【短編】チート級の味オンチの俺に、チート級の料理スキル授けたやつ。怒らないから理由を言ってみろ

遠堂 沙弥

第1話

 ーーおなかがすいた。


 少年が常に抱えている問題は空腹だった。お腹が空いた。父親はよその女を『運命の相手』だとほざいて失踪し、母親は毎日飲んだくれていつしか病気で死んでしまった。

 残された少年はスラムを彷徨う。酒場の裏のゴミ捨て場にある残飯を貪り、時にはカラスやネズミ相手にカビの生えたパンを取り合ったこともあった。

 少年に身寄りはなく、そんな少年に手を差し伸べる者もまたいなかった。最後に風呂に入ったのは何ヶ月前か、まともな食事はもう3ヶ月以上口にしていない。

 いつしか少年は残飯すら美味に感じられ、腐った食材を食べてもお腹を壊すことがなくなった。


「俺、いつの間にかギフテッド授かったのかな。前までゲロ吐きそうな位臭かった残飯も、今ではご馳走みたいに感じられる……」


 ギフテッド、それはこの世界の人間全員が持つ一種の突出した才能のことである。

 本来は先天的に、持って生まれた才能であるがこれに気付かず生活を送る者が多かった頃、神の代行人である教会側がその先天的才能を自覚させる魔法のような奇跡を起こせるようになった。

 子供が10歳を迎える年に教会へ行けば、身分や生まれに関係なくギフテッドを覚醒させてくれるのだ。


 少年は思った。きっと貧乏で一生独りの自分に与えられたギフテッドは、保護者がいなくてもどんなものを食べても食中毒にならない、この強靭な胃袋なんだと。


 少年が母親を亡くしたのは10歳になる年の頃だった。

 彼が残飯を食事として食べ続けておよそ半年、ギフテッド覚醒の儀式が行われる教会があることをいつも残飯をくれる酒場のマスターが教えてくれた。

 極度の栄養失調のせいでひどくやつれた少年は特に興味を持たなかったが、酒場のマスターがその考えを全面否定して教えてやった。


「この3ヶ月以上、オメーを養ったりまともなメシをやることなく、ただひたすらに残飯処理させた優しいオレからのアドバイスだ。ギフテッドはいいぞ。もしかしたらとんでもねぇ才能に目覚めるかもしれねぇ。そうなったらこんな暮らしとはオサラバ出来るんだ。誰でも受けさせてくれるってーんだからわかったらとっとと行け。ちゃっちゃと行け」


 食べる以外にすることがない少年は教会へ向かった。そこにはギフテッドの覚醒を望む親子で溢れかえっていた。貴族から庶民まで。誰でも幼い内に才能に目覚めていれば将来安泰だと思っている。


「つまんね。どうせ俺のギフテッド、強い胃袋ってだけだろ。いや、もしかしたら不幸メーカーとか?」


 何の期待も抱かずに列に並ぶ。何日も風呂に入ってないせいで、周囲の人間は少年から距離を取る。誰一人として少年に優しくしてくれる者はいない。今さらそんな手を期待することもなかった。


「皺ひとつなく洗濯が出来上がるギフテッド!」

「クリーニング屋になるしか、ないのか……」


「育てる植物が全て途中で枯れないギフテッド!」

「花屋? いや、農作の才能か? どのみちなんか凄そうだな」


「一生足が臭くならないギフテッド!」

「何よそれ、だから何だって言うのよ!」


 ギフテッドは将来の仕事の選択にも大きく関わってくる。それは先天的に突出した才能であるが故に、ギフテッドの内容がわかった途端に転職する者は数多く存在した。そして全員がその道で成功している。

 少年は思った。


(強い胃袋なら貴族の毒見役とか出来そうだな。さすがにあからさまな毒を食べたことはないけど、腹を壊したことは一度もないし。それ以外に使い道なさそうだよな)


 ついに少年の順番になった。

 誰もが興味を持って見届けようとする。あんな汚い少年にどんなギフテッドが授けられているのか、と。馬鹿にしてやろうと思っている者がいれば、あの少年のギフテッドに比べたら我が子のギフテッドはもっとずっとマシだと思おうとしている者など、思惑は様々だ。

