おまけ1 乙女のプライバシー
ネアールはウェスタと別れた後。寮から少々離れた位置にある、茂みの中にやってきていた。
大貴族の令嬢である彼女がなぜこんな場所に来たのか。
「やあ、待ってたよ。試験合格おめでとう、ネアール」
「お兄様のおかげです。本当に感謝していますわ」
それは現在表立って学園に滞在できない、兄パウルスに此度のことを報告しに来たからである。
なぜ堂々と滞在できないのか。その理由は名誉も人気も実力もある彼がいると知られれば、いろいろとまずいことになるから、というのが原因だった。
この学園の教師陣は、アウグルの名に屈したことからわかる通り、決して善人ばかりではない。
一般の生徒が知らない中で、貴族の息がかかった者同士の絶え間ない派閥争いが繰り広げられている。
ポントゥム家陣営はネアールが起こした旧校舎破壊事件のせいで劣勢になりつつあり、現在はセルウィ家陣営が幅を利かせ始めていた。
バンガルドがグループ分けを操作できたのも、セルウィ家が台頭してきた証拠といえよう。
「そうだ。アドバイスする前に、1つだけ気になることがあるんだけどさ」
「……なんですの?」
「なんで満身創痍のクライエスさんにとどめをささなかったんだい? 彼女を脱落させれば3位に入れたのに」
「それは──」
正直言って、『貴族は貸し借りにうるさい』というのは後付け。その場の言い訳に過ぎない、とネアールは自覚していた。
貴族が貸し借りに対して一言持っているのは間違いない。しかしそれが全ての貴族に当てはまるわけではないのだ。
彼女がどうしても、ウェスタに手を出せなかった理由は。
「見ていられなかったからですわ」
「ふーん。なるほどね」
かつて憧れ、目標にも据えた少女が長い暗黒期間を経てようやく這い上がったのに、雑魚狩り男のつまらないプライドに付き合わされているのを見ると。
どうしても助けたいと思ってしまった。だって自分が手を差し伸べなければ、ここで終わってしまうのだから。
眩しすぎて直視できないくらいなウェスタの雄姿を、また見たい。だから鼓舞し、回復の時間を作った。
それを意識してか、はたまた無意識のうちにか。今となっては知る術はない。
だが結果としてネアールはウェスタを救い、バンガルドの喉元に刃を突き立てた。
「うん、いいんじゃないかな。我らポントゥム家の父祖は、別に『孤高のまま強く在れ』とは言ってないしね。憧れの人物の背中を追いかけるのは、とても大事なことだよ」
「……わかっていただきありがとうございます。お兄様」
怒られる可能性まで考慮していたネアールにとって、この兄の反応は非常にありがたい。
とはいえ、未だに疑問はくすぶっている。
それはもちろん、コルネのことだ。
あのタイミングで接触してきたということは、当然自分のバックボーンについて、ある程度の知識を持っていた可能性が高い。
一体、どうやってそんなことを──。
「フフフ。キンナートゥスさんに協力してよかったよ。おかげでネアールがまた1段、殻を破ってくれた」
「……」
ここ数日の間、深い思慮を巡らしていたのがバカらしくなった。
「お兄様、淑女の過去を言いふらすのは、感心しませんわね」
「えっ? でも実際、ネアールのためになったじゃないか」
この兄は、乙女のプライバシーというものをわかっちゃいない。
「はぁ……その調子だから、部下に婚約者を寝取られてしまったのではないですか?」
「うぐうっ!? 寝取られ……寝取られだけは許せないっ!!!」
ネアールは胸を押さえてうずくまるパウルスを見下ろしながら、大きく息を吐いた。
◇
いくつかのアドバイスを受けた後、ネアールは女子寮への階段を上っていた。
もう少ししたらこの階段と廊下は退学が確定した生徒たちの纏う、重苦しい雰囲気に包まれることだろう。
最も。今現在は合格した生徒のはしゃぎ声が定期的に聞こえてくるような、比較的明るい空気が充満している。
「うええっ! 聞いてたんですか!?」
ちょうど自分の部屋がある階に到着した辺りで、ネアールには聞き覚えのある声が響いてきた。
ウェスタの声だ。これからパーティーと洒落込むらしい。彼こそいないようだけど、アリテラスとハルドリッジ、おまけにコルネの声も聞こえてくる。
実は、ネアールも偶然居合わせたコルネに誘われていたが。
彼女らにあんなことをしておいて、今更のうのうと参加できるはずもない。
今まで数々のいじめ、嫌がらせ行為を先導してきたのだ。いじめ耐性の強いウェスタを標的にするまでに、何人かの退学者も出ている。
その償いの意味も込めて、ネアールはもう友人との交流で得られる多幸感を摂取しないと決めた。
「このあと、一緒に繁華街いかない?」
「いいねいいねっ! 私、欲しい服があるんだー!」
だけど友達といる時の、心の豊かさを簡単に忘れられるほど、人間は都合よく出来ていない。
慣れない孤独は、強がる娘の心を深く蝕む。
すれ違う人々を避けるように、目線も徐々に下がっていく。
毅然とした姿で歩いていたのにいつの間にかうつむいて、唇を固く結んでいた。
「……あれ」
しかしその甲斐あってか。自分の部屋の戸が、少しだけ開いているのに気づけた。
おかしい。ここを出る前に鍵はかけたはずなのに。
万が一の場合も考慮し、杖を構えて魔力を込める。深く深呼吸してからじりじりとすり足で近づいていく。
唇も舌で濡らして、いつでも詠唱できるようにしてから。
「「えっ!?」」
戸をぶち破るほどの勢いで開けた先では。
「……なんで、
なぜかサーニャとシルが、自分の部屋にキラキラとした装飾を施しているところだった。
テーブルの上には料理まで並べられており、串焼きの香りが食欲を誘う。
「さっ、最近のネアール様はすごく頑張っていらしたから……」
「試験も終わってひと段落ついたことですし、サプライズパーティーなるものを開催しようと思いまして……」
「……そうでしたか」
サーニャとシルの言葉を聞いて、ネアールの目頭が熱くなる。
事件後。多くの生徒が離れていく中、それでも話しかけようとしてくれた2人。にもかかわらず、ネアールは試験の邪魔になるからと冷たく突き放した。
その方が、2人にとってもいいと思って。
「も、もしかして……」
「……ご迷惑でしたか?」
テーブルの端には、金属製の小さな鍵が置かれている。この部屋のスペアキーだ。学園が管理している物と違い、ポントゥム家の紋章が彫られているのが見えた。
これをこの2人に貸し出せるのは、たった1人しかいない。
「──全く、お兄様ったら。余計なことをしますわね」
あの兄は、乙女のプライバシーというものをわかっちゃいない。自分なりに正しいと思ったことを、他人の気持ちを考えずに実行する。
だけど、今は。
そんな兄のお節介が、ほんの少しだけ嬉しかった。
「「や、やっぱり私たち……」」
「こんな素敵なパーティーを計画してくださり、ありがとうございます」
杖を腰のホルダーに差し込み、部屋に入って戸を閉める。
さほど時間が経っていないのか、持つとじんわりと温かい串焼きを2人に差し出して。
「ほら、冷めないうちに食べましょう? 今日は祝い事ですから」
赤くなった瞳を誤魔化すように、目を細めて笑った。
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