第5話 予感

 惨劇の舞台となった館を出発した1台のオフロード車が、テフィン自治区の深い森を行く。視界は悪く、道も決して良くはない。たが、招かれざる客をミスリードするような走りやすい舗装路に無数の悪路が蛇のように絡みつく迷路の中にあっても、国際捜査局が誇る最先端の通信システムは十分に機能していた。


「……バスの管理企業と連絡がつきました。それによると、通常はこの崖の上でマガトファミリーの人間が通行証をチェックするそうなのですが、今朝のある時点からその役目を担う人間がいなくなっていたそうです」


 部下の報告に、大柄な体を窮屈そうに縮めていたラッシュ捜査官は頷いて。


「そうか。乗客の名簿などはあるんだろうな?」

「はい。国境を越えて運行する際には、乗客名簿の保管が義務付けられていますので」

「よし。ではその時点の前後の便から順に乗客を当たってくれ。どこから乗ってどこで降りたのか。怪しい人間をリストアップするんだ」


 リーダーの指示を文章に変え車の屋根のアンテナから飛ばしていた部下が、通信機器をなぞる指を止めた。


「……怪しい人間とは?」


 優秀な彼女の疑問に、ラッシュは少し間をおいて。


「金で動く人間だ。単独でマフィアの本部を壊滅させる実力と人間をバラバラに切り刻める頭のイカレ具合を併せ持ち、個人の思想や理想といったものを持たないような、そういう奴を探してくれ」

「具体的で、曖昧な犯人像です。誰か心当たりがあるとおっしゃっていましたが?」


 ガタガタと揺れる車の窓に腕をかけていた上級捜査官が、ほんの一瞬まぶたを閉じた。


「ある。だが、現実的にそういう人間は社会で目立つ程には少ないが、片っ端から牢屋にぶち込むには多すぎるんだ」


「なるほど。では、先ほど『ヤマト』と口にされていましたが、それはいわゆる『狂剣』――剣神・ヤマトのことでしょうか?」

「……そうだ。奴は条件を十全に満たす人間の一人で、被害者の傷も奴の切り口に似ていたからな。念のため、その名を近隣の街で指定手配にしておいた。館の電話が生きていたからな」


 部下は、成程と頷いて。


「身内の仲間割れや、敵対組織の襲撃ではないとお考えですか?」

「その可能性も十分にある。だが、そのどちらかならば近いうちにやった人間が自ら名乗り出るはずだ」

「そうですね」


 言葉少なにうなずく部下に、リーダーはため息を吐いて。


「……正直を言えば、どうしても気になるんだ。誰が首謀者でどんな目的があるのかは別として、実行犯の中に恐ろしく腕の立つ人間が少なくとも一人はいる。警備体制から見て、そいつはおそらく今回初めて外部から雇われた人間だ。報酬を受け取った後は、できるだけ早く立ち去るはず。…………でなければ、シエラの選抜試験に潜り込むかだろう」


「確かに。シエラになってしまえば、国境越えも旅の費用負担も容易になります。それだけの実力と凶悪さを持った犯罪者が万が一にも自由に世界を移動するとなると、相当に危険ですね」


 『ああ』とぶっきらぼうにうなずく捜査官の渋い横顔を睨んだ部下は、ふっと思わず笑ってしまいながら。


「それに、お嬢さん――レナルティアさんも選抜試験を受けていますしね」


 黙って外を見つめてしまった捜査官の短い襟足を見つめた部下の苦笑は、次の瞬間に深い懸念を示すものへと変わり。


「……ドレイモンドから緊急報告がありました。未確認ながら『剣神・ヤマト』の弟子を名乗るものが予備試験の会場に現れたので、監視下に置いていると」


 予感。それも最悪の類が差し迫っていることを知った歴戦の戦士の顔が、くるりと部下を振り返る。


「予定変更だ、マガティーノシティには援軍を送ってくれたり。俺たちはこのままドレイモンドへ向かうぞ」


 気だるげにハンドルを握っていた男がにやりと笑い。


「つかまっててくださいよ」


 ひときわ高く鳴いた大きな車が土煙を上げて走り出した。

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勇者と悪魔とエトセトラ たけむらちひろ @cosmic-ojisan

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