3-4 身体能力高すぎだろ

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 藍堂と藍堂パパとの、考えれば考えるほど意味不明で奇妙な親子ゲンカがあったあとで、俺と藍堂は夜の公園にいた。公園と言っても遊具の類はブランコしかなく、他にはベンチが一脚に、白銀灯が一つしかない。こんな狭い公園、存在する意味はあるのだろうかと思ったが、今日の俺たちのような人間のために存在しているのだろう。


 藍堂はブランコに腰かけ、俺は向かう合うような形でベンチに座った。こういうシチュエーションのとき、ブランコはただのベンチ代わりだと思うのだが、藍堂はこちらが心配になるくらいにブランコを漕いでいた。そのうち藍堂は三六〇度、ぐるんぐるんと回転させ始める。身体能力高すぎだろ。


 んなことはどうでもいい。


 おそらく藍堂は今、苛立ちや怒りや悲しみなどの感情を、どうにか発散させようとしているのだろう。だから俺は藍堂が落ち着くまでひたすらに待った。


 次第にブランコの振れ幅が小さくなっていく。ようやく俺は、藍堂と目が合った。


「こんなこと言っちゃあれだけど、お父さんとよく今まで一緒に生活してこれたな」


「……いや、実を言うと、ほとんど別に生活しているんだ。私の家は道場と母屋があるのだが、父は道場で寝泊まりをしていて、顔を合わせることがない。今日だって、父さんの顔を見たのは三ヶ月ぶりだよ」


 あんなおかしな父親と、四六時中一緒にいるわけではないと知って安心した。


「なんつうか、こんなこと他人の俺が言っちゃいけないんだろうけどさ、絶対に藍堂のお父さんは間違ってると思う」


「ありがとう。そう言ってもらえると楽になるよ」


 本音を言えば、もっとボロクソに言いたいくらいだった。


「小学生の頃から、道場以外で父さんと顔を合わせることはなかった。身の回りのことは、全部自分でやってきたよ。洗濯とか、料理とかさ」


「母さんはいないのか?」


「私が幼い頃に蒸発した。きっと、父親に愛想を尽かしたんだろうな。母が今どこにいるかわからないが、幸せに暮らしていることを願う」


「藍堂は大人だな」


「そんなことはない。母のことは、とっくに気持ちの整理がついているだけだ」


 厳しい修行を強いられ、しかも母親もいない環境にいて、藍堂は、何をきっかけにお笑いが好きになったんだろう。


「藍堂は、いつからお笑いが好きなんだ?」


「小学六年生の修学旅行からだ。四泊五日の修学旅行の、クラス別のレクリエーションで、私のクラスは劇場に行ったんだ。とある芸能事務所が所有する劇場で、毎日多くのお笑い芸人たちがネタを披露している劇場だよ。私はまったく興味がなくて、何の期待もしていなかったんだが、いざ始まってみると本当に面白くてさ。涙を流すほど笑った。私の家にはテレビもないから、お笑い自体、初めて触れるものだったんだ」


 そんなことを語る藍堂の表情は、数分前に俺の自転車を叩きつけたとは思えないほど穏やかだった。優しさに溢れていた。


「体の内部に溜まっていた黒いものが、浄化されていくみたいだった。それまでの私は心の底から笑ったこともなくて、人生の何が面白いのかずっと疑問を抱えて生きていた。けど、帰りの新幹線の車窓から見た地元の景色は、それまでとは全然違って見えた。いつか私もあの劇場に立って、コントや漫才をするんだって心に決めたのだ。そう決めてから、私の人生はとても楽しくなったよ」


「藍堂は、お笑いに人生を救われたんだな」


「まさにそうだ」


「だったらなおさら、お父さんの勝負には勝ちたいところだけど……藍堂のお父さんって、笑うのか?」


「笑ったところを一度も見たことがない」


 商店街のコントのときは、とりあえず完成させれば良かった。白鳥さんたちとの勝負も、最初から負けることのない勝負だった。


 だが今回は違う。ほとんど勝算のない戦いだ。


 つまるところ、俺は結構な絶望感を味わっていたのだが、


「あ。父さんに勝てる方法が、一つだけあるかもしれない」


 と藍堂が呟いた。


「私が小学校二年か三年の頃に、物置で妙なものを見つけたんだ。今の今まで忘れていたが、きっとそれが私たちを救うキーアイテムになると思う」


「何だよその、妙なものって」


「ビデオだよ」


「ビデオって……」


「VHS。父さんたちの若い頃に、主流だった記憶媒体だ。それが父さんの中学の頃の制服と卒業アルバムと一緒に、十本ほど入っていた。つまり、そのビデオは父さんがアマゾンに行く以前に所持していたものなのだ」


「なんでそれをキーアイテムだと思ったのかは知らないけど、絶対に見てはいけない類のビデオだと思うぞ」


 男の勘がそう言っている。


「そのビデオに、ラベルは貼ってあったか?」


「父さんの字で、大喜利天国、と書いてあった。十本ともすべてに」


「大喜利天国?」


 大喜利天国とは、たしか二十五年ほど前に、深夜に放送されていたテレビ番組だ。


「私の父さんは青春時代、大喜利が好きだったのかもしれない。そうだとするなら、私たちがやるべきお笑いは、今回に限っては大喜利なんだと思う」


 大喜利とは、お題に対して即興でボケるだけという、非常にシンプルなお笑いだ。それゆえプレーヤーの技量や頭の回転、笑いのセンスががシンプルに反映されやすい。


 これまで、じっくりとネタを作ることが当たり前だった俺にとっては、未知のお笑いのジャンルだと言える。


 しかし、普通の漫才やコントで、笑わせるビジョンが見えないとなれば、大喜利は最良の選択肢かもしれなかった。


「ビデオをこっそりと持ち出して、明日部室に持って行くよ。部室には古いビデオデッキがあったはずだから、まずはそれを見てみよう。そのあとで早速特訓に入りたい。私を大喜利女王にして欲しいのだ」


「大喜利で勝負するなら、俺じゃなくてみんなのほうが力になると思う。でも、俺にできる限りのことはもちろんする。それと、今日のことは俺から夏姫先輩に言っておくから」


「ありがとう」と藍堂は強く頷く。「この勝負、私は絶対に勝ちたい。もし負けたら……私は約束どおり、学校を辞める」


「バカなこと言うなよ」


「いや、これだけは譲れない。私は、それだけの覚悟を持って父さんとの勝負に挑みたいんだ」


 俺が説得したところで、藍堂は絶対に勝負を取り下げない。


 そうわかっていたから、俺は何も言えなかった。


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