3-3 どうなってんだよこの親子

 3


 マスバーガーで、およそ五時間に渡って俺は延々と藍堂からボケられた。気づけば夜の九時を過ぎている。


「夢のような時間だった。本当に楽しかったよ。改めて、どうもありがとう」


「それはいいんだけどさ……なんか、やっぱおかしくないか?」


 マスバを出たあと、俺と藍堂はそれぞれ自転車で家路につくことになったのだが、藍堂の家はマスバから五キロもある。それなのに藍堂は自宅まで走って帰るというから、俺は自転車で送ると提案したのだが、どういうわけか自転車を漕いでるのは藍堂で、後ろに乗ってるのは俺だった。


 ぶっちゃけ、恥ずかしい。


 男のほうが後ろ乗るとか、見たことねえぞ。


「恥ずぅ……」


「気にすることはないよ。人には得手不得手があるのだ」


「そうは言っても、女の子に自転車を漕いでもらうって、結構屈辱的だよ」


「私を女の子扱いするなと言っているだろ?」


「いやいや藍堂、お前無自覚みたいだけど、かなりの美人だぞ?」


「ふんっ。自分の容姿や恋愛には興味がないよ。小学生の頃なんて坊主だったし」


「坊主!? じゃあ藍堂ってずいぶん変わったんだな」


「ああ。夏姫殿やお笑い研究部に出会ってから、私の人生はとても楽しいんだ」


 俺からは藍堂の表情は見えないが、きっと幸せそうな笑みを浮かべているに違いない。


「夏姫殿の夢は学生漫才コンクールで優勝することだ。その夢の、手助けができればいいと私は思っている」


 藍堂の長い髪の毛が、俺の頬やら鼻やらをくすぐってくる。くすぐるというか、べちべちと俺の顔中を叩いてきてクソ痛ぇ。


「私の自宅はすぐそこだから、ここまででいい」


 言うや否や藍堂が急ブレーキを踏んだ。もう少しゆっくり止まれよ、とツッコむ余裕もなく、自然、俺の体は藍堂に密着した。ばかりか、バランスを崩した俺は、あろうことか藍堂に抱きつくような姿勢になった。


「うおっ……!」


 俺の手に、柔らかなものが収まっていた。ありえないくらい柔らかかった。ノーブラなのか? いやスポーツブラの類だろうか――いやそんなことはどうでもいいのだが、俺はその感触に動揺し、なおかつバランスを保とうとした結果――あくまで結果的に、俺は藍堂の胸を揉んだ。


