水間クリスマス



最近水間町に開店したショッピングモール『みなまも~る』。

元々地域に溶け込んでいた商店街を押しのけるかのように出現したそこには、今日も購買意欲が旺盛な水間町民が押し寄せていた。

「ま、こんなところだろ。これ以上は持てねぇ」

その水間町民のうちの1人――水鏡みかがみはやとは、フリル付きの衣装やら化粧品やら可愛らしいポーチやら何やらが詰まった紙袋を山のように抱えながら、手ぶらで隣を歩く上月こうづき朱里あかりに視線を向けた。

「そうね。アタシのお財布的にもこれが限度かしら。追加のお財布が財布してくれるなら別だけど」

彼女の視線が自身のポケットを狙っているのを無視すると、隼は荷物を抱え直した。

「それにしても、まさかダーリンも美里みのりも別の用事があるだなんて。なんでこんな野蛮なマッスルお馬鹿不良と一緒に仲良く買い物しなきゃいけないんだか」

「そりゃこっちのセリフだ。……っていうかせめて物持ちやってやってるだけ感謝しろよ」

心の中でため息をつく。

朱里のダーリン……糸界いとかい吉木よしきは隣町までヒーローショーを見に行くとかで不在、朱里の妹の上月こうづき美里みのりは――珍しい事に――クラスの友達に誘われて一緒に水族館だかなんだかを訪れているらしかった。

「ああイヤだ。カップルと間違われたらどうしてくれるのよ」

「その時はお揃いのダサい服でも買ってやるよ。2人でちょうど1つのハートになる模様がプリントされてるセーターとか」

適当に返し、そのまま1階へと降りるエスカレーターに差し掛かった時。

眼下の光景に、隼は思わず足を止めた。

「……んだありゃ?」

1階の出入り口脇にデンと鎮座しているのは、秋口半ばというこの時期には似つかわしくない、クリスマスツリー。

入店時には気づかなかったけどなぁと心の中でつぶやいた隼は、首を傾げた。

「なんだ、随分と気が早いな。クリスマスなんて、まだ2か月近く先だろ」

熾烈なクリスマス商戦に勝ち残るためには、今のうちからクリスマス気分で購買意欲を煽り立てる必要があるのだろうか、などと思っていると。

「……隼、日本の人口は何人か知ってる?」

「あん? 1億2千ちょいだろ確か」

隣の朱里からの唐突な質問に答えると、相手は表情を変えずに続ける。

「じゃあ、水間町の人口は?」

「……分からん」

質問の答えも、相手の意図も分からずに首を傾げる。

「水間町人口統計最新版によると、7万ちょっと、よ。覚えておきなさい」

「……勉強になったが、それが一体何だってんだ」

「そう。日本国民が水間町に生まれ落ちる確率は、おおよそにして0.05パーセント……。水間町に生まれるって事は、ある意味で奇跡みたいな事なのよ」

「……つまり?」

「水間町民である事は、神様に愛されている、選ばれし民の証なのよ」

「何言ってるんだお前」

「だから選ばれし水間町民は、10月25日にクリスマスプレゼントがもらえるのよ。いわゆる、水間クリスマスってヤツね」

「なんだその奇習」

1年ほど前に水間町に出戻りしてきた隼は、この町がうっすらとおかしい事に気づいていたが、ここにきてその疑念はどんどん強まり始めていた。

「……ってか、要するに水間ではクリスマスの時期が他とは違うって話なだけだろ? どこぞのじいさんの適当な理屈でうなぎが決まった時期に食べられるようになったとか、業者の宣伝でバレンタインデーにチョコが男女間を飛び交うようになったとか、それと同じ類じゃねぇか」