 期待せず少年は神父の前に立つ。神父は憐れんだ表情を浮かべて話しかけた。


「少年よ、なぜこうなる前にウチに来なかったんだい。可哀想に、ウチに来ればわずかではあるが水とパン位は食べさせてあげられたのに」

「そういうの期待してないから、早くやってくれない?」


 生意気な少年の言葉を聞いても憂いた表情を崩さない神父に『さすがプロだな』と少年は思った。神父が少年の手を取って両目を閉じる。そしてカッと両目を見開いたかと思うと、神父の顔からは脂汗が流れ落ち、きょとんとしている少年を凝視した。


「な、んな……っ??」

「早よして」


 ごくりと生唾を飲んで、それから覚悟を決めたように宣言した。周囲も期待する。


『外せ!』『外せ!』『外せ!』『ゴミみたいなギフテッドはよ!』『ゴーミ!』『ゴーミ!』


「作るもの全て美食とする、き……究極シェフのギフテッド!!」

「……は?」


 辺りが静まり返った。それからどよめき、怒号、文句の嵐が巻き起こる。


「そんなわけあるかー!」

「そうよそうよ、うちの子は犬の顔を見分けられるだけのギフテッドなのに!」

「なんでそんな汚いクソガキが国宝級のギフテッド授けられるんだ!」

「インチキだ!」


 暴動でも起きそうな程に混乱してきたので、国から派遣された騎士達が市民を取り押さえていく。毎年よくあることで、例えば貴族の息子がクソみたいなギフテッドを授けられた時には、その父親が神父に暴力を振るって騎士に捕縛された例がある。よって毎年ギフテッド授与式の時には国から騎士が数名派遣されることになっていた。その間に神父は隣にいたシスターに少年を奥の部屋へ避難させるように言いつける。

 シスターは少年の手を引いて急いで部屋に飛び込み、鍵をかけた。中は神父の書斎だった。部屋にはたくさんの本がぎっしりと詰め込まれた本棚がある。


「一体何がどうなってんの。俺のギフテッドって強い胃袋とかじゃ?」

「君、すごいね!」


 満面の笑顔を少年に向けるシスター。他人から笑顔を向けられたのはいつ以来だろう。そんなこと今まであったかどうかさえ覚えてない。


「究極シェフのギフテッドっていったら、宮廷料理人や高級レストランのシェフでも持ってる人が少ない位よ。それを授けられたってことは、君は料理人を目指せば大成功の人生を約束されたようなものよ。よかったわね。貧しい暮らしとはお別れ出来るわ」


 純真無垢な微笑みでさらりと言ってくれる。だが酒場のマスターやシスターの言うことも尤もだと思った。けれど誰がこんな汚い孤児を受け入れるというのだろう。


「きっと今にも君の噂を聞きつけて、一流ホテルや高級レストランのオーナーから、いいえ! もしかしたら王宮からスカウトが来るかもしれないわよ。過去にも同じようなことがあったんだから間違いないわ。その時は確かどんな相手でも100%癒すことが出来るマッサージのギフテッドだったかしら」


 にわかには信じられないが、どうやら自分はすごいギフテッドを引き当てたようだ。そんなことよりお腹が空いた。さっき水とパンくれるって言ったじゃん。



 ***



 シスターが言った通り、スカウトはすぐに現れた。隣町にある高級レストランのオーナーだ。どうせ他に行く当てもなければ、やることもない。少年は二つ返事でオーナーについて行った。

 スラムとは違って街並みも人もまともだった。道路にゴミが落ちていなければ、カラスや野良犬がうろついたりしていない。行き交う通行人の衣服もしゃんとしている。

 馬車に乗せられ隣町に到着した少年は、このままの格好ではレストランに入れることすら許されないと、途中で馬車を降ろされて大衆銭湯で体を洗っている間にオーナーが新しい服を調達してくれた。それまで着ていた汚れた服は捨てられていた。文句を言う筋合いもなく少年は再び馬車に乗り込みオーナーが経営しているレストランへと向かった。


 この街では一番だと豪語するオーナーは少年をこのレストランで『雇う』という形で料理の腕を磨かせることにした。当然ながら少年は料理をしたことなど一度もない。ここで本当に一から料理の仕方を学ぶのだ。ギフテッドを授かっているとはいえ、基本を知らなければどうしようもない。

 まずはシェフの代理を務めていたスー・シェフがオムライスを一から順に作って見せた。材料の切り方、ケチャップやライスを一緒に炒めるタイミング、調味、ケチャップライスをうまく卵焼きで巻く方法など。

