怪盗

「……『奴』に繋がる手がかりは無さそうね」

 しゃがみ込んでいたコンクリートの床から目を離し、ため息をつきながら立ち上がる。

 青空の下、高層ビルの屋上に広がるエアポートは昨晩の騒動とは無縁そうに見えた。

「……何か見つかったかァ、嬢ちゃン」

 背後から飛んでくる、顔馴染みの刑事さんの問いかけに静かに首を横に振る。

「いえ、全く何も。『奴』の正体に繋がる手がかりも、使われたトリックも見当がつきません」

 首をかしげながら屋上の柵へと近づき、眼下の街並みを見下ろしながら息を吐く。

「……待ってなさいよ、『怪盗J』。次こそ絶対に捕まえてやるんだから」



 私、千条知智は高校生兼、探偵。

 探偵と言えばもちろん、対怪盗専門家を意味する職業。今までに解決に導いた怪盗犯罪は数知れず。新聞の1面を飾る事は日常茶飯事。

 そんな私に届いた次の依頼が、そいつの逮捕だった。

 通称『怪盗J』。気取ったマスクで目元を隠し、漆黒のマントで闇夜に紛れて現れてはお宝を盗み、颯爽と去っていく。

 警察でも手を焼いているようで、馴染みの刑事さんから直々にヘルプ要請が来たのだった。



「……」

 夜の暗闇の中、高層ビルの屋上から逃走する後ろ姿だけが写った『怪盗J』の写真を取り出して少しだけ眺めては、再度ため息をつく。

 昨晩はみすみすと取り逃がしてしまったけれど、次こそは。

「ところでよォ、坊主はどこ行ったってンだ」

「……あ」

 そこでようやく、私も誰かの事を忘れている事に気づいた。

「え、えっと、すぐ探してきます! きっとまたどこかでサボってると思いますし!」



 探し人はすぐに見つかった。

 エレベーターで地上まで降りた先、色とりどりの花々に囲まれたフラワーガーデン。

 そこに設置されたベンチに腰掛け、こっくりこっくりしているのは。

 そいつの元に駆け寄り、肩を揺さぶる。

「ほら、起きなさいってば! なんで現場に来てまで助手がお昼寝してるのよ!」

「う、うーん……。学食のランチはもうお腹いっぱい……」

 眠そうに眼をこすりながら欠伸をするそいつの額に、デコピンなどをしてみる。

 コイツの名前は古河哲。

 一応私の助手……なのだけども、なんだかどうも頼りない。

「ほら、そんな調子じゃ捕まる怪盗も捕まらないわよ! しゃきっとしなさい!」

 耳元で響く大声で観念したのか、大きく伸びをしたそいつは目を開けた。

「もう、アンタってばどうしてそんなにやる気がないのよ……。昨晩の怪盗出現時も、いきなり体調不良で不参加って……」

「ふあぁ……。夜はなんかどうしても調子が出なくって」

「じゃあその分、昼はしっかり仕事しなさいよね」

 改めてため息をつき、屋上での捜査の結果をかいつまんで伝える。



 砂賀財閥の傘下の美術館と、そこに収蔵されている超高価な美術品『蒼海の涙を見つめる豚の銅像』。

 それを真夜中に盗むという予告状が『怪盗J』から届き、警察経由で連絡を受け取った私たちが駆け付けたのが、およそ12時間前の事。

 しかしながら私たちはまんまと出し抜かれて、屋上のヘリポートで笑う『怪盗J』を地上からただ見上げる事しか出来なかった……。

 ……そういえば助手のこいつの姿はいつの間にか見当たらなくなっていたけれど、怪盗を取り逃がしてしまった私にはそれどころではなかった。



「ふーん。手がかりは無かった、かぁ」

 再度欠伸をしたこいつの前で、私は爪を噛んで考え込んだ。

「そもそもよ。盗まれた美術品は、砂賀財閥の会長さんが大事に大事にしていたものらしいの。だから、暗証番号で厳重にロックされた金庫に保管されていたのよ。……それがあっさり盗まれたなんて」

 探偵手帳を取り出し、ここまでの流れを書き留めつつ思考を続ける。

「金庫には壊された形跡は無かったわ。となると、普通に開けられたとしか考えられないんだけど……解錠に必要な暗証番号は、セキュリティのために一部の人間しか知らされていなかったのは、アンタも知ってるわよね」