「あーあー、これだから筋肉礼賛オヴァカドロップアウターはイヤなのよ。そんな俗っぽい土着の風習と、神に選ばれし水間の高潔な伝統を一緒にしないでもらいたいわね」

選民思想じみたものに囚われた彼女が大きく鼻を鳴らす。

「……まあ、なんだ。その水間クリスマスとやらが数日後に迫ってきてるにしろ、俺たちには関係ないだろ。枕元に靴下を置く年頃でもあるまいし」

「……。それもそうね」

その一言で納得したのか、クリスマスツリーから視線を外した朱里はエスカレーターへと向けて歩き出し、隼もその後を追った。

その程度の、ただの日常だった。

……この時までは。



その後、購入した荷物を朱里家、とどのつまり上月道場まで届けた隼が玄関でストレッチを行っていると、家の奥から朱里が小走りに出てきた。

「んだよ。水鏡配達はもう店じまいだぞ」

今度は何の用事を押し付ける気だ、俺はとっとと帰ってプロテインかけご飯が食いたいんだよと続ける前に、朱里はどこか言いづらそうに口を開いた。

「……。アタシ、ふと思ったの。いつも隼に物持ちさせたり、たまにお金建て替えさせたり、使い走りさせたり。いくら隼がいつでも言う事聞いて反抗しない便利なゴリラマッチョ不良だからって、それは少しヒドいんじゃないかなって」

