ビデオカメラが証明済みである。
@Sugar-C6H12O6
第1話 ビデオカメラが証明済みである。
ふと、家族と、僕でビデオを観る事になった。
父、母、妹は、ソファーに座っていた。
私はキッチンで、自分のお気に入りのグラスに氷を入れ、コーラを注いでいるところだった。
テレビのある方向から、雑音の混じった母と妹の声が聞こえてきて、慌ててテレビの方へ走る。
カランコロンッ、と氷とグラスの響き合う音が、心地良かった。
私は椅子を持ってくると、背もたれに寄り掛かって座る。
そのビデオは、私が5歳、妹が3歳の時のものだった。私達は、夏休みに祖母の家に向かい、親戚達と海でバーベキューをしていたのだった。
砂浜は、夢に見るような白い砂浜ではなく、幻想の無い、黒ずんだ砂浜だった。
カメラマン、いや、カメラウーマンは、母だった。
当時から、化粧なしには、カメラの前に立ちたがらなかったので、必然的に、母はビデオカメラで家族を撮影する役割を果たすようになっていた。
結果、ビデオには、彼女の興味のあるものだけが映り込むようになっていた。
京都に旅行した時なんて、金閣寺は30分ほど映り続けたのに、法隆寺は殆ど映らなかった。
父と母と妹は談笑していた。
「そういえばこんな事もあったねぇ」などと、笑いあっていた。
叔父がバーベキューの台を組み立てながら、父とガンダムの話をしている。
高校生になった今も、話の内容は、理解はできなかった。
全ては平穏な筈だった。
しかし、私は、恐らく私だけは、その後の顛末を、よく知っていた。
テレビの画面の中では、バーベキューの準備が終わり、ようやく肉を焼き始めたと言う・・・まさにその瞬間だった。
ビデオカメラのすぐそばから、母の絶叫が聞こえた。
ビデオカメラが、母の動揺を反映して、震える。
妹が、海に流されていたのだ。
3歳の妹は、濡れても大丈夫なように、と水着を着ていたが、水泳教室に通った事も、プールで泳いだ事もなかった。
しかし彼女は、本能的にか、器用にも犬かきをしていた。
彼女は、砂浜から20メートル程離れた場所で犬かきをし続けていた。
次の瞬間、父は海に向かって飛び込んでいた。
その時、彼はワイシャツに、ジーパンという、とてもではないが、泳ぐのには適していない格好をしていた。
ポケットには携帯電話と財布が入っていたが、取り出し忘れていたのか、それとも娘の命の危機の前に、それらの価値を無視したのか、、、兎にも角にも、彼は飛び込んだ。
服を着たまま泳ぐことは、大人であっても命を落とす可能性のある危険な行為である。
しかし彼は、そんなことなどお構い無しに、娘を助けに向かったのだ。
やがて彼は妹の元へ辿り着き、彼女を抱えて砂浜に戻ってきた。
彼の英雄的な行動を、親族たちは褒め称え、彼には拍手喝采が送られた。
全身がずぶ濡れになりながら、安堵の表情を見せる父と、彼に抱っこされている無愛想な妹の顔が映った。
その後は、特に何の問題もなく、肉を焼き、野菜を焼き、バーベキューの記録が流れ続け、その後30分ほど続いて、ビデオは終わった。
後日談だが、父は恐らくこれのせいで、翌日、風邪を引いた。
祖母の家に長く残れると言うことで、妹には好評だった。
私は、それどころではなかった。
ビデオを観終わると、父は、手慣れた手つきで、時系列的に次のビデオを流し始めた。
次のビデオは、家族4人で水族館に行った時のものだった。
妹がアザラシのぬいぐるみを欲しいと言って、地面に横になっている様子と、父が「しょうがないな」といって、5000円するぬいぐるみを買う場面では、僕も笑った。
水族館のビデオが流れ始めた時点で、3人の関心は、既に次のビデオに移っていたようだった。
それもそのはずだ。彼らにとって、あの出来事は家族の絆とやらを確かめられた『人生のとある一コマ』に過ぎないのだろうから。
しかし、私にとっては、、、
世界で唯一、私だけにとっては、
あの出来事は
『人生で最も最悪な出来事』
であると同時に、
『人生の革命点』でもあったのだ。
ーーーーーーーーーー
時は遡ること、私が2歳になるまで。
私は、我が家の主人公だった。
私が図鑑で蝶の名前を覚えれば両親は大喜びしてくれた。
五十音表を鉛筆で書ければ、おもちゃも買ってもらえた。
私は幸せだった。
私が2歳になってから、数ヶ月が経ち、妹が病院から家にやってきた。
その日から、私は主人公ではなくなった。
私は、両親から『自制』を求められ、僅か2歳しか違わない妹の為に、全てを譲歩しなければならなくなった。
『お兄ちゃんなんだから』と。
ああ!なんと罪深き言葉だろうか!?