 そして最後にレストラン特製ケチャップをかけて出来上がった。少年はこんなに綺麗な料理を見るのは初めてだった。見ただけで食欲がそそられて、空腹だったお腹がさらに加速度を増して大きな音を鳴らせる。


「これ食べていいんすか」

「食べないと味がわからないだろう。究極シェフのギフテッドを授かったのなら、その舌も絶対味覚を持っているはずだ。でなけりゃ美味しいものなんて作れないからな」

「い、いただきま〜す!」パクッ「おゔぉろろろろろろ」

「ええええええ!?」

「ちょ、おま! なに厨房でゲロ吐いてんだ! おい、今すぐ片付けろ!」


 少年は絶望した。

 厨房では今でもオーナーやシェフが罵り合っている。『何を食わせた』だの『なんて奴連れて来たんだ』だのと、こちらの気も知らないでずっとこの調子だ。

 元々空っぽに等しかった少年の胃袋から、これ以上は胃液しか出てこないことがわかると嘔吐感は治まり、そしてレストランの裏口で黄昏れる。


「終わった……」


 そしてひとつの結論に達した。

 少年はこれまでろくなものを食べてこなかった。それこそ物心ついた時から貧相な食事、不味い食事しか食べたことがなく、父親が失踪して母親が死んでからは残飯や腐った食材などを食べて生きて来たようなものだ。そんな人間の舌が肥えているわけがない。食べ慣れないものを口にして、体が拒絶反応を起こしたのだ。むしろ残飯のようなゲロ不味い食べ物しか受け入れない、そんな体になってしまったのかもしれない。


「そんな奴が究極シェフのギフテッド? ふざけんなよ、クソギフテッドじゃねぇか」


 このままレストランの裏口で待っていても、きっと自分のことを雇おうなんて思っていないだろう。シェフにとっては神聖な厨房を汚したのだ。少年は淡い期待を抱いた自分に反吐が出た。いや、もう何も出てこないが。やれやれと重い腰を上げてその場を去ろうとした時だ。


「やぁ、君かい? 究極シェフのギフテッドを授かった奇跡のラッキーボーイっていうのは」

「誰、おっさん」

「私はグロモント伯爵。ここで会ったのも何かの縁、私について来ないかい?」

「嘘ばっか。さっき俺のギフテッド当てたじゃん。どうせずっと尾けて来たんだろ」

「失敬な! ここのオーナーに先を越されてガッデムしてたところ、キタネーボーイが銭湯に入ったという情報を得て慌ててやって来たのが真実だよ」

「めっちゃ正直なおっさんだな」

「どうかね? 私ならキッチンでボーイがゲロっても怒鳴ったりはしないよ。むしろ一緒に攻略法を考えていこうじゃないか」


 小太りで人畜無害そうな顔をした貴族の男、グロモント伯爵は屈託のない微笑みを浮かべて少年に手を差し伸べていた。先ほども言ったように、少年は行く当ても、やることも、何もない。少年は彼に従うことにした。


「あ、でもこの服。ここのオーナーに買ってもらったやつなんだけど。前の服を捨てられてるから返すことも出来ないんだよな」


 全裸になれば返せるが、無礼をなんとも思わない少年でもさすがに全裸で伯爵と同行するのはどうかと思ったが、伯爵は「ふっふ〜ん」と独特な相槌を打つと、いつの間にか後ろに控えていた執事らしき老人が会釈をしてレストランの正面入り口の方へと歩いて行ってしまった。


「交渉成立だね? 今しがた私の執事が君の身元引き受けの旨と、服代を渡しに行ったところだ。安心したまえ。他に心残りはないかね? ふっふ〜ん?」

「あ、いや、多分、ないっす」

「では行こうか。ついて来たまえ」


 少年は伯爵について行く。またもや馬車に揺られに揺られて、揺られることどれ位経っただろうか。空腹で熟睡したことがなかった少年ですら意識を失うほど長い間馬車に乗り続け、ようやく伯爵の「到着したよ」という言葉で目を覚ました。馬車の窓から外を見ると、大きなお城のような建物がまず目に入った。生まれてこの方一度もこんなに大きな建物を見たことがなかった少年は口をぱっくりと開けて絶句する。「ついて来たまえ」という何度も聞いた言葉で伯爵について行くと、建物に入るなり多くの使用人が出迎えた。