「なんだ、そんな世間の常識に今さら気づいたのか」

これは空から飴玉でも降ってくるんじゃないだろうかと首をひねるも、眼前の相手は続ける。

「……だから! ……。……たまにはファミレスでご飯でもおごってあげるわ」

竜頭蛇尾を体現したがごとく、どんどん小さくなっていく声量。

「勘違いしないでよね。ほら、美里もまだ帰ってきてないし、1人でご飯食べるのが嫌なだけっていう理由も大きいし、そもそも、たまには、よ! たまには!」

「おう。たまにはいい事あるもんだ」

素直にその言葉に甘える事にして、隼は大きくうなずいた。

そして隼は朱里と共に、夕暮れの水間町へと繰り出していった。


この時点の彼はすっかり忘れていた。

たまに起きた良い事の後には、決まって悪い事が待っているという事を。



そしてそれから1時間ほどが経って陽も落ち、すっかり暗くなった水間町。

電灯に照らされた繁華街を、2人は連れ立って歩いていた。

「ったく、19時なのに閉店時間間際ってどういう事だよ」

ここ最近の変死体騒ぎで、陽が落ちた水間町は早々に静まり返る準備を始めるのが常だった。

それは繁華街の飲食店のみならず、道を行き交う人々の姿も同じだった。

「ほんと。デザートのチョコムース、頼み損ねちゃったじゃない」

お互いにぶつくさ言い合いながら、街灯に照らされた帰り道を歩く。

このまま朱里を道場に送り届けた後、家に帰って筋トレでもしよう。

そんな事を頭の片隅で考えながら、繁華街の端の辺りまで差し掛かったその時。

街灯の明かりの途切れ目に、大きな影が見えた。

同時に聞こえてくる、のっし、のっしとした足音。

「……?」

朱里と顔を見合わせ、すぐに身構える。

今この水間町に蔓延はびこっている、変死体事件を引き起こしている存在ではないかと思ったからだった。

だが、その存在、傀鬼かいきは巨大なクマのような足音はさせないとすぐに気付く。

「……?」

再度顔を見合わせ、目を凝らす。

のっしのっしという足音に混じり、きゅるきゅるという歯車か何かのような音まで聞こえ始めてくる。

そうしているうちに、暗闇の中に黒く大きな影が見えてきた。

まるで、巨大な熊か何かのような。

「何だ……?」

音と影は間近に迫ってきており――

「ちょっと、隼っ!」

夜の暗闇の中で目測を誤っていると隼が気づいた時には、もう目と鼻の先で。

「な――」

そして彼は、黒い何かに跳ね飛ばされた。



「んだこのクソガキカップルどもめ! ちったぁ前を見て歩けってんだ! あぁ、オイ!?」

暗闇の中から街灯の明かりの下に現れたものを見つめ、朱里が小さく疑問の声を上げた。

「……サンタさん?」

どこからどう見てもサンタクロースを主張する赤い衣装に身を包んだ、白髭で赤ら顔の男。片手には緑色の酒瓶らしきものが握られている。

それがまるで巨大な熊……いや、四つん這いで歩く巨大な熊そのものの上にまたがっていた。

「おーおー。ったく、お前らの前方不注意のせいでマークがおびえちまっただろうが。これだから近頃のガキは!」

悪態をつきながら熊から降りた男は、前足で顔を覆いながらブルブルと震える熊の頭を撫でた。

「熊、クマ、マク、マーク……」

