3-5 ……いや気分悪いわ
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『……一難去って、また一難って感じだね』
「……そういうことになりますね」
藍堂と別れたあと、俺はすぐに夏姫先輩に電話を掛けた。
「……でもまあ、わざとではないとはいえ、騒動のきっかけを作ったのは俺なんですよね」
俺が藍堂の大胸筋を揉んでしまったせいだ。
生々しい感触が、まだ手に残っている。
『遅かれ早かれ、虎ちゃんとお父さんは衝突してたと思うよ。逆に真白くんが一緒で良かったよ。私たちの知らないところで虎亜ちゃんがお父さんと勝負して、そのうえ負けちゃって、私たちに何も言わずに学校を突然辞める……なんて可能性だってあったわけだから』
たしかにそれは言えるかもしれない。
『ちなみにだけど、私も両親との関係は最近あんまり良くないんだよね』
「え? そうなんですか? なんかイメージ全然ないですけど」
『基本的には仲が良いんだけど、私って今受験生でしょ? 夏休みは予備校に行けって、親がうるさいんだよ。私は絶対に行きたくないから、それでちょっと揉めてる感じ』
「やっぱ先輩、進学するんですね?」
俺たちが通う叶川高校は、そこそこの進学校だ。
『結構有名なお笑いサークルがある大学に行きたいんだけど、今のところ合格可能性は二パーセントくらいかな』
「全然ダメじゃないですか」
『このままじゃ予備校に強制収容されちゃうかも。夏休みは、合宿とかしたいのに……って言っても、虎亜ちゃんの問題を解決しないことには、合宿どころの話じゃないね』
「……はい。ぶっちゃけ、かなり勝算は低いと思います」
『かと言って、虎亜ちゃんは引き下がってくれないだろうね……。しかも大喜利かぁ……』
「お笑い研究部で、普段大喜利はやらないんですか?」
『やらない。だってみんな常日頃からボケてるから。だから私たちの得意分野だと言えなくもないんだけど……』
「俺は大喜利に関しては素人なんで、大喜利で藍堂パパを笑わせるビジョンがまったく見えません」
『……うん、でもやるしかないよね。即興の大喜利とはいっても、一週間で私たちにやれることはいっぱいあると思う。大喜利の形式を考えたりさ』
言われてみればたしかに、大喜利の形式は色々とある。オーソドックスな大喜利以外にも、絵を見て答えるものだったり、リズムに合わせるものだったり。
『だから私たちの仕事は、虎亜ちゃんのお父さんが好きだったっていう『大喜利天国』を研究して、最良の形式を作ることだね』
「……了解です」
『きっと大丈夫だよ』
俺の弱気な心を見透かしたように、先輩ははっきりとした口調で、しかしどこか安心させるような、穏やかな声音で言う。
『私たちなら、今回の件も乗り越えられるから』
決して楽観視しているわけではなく、先輩は自分たちのことを信じている。そんな気持ちが、先輩の口調から伝わってきた。
『それじゃあ真白くん、また明日ね! わざわざ連絡ありがとう。今日は特別に、おやすみの舌打ちをしてあげるね』
「舌打ち?」
『チッ』
と、マジで舌打ちをしてから、先輩は通話を切った。
「……いや気分悪いわ」
やっぱり先輩、最後にはちゃんとボケるんだな。
俺はスマホをポケットにしまい、若干ハンドルが曲がった自転車を漕ぎ出した。
先輩と話していくぶん気持ちは楽になったものの、正直、不安が胸に蔓延っている。失敗は決して許されない――それが怖くて怖くて仕方がなかった。
「失敗……か」
失敗といえば、俺には一つ思い出がある。これはおそらく、俺の人生でもっとも大きな失敗だ。
三年前の中学二年のとき、俺は学漫で大惨敗した。
俺は学漫に三回出場している。一回目は中学一年生のときで、このときは初出場ながら予選を通って、準決勝まで進出した。周囲が高校生ばかりだったから、めちゃくちゃ誇らしかったのを覚えている。
しかしながらその翌年、俺たちは本戦に進むことなく敗退した。あのときの敗退は本当に散々で、思い出すと心が痛む。悔いだけが残る結果だった。
大会の二ヶ月ほど前から、俺たちの間で意見の食い違いが多発していた。俺は五分の漫才の間に、十五個のボケを入れるスローテンポの漫才をやりたかったが、相方の紫貴は二十五個のボケを入れるハイテンポの漫才をやりたがった。
ハイテンポの漫才は、ボケの質が多少悪くても勢いで押せる。しかしハイテンポであるがゆえに、ある程度のストレスを観客に与えがちだ。大爆笑が起きた際、観客の笑い声が引くのを待つ――いわゆる笑い待ちをして、ツッコミでもうひと笑い起こす、というようなことができない。良くも悪くも、こちらのペースでガンガン押していかなければいけない。
この手の漫才は、完成させるとものすごくかっこいいのだが、セリフを噛んだら一気に冷められるというリスクがあった。
結局、俺たちは毎日のようにケンカを繰り返し、当初予定していたネタを完成させることさえできなかった。それで既存のネタで勝負することになったのだが、俺たちの自信のなさが観客に伝わり、妙な緊張感を生んでしまったのだろう。『こなれてる感』がないと、漫才は笑いを生みにくい。笑いはまったく起きなかった。
この漫才の最中は、本当に地獄だった。一刻も早く終わってくれと、ずっと心の中で祈っていた。
東京からの帰りの新幹線の空気は、思い出すだけで胸が苦しくなる。控えめに言って地獄だった。お互い謝りもせず、それどころか会話もなかった。そのままコンビ解散となってもおかしくないほど、雰囲気は最悪だった。
結果的にはその翌日、ハイテンポとスローテンポを織り交ぜた漫才が完成したわけだから、この失敗は無駄じゃなかった。むしろ、この失敗があったからこそ俺たちは優勝することができたと言える。
失敗は成功のもとだ。
しかし、絶対に失敗してはいけない場面は確実に存在していて――。
それが今だった。
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ボケたがりの彼女たちに、愛のあるツッコミを わため @watame000
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