「この少年はここでシェフになる修行をすることになった。彼に部屋と着る物と食べ物を与えてやりたまえ」

「かしこまりました」


 ここに来てやっとまともな食事にありつけると思った少年は、意気揚々とメイドについて行く。案内された部屋は少年にとって豪華すぎるほどの部屋だった。貴族にとっては普通だが、これまで雨風が入るようなボロボロの小屋に住んでいた彼にとって十分すぎるほどだ。タンス、ベッド、机、これを自由に使っていいというのだ。少年には夢のような空間だった。メイドがタンスから服を取り出すと、先ほど着替えたばかりの少年はさらにもう一度着替えて、椅子に座って待っていると程なくしてメイドがサンドイッチと紅茶を持ってきた。

 今までサンドイッチを、ましてや紅茶など飲んだことがなかった少年はドキドキしながらパクリと一口頬張った。もぐもぐ、ごっくん。ぐびぐび、ごっくん。「ん……」とメイドにはよくわからない意味不明な納得をする少年。


(やっベー、こないだ食べたオムライスほどじゃないけど、このサンドイッチってやつ、なんていうか、普通? パンはふわふわしっとりしてるし、中に挟まってる卵を潰したようなやつは口溶けが良くてすぐに口の中から喉めがけて流れて行っちまう。もうひとつのサンドイッチも中に挟まってる肉が新鮮すぎて柔らかい。程よい塩味とぬるぬるの白いクリームみたいなやつの酸味が絶妙にマッチしてて、これもまた何の引っかかりもなく胃袋めがけてどっか行っちまう! この紅茶ってやつに至っては、うん、よくわからん!)


 空腹のせいか味より腹に溜めることを優先した少年はとりあえず完食した。本当にこんな自分がシェフとして、料理人としての道に進んでいいものか疑問しか浮かばない。しかしここでシェフを目指すと言わなければこの幸せ空間は手に入らない。嫌でも受け入れるしか空腹と別れを告げることは出来ないのだ。


 服を着替え食事を済ませた少年は、伯爵が応接室で待っているということでそこに向かうことにした。メイドに案内され応接室に到着すると、伯爵は茶菓子を頬張っていた。小太りの見た目とは裏腹に食事をする姿は意外に上品で、ハンカチで口元を拭きながら少年に真向かいにある椅子に座るように手招きする。メイドがまた紅茶を入れようとしていたが、少年は「水でいいっす」とだけ言って紅茶は遠慮した。


「どうだね、ここで暮らしながらシェフを目指す気になったかね」

「意地が悪いな。あんないい部屋見せられたら貧乏な俺なんか即オッケーするに決まってるじゃん」

「ふっふ〜ん、人は誰でも欲しいものが手に入るなら何でもするものさ。お金が欲しいから働くことと何も変わりはしない。人間が生きていく為のそれが本質だよ、ボーイ」


 伯爵の話はこうだ。

 この伯爵邸でシェフ見習いとして働く代わりに衣食住を提供する、至極簡単な取引だった。伯爵はこの地域では有名なグルメだそうで、美味しいものを食べる為なら何を犠牲にしても厭わないそうだ。宮廷料理人の間でも一人や二人いるかいないか、それほど稀有なギフテッドである究極シェフ。世界にそうそういないということで、伯爵は究極シェフが作る料理を食べることが夢だそうで、少年の話をいち早く聞きつけて馬を走らせたそうだ。どうしても究極シェフが作る料理が食べたい、その為に身元が不明な怪しい少年だろうがこうやってにこやかに受け入れたのがその理由だった。


「私は料理に関することならどんな噂でもすぐに知りたがる癖があってね。国中あちこちに私の雇ったグルメハンターが点在しているのだよ。そこでスラムのギフテッド授与式を見学しているグルメハンターが究極シェフのギフテッドを授かった君の存在を知り、素早く情報伝達をしていたところ本当に偶然、たまたま件のレストランで食事をしていたグルメハンターが君がやって来たことを教えてくれてね」

「こっわ」

「私は大急ぎでやって来たというわけだ。さて、ここで本題といこうじゃないか、ボーイ。君は何を食べたかわからないが、厨房で嘔吐して追い出されたようだね。一体何があったのか聞こうじゃないか」