 言いつつ相手へと視線を向けると、またコックリコックリし始めていた。

「……」

「みぎゃっ」

 思い切り足を踏みつけてから、再度口を開く。

「確か昨日の暗証番号は464923。よろしく兄さん、ってところかしら。……すぐに解けるようなものでもないし、正解を知っていたのも警備担当者の一部と、私とアンタくらい」

 それから、この建物を訪れた時にゲンさんから聞いた話を思い返す。

「ともかく。次はもう盗まれないように、別の高価な美術品も同じ金庫にしまったらしいわね。情報漏れを防ぐために、今度は暗証番号を私以外の誰も知らないものに変更したわ」

「ところで今回の暗証番号って?」

「014029。おいしーお肉、って覚えるといいわよね」

 そう返答を返してから、再度爪を噛む。

「なるほど」

「はぁ。昨日は一体どこから情報が漏れたのかしら……?」

 考え込んでも答えは出なかったので、ため息をついて手帳をポケットにしまい込む。

「……きっと、どこかに情報を漏らすアンポンタンでもいるに違いないわね。でも今日の暗証番号は私しか知らないから安心だわ」

 そう結論付けて、自身の頬をペチンと叩いた。

「さ、私に出来る事をしなくちゃ! 怪盗が侵入してきそうなルートを確認しに行くわよ」

「ふぁい……」




 そして、その翌日。

「で、あるからして。世界有数の化学の権威たる私が、今日の昼食にアルコールランプを使ってカップラーメンを作って食していた時の話だ。これは当然水が100℃で沸騰する事の確認のためであり、」

 5時間目の化学の授業中、先生の話をボーっと聞いていた私。

 そして前触れもなく教室の扉が激しくノックされ。

「よぉ、いるなお前たち!」

「屋代さん?」

 馴染みの刑事さんの1人が、息を切らせて教室に飛び込んできた。

 ふと窓から下を見下ろすと、校門前にはいつの間にかパトカーが停まっていた。

「む、なんだね君は。せっかくの私の自慢話、もとい神聖な授業を邪魔しおってからに。不審者か何かかね?」

「いえ、それを逮捕する側です。……それより」

 言いつつ、私とアイツに順番に目配せをした。

「ちっとばかし、生徒をお借りします」

「……出番のようね。行きましょ」

 屋代さんの言葉を合図に、私と彼は立ち上がる。



 屋代さんが運転するパトカーが、国道を走っていく。

「なるほどね……」

 私の手に握られているのは、1枚の紙。

『前回いただいた『蒼海の涙を見つめる豚の銅像』に引き続き、砂賀財閥が所有する『ダイヤモンドの樹の樹液を舐める金のカブトムシ像』もいただきに、今晩23時に伺います』

「そんな予告状が、今朝方またまた届いてな」

「くっ……『怪盗J』……!」

「その宝物は、砂賀財閥の会長が孫娘へのプレゼントとして用意したものらしくてな。何があっても絶対に守ってくれ、と頼まれたってわけだ」

 ハンドルを握りながら、屋代さんの片手が胸元のポケットの箱に伸びかけ、すぐに引っ込む。

「そんなもんで、源蔵さんからお前たちを迎えにあがれと指示が出たんだ」

「お任せください! 今日こそ絶対に奴を捕まえてやるんだから! ねっ!」

 自身の胸をドンと叩きながら、隣に座っている人間の顔を見る。

 だが昨日に引き続き、すぴー、くかー、と寝息を立てていた。

「もう、またなの!? しゃきっとしなさい、怪盗の前で居眠りなんかしたら承知しないわよ!」

「う、ううん……。昨晩は遅くまでアイドルのライブ動画見てて……」

 襟首を掴んでゆっさゆっさすると、欠伸が吐き出された。

「んもう……」

 来たるべき怪盗との対決に不安を覚えながら、ちょうど2日前の夜の事を思い出して拳を握り締めた。

「見てなさい。今度こそ、今度こそ、捕まえてやるんだから……!」



 そして迎えた、犯行予告の時刻。

 砂賀財閥傘下の巨大な美術館は、重装備の警備隊でごった返していた。

 美術館内の一角である広々とした展示場は、『ダイヤモンドの樹の樹液を舐める金のカブトムシ像』以外の展示物がすべて撤去され、そこかしこに赤外線センサーが張り巡らされている。