安直なネーミングを口の中でつぶやいていると、ようやく思考が現実に追いついたのか、朱里が驚きの声を上げた。

「まさか、水間サンタさん?」

「……は?」

数時間前に説明された奇習の主役だと呼ばれた男は満足げに鼻を鳴らすと、片手の酒瓶を口に運んだ。

「って、待て待て待て。サンタって言えば、正体は普通親とかそういうモン……」

「はぁ? 馬鹿な事言わないでよ。そんな嘘っぱち騙されないんだから。……でしょ? ねぇ、水間サンタさん!」

本名が水間三太とかいうオチじゃないだろうなとか思いつつも、キラキラした目をした朱里が相手に期待の視線を送るのをただ見守る。

「アタシたち、いえアタシがいい子だから直接プレゼント持ってきてくれた。そうなんでしょ!?」

すると相手は心底不機嫌そうに、手にした酒瓶を振り回した。

「あぁこれだからクソガキは! 俺の話のどの部分を聞いてたってんだ!」

それから酒臭い息をこちらへと向けて吐き出し、朱里が顔をしかめた。

「お前らのせいでマークがおびえちまってよぉ、あと少しなのに仕事にならねぇってんだ! この落とし前どうつけてくれるってんだ、あぁ!?」

「……仕事?」

その言葉で隼が目を凝らすと、熊だかマークだかの胴体はさらに背後のリアカーじみたものとロープで結ばれており、そのリアカーの上には大きな白い袋が積まれていた。

「……なるほど、つまり……」

隼と同時に朱里も相手の言いたい事を理解したのか、彼女が相手へと視線を向けた。

「ねぇ、酔っ払いの水間サンタさん。アタシたち、いえ隼が水間サンタさんの代わりにプレゼントを配れば許してくれる?」

「なんで俺が……。っていうかそもそも……」

「反省のない不良は黙ってなさい。こういう時は落ち度のある側は口答えしちゃいけないの。相手が許してくれるまで頭を下げ続けなきゃダメなの」

不気味なまでに低姿勢な朱里が、相手へと首を垂れる。

「そうだなぁ……」

酒瓶を飲み干した相手は、リアカーの上の白袋をガサゴソと漁った。

「俺の代わりをしてもらうにゃあ、この服装が必要でなぁ」

彼が手にしていたのは、2着のサンタ衣装。

「あ、いいわね。仕事の前に形から入るってアタシ好きよ。じゃ、着替えてくるからそれ貸してよ。……それで、もしプレゼントを配り終えたら、隼の分のプレゼントもアタシに……」

「近頃のガキは根性が足りねぇからよぉ、逃げる気だろ」

「そんな事……」

ふと朱里へと詰め寄った相手はニンマリとした笑みを浮かべ、朱里の肩に手を回した。

「だから、ここで着替えろってんだ。あと、そもそもお前らの分のプレゼントなんてあるわけねぇから当然ただ働き――」

「どこ触ってんのよクソジジイ!」

ここで着替えろ、で一瞬途切れた朱里の自制心が、続く相手の言葉で完全に振り切れる気配を隼は感じた。

朱里の回し蹴りがクリティカルヒットし、吹っ飛んで近くの電柱に激突する相手。それを口元に片前足を当てた熊の不安げな視線が追っていく。

「そもそも始まりはどこからどう見てもアンタの前方不注意が原因じゃない! あんまりナメた事言ってると張っ倒すわよ! 日本国じゃどうだか知らないけど、水間じゃ熊に乗っている時も歩行者優先っていうルールがあるのよ!」