私が図鑑を読んでいた時、彼女は私に積み木を投げつけてきた。
その名の通り木でできた積み木は、私の額に当たり、今まで感じたことのない痛みが走った。
しかし、悪いのは、、、『悪いとされた』のは、私だった。
心も、そして、身体が成熟した今ならば、積み木を投げられたくらいでは大して痛まないだろうし、笑って許せるだろう。
18歳の兄ならば、そう出来るし、そうすべきだろう。
では、3歳の兄は?
まだ、骨が発達しきっていない上、痛みにも慣れていない子供に、同じ事を要求すべきだろうか?
両親の答えは簡単に予想できる。
『お兄ちゃんなんだから』
そこには、3歳も18歳も、2歳差も、1分差であっても、なんら違いは生まれないのであろう。
改めて思う。なんと罪深き言葉だろうか。
同様に、私は、『めでたしめでたし』という言葉が大っ嫌いだ。
とある集団から見て、都合の良い状態で、『世界を停める』言葉だからだ。
確かに、宝を得た桃太郎達からすれば、鬼の復讐なんて望まないだろうし、
『僕らは宝を得た、
ハイッ!ここでお話はおしまい!
これで、僕らの幸せは確定するし、
とでも言いたいのだろう。
なんと幼稚な意見だろうか?
なんと我が儘な意見だろうか?
なんと傲慢な意見だろうか?
人々は、この言葉を、『幸せの象徴』とみなす。
なんと独善的な生物だろうか?
そういうわけで、
『お兄ちゃん』や『鬼』から、幸せになる権利を奪い取り、
自分に都合の良い状態の世界からの変更を断固として拒絶する、この『めでたしめでたし』という言葉は、
人類の生み出したどの言葉よりも、最低最悪の言葉だ。
少なくとも私にとっては。
ーーーーーーーーーー
妹は、運動が得意だった。生後数ヶ月で歩き始め、そこら中を縦横無尽に歩いていた。
両親は、妹の運動神経の良さを褒めていた。
私は、運動が苦手だった。3歳になっても、座って図鑑ばかり読んでいた。
運動というものは、素晴らしいものだ。
簡単に他者と比較でき、逆上がりができれば、親から褒められることが出来る。
勉強というものは、虚しいものだ。
テストをしなければ他者と比較ができず、もしテストで良い点を取ったとしても、親が満足しなければ、親からも褒められることはない。
逆上がりは、『出来たこと』が褒められ、
70点は、『30点失ったこと』を責められるのだ。
私は、4歳の時、既に『褒められる』という事を期待しなくなっていた。
期待をしなければ、期待が裏切られることは無い。最悪を避けることはできる。
ある日、自由時間に、私は園庭にて、木の枝で地面にかけ算の式を書いていた。
それを見た幼稚園の先生は、私のことを褒めてくれた。
久しぶりだった。私は嬉しかった。
そして、私は、『お勉強』と呼ばれるものに関して他者よりも秀でている事を知った。
丁度その頃、両親が私に、『ドリル欲しい?』と聞いてきた。
私は、アンパンマンよりも、バイキンマンを応援するような子供だった。
バイキンマンを倒してハッピーエンド、という話がどういうわけか嫌いだったのだ。
私は、この『ドリル』という単語を、バイキンマンの乗っているモグラ型の車の鼻についている、まさに物に穴を開けるための『ドリル』の事を指していると勘違いし、
次の日から『計算ドリル』と格闘する事になったのだった。
ああ、なんで愚かだったんだろうか。
私は期待してしまったのだ。
『1日1ページやろうね』と言われた。
私は、自主的に3ページ進めた。褒められる事と引き換えならば、この程度、苦でもなかった。
翌日から、課題が、1日3ページになった。
私は5ページをやった。期待し続けた。
あっという間にドリルは終わり、最後のページのテストをやる事になった。
100点満点のテストだった。
