死に損ないの籠

九十九ひとり(9ju9)

道行

 あれは人の味を覚えた怪物なのだと教えると、誰もが怯えた目で娘を見た。だがあの少年は例外だった。

 人ならざる怪異を閉じ込めて形代にするのは、果たして良い方法なのか。そう真面目な顔で聞かれたら首を横に振るしかない。しかし、人類にそれ以外の選択肢がないのも事実だった。少年はあどけない子供の姿を取った怪物を可哀想な子だと言い、本心から同情しているらしかった。何度も人食いの獣だと説明してもそれは変わらなかった。

 哀れという言葉で片付けるには余りにも残酷で、醜悪な仕組みだった。死を持たない存在は永遠に役目に縛られ続ける。引き寄せた瘴気を清め、無害化するのが『龍』という仮の名を与えられた怪物の仕事だった。しかしその体には鱗も角も無く、二本脚で歩き時折人間を襲っては食う。体に纏った瘴気のせいで人間からは疎まれる厄介な存在に過ぎない。

 その化け物が蝶よ花よと世話をされ、世界で一番贅沢な暮らしを送っても長年酷使されればむ。それが内に向かうか、外に向かうかは毎回そうなってみねば分からぬ。

 今回は運悪く、狂を発し檻を破って逃げ出そうとした。だから斬る。

 これまで何度もそうやって務めを果たして来た。

 何度も。


 城内のそこかしこに設置された鳥籠の中を確認すると、籠の主は例外なく床に落ちていた。可愛らしい鳴き声のカナリヤだが、愛玩動物ではなく瘴気の濃さを測るための道具に過ぎない。天守閣上層に近付くに連れ、小鳥の亡骸は赤黒く捻れた肉塊に変化している。鳥籠の中へ呪符を投げ込むと、哀れな小鳥だったものは一瞬で灰になった。

 廊下の途中に置かれた柱時計は文字盤が意味をなさない記号に置き換わり、歪んだ長針が三本に増えている。更には、耳障りな金属音を立てながら反時計回りに文字盤が回転していた。格天井ごうてんじょうに描かれた豪華な花鳥風月も奇妙に歪んだ生き物に変じ、前衛芸術のような有様だった。

 それらを横目に階段を駆け上がり最上層へ辿り着くと、そこは瘴気の影響でほぼ異界になりかけの状態だった。明かりはなく、暗い隅の方からは何かが蠢く不快な音だけが聞こえる。いくら耐性があるとは言え流石にこたえる。常人がここへ入り込めば発狂と即死は免れない程に瘴気が濃く、柱や床の表面が炭化し始めていた。

 出来る限りの防御を施しても常人なら数秒、耐性のある者でも五分と持たないだろう。異常に濃い瘴気の渦に飛び込んだ事なら幾度もあったが、もしかしたら今度こそ死ぬかもしれないという暗い期待があった。

 顔にかけていた防護用の面布めんぷをしっかり固定し直すと短い廊下を進み、開け放たれた襖に導かれるように先へ行くと見慣れた中庭へ出る。

 冷たい月光に照らされる娘の後ろ姿を見た時、場違いにも白いすすきの穂を連想した。彼女の緩く波打つ白髪はそれ程に皓々こうこうと輝いていた。細い首をそらして夜空を仰ぎ見る少女の表情は、ここからではわからなかった。

 天守の一角にある中庭は回廊に囲まれ、普段は沢山の侍従がかしず広縁ひろえんに人影は無い。裏返った畳のそこかしこに白い手足が転がっているように見えるが、あれは少女の世話係の傀儡かいらいが破壊された成れの果てだ。狂を発したあるじを止めようとして全滅したのだろう。この場に生き物はいないがぞろり、ぞろりと薄気味悪い音をたてる何かが這い回っている。

 それは赤黒い鎖だった。よく目を凝らせば錆び付いた鎖は庭に敷き詰められた白い玉砂利の上を横切り、娘の足元へ続いている。そこから漂う金気臭さに俺は迷わず抜刀した。

「またお主か、何故われに従わぬのか」

 こちらの気配を悟った娘は、普段の早熟で小生意気な様子からは想像もつかないほど冷たくしわがれた声で言った。振り向くと足元の鎖が擦れてまた嫌な音がする。しかし娘はそれを全く意に介さなかった。