 少年はありのままを話すしかなかった。恐らくこの料理に対して恐ろしく執念深そうな伯爵にどんな嘘を並べたところで、すぐにバレてしまいそうだと思ったからだ。


「なんつーか、俺って元々美味いメシとか食ったことなかったんで舌がバカになっちまったせいか。きっとあそこのオムライスってやつはめちゃくちゃ美味いやつだと思うんすよ。でも俺が食ったら下水道で作ったメシみたいな味がした。さっき食わしてもらったサンドイッチってやつもそうだよ。オムライスほど不味くはなかったけど、……美味くもなかった。あそこのレストランでオムライス作ってくれた人が言ってたんすよ。本当に凄腕の料理人は味覚も完璧だって。美味いものを作るには美味いものだってわかる舌を持ってるのが普通だって。だからここまで来てなんだけど、俺みたいな味オンチが究極シェフのギフテッド持ってたって、無駄スキルっつーかなんつーか、期待しても無駄だと思うんす」


 落ち込む少年に「ふっふ〜ん」と考え込む伯爵。捨てられる覚悟はしているが、せめて住み慣れたスラムまで帰してくれないかなと思った時だった。


「答えは簡単だよ」

「え?」

「美味しい料理を美味しいと感じられないなら、味見をしなければいいのだよ」

「は?」

「実に残念、惜しい逸材だと思っているよ。当然そうさ。せっかく見つけた究極シェフの持ち主が味オンチだったなんて、私もベリーショックだよ。本来なら究極シェフ自ら考案した究極の料理というものを食べてみたかったのだが、ふむ。そういうことなら致し方ない。せめて美味しい食事を美味しいと感じられる舌が出来上がるまでの間、君は料理の一通りを学び、味見をすることなくレシピ通りに作ることに専念するがいいさ」

「え、……いいの?」

「言っただろう? 一緒に攻略法を考えようって」


 少年は初めて涙した。今まで誰もが、両親ですら自分を捨てて行ってしまった。だけどこの人は初めて少年に手を差し伸べてくれた。『究極シェフだから』という理由があるにしろ、それでも少年は人並みの生活を約束してくれた伯爵のことを、心の底から恩人だと思った。



 ***



 伯爵専属のシェフは多忙を極める。食材はこだわり抜いて、味付けに一切の妥協を許さず、なおかつ栄養バランスの整った食事を毎食提供しなければいけない。じゃあなぜあんなに丸々と太っているのか謎だ。

 少年は青年となっていた。あれから10年、その年月を全て料理を作ることにのみ時間を費やしてきた。伯爵の言う通り、味付けの分量、火加減、あらゆるタイミングを全てマニュアル化してしまえば味見をしなくても料理を作ることが可能となったのだ。それを可能としたのは彼の持つ究極シェフのギフテッドという、先天的に突出した才能が成せる技だ。当然青年が来る前からここでシェフとして伯爵の料理を作り続けてきた料理人達も全員が凄腕のシェフ達だ。

 最初こそ作っては美味しい匂いで嘔吐しかける青年を忌み嫌っていたものだが、彼の眠った才能を引き出したのは伯爵の命令とはいえ根気よく彼に料理を教え続けたシェフ達の努力の賜物といえよう。そのおかげで青年は今、彼等と並んで厨房で料理を作ることが出来ていた。


「ほら、ゲロコック! これの仕上げ任せたからな。吐くなよ? ぜ〜ったいにゲロったりすんじゃねぇぞ!」

「しつけぇな! ゔぉえ、くそが殺すぞ」

「口汚く罵るんじゃねぇ! 美味い料理が不味くなっちまうだろうが!」

「そうなったら俺が食ってやりますよ! 不味いメシ最高!」

「仕上げだっつってんだろゲロコック!」


 ことあるごとにゲロを巻き散らしてきた青年のあだ名は、晴れてゲロコックと名付けられたようだ。これでも信頼し合ってる様子で、伯爵はとても満足していた。しかし懸念材料はまだ残っている。青年が未だに美味しい料理を美味しいと感じられていないことだった。夢が潰えるかもしれないと思うと少し切なかった。しかしあれほど汚れ、今にも死にそうな程に痩せこけたあの少年の面影は今やどこにもない。

 伯爵が考え抜いた『美味くも不味くもない微妙な料理』を考案したことで、青年は栄養バランスの取れた食事が出来るようになったのだ。それまではどうにか美味しいと感じられるものを口にしようと、厨房の残飯入れに手を出しては伯爵に注意されていたものだ。青年は青年で残飯や腐った食材でなければ美味と感じられなくなってしまったので、自分が美味いと感じられる食事が食べられなくなって10年経過していることになる。それでもあの頃の生活に比べたら全然マシだった。今ではもう、空腹で眠れない夜などなかった。