「……なるほど」

自分にもプレゼントが欲しかったから猫を被っていたのかと、隼は何となく思った。



「……で」

あれほど派手に電柱に激突した割には奇跡的に鼻血だけで済んだ水間サンタは、仁王立ちになる朱里の前で正座をしていた。

サンタは心身ともに頑丈じゃなきゃこのご時世やっていけないのかと、隼は何となく感想を抱いた。

「アンタの罪は2つよ。この天下の往来で可愛い朱里ちゃんにいかがわしい事をしようとした罪。そして美しい朱里ちゃんの分のプレゼントを用意していなかった罪。それから素敵な朱里ちゃんに理不尽に難癖をつけてタダ働きをさせようとした罪」

「3つじゃねぇか」

隼の言葉を華麗なまでに無視すると、そこで朱里は小さくため息をついた。

「……でも、アタシも鬼じゃないわ。アンタの……アレが働けないって言うんなら、仕事の代わりくらいはしてあげる」

何故か主人と同じく律儀に正座をしている熊に朱里の視線が向くと、熊は顔に両前足を当ててガタガタと震え始めた。

もしやこれは衝突事故のせいではなく、朱里の野性的な凶暴性にあてられておびえているだけなのではないかと隼は疑ったが、凶暴性がこちらに向いてはほしくなかったので口には出さないでおく。

「って、いいのか? 俺たち分のプレゼントは無さそうだぞ?」

「例えプレゼントがなくても、困っている人は見捨てられないわよ。それに、面白そうだしね。……それで、セクハラおっさん。残り何件なの?」

「……あぁ、3件だってんだ……です」

「ならちょうどいいわね。そのくらい鼻歌でも歌いながら終わらせてやるわよ」

配達先の住所が書かれているらしき紙を朱里が受け取り、隼はそれを脇から覗き込んだ。

「お、どれも近くじゃねぇか。まずは1番近いところから済ませようぜ」

「……待てってんだ」

リアカーの中から箱を1つ持ち上げようとした隼だったが、ふとそこで水間サンタからの声が背後から飛んできた。



――そして、それから30分後。

「なんで俺が……」

「さぁもっと気合い入れて引きなさい。アンタの筋肉はなんのためにあるの?」

先ほどまで熊が牽引していたリアカーを引く隼と、そのリアカーの上で上機嫌に仁王立ちになるサンタの格好をした朱里。

「何が『マークの心は壊しても子供たちの夢は壊すんじゃねえ』だよ……。なんでわざわざコスプレサンタ様のために、クソ重いリアカー引かなきゃいけねぇんだ……」

「それにしてもこの衣装いいわね。可愛いし。お仕事のお駄賃代わりに、美里の分ももらえないかしら」

近くのコンビニのトイレで着替えてきたらしき朱里が、制御用のムチ片手に満足げに自身の身体を見下ろした。

対して、面倒だったので特に着替えもしなかった隼はため息をつく。

「……で、なんだよそのムチは。引くのが熊じゃなくて俺だったらいらねぇだろ」

「せっかく渡されたからには使わないともったいないじゃない?」

何故か楽しそうに、バチン! とリアカーのフチを叩く彼女。

「もしこれが隼じゃなくてダーリンだったら……それはそれでムチで叩いてみたいわね。アタシが叩かれるのもいいんだけど。ああどっちがいいかしら。でも何にしろ、ムチ使いは上達しておかないといけないわよね。やっぱり隼を叩く事で練習しようかしら」