「あの時もこうであったな」

 彼女の言葉に、努めて思い出さぬようにしていた記憶が呼び戻された。まだ新入りの術者であった頃、陰陽道の師匠や兄弟子に連れられて月見に出掛けた時の平和な記憶を。それから十数年が経ち、この娘と初めて対面した時の緊張を、そしてあの優れた少年を失った時の慟哭を。

「何故だ。お主は何故いつも吾を追い詰めるのだ」

 娘がそう言いながら一本前へ進み出ると、肩から羽織っていた着物が砂利の上へ落ちた。その下に着ていた白い寝間着は、裾の方から鎖と同じく赤黒く染まりかけている。視界に靄が掛かり始め首筋の産毛が逆立つ感覚に、彼岸の近さを悟った。

「何故」

 絞り出すように言って娘は両手で顔を覆う。赤黒い鎖が芋虫のように這い、こちらに向かって来る。懐から取り出した式神を前方に投げると、鎖は蜘蛛の子を散らすように退く。しかし床にわだかまる瘴気は濃くなる一方だった。呼吸をするたびに少し喉がひりつく。先程投げた式神は端の方から燃え始めていて、あまり時間稼ぎにはならない。長居していては肺の奥までやられる。早く始末しなければと思いながら口を開いた。

「今更だな。殺したのは貴様であろうが。あの子供は百年に一人の逸材だったと言うのに、あっさりくびり殺しおって」

 まだとおにも満たないころから神童として期待されていた少年は、他の陰陽師見習い達と共にあの娘の手に掛かって死んだ。あまりにもあっけない終わりだった。突然発生した不祥事に宮廷内は騒然となり、かなりの人数が処分された。無論俺もその一人だった。

「吾はただ、子らをつまらぬ現世から解放してやっただけなのに」

「まだ言うか、人殺しめ。貴様のせいで俺は隠岐おきへ流されたのだぞ」

 俺が吐き捨てると少女は顔を上げた。白い頬を涙が伝っている。顔だけ見れば朝露を受けた白百合のように見えない事もなかったが、その下に隠れているのは利己的な怪物としか言いようがなかった。正気を失った赤い瞳がこちらを捉える。

「……どうでもいい。お主は何故京へ戻った? いっそ、そのまま戻って来なければ良かったではないか」

「身勝手な!」

 俺は涙を流す少女を見据えたまま刀の柄を握り直す。その瞬間、背後から何かを踏み割る乾いた音がした。振り返り様に斬り付けると、巨大な虫の足が粉々に崩れる。無惨にも踏み潰された傀儡女官かいらいにょかん達の残骸は白く、まるで砕けた髑髏のようだった。他にも近寄ってくる足を斬って捨て、思い切って広縁から白い玉砂利の上へ飛び降りた。赤黒い鎖に軽く触れただけの上沓うわぐつから嫌な匂いの煙が上がる。赤錆が白い玉砂利を汚しているのを見て、あの日もこんな風に座敷が血だらけになっていたと思い出した。

「あの時も、お主がうんと言いさえすれば……子らは助かったのに」

「流石は化け物だ、まだ自分を正当化するのか? もうあれから千年以上経つのだぞ」

 少女に近付くとますます息苦しくなる。あまり悠長に会話を楽しんではいられない。俺を捕らえようと襲い掛かって来る鎖を切り飛ばしながら、俺は機を窺った。狙うは顎の少し下、唯一の弱点がある辺りを。

 少女は無造作に一歩前進する。そして、こちらへ細い両手を差し出しながら悲痛な声を上げた。

「お主が――お主があの時、吾を連れ出してくれていれば――!」

 哀れさよりも不快感が勝り、それを最後まで聞く気にはなれなかった。最後の力を振り絞り、横一閃に斬りつけた。大風おおかぜが起こり濃い瘴気を空へと散らしていく。小さな頭が長い髪を尾のように曳いて飛んでいく様を幻視した。地面を這い回っていた鎖が粉々に砕け、灰となって散っていくのを見ながら俺は砂利の上に膝をついた。斬った刀は醜く溶けて折れ曲がり、青白い炎を噴いて燃えている。もう役目を果たさないであろう。何百年も連れ添った愛刀の最期がこれとは少し惜しかったが、諦めて投げ捨てた。