 そんな警備の最奥、カブトムシ像がしまい込まれた金庫のそばに、私はいた。

「……時間ね」

 私が時計を確認すると、その隣で屋代さんが煙草を同時に3本咥えながら、首をかしげる。

「……本当に来るのか? この人数だぜ?」

 物々しい盾やネットランチャー、水鉄砲などを手にした警備隊が、『怪盗J』の訪れを今や遅しと待ち構えていた。

「……ええ、奴は、きっと」

 自分自身に言い聞かせるように言葉を返しながら、前方で警備の指揮を執っているゲンさんに視線を向ける。

「それにしても、もう1人はどこに行ったんだ?」

「……あ!」

 屋代さんに言われて初めて、またしてもアイツの姿が見えない事に気づいた。

「そういえばさっき『倉庫にしまった他の収蔵品が心配だから見回りをしてくる、すぐに戻る』って言って、ゲンさんと出て行ったような……」

 そう口にしたその時、頭上の時計がカチリと鳴って、23時を告げた。

「ああもう、時間になっちゃったじゃない!」

 辺りをキョロキョロと見回しても、怪盗もアイツの姿も見当たらなかった。

 と。

 バチン! と音がすると同時、室内の照明が一斉に消えて真っ暗になった。

「こんな時に停電!?」

「……すぐに非常用電源に切り替えろってんだ!」

 周囲が暗くなってから10秒も経たないうちに、ゲンさんの号令で再度明かりが灯る。

「そうだ、お宝は……?」

 慌てて振り返るも、カブトムシ像を保管している大きな金庫には何も異変は見られない。

「ひとまずは無事なようね……」

 だが。

「……なんだありゃ!?」

 展示場の前面、一面ガラス張りの壁に屋代さんが慌てて駆け寄って夜空を見上げた。

 そこには大きな気球が漂っており、吊り下げられた座席には人の姿があった。

 夜の暗さで表情までは分からなかったものの、顔を覆うあの見覚えのあるマスクは。

「……『怪盗J』!」

 そして双眼鏡を取り出し気球を視線で追い始めたゲンさんが、ふと叫んだ。

「……ホシが手にしてんのはよぉ、まさかありゃぁ……!?」

 それと同時、気球から大音量で『怪盗J』の声が響き渡る。

『ダイヤモンドの樹の樹液を舐める金のカブトムシ像は、確かに頂いた!』

「え、嘘……っ!?」

 2人の言葉で、周囲がざわめき始める。

「んなはずはねぇ、金庫が開けられた形跡はねぇんだ!」

 どこかイラついたように、ゲンさんが金庫へと足早に進む。

「……ああ、源蔵さんの言う通りだぜ。でも、奴の手には……っ!?」

「そんな、まさか、いつの間に盗まれたっていうの……?」

 私の心の中で疑問符が渦巻きながらも、ゲンさんが金庫を開けるのを見守る。

「あぁ、なんだ、んん……。……えっと、確か……。おいしーお肉、と……」

 あれ、暗証番号は私だけしか知らないはず……。

 私がそう口にしようとした瞬間、金庫はカチャリと音を立てて開いた。

 そしてそれと同時、背後の扉が押し開けられ、怒鳴り声が飛ぶ。

「ばっかもーン、そいつが『怪盗J』だァ!」

「……え?」

 そこにいたのは、ゲンさんだった。

 今しがた扉を押し開けて現れたゲンさんと、金庫の前で『ダイヤモンドの樹の樹液を舐める金のカブトムシ像』を片手にどこか困ったような表情を浮かべるゲンさん。

「……え? え?」

「あれ、もうバレちゃった」

 お宝を手にした方のゲンさんが、もう片手で握りしめた何かを勢いよく床に叩きつける。

 すると一面はモクモクと煙に包まれ、一気に視界が奪われた。

「ゲホ、ゲホ……ッ」

「ダイヤモンドの樹の樹液を舐める金のカブトムシ像は、今度こそ確かに頂いたっ!」

 手の届く距離にいた相手は、私が咳き込んでいる間にどこかへと逃走した気配がした。

「追え、追うんだっ!」

 屋代さんを先頭に数人の警備隊が偽物のゲンさん、いや『怪盗J』を追っていく。