私は計算ミスをして、10問中、3問を落としてしまった。
70点だった。
私は褒められる事を期待していた。
だが、溜息しか、貰えなかった。
両親は、何も鬼になったわけでは無い。
私を貶そうとしたわけでは無い。
ただ、私が3問も落としてしまった事に対し、『同情』していた。
「次回頑張れば大丈夫!」というような事を言われた。
まるで今回は頑張っていなかったかのような言い草だ。
ーーーーーーーーーーーー
3歳の時、私は、家族とリゾートホテルに来ていた。
広々としたプールのあるホテルだった。
相変わらず、主人公は妹だった。
私は、妹のオムツを変えている間、私はプールサイドで静かに待っている事を要求された。
私は水着を着ていた。
本来ならば、父と母と私で、プールで遊ぶ予定だったのだ。
妹のオムツを変えるという出来事さえなければ。
私は水底の浅いプールでの水泳教室のお陰で、天狗になっていた。
時間を潰しがてら泳ごう、と思ったのだ。
丁寧に準備体操をして、プールの縁に座り、両手をプールの縁に乗っけたまま、プールの中に入った。
プールは、私の慣れ親しんでいたものではなかった。
想定以上に深い水底のせいで、バランスを崩し、身体全体がプールの中に沈んだ。
煌めく水面を見て、『息を吸わねば』と思ってしまった。肺に酷い激痛が走り、意識は暗転した。
幸い、プールで遊んでいた他の客が、私が溺れている事に気づき、なんとか一命を取り留めた・・・というのは、大袈裟だろうか。
ともかく、なんとか助けてもらった私には、親からの説教が待っていた。
『何故大人しく待たなかったのか』と。
私に非があることは重々承知だ。しかし、当時の私の心を代弁するのであれば、『子供にとっての1分』がどれほど長いのか、大人は理解していないのだ。
彼らは待つのに慣れているのだろう。
電車を待つのにだって、数分待つことは多々ある。
しかし、好奇心旺盛な子供に、何もせずに座って待っていなさい、というのが、どれほど酷な命令なのか、彼らは忘れてしまったのだろうか?。
この経験を通して、私は『溺れる』という事に、何よりもの恐怖を感じるようになっていた。世界で最も苦しいことは何か?と尋ねられたならば、
『溺れ死ぬ事だ』と、当時の私は即答するだろう。
ーーーーーーーーーー
ビデオを撮った時には、私の心はボロボロだった。
自分が何の為に生きているのか、全くわからなかった。
恐らく、両親に聞けば『あなたのために生きている』とでも答えたのだろう。
行動では『妹のために生きろ』と強いながら。
私は、幸せそうな家族に、人々に嫉妬した。
何故父と母は円満なんだろうか?
何故親戚たちはこんなにも幸せそうなんだろうか?
何故この場で、『私だけが』辛い思いをしているのか。
今になってみれば、大人には大人の苦労がある事はよくわかる。しかし、当時の私には、、、彼にはそんなことは理解できなかった。
ふと、海の方を見た。
太陽が輝いていた。
妹が波と戯れていた。
私は、人生にて最も重い罪を犯しかけた。
私は、精一杯、力強く、懇切丁寧に、悪意を込めて、
当時の私にとって、
『最も残酷で、苦痛に満ちた死に方』が 『溺死』であった事を重々承知で、、、
いや、むしろ、だからこそ、、、
『私は妹を溺死させようとした』
『出来るだけ苦しめ』と醜い心で祈りながら。
妹は、波に流されていった。
私は喜んだ。喜んでしまった。
自分が幸せになれる。そう期待した。
『期待してしまった。』
『バシャバシャ』
妹は何食わぬ顔で犬かきをし始めた。
おいおい、やめてくれ・・・。
私は特訓をしていたのに、、、波のないプールで溺れたんだ。
どうして何の練習もしていないお前が、プールより深く、波のある海で泳げるんだ?
