主人公はそれで報われ幸せになれると言うのか?

作者様へ、主人公が辛すぎます。このままだと母の遺言が呪縛になり、耐えた先に本当は皆から守られ愛されていたんだと気づきましたみたいな幸せの人生の着地点になりそうですが、何も救われず傷と裏切りの記憶が残り不信感ともう一度信じていいんだと思いながらも不安定な心に悩む感情にさいなまれる偽りの幸福な気がします。
ここから読み勧めて思った物語の流れですが、本当にそれで救われるのでしょうか?

裏切った相手には、それぞれの真実があり、何も知らず壊された主人公は後々話を聞いて同情し、幼なじみ・義母・親友と関係修復、僕が一方的に決めつけ拒絶したと反省し、僕は本当は守られ愛されていたんだみたいな。救いではなく打算的幸せな着地点になる結末が怖い。真実があれば、誰かを壊すのは時間が経てば許される行為なのか。一人で罪を償っている時間は裏切った女性からすれば贖罪の時間なのかもしれないがそれは独りよがりの自分可愛さの自己中心的自己防衛の考え、贖罪のチャンスすら貰えるか貰えないかは、傷つけ壊した裏切った被害者の主人公が決める事でありチャンスを貰えて初めて贖罪が始まると思います。
うーん優しくて母の教えを守り、許す道が幸せで我慢が報われ愛に気づくチャンチャンみたいなのはハッピーエンドではない気がします。多分それは、ノーマルエンド。
相手の真実の中の後悔や優しさは、傷つけた側の言い分や独りよがりの考えで、傷つきこじれた人間関係や信頼は、積み上げた時間の数倍の時間と忍耐と努力がかかる程軽いものではないと思います。
その間も、不信感ともう一度信じたい気持ちのはざまで苦しみ悩み続ける傷つけられた側は気づいたから幸せになったんでしょうか?
結局、復讐や制裁は、自ら与え、それは罪人へ犯した罪と同等の対価を支払わせて、はじめて傷つけられた人間は気持ちの整理をつけ前にすすめるのではと思います。傷は癒えずとも、ケリを付ける儀式なんじゃないかと。人間は、自己満であってもそうする必要があると思います。
優しさとは、全てを知り許し受け入れるのではなく、強さや厳しさを含んだもの、それは罪を許さずきちんと同等の対価の罰を与え、チャンスを与える。勿論スタートはマイナスから。本当に反省し変わろうとする人間は死ぬ気で態度や行動や言葉で示し続けるそれを見守り信頼を勝ち得た時に受け入れる懐の深さが本当の優しさではないかと思うので主人公にはそうした成長をとげて欲しい