おまけ2 水色の悪魔

 研究室には、日夜問わず多くの生徒が訪れている。

 ここを根城にするクラリアの生徒人気もそうだが、一番はやはり『マーズ』が設置されているからだろう。


 クラリアが監修、開発したこの装置は、召喚魔道士界隈に多大な影響を与えている。才覚頼りだった【ギフト】発現への道筋を、限定的ではあるが解明できる術を発見したからだ。

 

 これにより天運に恵まれなかった、才を持つ生徒をすくい上げられるようにより、学園の退学率は大幅に減少した。

 

 しかし、それをよしとしない勢力も存在する。

 『アウグル』の名を持つ大貴族たちだ。

 彼らは『マーズ』によって幻獣のステータス、【ギフト】があらわになるのに対し強い嫌悪感を抱いていた。


 なぜなら。

 『マーズ』によって明らかになった幻獣たちのデータを、クラリアが大人しく破棄するわけないからだ。


 ◇


 「ふぅ……」


 生徒たちの命運を賭けた試験の、結果発表当日。

 クラリアは研究室にて、久方ぶりの休息をとっていた。

 いつもなら『マーズ』を利用しに来る生徒たちで賑わっているこの場所も、今は閑散としている。


 「やっぱりこういう日は、甘ーいミルクを飲むに限るね」


 角張った砂糖を湯気の立ち上るカップに落とし、ゆっくりとかき混ぜる。

 ざらざらとした感覚が無くなったところで手を止めて口に運んだ。


 「んー……」


 はっきり言って、この砂糖入りミルクは美味しくない。

 乳特有のコクを、甘ったるい砂糖の味が完全に打ち消している。

 

 それでもクラリアがこれを常飲している理由は、脳に糖分を行き渡らせるためだ。

 人間の脳は適度に甘味を摂取することで、効率的に稼働する。

 レールス帝国では一般的に知られていない情報だが、彼女はとある筋からこのことを知った。


 「お待たせしました。マイ・ミストレス」


 眉間にしわを寄せつつ机の上を整理していると、ベットの横の床に描かれた幾何学きかがく模様が光を放つ。

 トン、と杖で音を鳴らして、ウィザードゴブリンが姿を現した。


 「遅いじゃないか。なにしてたんだい?」

 「知り合いにコーヒーをご馳走になりましてね。先ほどまで嗜んでおりました」

 「あの黒くて苦いやつ? 私あれ嫌いなんだけど、よく飲めるね」

 「もちろん、クリーム等で甘くして飲みましたぞ」

 「ふーん」


 興味無さそうに返しながらも、ガザゴソと紙の山をまさぐっている。彼女らにとってはいつものことなのか、ウィザードゴブリンは肩をすくめるだけだった。

 

 「お、あったあった」


 やがて目当てのモノを見つけたらしいクラリアが、ウィザードゴブリンへ手招きする。


 「何か?」

 「ウィザードから借りてたコレ、図書館に戻しといてくれない? 中々に面白い内容だったよ」

 「それはそれは……ミストレス殿が喜んでくださったのなら、私としても喜ばしい限りです」


 彼女がウィザードゴブリンに手渡したのは、子供向けの伝記だった。

 表紙には舌を出している男性の顔が描かれている。

 

 「ふふ、次はどんな書物をご所望ですかな?」


 黒っぽい深緑色の顎に手を当て、嬉しそうに髭をなですさる。

 しかしクラリアはなぜか彼の態度に機嫌を悪くしたようで。


 「ねえ、どうせ今生徒が訪ねて来ることはないんだし、わざわざウィザードのまま話さなくてもよくない?」

 「……しかし」

 「なにかと便利だからそうしてもらってるけど、私老人って嫌いなんだよね」


 苦笑いを浮かべるウィザードゴブリンに、クラリアが杖を向ける。


 「妃花ひめかなら、わかるでしょ?」

 「…………はぁ、仕方ないなあ」


 ぶっきらぼうなクラリアの言葉を受けて、再びウィザードゴブリン──妃花がトン、と床を鳴らした。

 身体中に刻まれた幾何学模様がほのかな光を帯びて、ぐにゃぐにゃと流動体のごとく動き出す。


 10秒と経たないうちに、妃花は本来の姿を取り戻していた。明るい緑のシャツに、黒い長ズボンを合わせている。オーエンがアルバイトしているコンビニの制服だ。


 みずほらしい老ゴブリンの姿は、影も形も残っていない。

 

 これこそが妃花の【ギフト】である『変幻』の効果。彼女は『マーズ』と連結しており、読み取った幻獣の姿形、【ギフト】やステータス等を完全にコピーできる。

 ウィザードゴブリンは、およそ5年前に在籍日数半年ほどで退学処分を受けた生徒の幻獣だ。

 退学した彼はゴブリンの力を十全に引き出せなかったようだが、『変幻』のレベル4を解放している妃花であれば、オリジナル以上の性能を発揮できる。


 そしてクラリアは、およそ7年前に妃花と契約した。

 オーエンが新種の幻獣ヒューマの召喚例第1号というのは、クラリアの真っ赤な嘘である。


 時差を把握できるペンダントを制作できたのも、互いの言語をある程度翻訳できる機能を魔法陣に取り付けられたのも、7年に及ぶクラリアの地道な作業の成果だ。

 