背後から訳の分からない独り言が聞こえてきて、叩かれたくはなかった隼がスピードを上げると、幸いにしてすぐに目的地の一戸建てへとたどり着いた。

「……ほら目的地だぞ、サタン様、もといサンタ様」

「何よ、人の事を特に理由もなく他人をムチで引っぱたこうとするのが趣味の悪魔みたいに」

だがサタン様と呼ばれた事が存外気に入ったのか、ジングルヘール、ジングルヘール、ムチが鳴るー、と小気味良く口ずさみつつリアカーを飛び降りる朱里。

プレゼントの詰まった白い袋を抱えた隼も、その後ろに続く。

「……で、どうやって入るんだこれ。煙突なんてモンはねぇぞ」

眼前の一戸建てを見上げる。言葉通り、特段の進入路は無さそうだった。

「ふふん。そんなもの無くても大丈夫よ」

「家の扉の前に荷物を置く、置き配ってヤツか?」

「そんな夢のない事しないわよ。あのおっさんが言うには、『真のサンタってのはな、自分で入り口を見つけるもんだ。人生だってそうだろ?』ですって」

言いつつ朱里が、ポケットから細い針金を取り出した。

それから鼻歌交じりにそれを出入り口のドアの鍵穴に差し込み、カチャカチャと回す。

「……何してんだお前」

「見て分からないの? 鍵を開けて中に入ろうとしてるに決まってるでしょ」

「モロに犯罪行為だろうが……つか通報されたらどうするんだ。俺はサタン様に脅されて仕方なくやりましたって言うからな」

「何よ。力づくで扉や窓を破壊して中に入るよりはいいでしょ?」

「泥棒が押し込み強盗にランクアップしただけだそれは」

「……あ、開いたわ」

ピッキングを始めてから1分もかからないうちに、カチャリと音がしてドアが開いた。

「流石アタシよね。小学生の時の将来の夢はトレジャーハンターだったんだから」

「盗賊かぁ……」

半ば諦めの心境でつぶやきながら、隼は朱里の後に続く形で真っ暗な室内に身を滑り込ませる。

「見つかったらなんて言い訳するんだこれ。マジで警察に突き出されても文句は言えねぇぞ」

時刻を確認すると、21時を過ぎていた。

「さっきのおっさんのメモによると、今この家にいるのは小さい子供だけみたいね」

「なるほど。袋に詰めて売り飛ばすのかサタン様」

「静かに。サンタさんは見つかっちゃいけないんだから」

幼い子供たちは寝静まる時間帯を、2人して抜き足差し足忍び足で歩く。

「アタシの勘が正しければ、きっとこっちね」

うっすらときしむ階段を、ゆっくりと上っていく朱里。

どうしたものかと、同じく階段を上り切った隼が腕を組んでいると。

「……こっちよ」

半開きの扉の前に立つ朱里が、そっと手招きをする。

ため息をつきつつ、金目のものでも見つけたのかと口を開こうとすると、それよりも早く彼女が口元に人差し指を当てた。

静かに押し開かれる扉の先にいたのは、ベッドの上ですやすやと寝息を立てる、幼稚園児ほどの女児。

「あらやだ可愛い。美里の方が可愛いけど」

言いつつ、隼の手にした袋の中からラッピングされた小箱を取り出し、枕元にぶら下がっている靴下の中にねじ込んでいく。

先ほどの水間サンタに押し付けられたメモによると、どうやら中身は女児向けアニメに登場する変身ステッキらしい。

起こさないようにそっと部屋を立ち去り、階段を下りて家の外へ向かう。



「んー、一件目終わりっと! 結構楽しいじゃない」

扉の施錠をし、リアカーに飛び乗った朱里。

そして幾分軽くなった白い布袋と彼女を載せたリアカーを、ガタゴトと引く隼。

「んで、次は……。……げ」

取り出したメモに記載されている、2番目の住所を見て隼は顔をしかめた。

「なになに?」

今までに数回しか訪れたことはなかったが、やけに見覚えのあるアパート名と部屋番号。

「……要するに、次に行くのは吉木の家だわ、これ」

眼鏡をかけた友人の顔を思い浮かべ、ため息をつく。

「え、ダーリンにはプレゼントがあるの? アタシにはないのに……ずるい!」

「……『テラレンジャ―超合金シリーズ、オメガテラDX』」

朱里の抗議を無視し、記載されているプレゼント名を読み上げる。

戦隊モノの男児向け玩具のようだった。確か吉木はそういうものが好きだと以前に熱弁していたような気もする。

「そんなものよりも、アタシが身体にリボン巻き付けて靴下に入って『クリスマスプレゼントはア☆タ☆シ』ってやった方がダーリンも喜ぶんじゃないかなぁ」

「朝目が覚めた時に、枕元に置かれた巨大な靴下の中で眠りこけてる奴がいたら恐怖だろ。おら、とっとと行くぞサタン様」

「えー。名案だと思うんだけどなぁ」

朱里が入るサイズの巨大な靴下を用意させられそうになる気がして、隼は目的地までリアカーと共に足早に進み始めた。



「確かアイツから聞いた話だとここら辺に……うっし」

アパート脇に置かれた植木鉢の下に隠されていた合鍵を取り出し、それで室内に入る。

部屋の明かりは消えており、家主本人の気配もなく、要するにまだ外出中のようだった。

「あん? 久遠くおん先生のところにでも行ってんのか」

彼の『師匠』を思い浮かべてから、奥の部屋まで進む。

と、玄関で朱里が固まっていることに気づく。

「どうした、とっとと仕事を終わらせようぜ」

「だ、ダーリンの家よ? アタシ入るの初めてで……」

「俺はもう3回くらい来てるぞ。どうだ羨ましいだろ」

何かを喚きながらもドタドタと廊下を走るサタン様を背に、隼は吉木の自室に入って明かりを点けた。

枕元にプレゼントの入った箱を置いたその時、勉強机の上に1枚の紙が置かれていることに気づいた。

「なんだこりゃ?」

プレゼントの箱に投げキッスのような事をしていた朱里も隼の様子に気づき、同時に書かれている内容を読み上げる。

「「君も水間サンタから好きなプレゼントをもらおう! 注意、金額上限あり、応募者限定、抽選。当選者は商品の発送をもって代えさせていただきます」」

そしてしばしの間をおいて、朱里が叫んだ。

「応募者限定!? そんなの聞いてないわよ!」

「俺はそもそもこの謎イベントの存在を聞いてなかったぞ」

言いつつ、改めて手元の紙を見つめた。

「申し込んでないから、対象者以外のプレゼントは用意されてない。簡単な理屈だったな」

その後もしばらく朱里は納得がいってなさそうに、その場で地団駄を踏み、歯ぎしりし、それから奇声を上げて吉木の布団にダイブし枕に顔をうずめてから、ようやくため息をついた。