 ***



 ある日、伯爵家に王都から使者がやって来た。

 伯爵は使者を丁重にもてなし、話を聞いた。すると使者はこの伯爵邸に究極シェフのギフテッドを持ったシェフがいるという噂を聞いて、ぜひ会って話がしたいと言うのだ。伯爵はすぐさまゲロコックの青年を呼んで同席させた。


「実は近々、隣国のスレイ国王から我が国リッチー国王に使者が来まして。親書によりますと友好条約を結ぶ為にリッチー国に赴きたいという話がありまして。そこでぜひとも究極シェフの料理を堪能させて欲しいという、一方的な要求をして来たのです」

「隣国スレイといえば、我が国とはあまり芳しくない関係でしたな。敵国とまでは言わないが、お互いの機嫌によっては戦争にもなりかねない程度には仲が良くなかっただろうに。友好条約を結びたいとは、どういう風の吹き回しかな」

「問題はそこなんです。スレイ国王は近隣国の間では有名な超グルメであり超キレやすい性格と評判でして。究極シェフのギフテッド滞在者が最も多いとされるここリッチー国に宣戦布告をしているようなものなのです。スレイ国王はとにかく今まで食べたことがないような美食を求めておられる。ここで究極シェフによる絶品料理を提供することが出来れば、友好国として条約を結んでもいいと言って来てるのです」

「ふっふ〜ん、裏を返せばクッソ不味い料理を出そうものなら戦争一直線、というわけですな」

「我が国の平和の為に、ぜひとも伯爵家専属の究極シェフも参戦していただけないものかと」

「他にも参加しているのかな?」

「国王直属の宮廷料理人の中に二人ほど究極シェフのギフテッド持ちがいます」

「二人もいれば十分なのでは?」

「それがスレイ国王、それぞれのシェフに肉料理、魚料理、野菜料理を作って欲しいと注文しているんです。こちらに究極シェフが二人しかいないことをわかってて、残る一人で難癖をつけるつもりでいるんですよ」


 二人の話を横で聞いて、青年は真っ青になった。レシピ通りにしか作れない自分が行っても単なる足手まといにしかならないのは目に見えていた。しかもチームを組む相手はギフテッド持ちの宮廷料理人、自分とは実力の差がありすぎた。


「あ、あの……」

「よし、いいでしょう」

「ちょっと!?」

「その代わり、うちのシェフはまだ未熟でね。自作料理を作るほどの腕にまで達しておりません。ですからそちらの宮廷料理人の方に精密なレシピの作成をお願いしたいのです。こちらはそのレシピ通りに、寸分なく作ることを約束しましょう。そういうことでよろしいでしょうか」

「まぁいいでしょう。スレイ国王は究極シェフであることにこだわりがある様子だと国王陛下はおっしゃっていました。ではこちらでレシピをご用意させていただきますので、参戦よろしくお願いいたします」


 快諾すると使者は急いで王都へと舞い戻って行ってしまった。聞き捨てならないのは青年だった。あまりにも安直すぎる提案だ。もしこれでスレイ国王にイカサマしていることがバレたら、それこそ戦争にまで発展してしまうのかと思うと気が気でない。


「大丈夫だよ、君は今ではレシピを味見なしで完璧に作れるレベルにまでなった。そこはグルメを気取る私が保証しよう。本当は私自身が手塩にかけて育てたシェフに自作料理を作ってもらいたかったが。そうか、王宮には二人も究極シェフがいるのか。ふっふ〜ん」

「あ、ダメだこの人、自分の食欲のことしか考えてねぇ」


 しかし今や伯爵が自分の主人となった以上、命令とあらば逆らうことは出来ない。恩を仇で返したくないと思った青年は、レシピ通りに作る精度をさらに上げる為、料理作りに一層励んだ。その間にも伯爵はこの会談に失敗するわけにはいかないと、独自の方法でスレイ国王の食の好みやスレイ国の食文化に至るまでを調査することにした。



 ***



 会談当日、究極シェフのギフテッドを持つ料理人達はこの日の為に特別なレシピと食材を用意して挑もうとしていた。前日に青年との顔合わせも済ませ、食材や調味料に関する情報交換、レシピに関する細かい指示などをみっちり打ち合わせする。失敗は許されない。