母の絶叫が聞こえた。
おいおい、やめてくれ・・・。
あなたは私が溺れた時には、
気付きさえしなかったじゃ無いか!?
父が海に向かって駆け出した。
彼の蹴った砂が私に掛かる。
おいおい・・・やめてくれよ!
どうしてそんなに必死そうなんだっ!!?
なんで財布にも携帯電話にも自分の命にも脇目も振らずに、走れるんだよ!!?
私の時は、、、僕の時は助けに来なかったじゃ無いか!!!!!
私は、まさしく、絶望した。
この世の全てに絶望した。
父が妹を抱えて凱旋する。
親戚たちは笑っている。幸せそうだ。
母親は、嬉しそうだ。
父親は、安心しているようだ。
妹は、、、不貞腐れていた。
『助けられて当然』という顔をしていた。
私は再び絶望した。
私が今後の人生で決して得られないものを、彼女は当然のものとして享受し、、、
享受している事にさえ気付いていない。
彼らは、『ハッピーエンド』を迎えているようだった。
美しい物語だ。
黄金色の太陽が照らす中、黒い砂浜で親子の絆を深める、とても美しい物語だ。
そこに私はいない。
主人公では無い。
登場人物では無い。
背景ですら・・・無い。
私以外の全ての人々は、幸せそうだった。
絶望した私は、おもむろに、海へと歩いて行った。
誰も止めなかった。
恐らく、気付きさえしなかった。
私は海に浸かって行く。
だが、歩みを止めない。
やがて顔まで海に浸かる。
海の中で目を開く。
思っていたよりも、目は痛まなかった。
海の中は静かで、穏やかだった。
砂浜の騒がしさは、海の中には侵入してこなかった。
水に対する恐怖は、いつの間にか無くなっていた。
私の口から、ゴボゴボッ!と泡が生まれ、キラキラとダイヤモンドのように光りながら、天へと昇っていく。
私は思った。
幸せとは、酸素のようなものだ、と。
陸にいる人々は、何食わぬ顔でその恩恵を享受し、酸素を吸えない恐怖なんて、水に落ちるまで知らない。
彼らは、水中で溺れている人間に向かって言うのだ。
『酸素を吸え』と。
横隔膜を動かせば吸えるんだから。
ほら?私を見て?簡単でしょ?
だから、『酸素を吸え』と言う。
幸せと酸素は同じだ。
幸せな人々は、不幸な人々に言うのだ。
『幸せになってね』と。
頑張れば幸せになれるんだから。
ほら?私を見て?簡単でしょ?
だから、『幸せになってね』と言う。
私は許せなかった。当たり前を享受する幸せな人々が。
恐らく、病に伏す人々は、健康な体を当たり前のことのように享受する健康な人々に、怒りを覚えるのだろう。
恐らく、自身の不遇を努力不足と言われた人々は、努力すれば報われる環境を当たり前のことのように享受する人々に、怒りを覚えるのだろう。
そして私は、いつも親を含めて、誰かが味方になってくれる事を当たり前のことのように甘受する妹に、怒りを覚えるのだろう。
私は在り方を変えることにした。
これから先、どんな時も、自分だけは自分の味方でいよう、と心に決めた。
どうせ、この世に味方など存在し得ないのだから。
溺れた時に見たのと似た水面は、しかして、過去のものとは異なり、
波に激しく揺られながら、太陽の光によって、黄金色の鏡のように輝いていた。
私には、その光り輝く『壁』が、
陸の世界と海の世界とを分け隔てるその『壁』が、
とても、、、とても、分厚く感じられた。
『壁』が分厚いのを良いことに、
私は海の中で、力強く、思いっきり叫んだ。
海が涙を
幾千もの泡が生まれ、太陽の光を反射し、美しい黄金色に輝く。
『
『
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