「分かったわよ仕方ないわね……。今年は諦めるけど、来年は絶対申し込むんだから。好きなものがもらえるなんてお得じゃない」

「おう。俺はプロテイン詰め合わせセットでももらうとするかな」

急に物欲にまみれ始めた2人は、各々が欲しいものを考えながらその場を後にした。



「で、最後だ。……すぐ近くの家だな」

随分と軽くなった……気はあまりしないリアカーを引きながら、手元のメモに視線を落とす隼。

「プレゼントは諦めるけど、これってちょっとしたバイト代とか出ないのかしら」

と、リアカーに腰掛け、足をブラブラと揺らす朱里。

1分もかからず、最後の目的地に到着した。

やはり煙突など見当たらない一軒家なので、彼女がピッキングで器用に解錠するのを複雑な気持ちで見つめる。

「開いたわ。さ、行くわよ」

これまでの例に漏れず真っ暗な室内を、朱里がゆっくりと進んでいく。

寝室にたどり着くと、小学生ほどの少年が寝息を立てていた。

袋から取り出した最後のプレゼント、電車の模型を枕元に置く。

「さ、これで――」

と、その時。

「……サンタさん?」

目を覚ましたらしき少年と、視線が合った。

相手はサンタの格好をした朱里を見るなり、寝ぼけ顔が一気に輝くも、すぐに不思議そうな色を浮かべた。

「お姉ちゃんたち誰? サンタのおじいちゃんは?」

その言葉でお互いに顔を見合わせる隼と朱里。

しばらくの間をおいて、朱里が口を開いた。

「アタシはサンタの孫よ。サンタのおじいちゃんがぎっくり腰で動けなくなっちゃって、アタシが代わりにプレゼントを運ぶように頼まれたの」

「ふーん……。じゃあ、そっちの怖そうなお兄ちゃんは?」

「……。……こいつはトナカイよ。プレゼント配達の訓練がキツくて人相が悪くなっちゃったの。可哀想よね」

「はぁ? どっからどう見ても立派な人間様……痛ってぇ!」

足を思いっきり踏まれて、思わず悲鳴を上げる。

次いで「いいから話を合わせなさいよ」とでも言いたげな視線に突き刺されている事に気づき、心の中でため息をついた。

「……そうトナ。俺はトナカイだトナ」

「トナ……?」

隣で朱里が首をかしげるものの、トナカイの鳴き声など知らないのだから仕方がない。

「俺はサタン様、じゃなかったサンタ様と一緒に、いい子たちにプレゼントを配りに来たトナカイだトナ。今日もここまでリアカー、じゃなかったソリを引いてきたトナ」

その言葉で、子供が再度顔を輝かせた。

「すごいや! サンタさんは本当にいたんだ! 2組の山田くんはサンタなんていないって言ってたけど、嘘だったんだね!」

「ほら、プレゼントよ。メリー水間クリスマス」

雰囲気でとっとと乗り切ってしまおうと考えたのか、朱里が少年にプレゼントの箱を押し付ける。

「アタシたちが来た事は内緒にしてね。姿を見られたことが全世界サンタ派遣委員会にバレたら、クビになっちゃう」

「うん、分かった! トナカイさんも頑張ってね!」

「……おうトナ」



「んー、終わったっ!」

「……最後でクソ疲れたんだが」

舌打ちし、それでもようやく全て終わった事に朱里と同じく安堵する隼。

「で、完了報告はどうやってあのおっさんに伝えりゃいいんだ」

「……それもそうね」

熊だかマークだかと衝突した繁華街まで戻ればいいのだろうかと思案し始めたその時、近くから声がした。

「おう、終わったかい」

2人同時に振り向くと、そこには熊に乗って酒瓶を手にした水間サンタがいた。

「ついさっきマークがようやく落ち着いてよう。んでお前らが仕事を終わらせた頃合いじゃねぇかと思って駆けつけてみたんだわガキどもが」

そこまで言ってから、酒瓶を口に運ぶ。

「ねぇおっさん、プレゼントのことは分かったんだけど、ここまで頑張ったお駄賃は何かないの?」

「ん、そうだなぁ……。だがまあ、もう夜も遅いしよう、ガキどもは一旦帰れってんだ。明日は休みだし、駅前の喫茶店で話を聞いてやるからよう。リアカーはそこに置いとけや」

それだけ言い残すと、熊は相手を乗せてのっしのっしと去っていった。

「へぇ、おごってくれるのね。ま、バイト代と思って思いっきり高いの頼もうかしら」

「2日連続で他人の金で飯が食えるなんて、いい世の中になったもんだ」

2人してうんうんとうなずき、隼と朱里はその場を後にした。



――翌日、昼。

休日の昼下がりという事もあってか、少しばかり混雑しているいつもの水間町の繁華街。

隼はやたら大荷物の朱里と共に、指定された喫茶店へと向かっていた。

「タダ飯に美里も連れてこようとしたんだけど、また友達から誘われてたみたいで。仕方ないからタッパー持ってきたわ」

こいつは可能な限りむしり取る気なのかと水間サンタに少しばかりの同情を覚えた隼は、ふとあることに気づいた。

「そういやよ、鍵のかかった家にあのおっさんはどうやって入ってるんだ? まさかあっちも同じようにピッキングしたわけじゃあるまいし」

「……確かにそうね。精神論は教えてくれたけど、具体的な方法を説明してくれたわけじゃないし。聞いてみようかしら」

そんなことを話しつつ、指定された店に入ると。

「おう、来たかい」

やはりサンタ服……ではなく、流石に私服の水間サンタ――でっぷりとした腹部がより一層強調されていたが――ビールジョッキ片手に2人に手を振った。

後ろの席で、20代だと思われる女性がものすごい勢いでホールケーキをかきこみ、それを同年代だと思われる男性がため息をつきながら見つめているのを横目に、隼と朱里は水間サンタと同じ席に座った。