 そして仰々しい行列がやって来た。豪奢な馬車に乗ってやって来たスレイ国王は見るからに神経質そうな、こだわりが強そうな顔をしている。逆にリッチー国王は温室育ちが目に見えてわかるようなのほほんとした顔立ちで、見る者の警戒心を瞬時に解いてしまいそうな朗らかさだった。


「うちのシェフの料理が気に入ったら友好条約を結んでくれるんだね? ずっと平和でいられるんだろうね」

「あぁ約束しよう、それが条約というものだ。料理が、美味ければ、だがな」


 シェフ達は早速調理に取り掛かった。調理は特別ステージとなっており、国賓席にいる国王二人が見学できるように大広間全てを大改造して、中央に広大なキッチンが作られていた。国賓席とキッチンの間には食材がずらりと並んでおり、あらゆる食材が準備されている。どれも新鮮で、高級な食材ばかりだ。

 青年は野菜担当となった。肉料理と魚料理は腕と味覚がしっかりしている宮廷料理人のギフテッドが受け持つ。青年はスレイ国王にバレないようにレシピという名のカンペを隠すよう忍ばせ、手違いがないようにしっかりと確認しながら調理していく。たっぷりと野菜の入ったミネストローネスープ、フルーツと木の実のサラダ、そして瓜かぼちゃとキノコのパスタ、この3種類を作る予定だ。

 青年は国王の面前で嘔吐しかけたりしないように、マスクをし、その下では両鼻に詰め物をして匂いを絶っている。芳しい香りで吐き気を催すことはないだろうという作戦だ。


「さすがギフテッド、長年プロのシェフとして厨房に立つ料理人に比べても、ここまで手際に差が出るか」

「あとは天才的な美食に対する勘と発想力でしょうな。作りながらさらに美味しいものが出来る思考を繰り返して、失敗することなく美食を完成させる。神業ですよ」

「ふん、自慢するなよリッチー国王」


 国賓席でも戦いが始まっている様子だが、リッチー国王に至ってはただの天然発言くさかった。

 

(完全に匂いを断つ作戦はもしかしたら失敗したかも。いつもは吐き気を催せば催すほど、それがイコール美味に近付いている証拠だったから。味見しなくても吐き気具合で俺は微調整していたのか!? ぐゔぉほ、美味いイメージをしただけで吐きそうになってきた。フルーツや野菜の色艶が良すぎて、このスープも絶妙な感じに仕上がってるのがわかっただけで胃の中のものが逆流してくる……っ!)


「おい、お前顔色が悪いけど大丈夫か? 緊張で具合でも悪くなったのか」


 隣のキッチンで肉料理を担当していた宮廷料理人が声をかけるが、あちらも手を止めるわけにはいかず、すぐまた自分の仕事に戻ってしまった。しかし青年の様子は給仕の者にもわかったようで、急いで国王の側近に伝えようとした矢先、伯爵が現れてそれを止めた。


「大丈夫、彼のことは私に任せなさい」


 給仕にそう言うと、伯爵は手に何やら大きな荷物を抱えており、それを青年の元へ運んでいった。吐き気と戦っている青年の元に手が差し伸べられる。見上げるとそこには笑顔の伯爵が立っていた。


「大丈夫かね、ボーイ」

「伯爵、なんでここに!」

「ちょっと君にね、朗報があるんだ」


 伯爵と青年が話し合っている間も、二人の宮廷料理人は次々と予定していた料理を仕上げていった。会場が芳しい香りで満たされていく。その香りは国賓席にも漂うほどで、二人の国王はくんくんと犬のように香りを嗅いでは満足そうに、もう待てないとでも言うように笑顔を浮かべる。


「肉料理担当、完成しました!」

「同じく魚料理担当も完成しました!」


 先に出来た料理から平らげていくのが今回の会食だ。野菜料理担当のシェフが完成させるまでに、肉料理と魚料理を堪能していく。


「ほう、ラム肉をこういった調理法で仕上げたか。なかなかやるじゃないか」

「美味い、美味い」

「ありがとうございます!」


「魚の骨ごと食べれるのか、いちいちほじくらずに済むな。味も悪くない」

「美味い、美味い」

「ありがとうございます!」


 あとは野菜料理だけとなる。本来なら前菜として野菜料理を先に食べてもらい、魚料理、肉料理、といった流れで満足させるつもりだったが、最後にヘルシーな野菜料理が残ることになって二人の宮廷料理人は不安になった。これが失敗すれば、開戦の合図となるかもしれない。


