あお、

 新調したばかりの白いサンダルは踵が高い。凹凸の激しいこの道は歩きにくいが、紅緒は急ぐ心のままに足を進めていた。そのせいで左足の小指の横が擦れてヒリヒリと痛んでいた。


 手に持った日傘が大きく揺れる。陽を遮る意味をなさず、時々紅緒の顔や肩を、夏の日差しが照り付ける。その眩しさは強烈で、目が焼かれているような感覚さえしていた。それでも、紅緒は足を止めるわけにはいかなかった。


 寮と駅の真ん中あたり。ポツンと佇むコンビニ。先ほどまで一緒にいた葵には「買い忘れたものがある」と言ったけれど、紅緒は脇目もふらず、その前を通り過ぎていく。そして、そこから二メートルくらい先にあるバス停へ近付くと、ようやく歩調を緩めた。


 日に焼けて、白くなりつつある青いベンチ。その上にはボロボロで、所々穴が空いているトタンの屋根がある。そんな古ぼけたバス停の中で、項垂れるようにベンチに腰をかける男の前に、紅緒は静かに立った。


 雨が降ったら役には立たなさそうだけれど、日よけの役目は果たしているようで、バス停の中はほんのりと涼しい。


 どくどくとうるさい心臓。切れる息に、唾を飲み込む。汗はあまりかかない体質で、その代わりよく熱がこもる紅緒の頬は真っ赤に染まっていた。


 見た目には人一倍気を遣う。肌の白さが自慢で、日焼けだってしたくなければ、熱がこもって赤くなる自分の顔も嫌だった。けれど、そんなことどうでもいいと、気にする余裕さえなくさせると、紅緒は、このベンチに座る男を見て眉を下げた。


 日陰の中で、何かから守るように、紅緒はそっと日傘を傾ける。


「遠野目くん」


 静かに紅緒が呼ぶ声と、男がゆるゆると顔を上げるのはほぼ同時だった。


「なんだ、また作間かよ」

「はい、私です」


盛大な溜息を吐かれても気にする素振りも見せず、紅緒はにっこりと目を優しく細める。


「……葵は?」

「買い忘れたものがあるって言って、途中で別れました」


何てことのないように紡ぐ紅緒の言葉に、遠野目は瞳を瞬かせる。それから、その意味をゆっくり租借して、鼻で笑い、紅緒から目を逸らした。


「かわいそう」


ボソッと呟いた遠野目に紅緒は返事をしなかった。


 互いに何も言わず、無言の時間が続く。遠野目は自分の膝に肘をついて、掌に頬をのせた。何もない、田んぼばかりが広がる景色を遠野目はただぼんやりと見つめている。未だ目の前に立つ、紅緒の白いワンピースの裾が時折風に吹かれて揺れているのが視界の端にあった。


 「お前さ、なんで俺なんだよ」

「だって、好きだから」

「でも俺、お前のこと好きにならないよ」

「……」


ようやっと、遠野目の瞳が紅緒を捉える。紅緒はただじっとその瞳を見つめ返した。


「葵にしとけばいいのに。お前のこと大っ好きで、絶対幸せにしてくれる」


俺なんかより絶対に、とベンチに深く腰を掛け直して、遠野目は力を込めて言う。紅緒は一度、ゆっくりと瞬きをする。ぎこちなく、緊張した様子で笑う、可愛らしい葵の姿が一瞬過った。


 「……それなら、」


紅緒がゆっくりと口を開く。


「それなら、遠野目くんも、私にしておけばいいのに」


 真っ白な日傘が作る日陰の中で、紅緒が首を傾げて笑う。絹のような黒髪が、青白くさえ見える華奢な肩を、柔らかく滑り落ちていった。


「あなたのことが大好きだから、絶対に幸せにしてあげます」


遠野目が紅緒に言ったことを、紅緒はそのまま返すように遠野目に言う。遠野目は驚いたように瞳を丸くしたあと、片手で顔を覆って肩を揺らした。ハハハッと、面白いものでも見たかのように笑い声を上げている。


 紅緒の眉が情けなく下がる。いらないもののように日傘を放り出すと、遠野目の体を包み込むように抱き締めた。


 「でも、幸せになるって分かってても、選べないでしょ」


 遠野目の体温を感じながら、紅緒は愛おしそうに目を閉じる。そうすれば、黄色がよく似合う、笑顔が可愛らしい女の子の姿が浮かんでくる。遠野目が、彼女しか見ていないことを、彼女しか見れないことを紅緒は分かっている。


 「『好き』には正直でいたいから。誰だって、きっと」


 だから私は振り向いてくれなくても傍にいる、と遠野目から身体を離しながら紅緒が言う。


 そうして、紅緒のその優しい微笑みが引き攣ったかと思えば、紅緒は途端に両手で顔を覆ってワッと泣き声を上げた。遠野目の左耳に、紅緒が彼の誕生日に贈った青いピアスが光っているのを見つけて、苦しくなってしまったからだ。

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