「で、まずはだなぁ……ご苦労さん、ってこった」

ビールジョッキをテーブルに置き、ニヤリと笑う。

「これでお前らも、サンタの仕事の大変さが分かっただろ?」

「ええ、大変だったわよ。でも、それが誰かの嬉しいって気持ちに繋がるんなら、こっちまで嬉しくなってきちゃうわよね」

言いながら、乱雑に折りたたまれたサンタ服を朱里が取り出した。

「ええと、それで、これ、お駄賃代わりにもらえたりは……?」

「駄目に決まってんだろ。大事な商売道具だからなぁ」

「……仕方ないわね。でも、バイト代は払ってもらえるんでしょ?」

「それもあるわけねぇだろ、馬鹿かお前は」

ちょうど運ばれてきた追加の酒を一気に飲み干し、酒臭い息を朱里に吐きかける。

「……ま、まあそれもいいわ。ただでご飯が食べられるんだもの、その辺りは大目に見てもいいわ」

「本当に何言ってんだお前。いつ俺がおごるって言ったよ、え?」

「……は?」

朱里の機嫌がガンガン悪くなる気配を察知し、隼は慌てて話題を変えようとする。

「あー、ところで1つ気になったんだけどよ。水間サンタってのは本来どうやって家に入るんだ?」

「あん?」

「事前にアポを取って、家に招き入れてもらうとか、置き配するとか、そういう感じなんだろ?」

隼の言葉に、水間サンタはガッハッハと大きな笑い声をあげた。

「お前も何言ってんだ。世の中のどこに事前に連絡したり、大事なプレゼントを外に放置するサンタがいるんだよ、え?」

「……じゃあどうやって入るのが正解だったんだ?」

「そりゃ決まってんだろお前。まず特殊な樹脂を鍵穴に入れてよ、数分待つんだ。んでそれが固まったらちょうど鍵の形になるからよ。そいつを使って誰にも気づかれないようにこっそりと入り込むって寸法よ」

やっぱりか、と隼が思ったその時、朱里がテーブルに手を叩きつけた。

「……ねぇ、そんなことより……タダ飯はどこなのよ……? っていうかそんなにバカスカお酒飲むお金があるんなら、それでおごってくれてもいいじゃない」

「あん? 俺の分までお前らが払うに決まってるだろうが、え?」

「……。……は?」

そこで朱里の機嫌の悪さが頂点に達し、店内がまた鼻血まみれになるかと思われ――

と。

「んー、そこのお父さん、ちょっと話聞かせてもらえる?」

ふと唐突に背後から飛んできた声が、険悪な雰囲気に割り込んだ。

3人同時に振り返ると、後ろの席にいた20代ほどの男性が、面倒そうに頭をかいていた。

「あー、俺、非番中の警官なんだけど」

言いつつ、警察手帳を掲げる彼。

「なんか不法侵入的な話が聞こえてきたんで、不本意ながらちょっと仕事開始なわけよ。……おいちょっとスイーツ食べんのやめ。仕事だ仕事」

その言葉に、えー、と不服そうに口元を拭う女性。

「あー、こっちも非番の警官ね。……お父さん、ちょっと任意同行いい? まあ任意つっても任意じゃないんだけど」

酔いが一気に醒めたのか、何やらモゴモゴ言いつつ女性の方に連れていかれる水間サンタ。

「あ、その前に会計してもらわないと。……お父さん、お金ある? あ、無い? 一文無し? じゃあ無銭飲食追加ね。他には何かある?」

追加の注文を書き留めるような気軽さで、淡々と、しかしダルそうに手元の手帳に何かを記載する彼。

水間サンタの姿が店内から見えなくなった辺りで、相手の視線がふと隼と朱里を向いた。

「そういや念のために聞かせてもらうんだけど。住居の不法侵入、君らもやってた? そしたらちょっと補導コースになるけど」

2人同時に、ブンブンブンブンと首を横に振る。

「あっそ。ならいいや」

そして後には、大量の空のジョッキ、ただ呆然と立ち尽くす隼、食べ残されたホールケーキ、そしてそれをいそいそとお持ち帰り用タッパーに詰め始める朱里だけが残された。



水間クリスマスが廃止されたと隼が耳にしたのは、それから数日後の事だった。

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ミステリイーター! 短編集 薄山月音 @kounokiya_ukyou

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