「おお、なんだあの勢いは!」


 宮廷料理人の一人が青年の方へ目をやると、先ほどまでの死にそうな状態とは打って変わって、生き生きと調理をこなしていく青年の姿があった。彼の目は輝きに満ち溢れ、さっきまで付けていたマスクは外してこぼれそうな笑顔が現れており、次々と料理を完成させていく。「なんだ、やれば出来るじゃないか」と言おうとした宮廷料理人が目を瞠る。


「待て、あんなレシピを渡した覚えはないぞ。なんだあの食材は!?」


 伯爵が持って来たのは大きな容れ物だった。一体どんな大きさの食材を持って来たのかと思ったが、その理由はすぐにわかった。何重にも容れられた容器をひとつずつ開けていく。すると開ければ開けるほど、言い知れぬ臭いが強くなっていく。それはやがて国賓席まで届いていった。


「くっさ!」


 姿を現したのは世界で一番臭いと言われている野菜だった。見た目はキャベツのようだが一枚一枚がまるで腐ったかのように変色しており、汁も漏れ出している。長い間発酵させたような酸味を帯びた腐臭が周囲に満ちていく。ごくりとよだれが止まらなくなる青年は、一枚めくって食材の味を確かめる。

 口の中に広がっていく腐敗臭、じゅくじゅくになった汁からは水に濡れた犬のような獣臭のような香りが鼻をつく。葉はすっかり柔らかくなっており、歯やあごを使わなくても舌で潰しただけでジュレのようにとろけ出していく。あとは飲み物のようにごくりと飲み込むだけだ。


「これだけで十分美味さが伝わりますが、いいんですかね伯爵? 俺、究極の味オンチなんですけど本当にいいんですかね? こんな食材、絶対に誰も食べたがりませんよ? お腹壊しても知りませんからね?」


 興奮して息を切らしながら伯爵の許可を求める。伯爵は濡らして軽く絞ったタオルを鼻と口に当てて、瞳に涙を潤ませながらサムズアップする。


「やりたまえ。その食材はわざわざスレイ王国にある産業廃棄物近くで栽培されている農地から取り寄せた、立派な食材だよ。スレイ王国は元々土地の痩せた国で、リッチー王国のように農作物が育たない。そんな国で唯一栽培されていたのが、そのキャベツなのだよ。聞いた話によるとスレイ国王は元はスラム出身で食べるものもままならない環境で育ったそうだ。そう、君と同じだよ。そんな彼が目覚めたのは珍味。美味食材ではなく彼は幼少時代に口にしていたクセが強すぎる珍しい味をする食材を何より好んだんだ。間違いないよ、スレイ国王はきっと君の料理を気に入ってくれるだろう。ボーイ、存分にやりたまえ」


 青年はこれまでに味わったことのない感覚で料理をした。今まで吐き気の苦しみに耐えながら作っていた時とは違う、自分自身が美味いと思える食材で、自分が美味いと思う調理方法で腕を振るった。

 そして信じ難い料理が完成する。見た目も色も最悪だった。


「わし、ギブで……」


 先に降参したのはリッチー国王だった。そして問題のスレイ国王だ。どんな境遇があろうと、どんな歴史が知られようと、彼が「美味い」と言わなければこの会談は成功しない。フォークでどろりとしたキャベツをすくい上げ、口に運ぶ。スレイ国王の体が一瞬ぶるっと震えた。


「クッソ不味い!」

「いや、同志じゃないのかよ!」


 思わず青年はツッコんでしまったがしかし、スレイ国王は不味い不味いと叫びながらも、一口また一口と気持ち悪い料理を口に運んではよく味わって、そして完食した。悪臭で気絶しているリッチー国王に向かって、スレイ国王が宣言する。


「友好条約、結ぼうか。そしてまた彼の手料理をぜひとも食べさせてもらいたい。それからこの料理を作った君、名は何というのかね? 次またこの国に来た時は君を指名するとしよう」


 今まで自分の味覚が異常だと思っていた。その味覚と究極シェフという稀有な才能がもたらした奇跡。彼は今、人生最高の日を迎えていた。スレイ国王に向き合い、敬礼をしながら青年は力一杯名乗った。


「ボリソヴィチ・オフチェンコフです!」

「クソ長いわ!」


 長い、噛む、覚えられないの3拍子が揃った為、伯爵の機転により彼のことは「ゲロコック」として指名してもらうことになった。

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