き
大合唱な蝉の音に混じって、「葵なんてやめておけよ」と言う、遠野目の声がミツカを追いかけた。
「葵はお前のことなんて好きにならないから。あいつは一年のときからずっと、作間のことが好きなんだよ」
遠野目はまるで口癖のように、ミツカに会うたびにそう言う。それに対して、ミツカもまた、
「それでも、私は葵先輩を好きでいたいんです」
と、決まってその言葉を返すのだった。
駅のホームへ向かうために、改札を抜け、長い階段を上り、そしてまた下った。
ずっと抱えていた重いキャリーケースを下ろすと、ミツカはホッと息を吐き出す。
少し前に電車が出たばかりで、ホームにはミツカしかいなかった。
ジワジワと暑さが体を蝕んでいく気がする。立ち止まった途端、額から溢れ出した汗をタオル生地のハンカチで拭いた。そしてそれをそのまま、団扇の代わりにして、パタパタと首元を仰いでみる。あまり暑さは変わらないけれど、気休め程度にはなるか、とミツカは少し目を細めた。
不意にミツカの視線が上がる。向かいのホーム、階段から下りてきたばかりの赤いTシャツの男がいるのを捉えて胸が鳴った。
「葵先輩!」
お腹に力を入れて、ミツカはその名前を呼ぶ。いつだったか、誰かに「もっと大きい声出せないの?」と呆れたように言われたのも同時に思い出した。昔から声が細くて、小さい。今もそれは変わっていなくて、大きな声を出しているつもりでも、遠くの人には届かいことがよくある。それでも、いつも、ミツカの声を葵は見つけてくれるから、ミツカは葵のことが好きだった。
「あれ、戸田じゃん」
おーい、と葵はミツカに大きく右手を振る。その笑顔に、ミツカの心は救われるような気がして、ミツカの口角も自然と上がった。
「戸田、ひとり? 遠野目は?」
「バスで帰るって言っていたので、途中で別れました」
「へぇ、そうなんだ」
バスってめっちゃ時間かかるじゃん、と葵がわざと苦々しい顔をして見せる。線路を挟んでいても分かるくらい、コロコロと表情が変わる姿が可愛らしい人だとミツカは思う。年齢なんて関係なく、誰にでも人懐っこい。その姿が、ミツカにはとても眩しく見えたし、憧れだった。
「葵先輩は? 紅緒先輩に追いつけなかったんですか?」
「あー……いや、途中まで一緒だったんだけどさ、」
ううん、と唸り声まではミツカには届かなかったが、少し顔を逸らし、後ろ頭を搔く仕草に、葵が言い淀んでいることが分かる。葵は何も言わないミツカを一度見ると、もう一度「あー……」と言葉を吐き出してから、手に持っていたペットボトルをゴミ箱に投げ入れた。
「俺も。作間さんはバスで帰るって言うから、途中で別れた」
早く電車来ねーかな、と葵が話題を変えるように線路の先を覗き込むように身を乗り出す。ミツカは、一度二度、ゆっくりと瞬きをしてから、「そうですね」と返事をした。
誰かが「葵はたんぽぽのようだ」と言っていたのをミツカはふと思い出す。ふわふわと揺れる、パーマのかかった金髪がそう見えるのだという。
生温い風がホームを吹き抜ける。間もなく、回送電車が通過するというアナウンスが流れている。葵の髪がふわふわと揺れ動いている。
「私には、先輩が向日葵に見える」
呟いたミツカの声は、回送電車が線路の駆ける音の中に消えていった。
通り過ぎた電車の後、見えた葵が、ミツカに「今、何か言った?」と首を傾げている。
その後ろの壁に、何百万本の向日葵が咲く、向日葵畑をPRする広告が貼ってあった。真っすぐに顔を上げ、太陽を見上げる向日葵たち。その姿が葵と重なるとミツカは思う。
「先輩、また新学期に会いましょう」
電車が到着する旨を伝えるアナウンスが流れてくる、
ミツカは、ミツカを見つけた葵の真似をするように、大きく右手を振ってみせた。
「葵は絶対お前のこと好きにならないよ」
遠野目の言葉がふと頭を過る。だからそれが何だって言うのだろう。私はただ、真っすぐ咲き誇る向日葵を見続けていたいだけなのだと、ミツカは電車がやって来るまで手を振りながら思い焦がれる。
あか、あお、き 月野志麻 @koyoi1230
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