな、天空人の血が入っている」

「都会の好事家にはウケるかもな」


 手足の揃っていることを確かめると、わたしの服を剥ぎ取って、頭のてっぺんから爪先まで――膨らみかけた胸の大きさから、陰毛の生え揃え方まで、男たちに確かめられた。


「いいだろう」


 男たちがわたしの代金として支払ったのは、この家で食べられる半年分の小麦の値段にも満たない金額だった。わたしはその場で、叔母によって売り払われ、人買いたちによって遠い都会へと連れて行かれた。


 それでよかった。鉱山が閉鎖されて人の少なくなった町で生きていくより、人が溢れる都会で、おおぜいの人間にまぎれて生きていく方がわたしには都合がよかった。目が青くても、まだ13歳であっても、女の子ひとりくらい受け入れてくれる懐の深さが都会にはあった。


 人買いに買われたのじゃなかったのかって? 『涙』を持ったわたしにとって、男たちの密談を聞き取り、隠れ家から逃げ出す経路を見つけ出すなんてことは、なんの苦労もないことだった。都会の人混みに紛れてしまえは、男たちも追ってこれない。たとえ、追ってきたとしても、すぐに気づくことができただろう。『ドルアーガの涙』はわたしの感覚を通常人の何倍もの感度に引き上げることができるのだから。


 わたしの話はこれで終わりだ。

 これからわたしは《塔》を登る。彼は一緒だと言っていたけれど、それは自分の目で見てみたい。彼が言っていたことが、ほんとうのことなのか、雲の向こうに見える景色を確かめに行くのさ。


(了)

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