 美術館の屋上。夜空を地上からの多数のサーチライトが照らす中、私は『怪盗J』と対峙していた。

 その背後にゲンさんと屋代さん、そして数人の警備隊が追い付いてくる。

「追い詰めたわよ、『怪盗J』」

「しつこいなぁ……」

「……もう逃げ場はないわ。アンタは私が逮捕する。そして刑務所で1か月間おやつ抜きとトイレ掃除の刑で、罪を償う運命なのよ」

 ビシッと指を突き付けるも、相手はマスクの奥の表情を変えはしなかった。

「……」

 私たちが1歩、また1歩と前に進むたびに、怪盗もまた1歩ずつ後ろに下がっていく。

 だが周囲に飛び移れそうな建物はなく、怪盗はどんどん追い詰められているように見えた。

「観念しなさい」

 ふとその時、後ろ向きに進んでいた怪盗の足が、足元の配線につまずいた。

「あ」

 瞬間、片手のカブトムシ像が宙に浮き――

 思わず、私は駆け出していた。

「……おっとっと」

 どうにか体勢を立て直した怪盗はお宝を抱え直すも、私の勢いは止まらず相手に体当たりした。

 そして、私の手が怪盗のマスクに触れる。

 カラン、と音がしてマスクがコンクリートの床に落ちた。

「……え」

 見覚えのある、あの顔。

「……あー……」

 相手はどこか困ったかのような笑みを浮かべると、そのままもう片手を自身の肩越しに背後へと伸ばす。

「まさか、アンタは……っ」

 同時、カブトムシの絵が描かれた、大きな三角形のグライダーが夜空に広がる。

 それを片手で掴んだ怪盗は、無言で夜の闇へと向けて地を蹴った。

「まっ、待ちなさい!」

 探偵である私の助手は、『怪盗J』として、夜の闇の中に溶けるようにして消えていったのだった――



「う、ううん……待ちなさい、よ……『怪盗J』……」

 自身の声で、急激に意識が現実に引き戻される。

 目を開けると、見慣れた探偵部室の壁が見えた。

「……あれ、私……」

 ふとそこで、自身が部室のテーブルの上で居眠りをしてしまっている事に気づいた。

「……」

 今しがたの夢の内容を反芻はんすうしながら、姿勢を変えないままテーブルの上にまで垂れていたよだれを拭う。

 それから再度目を閉じる。

 今再び眠れば、あの怪盗を捕まえに行けるのではないかと、夢の続きを見られるのではないかと、そんな淡い希望を抱きながら。

 そしてそんな時、ふとゆっくりと背後の扉が開いた気配がした。

 その気配は数秒ほど立ち止まると、何やらごそごそとロッカーを漁り始める。

 それから私の背中にパサリと、何か毛布のようなものが掛けられた感覚があった。

「……葉弦?」

 寝ぼけた小声で友人の名前を呼ぶも、返事はない。

 薄目を開けると、そーっと後ろ歩きで立ち去ろうとする人影が見えた。

「……あ、もう起きた?」

 そこでようやく、自身に掛けられたのは毛布ではなく予備の制服である事と、相手が葉弦ではない事、そしてさらにその相手に寝顔を見られた事に気づいて意識が急激に覚醒する。

「あ、『怪盗J』っ! 盗んだもの返して大人しくお縄に付きなさいよ!」

「え、何の話っ!?」


 〇あとがき

 知る人ぞ知る、あの某4コマ漫画の内容を可能な限り拡大解釈してみた結果の産物。

 水鉄砲とか1か月おやつ抜きの刑とか、一部可愛い表現があるけれども、これは知智の夢落ち、つまり彼女の脳内イメージという事でどうか1つ。

 ちなみに他にも、助手が初登場時にお花畑の中にいたというシーンについても同じく。多くは語るまい。

 なお作中では結局入れませんでしたが、ゲンさんは肩叩きのマッサージで気持ちよくなって眠ってしまった……という一節があったとかないとか。

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