 暫く肩で息をしていると、瘴気で焼けた肺がいくらか楽になる。部屋の中が急速に彼岸から此岸へ戻っている証拠だった。

 白い砂利の上に倒れている娘は、とても穏やかな顔をしていた。まるで血でも浴びたかのような色をしていた寝間着は元の染み一つない純白に戻っている。首はまだ胴体と繋がったままだ。また殺しそこねてしまった。

 呼吸を整え、失望を噛み締めながら彼女の元に歩み寄る。全身が重く、ほんの数歩進むだけの動作がとても億劫だった。

「おい、いつまで寝ているつもりだ」

 立ったまま声を掛けると少女は薄く目を開く。

「……そこは、優しい言葉を掛けて助け起こすものではなくて?」

 普段より少し掠れた声で答える少女の、薄桃色の瞳から先程までの邪気は感じられなかった。

「早速減らず口か? 元気そうで何よりだ」

 それを聞いた少女は眉を寄せ、起き上がることなく静かに囁く。

「嫌な人。とどめ一つろくに刺せない癖に」

 一旦言葉を切ると、少女は白い砂利を指先で摘みながら続けた。

「やっぱり、ここでわたしを殺しておいた方がよかったと思うのだけれど」

「俺をまた遠島えんとうにする気か? くだらん――」

 最後まで言い終わらないうちに、喉の奥から熱いものがこみ上げる。堪らず膝を折り激しく咳き込むと、赤黒い血が掌を汚した。それを見た少女は顔色も変えずにか細い声で言う。

「……もうすぐ助けが来るわ。折角だからここでお医者様を待ったら?」

 俺は答えられなかった。また強く咳き込むと視界が益々暗くなる。黒い血の塊を吐き出し懐紙ふところがみで口元を拭うと、立ち上がって哀れな少女に背を向ける。

「ねえ――」

 彼女が何か言いかけた瞬間、廊下の方から人の気配がした。乱暴に床板を踏む音へ舌打ちをすると、俺は中庭の屋根に飛び上がる。満月はまだ倒れ伏している娘を静かに見下ろしていた。黒く煤けた襖が勢いよく蹴破られ、黒い防護服姿の衛士達が飛び込んで来る。中庭の惨状に気付いた衛士達が、横たわったままの少女に周囲を警戒しながら駆け寄る。その教練通りの動きを見ながら俺はその場を後にした。

 屋根の上は月光で明るく、黒い屋根瓦が冷たい光を跳ね返していた。その上を俺は、憤懣を抱えながら歩く。今回も不首尾に終わるとは!

 長時間瘴気に晒されていたわりには症状が軽く、既に回復すら始まっている。奴の呪いを受けて以来、俺は人ではなく彼岸と此岸の狭間に立つ者となった。多少の傷は即座に塞がり、瘴気への強過ぎる耐性を持つ。死ぬほどの大怪我を負っても次の瞬間には回復が始まる。怪物を相手取る陰陽師としてこれ以上はない利点ではあるが、龍の神通力によって無理矢理延命させられているに過ぎない。この呪いを解くにはあの小娘の息の根を止めるしかないのだ。

 怒りを抑えるため数回深呼吸を繰り返すと、次第に視界が明瞭になっていく。小さく咳き込みながら屋根を伝い下層階へ降りた。城内は大混乱で、建物の外へ出た使用人達が一階から天守閣を見上げて騒いでいた。城の天守番達が怪我人を応急処置しながら医者の到着を待っているのが見え、そちらを避けて歩き出す。混雑した城門を過ぎほりを渡る手前に差し掛かると、負傷者を迎えに来た空の俥とすれ違った。入れ違いに怪我人を載せた俥が慌ただしく連なって門を出ていく。


 ――お主と共にいきたい。


 護衛の衛士や見習い陰陽師の死体の中に立ち、少女がそう懇願したのを今でも思い出せる。しかし俺は奴に応えてやる訳にはいかない。この世に漂う瘴気を一手に引き受け、浄化し続けるのが龍の役目なのだ。何人なんぴとたりともそれを妨げることはならぬ。その為に全ての障害を排するのがこの俺の使命だ。

 終わりのない旅路を進む化け物の道行みちゆきには、死に損ないの供が相応しかろう。

 まずは失った刀の代わりを探す。そしていつか何としてでも、我が手で仕留めてやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死に損ないの籠 九十九ひとり(9ju9) @9ju9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