 彼女はぐっーと伸びをした後、机の上にあった菓子受け皿から何個かつまむ。


 「うえっ……」


 そうして渋面を作りつつ、窓際へと移動した。

 試験の点数を確認し終えた生徒がそれぞれの表情を貼り付けて歩いているのを、ガラス越しに眺めている。


 「ねぇ、1つ聞いてもいい?」

 「今度地球の甘いものを持ってきてくれたらね」

 「……わかったよ。実戦形式を見てた時に思ったんだけど、なんでせんぱいは急に強くなったの? 最初のころはネアールにも負けてたのに、急にコルネを倒せるくらいになっちゃったじゃん」


 召喚されたばかりの妃花はオーエンほど弱くはなかった。でも、かといってあそこまで急激に強くなったわけではない。

 素人目から見ても彼の成長速度は異常だった。

 

 「まあ、クライエスに才があるのは前提として」


 唾液とミルクで唇を濡らす。

 

 「オーエンや妃花のようなヒューマは、あらゆる生き物の中で唯一、知恵の実を食べた種族だからね」

 「……聖書の話?」

 「確かに地球だと今や創作扱いだけど、太古の昔にヒューマが知恵の実を食べたのは事実。この世界の人間も、地球の人間も。元を辿れば1組の男女に行きつく」


 妃花が早くも理解するのを放棄しかけているのを見て、クラリアはひきつるような笑みを浮かべた。


 「そこからの歴史については『アウグル』の連中にとって都合が悪いらしいから、詳しいことはわからないんだけどさ」

 「もう少しわかりやすくお願い」

 「じゃあすっごく端折るよ。レベル4発現の呪文をいい感じに訳すと、『貴公は今、生命の実を食する』って文言になる。じゃあレベル5の文言は、何だと思う?」

 「……知恵の実を食べるの?」

 「正解」


 クラリアが雑に妃花の頭を撫で、うっとうしそうに払いのけられる。


 「つまり、オーエンや妃花は常時レベル5を発現しているのと同じなんだよ。ここでもう1つ問題だ。幻獣の力について、私がいつも言ってることを覚えてる?」

 「召喚魔導士と幻獣の強さは、加法じゃなくて乗法ってやつ?」

 「その通り。だからオーエンが最後にレベル3を解放したのは、実質的にはレベル15相当になっているんだ」


 得意げに語るクラリア。

 妃花も仕組みはともかく理屈としては理解できたものの、1つだけ腑に落ちないことがあった。


 「──にしては、苦戦しすぎじゃない? レベル2の時でも、その理論だとレベル10相当の力だったんでしょ?」

 「そりゃ、オーエンの【ギフト】が『身体強化』っていう、数ある【ギフト】の中でも特大級のハズレを引いちゃったからだね。いくらレベル5以上を発現してようが、ヒューマ共通の弱点であるステータスの低さは拭えない」


 人類は素の運動能力よりも、知識をつけることで生き残ってきた種族。

 少しの知恵と高い身体能力のみで厳しい自然界を生きる、ドラゴンやグリフォンには遠く及ばない。


 「もし彼の【ギフト】がもうちょっとマシな性能だったら、少なくともキンナートゥス・クラウディア以外は瞬殺できただろうにねえ」

 「……へー」


 他人のことなのに口惜しそうに語るクラリアへ空返事をしつつ、妃花は窓の外を見やる。

 あれだけあった人の往来も、気づけばまばらになってきていた。


 「なんにしても、こうして無事にヒューマ召喚の魔法陣を制作することができた」


 しかし、すっかり自分の世界に入ったクラリアは話すことを止めない。

 聞いてる者はいないにも関わらず、悠然とイスから立ち上がる。


 「おそらく、そう遠くないうちに時代は変わる。獣の域を出ないドラゴンやグリフォンは廃れ、地球から召喚したヒューマ同士を用いて争う時代がやってくる」


 妃花はとあることを口に出そうとしたが、すんでのところで止めた。

 今伝えても藪蛇になりそうだったからだ。


 「だから、今のうちにこっちを進めとかないとね」


 そう言って、クラリアは本棚の方へ歩みを進める。

 取り出したのは先ほど妃花に渡したのと同じ偉人の顔が描かれた、1冊の本。

 彼女が熱心にそのことについて調べているのを知っていた妃花は、胡散臭いものを見るような目で呟いた。


 「ねえ、それについてここ数年の間研究しているみたいだけど……本当に時間を操れるの? 地球の偉い人たちが100年近く研究しても、糸口すら見えないのに」

 「確かに。私はまだ科学とやらはよくわからない。その偉い人とやらに追いつくのは不可能だ──でも」


 クラリアが杖を一振りする。直後に膨大な魔力が妃花の刻印に流れ込み、眩い光が部屋中を照らす。


 「この世界には、魔力がある。無から火を起こせるこの力が、私は足りない部分を補ってくれると確信しているからね」

 「だけど」

 「だから、これからも協力してもらうよ。妃花だって、お父さんとお母さんに会いたいでしょう?」

 「……」

 

 ロープの軋む音は、7年経った今でも脳裏に焼き付いている。

 優しかった両親を破滅へと追い込んだやつらに復讐し、もう一度父と母に出会うため。


 「わかってる。次は何をすればいいの?」

 「お、やる気だね。じゃあ──」


 妃花は水色の悪魔に、魂を売ったのだ。

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私の下僕になってくれませんか!? 屑出ノロマ(くずでのろま) @kuzudenoroma

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