 めちゃくちゃ、揉んでしまった。


「藍堂ごめん! 今すぐ俺を殺してくれ!」


 俺は速やかに自転車を降り、流れるように土下座のポーズを取ろうとしたが、藍堂が笑いながらそれを止めた。


「ははは、佐倉は大げさだな」


「……怒ってないのか?」


「たかだか大胸筋を揉まれたくらいで、怒るわけないだろ」


 幸い、藍堂はまったく気にしていないようだった。


「私のことは男友だちとして見てくれと言っただろ?」


 藍堂がこう言ってるし、これからは男友だちとして接したほうがいいのかもしれない。


「じゃあ藍堂、また明日な」


 と俺が手を上げたところで――。


 なんだろう。


 謎の悪寒を感じた。


「そこで何をしておる……!!!!」


 唐突に、腹の底に響くような声がした。ほとんど地響きだった。


 その声のほうに目をやると、二メートルを超える大男が立っていた。


 迷彩柄のTシャツに短パン姿で、まるでヒグマのような体つきをしている。飢えた肉食獣じみた獰猛な目つきで、俺たちを睨んでいた。


「何をしていると訊いているのだ……っ!!」


 大男が咆吼すると、大砲をぶっ放したかのような衝撃波が走った。


「何って、友達と一緒に帰ってきたんだ。それだけだ」


「嘘を吐くな! 今そこの男に、胸を揉ませていたではないか!」


 いやもう誤解も誤解。事故ですから。


「いえ、あの、違うんですよ」


「なんじゃいお前は……!!」


「ひぃ……っ」


 大男に凄まれると、俺の体は即座に恐怖に支配され、声を発することも動くこともできなくなった。


「仮に私が胸を揉ませていたとしても、父さんには関係ないことだ」


 なんとなく察していたが、この大男は藍堂の父親であるらしい。


「関係ないだと!? ふざけるなぁ……!!」


 藍堂パパは足の裏で地面を強く叩いた。地中を潜る大蛇のごとく地面が隆起した。


 信じられないことに、地面には大きな亀裂が入っていた。なんでギャグマンガの世界の住民が、ラブコメにいるんだよ。


「破廉恥行為をさせるために、私は貴様を高校へ行かせたのではない!」


「いえ、お父さん、それは誤解なんです」


「なんじゃいお前は……!!」


「ひぃ……っ」


「お前に父さんと呼ばれる筋合いはない……! 殺すぞ……!!」


「え、えぇ……?」


 俺今、友だちのお父さんに殺すって言われたぞ。


「貴様、ひ弱軟弱スケベ男に媚びるような女になりおって……!!」


 ひ弱軟弱スケベ男。


「佐倉のことを悪く言うな! 佐倉は本当にすごいヤツなんだ! 佐倉の凄さは、父さんには一生わからない!」


「……あぁん?」


 藍堂パパは、俺を射貫くようにして睥睨した。


「貴様、私よりも強いのか?」


「よ、弱いです」


 見りゃわかるでしょ。


「どうして父さんは、人を強さでしか評価しないんだ」


「肉体的な強さとは、精神的な強さでもある。精神的な強さは、それすなわち社会で生きる強さそのものだ。つまり、この軟弱スケベ男は社会的弱者だ」


 ねえヤバいよ。藍堂のお父さんの思想、ヤバいって。


「……それ以上佐倉のことを悪く言うと、いくら父さんが相手でも私は怒るぞ!」


 とか言って、藍堂は自転車を軽々と持ち上げると、そのまま地面へと叩きつけた。


 俺 の チ ャ リ だ ぞ ?


「佐倉に謝れ!」


 お前も俺にチャリ壊したこと謝れよ。


「藍堂、頼むから落ち着いてくれよ。ここでケンカしたって何にもならない。俺は何を言われたって全然平気だ。それよりもここで藍堂が我を忘れて、父親とケンカするほうがよっぽどイヤだし、ついでに言うとさっき藍堂が地面に叩きつけた自転車は俺のだ」


「安心してくれ。どんなに怒り狂ったとしても、お互い暴力には走らないよ。それは藍堂式心身武術に反するからな」


「じゃあなんで自転車を破壊したんだよ!?」


 デモンストレーション的に壊したのか!? あと藍堂パパも公道を破壊してたぞ!


 どうなってんだよこの親子!


「佐倉はお笑いの全国覇者だ! 佐倉をバカにしていいのは、佐倉本人だけだ!」


 ?


 そんなことはないと思うぞ?


「お笑いなどくだらん! 笑いとは、誰かに媚びを売ることであり、自分を弱く見せて他者に取り入ろうとする卑怯な行いの権化だ!」


 さすがにひねくれすぎでは!?


「お笑いをバカにするな!」


 藍堂は、藍堂パパの目の前に立ち、腕を組んでいつもの仁王立ちをした。


「私とお笑いで、勝負しろ!」


 おい。


 それはマジでやめてくれ。


「……お笑いだ? ふんっ、まさか私を笑わせるとでも言うつもりか?」


「ああ、そうだ。私がお笑い研究部で培ってきたものを、今ここですべてぶつける!」


「いいだろう。だが、もしも私を笑わせることができなかったら、高校など今すぐにやめて、修行に専念してもらう。お前が勝ったときはお前の正しさを認め、二度と口出しはしないと約束しよう」


「よし、決まりだ」


 決めんなよ!


「お前に与える時間は五分だ」


 藍堂のお父さんは腕を組み、仁王立ちをした。


「さあ、かかってこい……!! 愚かな娘よ……!!」


「私だってこの一年間、遊んでいたわけじゃないんだ……!! お笑いと真面目に向き合ってきた――その集大成として、抱腹絶倒の一人ショートコントをお見舞いしてやる……!」


「全力で来い。せいぜい後悔しないようにな……!」


 ねえ、何わけわかんないことやってんの!?


「言われなくともそうさせてもらう……! 一人ショートコントシリーズ最終奥義、『学校のプールの栓抜いたヤツ』!!!!」


「いい加減にしろ藍堂!」


 こんなこと絶対言いたくないけど、タイトルだけでスベってるぞ。


「どうして私を止めるのだ! まさか佐倉は私のことを信用していないのか?」


「それはこっちのセリフだ。どうして一人で戦おうとしてるんだよ。戦うにしても、お笑い研究部としてのお笑いで勝負するべきだろ。俺たちと一緒に戦うべきだ」


 ここで藍堂がスベって学校を辞める事態を避けるための、付け焼き刃的なセリフだったが、案外俺はマジなテンションで言っていた。


「藍堂、頼むから一人で戦わないでくれ。今の俺たちは六人で一つだ」


「……佐倉の、言うとおりかもしれないな」


 俺の思いが通じたのか、藍堂はようやく笑みを見せた。


「ついつい頭に血が昇ってしまったよ。レジャーシートと言いながら、ブルーシートを使って申し訳なかった」


「いつの何を謝ってんだよ!?」


「ふっ、情けないな。虎亜、貴様は一人では何もできないのか?」


 と藍堂パパは挑発するようなことを言うが、ちょっと黙っててもらっていいすか?


「今の私は、お笑い研究部の藍堂虎亜なんだ。だから私たちみんなで作るお笑いで勝負がしたい。父さんは、精神力こそが人生に必要なものだと思ってるかもしれないけど、それは違う。大事なことは他にもたくさんあるんだ」


「……ふん。くだらんな」


 藍堂パパは馬鹿にしたように鼻で笑った。


「お前の生き方が正しいか、私の生き方が正しいか、ハッキリさせようではないか」


 結局戦うんかい。


「望むところだ」


 望むなよ。


「一週間後、十八時に我が道場でお前たちを待つ」


 藍堂と藍堂パパは睨み合ったのち、それぞれ別の方向へと歩きだした。

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